初めて寝たときのことなどろくに覚えてはいない。
と、いうのは嘘で、いまだに脳みそに一から十の最後まできちんとご丁寧に焼き付いている。あと数十年経とうが耄碌した爺いになろうが、そればかりは色褪せぬのではないかと思うほどに、鮮明だ。だけどそんなことを誰かに言うのも、ましてや相手に知られるのも嫌だったので、銀時は忘れたと言いはった。
そしてその初めての相手は、その夜から十年以上経った今でも銀時の隣にいて、銀時がその気になれば好きなように肌を触らせる。彼の方はといえば睦言の合間などに、たまにいちばん最初に身体を重ねたときのことを話題に出してくるくらいだ。そうしたときは、銀時は掌でも自分の唇でも、とにかくむりやり桂のくちをふさぐ。
あの夜、銀時は破れかぶれで、頭がわいていて、そして自暴自棄だった。

桂のことをいつから好きだったかというと、明確な時期は答えられない。もっとも、銀時は桂にはっきりと「好き」だの「愛してる」だのと伝えたことはない。桂の方は一度「初めて会ったときかもしれない」とあっけらかんと言ったことがある。初めて会ったときといえば、銀時が松陽に連れられて教室に入ったときだったと思うが、殆ど会話らしい会話もしなかったはずだ。銀時は桂の姿を見てその容貌に衝撃を受けたが、桂の方はいつもと変わらぬ澄ました表情で己を見ていたように思う。あのときその静かな花のようなかんばせの下で、恋を芽生えさせていたというのだろうか。ただ、確かに、他の子どもたちが銀時を遠巻きにする中で、桂だけが最初から何かと構ってきたのだ。
桂自身も変わった性質で、他の子どもとうまく馴染めない節はあったので、当然のように2人でいつも一緒にいるようになった。桂が己の何を気に入ってるのかはよく分からなかったが(この白いくるくるの髪の毛が一番の理由だといういかにもな可能性には目を背けたい)、桂は何かにつけて銀時、銀時、さすがは銀時、と銀時を賞賛した。
「小太郎にとって、銀時はまるでヒーローか何かみたいですね」
いつだか松陽が2人の様子を見ながら、笑ってそう言ったことがある。ヒーローって何だ?とそのときは思いつつ、桂の、花の綻ぶような綺麗な笑顔を向けられて名前を呼ばれるのはとても嬉しいことだった。これも、伝えたことはないけれど。

触りたいとか、抱きたいとか、そういう欲求がもっと具体的になる前よりも、けっこう二人で引っ付き合っていたので、境界線は非常に曖昧だった。桂の柔らかくて銀時よりも少し体温の低い肌に触れているのは心地よく、安心できた。その内、だんだん性欲というものが体の中に灯り始めたのだが、そのころは桂も銀時もよく分かっていなかった。

ある日、畳の上に転がってくだらない話をしながら、ふざけて手足を絡めたりしていた。そのうちに服があるのが邪魔に思えて、銀時は桂の襦袢から手を差し込んだ。初めて触る腹の部分は腕よりもずっと滑らかで熱く、銀時はそこを幾度も撫でさすった。桂はただ擽ったそうに身を捩ったが、銀時の好きなようにさせた。崩れた髪からのぞく首筋に鼻を寄せると、仄かな甘い薫りがした。花のような蜜のような、不思議に芳しい桂の匂いだ。首が弱いらしい桂は身体をふるわせ、小さな抗議の声をあげた。それが面白くてしばらく首だけを脣でなぶった。途中で銀時を引き離そうとして桂が腕に力を込めたが、それよりも強い力で銀時が抑え込んだ。
「…ん、ん、ん…、あ、」
桂がふるふる身体をわななかせながら、意味のない言葉をあげているのを聞いて、可愛いと思った。初めてみる姿だ。このままずっと続けたらどうなるのか。見てみたいと思った。銀時はふるえる細い首に歯を立てた。桂が悲鳴をあげる。ただしそれは小さくて、ほとんど吐息だった。
「…っごめん…」
流石にこれは怒ったかなと思い、唇を離してそう言って桂の顔をみた。桂は大きく胸を上下させて息をしていた。目尻が紅く染まり、涙で瞳が潤んでいる。そのままぼうっとした様子で、銀時を見つめ返した。
「…いい、大丈夫…」
銀時は背筋が粟立つのを感じた。なにか、よく分からない熱いものが身のうちを競り上がってくる。だが不快ではない。桂が桃色の唇を赤い舌の先で舐めて、囁くように告げる。
「…もう少し、して」
新しい遊びをみつけたと、思った。
先生は出掛けて、朝まで帰らない夜のこと。11の夏だった。

もちろん、その新しい「遊び」の正体にはすぐに気が付いた。周りの塾生たちもそれぞれ個人差はあれど、中には早熟な者もいて、その手の本、いわゆる春画なんかを松陽の目につかないようにこっそり塾に持ち込む輩もあらわれた。銀時が初めてその男と女の絡み合う絵を目にしたとき、不思議なほどなにも思わなかった。ただ世の中にはそういうこともあるのだな、という妙なものをみつけた感想でしかなかった。しかし春画の中で、口吸いをしている絵を見つけ、それはこの頃、桂と人がいないとこでしている遊びと同じものではないかと思い至りー、
銀時は気付いた。自分たちが遊びとしてしていることがいったい何なのか。

…気付いたからといって、もうどうしようもなかった。むしろ、桂を見つめるたびに体の内に沸き上がる熱を、いやに増すだけだった。

わずか色付いたくちびるを舐めあげると、柔らかなそこが開いて、舌を甘噛みされる。銀時がそれが好きだということを知っているのだ。頬で鼻の先で額で互いの熱を感じる。人の体温のはずなのに、どうしてこれほどまでに熱く感じるのかが不思議なくらいだ。遠くの方から子どもの騒ぐにぎやかしい声が聞こえるが、この狭い空間の中では互いの息づかいと心臓の音の方がやたらに鼓膜を刺激する。塾から少し離れた裏手の小屋の中。松陽が留守のときは銀時の部屋で堂々と、そうでなくばこの小屋を使っていた。そう毎日毎日というわけでもなく、昼間は以前と変わらない様子で他の友人たちと騒ぎ、馬鹿をやって、桂は澄ました面で本を眺めたり下級の者の世話をしていた。だけども、何かの拍子に視線が絡んでしまったりすると、途端にもうだめだった。銀時はいつ桂の腕をとってどこぞに引っ張り込むかを模索しはじめ、桂はそれを待ち望む。
2人きりでいるともう頭に熱が昇ってのぼせあがって、思考などできなかった。

13を迎えるころになると、銀時と桂の周りはにわかざわめいて煩くなった。このころ、二人とも手足が伸びて、銀時は元々の筋肉もあったがぐんと目に見えて逞しくなって、顎のあたりや手や足の筋に精悍な男らしさが見え始めた。幼いころは人々の目に異様に映った銀髪も、成長し、日に焼けた肌には逆に似合っているようにも思われた。
桂はといえば、すらりと白く華奢なままだが、四肢のかたちはさらに美しく、頬のあたりからこどもらしい丸みが落ちていた。大きな瞳の、眦のあたりが少し垂れ、物思いなどに耽っているとなんだか甘ったれたような表情をしているようにも見える。黒髪をそのままのばしていたが、より艶めいて、豊かになったようだった。
桂のことを見つめる輩が、多くなった。昔から綺麗な子どもで、目立ってはいたけれど、この頃には少し遠くの村などからも桂目当てに道場に覗きに来る者も出てきた。銀時にも、また、村の娘たちから好意を寄せられることがずっと増えたが、だいたい誰でも適当にはぐらかして、桂のことばかり眺めていた。
誰に言い寄られても、桂はちっとも靡く様子もない。素気なくされた若衆が肩を落としているのを横目に、銀時は、桂が、自分にはどれほど簡単に身体を触れさせるのか、どれほど無防備に唇を明け渡すのかを、桂を熱っぽい視線で見つめる輩どもに見せつけてやりたかった。
桂は、すでに銀時のものだった。

そんな熱に浮かされたような日々を送っていたが、突然に、世界は変わってしまった。銀時が14になるほんの少し前に、松陽が幕府に連行された。
松陽はたぶん銀時と桂のことに気が付いていたのだろう。後からそう思った。隠しとおせていると思い上がっていたが、結局のところ、彼には何でもお見通しだったのだ。松陽は役人に連れていかれる前に―連行されることも感付いていたのだろう―、銀時に言葉を残していった。
「銀時、お前に愛する者ができて、私は本当に嬉しいんだ」
そのときはー、ただ驚いて、そしてどうしようもなく照れ臭くて、なにも言葉を返せなかった。
愛など。
己がそんな言葉を口に乗せるようになる日がくるとは、思えなかった。

桂にも松陽は何か言ったのかも知れなかったが、聞いていない。銀時も自分が言われたことは桂には教えなかった。松陽から貰った言葉は、なんとなく心の中に秘めておきたかった。

しかし松陽が幕府に投獄されてから、銀時は荒れた。銀時だけでなく高杉や久坂、入江たちの荒れようも凄まじかったから、桂は毎日誰かしらを宥めすかしたり、八つ当たりで激情をその身に受けなければならなかった。自分たちでも驚くほど感情を制しきれず、怒鳴って喚いて理不尽な暴力をふるって、挙げ句の果てには幼児のように泣いた。桂の腕の中で、膝にとりすがって。醜態などとうに晒しておきながら泣き顔を見られるのは恥ずかしいなどと思って、痛いくらいに桂の身体に顔を押し付けていたけれど、本当に痛かったのは桂の方だろう。しかし桂はそれで不平を言うこともなく、腕に抱いた男が泣き止むまで、静かに、優しく、その髪に手を入れて撫でてやったり、幾度も幾度も「大丈夫だ、」と囁いていた。
あのころ、桂はどこで泣いていたのだろう。

そして、松陽が連れてかれてから一月ほどが経った。ほんの数日前に銀時は誕生日を迎えていたが、そんなことはもうどうでも良かった。桂が銀時の好物を拵えてくれたが、ろくに感謝を言った記憶もない。その場に松陽がいないことがただたまらなく悔しく、哀しかった。
このごろは桂は銀時の家に泊まり込んでいる。一人のこされた銀時が自暴自棄で身の回りのことすらろくに構わないので、桂が世話をしていた。最初は高杉も勝手に松陽の部屋に居着いていたようだが、ここ数日は自分の屋敷に籠っている様子だった。

その日、銀時は何をする気も起こらず畳の上に寝ていた。なにかを考えることすらしたくなかった。桂は昼間、家から寄越された使いの者と裏で少し話をしていたようだった。それからずっと静かだ。桂の両親が、大切な息子が家にも戻らないでいるのだから、心配していないはずがない。おそらく帰ってこいとでも言われているのだろう。
厨の方から、魚を炙る匂いがする。桂は今夜も帰らないつもりらしい。ずっと、まともに会話していない気がした。夜中に悪夢に魘されて、一晩中桂に横で髪を撫でさせたり、喚いて泣いて腕の中であやされたり、ここ最近のそんな生活と己の有り様を思い返して、銀時は惨めな気持ちになった。まるで餓鬼だ。

「銀時…、銀時?おきているか…、夕飯の支度ができたぞ」
そっと桂が顔を出して、寝そべった銀時の様子を伺いにきた。料理をしていたので、髪を上に結い上げている。 露になった白い首がなんだか目に焼き付いたようになって、銀時はぼうっとそこを眺めた。桂はその視線には気が付かないで、のそのそと食卓に座った銀時の為に飯を盛っている。
「今日は秋刀魚の良いものを貰ったんだ」
そう言って嬉しそうに飯の膳を整えたが、銀時はあまり聞いていなかった。炊事の為に捲りあげた着物から突き出た腕の、同じ男とは到底思えぬ、その細さと艶かしい白さ。
銀時は今までにないくらい、強烈な欲を感じた。そして同時に情けなかった。こんな状況だというのに、色欲をもっているということが、松陽に対して裏切りのように思えた。
「…銀時?どうした、食べぬのか…冷めてしまうぞ。せっかくお前の好きな…」
桂が、膳に一向に箸をつけない銀時に声をかけた。その瞳を覗き、言葉を失った。よく見慣れているはずの赤い目が、全くべつの者のように見えた。桂がわずかに怯んだのを感じて、銀時は舌打ちでもしたい気分だった。
「帰れよ」
気が付くと、素っ気ない声が出ていた。
「え?」
「家に帰れよ。母ちゃん心配してんじゃねーのか」
「…母さまは理解してくださっている。気にしないで良い」
なんでそんな嘘をつく。昼間のあれは、きっと迎えの者だったろうに。
桂は目を伏せた。なだらかな頬に睫毛の影が落ちている。物言いたげにうすく開かれたままの桜いろの唇といい、その下の小さな顎といい、今日はやけに意識の中に切り込んでくるのだ。

このまま桂と二人だけでいると、危険だと思った。
「…帰れって」
だからこれは、銀時なりの桂への優しさであったのだ。
「いや」
「かつら」
「ためだ…、お前を一人にしておきたくないのだ。これは俺の、我が儘だ」
そう言って顔をあげた桂は、懇願するような表情をしていた。それがいまの銀時にはとても淫靡な色を帯びたものに見えた。先程からじんわりと熱のこもっていた身体が、一気に熱くなる。
もう、踏み留まることのできる境界線を、越えてしまったようだった。

「…そう、オメーの我が儘なのね、」







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