【慈しむ手】
「お前、いつからそんなに化け物の類が嫌いになったんだ?」
ぼんやりと眺めていたテレビに突如おどろおどろしい雰囲気の音楽と背景が流れ始めて、いつも能天気な面の芸能人が神妙な面持ちで「心霊」のしの字を言う前に、ベッドから弾けるように飛び出して殴りつける勢いでテレビの電源を切った。真冬に心霊番組なんか流してんじゃねーぞボケが!そしてぜいぜいと肩で息をする銀時に、後ろからのんびりと桂が尋ねた。
「子供のころからその手のものは苦手だったのは覚えてるけれど、そこまで酷くなかったと思うんだが」
ぎろりと睨むと桂は心底不思議そうな顔を返してきた。散々セックスしたあとのことなので、髪の毛は乱れていてまだ頬は赤く、涙の跡がまだ完全に乾いていない。とても色っぽい。銀時は押し黙り、そのままもとの場所に戻る。
「俺はああいうのけっこう好きだな。ねえ、さっきの観たい」
「やだ」
「どうしても?」
「やだ」
情けないことだが、銀時はあの手のものは絶対にダメだった。無理だ。厠にも行けないし風呂にも入れない。風呂は今日は桂と入れるが、さすがに厠にまで連れ込むわけにはいかない。いくら桂が気にしなくても。
「ダメかぁ、」
桂は諦めたようだった。この方面の話題でしつこくしつこくからかってくる他の昔馴染みたちとは違って、桂はたまにこうしてこんなことを言い出しても、あっさりと引いてくれる。
「あんなセンスの悪いもん観るより、もっといいもん見せてくれよ」
「ん、」
素裸の桂を再び腕の中に閉じ込めて、ふだんより色が濃くなった唇を吸う。情事の名残でいつもなめらかな肌はしっとりと湿っていて、脚の間に手を伸ばすとそこはまだ散々に濡れている。
「あ、もう、もうだめだぞ、今日は」
「もう入っちゃダメ?なんで?」
「ダメ、もう気絶する…ぁん、ぁ、ぁ、ぁ、だめ、も、何もしないで、」
そう言いつつも、抵抗は弱い。がくがくとふるえ始めた腰を抑えこんで指で粘膜を蹂躙する。
「やだよ。せっかく宿泊にしたんだから」
「あ、あん、だめ、ほんとに、だめ、すごく敏感になってるから、」
「へえ?ああ、すげえ中痙攣してるわ…お前さっき何回イッたの?最近は全然、イッても射精しねえもんなあ」
「たくさんイッた…から…」
本当に、数えてなどいられないほど、激しく感じさせられた。射精を伴わない絶頂を迎えるようになって、もうずいぶん経つが、桂はそれに慣れたと思うことはない。幾度も幾度も頭が真っ白になって、腰から脳天まで響くような快感のことしか考えられなくなる。その間どんな表情をしてるのか、何を口走っているのかも、正気ではないから分からないのだが、銀時の様子からして相当にはしたないうわ言を叫んでいるようだ。

最近はあまり時間がなかった。銀時の方はなんだかんだで珍しく立て続けに依頼が入ってたし、桂も桂で色々と忙しくしていたようだ。合間合間に急いた乱暴なセックスはしていたが、こうして丁寧に抱いてやるのは久しぶりだった。時間をかけてしつこく愛撫したのもあって、桂の身体は蜜のように蕩けきっている。

じゃれ合うように愛し合ったあとで桂はくたりと身体を投げ出し、琥珀の瞳がとろりと眠たげに細められている。
「ん…、銀時…、」
「いいよ寝て」
しばらく起きていようと数回瞼を瞬かせたが、結局そのままするりと桂は眠った。その美しく、幼げな様子を眺める。
「化け物がダメになったのは、お前のせいでもあるんだよ」
ふと、昔のことを思い出した。

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それは攘夷戦争に参加してから、一年ほど経っていたときのことだった。まだ戦況は良かったころのことだ。銀時たちが参加した時点で既に今からすれば戦争末期と呼ばれる時代だが、少なくとも花街に遊びに行けるような余裕すらあった。

「いいのか?女子と遊ばなくて…」
尋ねても、銀時は返事をしなかった。ただ黙っていろとばかりに桂を睨み、再び銀時は桂の首筋に顔を埋め、熱心な口付けを始めた。かれこれ四半刻ほどはそうして鎖骨や首の辺りを舐られている。遠くからおんなの矯正や甲高い笑い声がして、不思議な気分だった。
ここは山の麓の渓谷の、些か辺境なところにある遊廓だ。場所が場所なのでこじんまりとして、女の数もそれほど多くはない。言うなら遊廓崩れ、というような場所だった。

銀時と桂をここへ連れてきたのは軍の指揮官だ。まだ16になったばかり、まだ下っ端の身分で、それまで花街などに連れてこられたことはなかったが、このころ既に軍になくてはならない戦力として銀時は古参の者に目をかけられ始めていた。指揮官の男はこっそりと銀時一人に声をかけようとしたらしいが、つねに桂がそばにいる為に、仕方なく桂の目の前で銀時を遊廓に誘ってきた。
「はァ…、いいんすか俺みたいなのが行っても」
「このごろのお前の活躍は目を見張るものがあるからな。ちょっとした労いだ」
「どうも…、でも、俺今日薪割り当番なんで」
「薪割り?そんなもの、別の者にやらせよう。なに、廓といっても大したところではないらしい。こんな場所だからな。だが息抜きにはなるだろう」
「そうっすね…」
銀時は思いきり気の乗らないといった態度を隠しもしないで、ただ傍らの桂をちらちら見ていた。桂は桂で、銀時に、せっかくだから甘えて行かせてもらったらどうだ、と言いかけたが、指揮官の手前、大人しく黙っていた。それに、銀時はどういうわけか困っているようだった。桂に遠慮しているのかとも思ったが、本気で行きたくないようだ。
「なんだ?花街へ行くのも桂と一緒じゃなきゃ嫌なのかお前は」
そらきた、と桂はなんの感慨もなく思った。銀時と桂はたいていいつも一緒にいる。高杉はたまに一人になりたいらしく二人からふらりと離れることも多いが、銀時は桂をそばから離さない。軍へ入ってからというもの、上からも同輩からも、そのことについてしきりにからかわれ、あるいは侮辱される。
このころ桂も銀時、高杉に剣の腕は遅れを取らないはずだったが、その姿かたちと、とくに目立った戦績がまだなかったことで、よく侮られていた。容姿のことで揶揄されても桂は怒らず、黙って耐えていた。舞うように敵を屠り、地獄のような戦場において可憐な姿で君臨し、心臓を貫いた敵に今際の際で心酔されたりなどして「狂乱の貴公子」と呼ばれるようになるのは、これよりもう少し後のことだった。
銀時の視線に気付いた指揮官が、眉を釣り上げて、桂を見て小馬鹿にしたように笑った。
「同郷だからといって少しべたべたし過ぎではないのか?いくら女の代わりにするにはお誂え向きでも」
隣で銀時がむっとする気配が伝わってきた。村にいたころからこの手のからかいは慣れていたから、桂はもうどうと思うことはない。だが銀時はそうはいかないようだ。
「それとも、お前が他の女を抱くとそいつは嫉妬するのか?」
隣の銀時が何か言いかける前に、素早く桂は声をあげた。
「薪割りなら俺がやります。さ、銀時」
「おい……」
「せっかく…良いところに連れてってもらえるのだから、」
そっと銀時の耳元に囁く。端からその様子を見ていた上官は、桂が銀時の耳元に囁きかけるときの仕草に見惚れたが、すぐに我に返ってふんと侮蔑の眼差しに戻った。銀時は囁きかけられて吐息でくすぐられた耳朶がかっと熱かった。桂の吐息は甘い草花の香りがした。
「ふん、そんならいい。桂、お前も一緒に来い」
「えっ…」
「お前が行くなら銀時も来る気になるだろうさ」
では、また後ほど。と言い捨てて、上官は去っていった。桂は困り果てて銀時を振り返ったが、銀時はさきほどの不機嫌さが嘘のように案外けろりとしていた。いいじゃん、お前も一緒にくればいい、と呑気に言って、銀時は桂の腕をとり飯の支度に向かった。
そして夜更けに銀時たちは遊郭へ着いた。
道中少し年長の者が、つまらなさそうな銀時と浮かない顔の桂を慮って、なにか面白い話でもしようとしたのだろう、「これから行く宿のことだが、噂があるというんだ、知ってるか」とふってきた。
「幽霊の出る宿、といってな。出るんだそうだよ。綺麗な遊女の幽霊が」
その与太話に適当に頷きながら、桂は銀時の様子をちらと伺った。幼少の時からこういった話はあまり得意ではなかったはずだ。少し下から覗き見た銀時は、不機嫌そうにしていたが、昔のように桂の裾を掴んでくるようなことはなかった。

渋ってはいても来たら来たで、好きな女を買って部屋に閉じ籠るだろうと思っていたのだが、銀時はこっそりと上官の目を忍んで、桂を部屋に引っ張り込んだ。桂は女を買う気にはならなかったから、どう時間を潰そうかと考えていた。買った女はどうしたのかと思ったが、そのまま布団の上で口付けられて、尋ねる機会をなくした。
赤い絹の布団に、派手な柄の襖。遊女の使っている部屋だった。微かな香の残り香がする。襖越しに遠くから近くから聞こえる喧騒と嬌声。こんな場所で押し倒されて身体を暴かれていると、まるで自分も遊女になったような気分だった。
「銀時…、もう…、もう…、」
ふらふらと手を伸ばして、銀時の下半身を探ると、固く勃ち上がったものに触れて、桂は必死でそれを愛撫した。もうここがこんなにとても大きく昂ぶっているのに、銀時は一向にそれを取り出す気配がない。この部屋に連れ込まれてから桂の下半身は放っておかれてたまま、今は執拗に乳首を嬲られていた。
「あ、あ、あ、」
銀時は愛撫する桂の手を上から握り、好きなように動かし始めた。まるで桂の手を使って自慰しているようだ。そんなことしなくても、早くそれを中に入れてくれればいいのに、と桂は焦れる。今日は一度も触られていない腰がいやらしくくねる。
「……何ケツふってんの?」
「、ちがっ、」
「違くねえだろ。見せろよ」
「やっ…、」
閉じようと足掻くのを無理やりねじ伏せて、脚を開かせる。白い肌の中で、桜桃のような色をした窄まりは綻びかけ、ひくひくと戦慄いていた。
「へえ…昨日もやったから、いつもより柔らかそうだ」
「銀時…こんな…明るいところで…やだ…やめて…」
桂が消え入りそうな声で懇願する。確かにここは明るい。橙がかった小さな豆電球が部屋の中を照らしているだけだが、いつもは闇に紛れて、ほのかな月明かりがうっすら差し込むようなところで身体を重ねていた。
ここは桂の身体と表情がよく見える。
(遊廓なんざ、正直あんま好きな場所でもねえけど…)
抱けるのが桂なら話は別だ。

そのまま愛撫を続けていたのだが、桂があまりにも、まるで処女の娘のようにいやいやと恥ずかしがるので、銀時は仕方なく灯りを落としてやろうか、行灯はあるかと部屋を見渡し、それに気付いた。箪笥の中に乱暴にしまい込まれて、少しだけはみ出した紅い色の布。
それは真っ赤な肌襦袢だった。
「これ、いいじゃん」
誰のものかは分からないが、ふわりと甘い匂いが微かにした。桂は銀時の手にした肌襦袢を見て、その紅の淫靡さに目を背けた。
「そんな…、」
すでに褌も足袋もすべて脱がされ、丸裸であった桂に、その紅い肌襦袢を纏わせる。桂は戸惑いながら、結局強い抵抗はしなかった。
「へえ。本当に遊女みてえ」
桂はふだん、紅いものは着ない。いつも若草や蓬などのみどりの色や、藍色などの地味な色合いの着物を好んで着ている。それでもハッとするほど美しく、一瞬で目を奪われる。葡萄色や紅い着物を持たないこともなかったが、一度それらのものを纏って見せたときに、銀時がひどく嫌がったので、それからそういう派手な色のものは着なかった。
「こういうの、嫌いじゃ…?」
「いつもはね。たまには良いじゃねえか」
それからそういう派手な色のものは着なかった。まだ幼かった銀時には、その色を着た桂はなんだか妖しく、胸がざわついて落ち着かなかった。
それが何なのか幼過ぎて分からなかったが、
今なら理解できる。赤や紫を纏った桂はひどく淫靡だ。

「ああアっ…!ぎんときっ…!激しい…!」
後ろから四つん這いになった桂の腰を掴んで、激しく攻めたてる。細腕を掴んで上体を後ろに無理やり反らさせると、動きに合わせてさらさらと舞う黒髪の甘い香りが楽しめた。
すべての体重がかかり、銀時に激しく揺さぶられている桂の両膝ががくがくと震える。扇情的な光景だ。
「あ、あ、ぎん、銀時、この格好だめっ、つらいっ」
「そーかぁ?お前の尻の肉は気持ち良さそうだけどなあ」
脚の震えは体内の痙攣と連動しているかのようだ。桂はぼろぼろと涙を零して狂乱の様子だが、銀時を呑み込む肉は蠢き愉悦に打ち震えている。
「あっ、あっ、あっ、やだ、擦れる、擦れる、」
「擦れる?どこが?」
「ああああ!!そこ!だめっ、だめなとこ…」
「だめじゃなくてイイとこだろ」
「ぁ〜〜っ、そこ、あんまり擦らないでぇっ…」
しばらくして、桂は高く細く喘いで、絶頂を迎えた。かくんと力が抜けた身体を抱きとめ、布団に横たえてまた覆いかぶさる。桂は頬を紅潮させてふうふうと荒い息で、蕩けた表情で宙をみている。身体にまとわりついた紅い襦袢がとてもいやらしい。
「おい、気持ちよさそうのはいいけどよ、知ってるか?遊女が客より先に気をやっちまうのはご法度なんだぜ」
「ゆっ…遊女じゃ…ないっ…、」
「そんな成りでよく言うよ」
紅い襦袢を纏って、長い黒髪を乱れさせたその姿は遊女そのものだ。ぐりっ、と奥をひときわ強く穿つと、桂は身体を跳ねさせて泣き喚いた。肉は細かく蠢き、銀時の肉に絡みついてきて、極上の心地を与えてくれる。

いつも、だいたい桂を抱くときは外だった。まさか雑魚寝してる床で桂の服を剥き始めるわけにも行かず、寝静まったころなんかを見て、こっそりと桂を連れ出して、大木の幹に身体を押し付けたりして手早く犯した。こんなに柔らかな布団の上で時間や物音を気にしないで交わるのは、とても久しぶりだった。

「おら、自分で抑えてろ…」
震えてる桂の手を取って花茎を抑えてさせる。言われた通りにしながらも、桂は混乱した様子で銀時を縋るように見た。
「えっ…?な、なに?」
「そこ抑えてたら簡単にイかねえだろ?俺がイくまで我慢してろ」
「そんな…」
「先にイったら後で尻叩くからなっ…おら!!」
またぼろりと涙を流し始めたのを無視して、乱暴に奥まで突き刺す。
「っあーーーー、ーーっ、」
銀時は、いったいいつの間にこんなにいやらしくて酷いことを覚えたのだろう。

「だ…め!もう、もう!だめっ、…っ、ひっ、ひっ、おね、お願いっ、ぎんとき、イッて、イッて!イッてええ!!」
桂は最早羞恥も吹っ飛んで、哀願しながら叫んだ。さきほどあんなに恥ずかしがった大きく開かされた脚の間が、行灯の火に明るく照らされているが、それに気づく余裕もなく、花茎を抑える手はぶるぶると震え、腰だけではなく太ももからつま先まで痙攣している。銀時の雄を穿たれているところは紅く腫れ上がって、縁がめくれ、収縮が激しくなっていた。銀時はその桂の身体の様子と泣きながら懇願する様をみて、満足気に笑う。
「あー、っもう少しでイくからよ…っ、くそっ…、」
銀時の動きはますます激しくなって、抱え上げられた細い桂の脚ががくんがくんと揺れ動いた。
「だめ…っ!いつもより、いつもより奥入ってるから…あ…!そこ突かないで…っ!そこだめえええ!!!あ、あ、あっ…、お願い…!!イッてえ…でないと…っ、俺、もう、だ…っめ…っ!あああああああ!!」
桂が絶叫し、電流を流されたように身体が跳ねた。しばらくひくんひくんとしていたが、銀時が脚の間を見ると、律儀にも桂は乱れながらきちんと花茎を押さえていたらしいが、押さえてこんだ間からとろとろと蜜が流れていた。
「…ぉ…、ぁ…、…ぁ…、」
目を見開いて、桂はしばらく呆然とした。頭の中が一瞬真っ白に焼き切れたようだった。身体にはまだ残響するような快楽がしつこく残っている。銀時はしばらくその様子を見ていたが、やがて桂がいくらか落ち着いたころに、力の抜けた身体をひっくり返して四つん這いにさせ、ぐずぐずに蕩けた穴を思いきりひと突きした。絶頂の余韻に敏感になっていた腹の奥を容赦無く抉られて、桂はまた全身を震わせてか細い悲鳴をあげた。くちびるから舌と一緒に飲み込めない唾液がたらりと布団に落ちた。
「先にイくなって言ったよなあ?」
「あ…、あ……、あう……、」
「今のでもお前軽くイッただろ?」
「ゆ、ゆる…して…、」
「許さねえ」
銀時の声はひどく楽しそうで冷たくて、桂はこんな風に甚ぶられているというのに、身体の芯がどんどん熱くなってくることに気づいた。
まず一発目、という声と共に白くて丸い尻たぶに思いきり平手打ちを喰らった。

ー夜更け。
銀時はふと目を覚ました。結局あれから好きなだけ桂の尻を叩いて泣かせて、もう許してほしいと幾度も哀願させて、それで満足して二人で寝たのだった。
その、腕に抱き込んでいたはずの桂が消えていた。飛び起きて部屋を見渡すが、豆電球に照らされた薄暗く狭い部屋の中のどこにもいない。部屋の外に出たのだろうか。何のために?厠は部屋のすぐ近くにある。ふと布団の傍を見ると桂の元の着物が脱ぎ捨てられたままになっていた。あの紅い肌襦袢を着たままらしい。あんな格好で外に出たのだ。あの襦袢を着て、まだ湯も使っていない、身体中に情事の痕が残った、いやらしくて、扇情的な姿で外に。
銀時は部屋を飛び出した。

厠にも、廊下にも桂はいなかった。どこぞの部屋に引っ張り込まれちゃいないかと、こっそり部屋をひとつひとつ襖を静かに開けて中を伺いもしたが、知った顔の幹部たちが女の隣で間抜けな姿を晒して寝ているだけだった。
この遊郭崩れは、それほど広くない。遣り手婆あの部屋や廓や布団部屋まで回ったが、桂はいない。
「なんだい、あんた、どうしたんだい」
もう寝ようとしていたらしい、寝間着姿の遣り手が部屋からもぞもぞと出てきた。
「…起きたら隣にいた奴がいなくなって、どこにもいねえんだよ」
「なに?…あんた、でも、うちの妓だれも買わなかっただろう?買ったふりはしたみたいだけどねえ。早々に仲間の一人と部屋に引っ込んで…いなくなったのはあの子かい?ながい黒髪の」
「見てたのかよ」
「そりゃあね。それにしても…ああ、あの子かい…どうしようね…」
遣り手は眉間に皺を寄せて、そんなことを呟いて思案し始めた。銀時は嫌な予感がした。
「なんだよ?」
「あんた、ここが幽霊の出る廓だなんだって言われてるのは聞いたことないかい」
「…ああ、なんか、仲間がそんなこと言ってたけど」
辺境の渓谷に作られた廓崩れ。辺りの雰囲気といい、朽ちかけたような建物の気配といい、いかにもそんな噂話が立ちのぼりそうな場所だというだけで、銀時はたいして真剣に聞いていなかったし、今のいままでそんな話も忘れていた。
「噂の幽霊だけどね、ああいうのが好きなんだって話だよ」
「ああいうの?」
「あんたの連れだよ。長くて綺麗な黒い髪の別嬪がね」

外に飛び出すと、いつの間にか雪が降り積もっていた。うすい単衣に草履のままの格好に雪の空気は刺すような冷たさだが、構っている余裕はなかった。銀時は闇夜の渓谷の中を桂を探して走り始めた。
まさか幽霊に攫われたなどという話を本気にするつもりか、という気持ちもあったが、現に桂はどこにもいないのだ。それにそういった怪奇に、心当たりがまったくないというわけでもない。村にいたころのことだが、桂は何回か、何かに憑かれたことがあった。
昔から桂はいろんな奴に一目惚れという勢いで惚れ込まれていたのを、そばにいて、うんざりするほど知ってはいたが、物の怪の類いにまで好かれる奴だったのだ。
(勘弁してくれよ…)

半刻ほど必死で探して、桂は見つからない。
雪はにわかに勢いを増してきて、このままだと吹雪きそうな様子だ。月は朧に隠れているがかすかに光り、その仄かな光を白い雪が反射している。提灯がなくても足元はじゅうぶんに見えたが、少し先はうす暗い。ああ提灯を持ってくるべきだった。
草履から剥き出しの裸の足がひどく痛む。真っ赤になって腫れていた。手当をしなければ凍傷になるだろう。銀時は一旦宿へ引き返そうとした。戻ってもっと探索に向いた格好と提灯を持って、可能ならば仲間を叩き起こしして桂を探させる。この際、桂の乱れた格好がなどと気にしてる場合ではない。
そうして振り向いて元来た道をまた駆け出そうとしたとき。
銀時は立ち止まった。

何かがあった。渓谷と森と雪と夜の匂い。その冷たい空気の中にゆるりと溶け込むようにして、何か異質なものを、銀時は本能で感じ取った。
全身の毛を逆立てて、感覚を研ぎ澄ます。
それは、音だった。
歌だった。

「………?」

歌が聴こえる。
美しく悲しげな声音の、ひやりと凍るような、胸が切なくふるえるような、この世のものとは思えない、歌だ。
銀時はその歌の揺蕩う方向へ駆け出した。危ないと本能が告げているが、同時に桂についての予感めいたものがあった。歌の響きは大きくなり、幼少時にたまに聞いていた歌声と重なる。
これは、子守唄だ。

舞い上がる粉雪の白い視界の中で、懸命に目を凝らした。それは突然眼前に現れたように思えた。白く白く清廉な雪の世界に、血を垂らしたような鮮やかな赤の襦袢と、風に遊ばれて揺蕩う美しい黒髪。
「…ヅラ!」
桂はひとり、肌襦袢を纏っただけの姿で、雪の世界に立っていた。雪のように白い貌の中で、小さなうすあかい唇がゆっくりと動いている。歌を歌っている。このおそろしく切ない旋律の歌を。
「おい、ヅラ!お前何してんだ!」
桂に手を伸ばそうとして、銀時はそこではじめて桂がひとりではないことに気付いた。無数の、いっそ夥しいほどの、子供の気配に囲まれていた。彼らは血の気の失せた顔で、じっとりと銀時を見つめた。
「……!?」
そこで怖気付いて膝をつかなかったことは、
後から考えてみるとほぼ奇跡だった。屈強な天人の群れと戦ったときとて、銀時はこれほどまでに恐怖を感じたことはない。
どこからともなく突然現れた子供たちはー、銀時にはそう見えただけで、最初から桂のそばにいたのかもしれないがー、蠢きながら桂の身体にまとわりついている。視界を覆い尽くすものが、粉雪が風に煽られてちらつくのか、不気味にほの青く光る子供の姿なのか、もう分からない。
「ヅラァ!!!おい!!」
銀時の呼びかけにも桂は答えない。琥珀の瞳はとろりと濁ったように光を映さず、ぼんやりとした様子で自分に縋る子供たちを見ている。白魚のような細い指がそっと動いて、まとわりついていた一人の子供の旋毛を撫でる。その動作は慈愛に満ちた母親が、子供の頭を撫でるかのように見えた…。
「ヅラ!!!」
銀時の心臓はいまや早鐘のように鳴り出した。早く桂を正気に戻さなければ、こいつらに連れて行かれる。こいつらは母親を恋しがっている。連れて行かれて、母親代わりにされてしまう。何故だかそう思った。それを感じた。周りの子供たちの感情に飲み込まれるように、銀時はその幾つもの声を聴いたのだ。
おかあさん。
おかあさん…。おかあさあん…。

銀時は桂に飛びついた。おそろしく冷たくなった身体をぎゅうぎゅうに全身で抱き締める。凍えそうだった。桂の顔を覗き込むと朧な琥珀の瞳が茫とあるのみで、銀時のことを見てやしない。子供たちは銀時の乱入にざわめき、怒ったようだ。やっと見つけた母親を取られまいとして銀時の体に手を伸ばしてくる。それは冷たく鋭く銀時に食い込んだ。邪魔をするな、という叫び声がその食い込む先から脳髄まで響いてくる。切なくて悲しい、母のいない寂しさに塗れた幾つもの幼い声だった。ぐわんぐわんと脳内で反響し、銀時の心の中にも染み込んでくる。心の奥底の、忘れたふりをしている記憶がそれに共鳴する。銀時の中の、母を求めて縋る部分が、いつの間にかのっそりと顔を出して、子供たちの声に共鳴する。
知ってる。
お前たちの哀しさを痛いくらいに。
俺は知っている。

けれど、桂だけはくれてやるわけにはいかないのだ。

腕の中の桂は微動だにせず、ただぼんやりと周りを蠢く子供たちの魂を見つめている。雪は吹雪くというよりは渦を巻くように桂と銀時を包み、痛みとしか感じられない寒さと冷たさがつま先から脳髄まで広がるようだった。まとわりつく子供は、予想していたが腕で振り払ってもついと透けるばかりで、桂の髪に、肩に、背中に、しがみついてくる。子供たちは桂を銀時から引き離すつもりのようだった。
知らず銀時は絶叫していた。
喉が潰れるような声が、子供たちの悲哀の声の上に乗って吹雪の渓谷中に反響する。それもまた一人の子供の泣き声だった。
桂の手がひくりと動き、己にしがみついてる銀時の、凍りかけた銀の髪を撫でた。

ああ泣いてる愛し子がここにも。こんなに大きい子なのに……、困った子………、可愛い私の、銀の髪の、

「……銀時?」

ぱりんと、割れるような音がして、それはもしかしたら桂の幻聴だったかもしれないが、とにかく霞のかかっていたぼんやりとした白い世界が壊れて急に外に放り出されたような感覚だった。
「銀時どうした…?怖い夢でもみたか…?そんなに叫ぶな、喉が痛くなるぞ」
銀時が自分を抱きしめているのは、気を失う前も同じだったので、桂は最初降り積もった雪の中にいることにすら気付かず、かき抱いた銀髪を撫でてあやしながら銀時の叫びが落ち着くのを待った。桂が正気に返ったのと同時に吹雪がやんでいたが、桂には吹雪の記憶はない。
「…落ち着いたか?」
ようやっと銀時は桂が自分に向き合っていることに気付いて、叫ぶのをやめた。
「……ヅラ、」
「うん?」
銀時はいままで数回しか見たことがないくらいの情けない表情をしていて、桂はいったい何があったのかまだ分からぬまま、その愛おしい顔を撫でた。
「…どうして、外にいるんだろう」
「…覚えてないか」
「ああ…、でも、ぼんやりと外に出た気がする。どうしてそんなことしたのか…、思い出せないけど…、…子供たちが…呼んで…、それも、誰なのかわからないけど…、」
「いい」
思い出さなくてよいと、銀時は桂の冷えた頬に自分のそれをひたりと付けた。そこに熱い滴が流れて、銀時はぎょっとして顔を離す。桂ははらはらと泣いていた。白くなだらかな頬に透明な滴が流れ落ち、月の明かりできらきら光る。
「なんで泣いてんだ」
「…、分からないけれど…なんだか…」
ぼたぼたと流れ落ちる雫は、胸元に垂れ、紅い襦袢の上に濃い染みを作った。桂は呆然と己の手を見つめる。そこにまるで我が子を抱いていたような、愛おしく思って見つめていたような、そんな感覚が残っていた。子を持ったことなどないのに。
「…怖かった、のか?」
「…いいや、怖くはなかった」
「ならなんで…泣いてんだよ」
泣くなよ。冷え切った身体を抱きしめると、桂は素直に体重をかけて任せてきた。顔にあたる黒髪は雪に濡れて氷のように冷たい。とにかく、早く暖かな場所に戻らねばいけなかった。改めて見渡すと、雪の中に混じって焼け焦げた木材の破片が散らばって、自分たちはその中心にいることに気づいた。昔、建物があって、焼け落ちたようだ。裸足の桂を抱き上げ、そのまま銀時は遊郭への戻り道を駆けようとした。
「銀時、この襦袢をここに置いていってくれ」
「何言ってんだ、お前それしか着てねーんだぞ!凍えて死ぬぞ」
「不思議と寒くないんだ…、銀時、お願いだ、置いていって…」
そういって、桂にしおらしく可愛らしくお願いされて、断れたことは銀時の人生の中で一度もなかった。

雪の中素足で歩いていたというのに、桂の手足は冷え切ってはいたが不思議と凍傷にはなっていなかった。遊郭に戻ると遣り手が待っていて、湯を貸してくれた。彼女は何も聞かず、ただ戻ってきた桂と銀時を見て安堵した表情を見せた。まだ夜明けまで数時間ある。遊郭はひっそりとしていた。みんな寝ているようだ。銀時が死ぬ思いをして外を駆けずり回っていたことになど、誰も気づいていないだろう。桂を抱いたまま浴槽に入ると、冷えた手足が痺れた。
「お前の方が冷えているではないか…」
熱い湯に入るとすぐに頬が桃色になった桂と違って、銀時の身体はなかなか暖まらなかった。湯の中で桂はくるりと身を回して、自分を抱きすくめていた銀時を抱き返した。湿った銀の髪からは汗と冷たい雪の香りがする。
「銀時、ありがとう。俺のことを探してくれたんだな?」
「…勝手にふらふらしてんじゃねえよ」
言葉はふるえていた。凍えてるからふるえてるのか、それとも別の理由なのか、桂は銀時の紫いろのくちびるを優しく食む。氷に口付けているようだった。銀時は口がうまく動かないらしく、桂にされるがままに口を吸われていた。は、は、と桂の上ずった吐息が風呂場に響く。くちびるはくちびるを離れて、顎、頬、耳とちゅっと可愛らしい音を鳴らせて辿ったあと、首や鎖骨にも桂は口付ける。銀時は桂がそうやって、まるで神に口付けるように恭しく、一生懸命自分の肌に美しい桜色のくちびるで奉仕しているのを眺めていた。ずっと熱い湯に入ってるから、桂の頬は桃色を通り越して紅く、少し苦しそうだったが、構わず、桂は子猫のように銀時の身体に甘えかかって、今度は胸元をちろちろと舐めた。
「銀時、寒いか?」
実は、とうに体温は戻っていた。
「お前は熱そうだね」
抱きかかえると桂はくたんと身体を預けてきた。逆上せる寸前のようだ。ふと見ると情事のとき散々に叩いた尻が真っ赤に腫れ上がっている。無理をさせたなあ、と今更少し後悔した。
「…朝まで少し寝ようぜ」

足に包帯を巻き、布団を整えて、まだ全身桃色をしている桂を抱えて潜り込んだ。お前なんかピンクいぞ、とじゃれついて遊んで、桂の瞼が本格的に落ちてきたので、抱え直して二人でくっついて、眠ろうとした。
とろとろと眠りの淵にいるだろうに、桂が半分閉じた琥珀の瞳で見上げてきた。
「昔、ここじゃない、もっと大きな店から遊女が赤ん坊と逃げて、あの辺にあった小屋に隠れたんだ」
どうしてそんなことを知ってるのか、と思ったが、きっと桂に取り憑いていたものが、その遊女なのだろう。銀時は桂を見つけた場所に燃えた建物の跡があったことを思い出した。
「そこは間引きの為に家から追い出された子供たちや、捨てられた子供たちが隠れ住んでいて、遊女はその子たちの母親にもなってあげたかったけど…追っ手が来て…、」
「うん」
「…優しいひとだったんだ…、殺されたあとも…、ああして彷徨ってる子供たちをあやして…、」
眠たげな目からぽろりと涙が零れて、そのまま桂は幼い子のように泣いた。銀時はそれを抱いてあやしながら、見知らぬ死んだ女に苛ついた。悲劇や心残りがあったのだとしても桂を連れ去っていい理由にはならない。
「でも、あの紅い襦袢をあそこに置いてきたから、大丈夫だ…子供たちのところに…ずっとここから出られなくなって困ってたから…、襦袢を置いたとき、見えたんだ、笑ってた、ありがとうって言ってた」
紅い襦袢は生前の彼女の持ち物で、魂の器だった。なぜか人の手を渡り、この遊郭にしまい込まれていたらしい。
「そっか」
銀時はもしや自分があの紅い襦袢を引っ張り出して桂に着せたから、女に取り憑かれたのかもしれないと思い至った。
「…悪い、ヅラ。もうエッチのときに変なことしねーから」
「そうか?銀時のしたいことならして構わないぞ…」
褥ではあれほど嫌々言っていた癖して、桂は微笑んだ。またこんなことがあったら御免だよ、と銀時が呟く。
「でもまたお前が見つけてくれるだろう?」
そう言ってにこりと笑った桂の顔は美しく、幼く、無邪気だった。

眠りばな桂は途切れ途切れに呟いた。
「銀時、昔たまにお前と二人でお母さんってどんなものだろうって…話してたな…、」
二人とも、母親の記憶などひと欠片も持っていなかった。町や近所で見かける、泣いてる子供をあやしている母親の、甘やかな声音や優しい手つきを遠くから眺めて、二人で幼い手を繋ぎあって家に帰った。
「…少しだけ母親の気持ちが分かったような気がしたんだ…、あれは彼女の記憶だったんだろうけど…、愛おしくて、世界でいちばん大切なものを抱きしめてるような気待ちだった…、銀時…、俺たちには母親の記憶はないけれど…、赤ん坊のころでも一度でもあんな風に思われていたら…、良いな…」
ああ、そりゃあいいな。と平然を装って言おうとしたが、眠気と切なさに押されて、銀時はそのまま眠ってしまった。
夢うつつに桂の手が髪を撫でるのを感じた。優しく慈しむような触れ方だった。遠い昔に、同じように己を撫でてくれた手があったような気がした。








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