なにもかもがどうでもいい


 なにもかもがどうでもいい。

 薄れゆく意識の中、少年はぼんやりと空を眺めていた。
 まるで左目が心臓にでもなったかのように脈打っている。どくどくと流れる血は、目の前の半分を赤く染め上げていた。
 もう痛みなんてなかった。あとはこのまま、死んでいくのだろう。

――それでも構わない。

 少年はゆっくりと、目蓋を下ろした。と言っても、左目はその目蓋が引き裂かれているので閉じることはできない。視界が一面の赤に染まる。
 どうしてこんなことになったのだろう。血が流れ出す感覚が身体を支配する中、なんとなく思い返してみた。

 確か、鳥がいたのだ。鷲だか、鷹だかは、少年には知識がないのでわからなかったが、そういった鳥だった。翼に矢が刺さり、動けなくなったその鳥。それを囲む、見知った顔たち。少年に家畜小屋の一部を住処として分け与えている夫妻と、その子供、それから近所の連中。
 狩りでもした帰りなのだろうと、少年は思った。関わらない方がいい。踵を返そうとした、その時だった。
「ギェッ!!」
 聞いたこともない叫びが、背後から聞こえてきた。驚いて振り返ると、夫妻が大振りのナイフをあの鳥へ向かって振り下ろしていた。
 いいぞ。やれやれ。子供がヤジと石を飛ばす。夫妻が翼を掴みあげて、矢尻の残るそこをぐりぐりと抉り、鳥は苦悶の叫びをあげ続ける。それを見て笑う他の連中。

 笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。

 その顔は少年もよく知っている。何故ならそれは、彼らが少年を見る顔と同じだからだ。

――家畜を見る、その目と同じだからだ。

 気付けば少年は、その場へ飛び出していた。馬鹿な行動とは理解していたが、体が勝手に動いていたのだ。
 そして、鳥をその小さな身体で庇った。石をぶつけられた。矢が刺さった。力が抜けた瞬間、鳥を腕の中から引き剥がされ、そのまま地面に叩きつけられた。
「なんだい、その目は!!」
「生きてるだけでありがたいと思え、禍隷のくせに!!」
「お前は誰のおかげで雨に濡れずにいられると思ってる!!」

 罵声。笑顔。罵声。笑顔。罵声。笑顔。罵声。

 そしてずぶり、と。左目に向かって、ナイフが振り降ろされた。――少年が覚えているのはここまで。
 つい先程、痛みで目が覚めてからは、動く気力すらなく、ぼんやりと空を見つめていた。冷えていく身体は、地面に溶けていくように吸い付いて、もう動かない。

――やっと、終われる。

 少年の心は解放感に満ちていた。少年は心待ちにしていたのかもしれない。自分が死ぬ、その瞬間を。
 生きている限り、少年はずっと痛みと、苦しみの中にい続けなければならないのだ。それが少年たち――禍隷の宿命である。
 ペレサノール大帝国の首都から遠く離れたこのラトランドという寂れた村でさえ、『禍隷』制度は浸透している。

 禍隷――それはこの滅びを待つ世界『グランシエーロ』に疲弊した人々が生み出した。行き場のない怒りや憎しみをぶつけるための捌け口。恐怖や苦しみを押し付けるための『ひとのかたちをしたもの』だ。生物的に、普通の人間と違うところなどない。同一のものである。ただひとたび『禍隷』とされたなら、それはもう『禍隷』であり、『禍隷』は『禍隷』を生産し、供給しなければならない。
 禍隷は『牧場』と呼ばれるところで生まれ、そして七つになると『出荷』される。男は労働力と暴力の捌け口としてその一生を終え、女は初潮を迎えるとまた『牧場』へ戻され、新たな『禍隷』を死ぬまで『生産』させられる。
 少年は『出荷』されて一年の『禍隷』だった。
 牧場での七年は、暴力に慣れる訓練のようなものだった。支えとなる母たちの声もあった。けれどこの一年、少年はただ、謂れのない、禍隷であるというだけで振るわれる暴力と、暴力と、暴力に晒され続けた。
 心はもう擦り切れて、何も感じなくなっていた。嬉しいとか、悲しいとか、怒りだとか、それら全てが抜け落ちて、零れて、自分が生きているか死んでいるかすら実感がなかった。

 なのに、どうして。あの時体が動いたのだろう。

 ぐちゃり、と音がした。気だるい首を、その音の方へ向ける。

「――――あ」

 ばらばらに散った羽毛。ピンク色の肉から露出した嫌に白い骨。潰れた目玉に、粉々になった嘴。赤黒い臓物はずたずたに引き裂かれて、その上を蝿が舞う。
「あ……ぁ――ッ」
 少年はその肉塊に手を伸ばした。右目から、何か熱いものが流れていく。頭の中が真っ白になって、ただでさえ霞んでいた視界がぼやけていく。

「そうか。キミが――――――」

 再び薄れていく意識。その端で、

「キミが、ぼくの求めていた勇者」

 白い、眩い光を放つ大きな鳥が舞い降りた。





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