彼が髪を伸ばす理由


 長い髪に、特にこだわりなんてない。
 なんとなく。切るタイミングを逃して。そんな理由で切らなかった。
 事実、そんな暇を作らなかったというのもある。
 毎朝兄たちより早く起き、師範に稽古を付けてもらい、それから兄たちを起こしに行った。
 昼間は時間があれば勉強に費やし、兄たちと稽古を受けて、それから彼らのくだらない嫌がらせに付き合った。
 夜は母に心配をかけないように昼間までの汚れを落とし、何事もないように取り繕った。そしていつも責められている母を労って、拾ってきた動物たちの世話をする。あとは眠るまで、兄たちの宿題を代わりに終わらせた。
 だからいつだって、俺にとって自分の時間というのは皆無に等しかった。
 背中にかかるほどの長さになったそれを見苦しいからと、頭頂より低めに縛りあげているだけだ。そんなものにこだわりなんてあるはずもない。
 ある日、兄たちが稽古中にふざけて、俺の髪を鋏で切り落とした。彼らはざまぁみろと言わんばかりに笑っていたが、何故そんな笑いを浮かべているのかわからなかった。
 雑に切られた髪を揃えると、顎くらいの長さになった。短くなった髪を見ても、軽くなったな、程度の感想しか浮かばない。
 幼馴染は大袈裟にどうしたのかと騒ぎ、母は同じことを心配そうに尋ねたが、稽古中に切ってしまったから、短く揃えたのだと答えた。幼馴染は勿体ないと嘆き、母は悲しそうに俺の髪を撫でた。嘘は吐いていないのに。
 そのすぐ後に家を出て、名を捨ててからも、髪を気にしたことは特になかった。家にいた頃よりもやることが増え、目が回るような忙しさの中では、自分のことは後回しにするしかない。いつしかあの頃よりも髪が長くなっていた。その事に特に感慨すら抱かず、見苦しいからと同じように縛りあげていた。
 少しだけ髪を気にするようになったのはその頃だった。俺ではなく、その頃出会った『彼女』が気にするようになった。切っ掛けは彼女の目の前で髪紐が切れてしまった時だ。

「髪、長いね?」

 猫のような真ん丸な瞳で、彼女は首を傾げていた。それまでずっと一緒にいたにも関わらず、今気がついたような、そんな口振りだった。

「わたしも長かったの」

 知っている。彼女の髪を切ったのは俺だ。元々は床に届こうかという長さだった彼女の髪は、誰かの悪意と害意でズタズタに切られており、あまりにも長さが不揃いだったせいで、耳の下くらいでないと綺麗にならなかった。

「ハサミはね、怖くなかったよ」

 だから大丈夫、などと言っている。ちなみにハサミを怖がっていたのも彼女だ。

「……別にハサミが怖いから切ってないんじゃないぞ」

「そうなの?」

「そうだ」

 彼女は自分の襟足をいじくりながら、髪を括り直す俺を興味深そうに眺めている。

「面白いのか?」

 今度は俺から尋ねてやると、彼女は小さく頷いた。

「それ、わたしがやってみてもいい?」

「? 構わないが」

 そう髪紐を渡す。こうして彼女から積極的に関わろうとするのは、かなり珍しいことだった。 俺に後ろを向かせ、彼女は俺の髪に手ぐしを入れていく。碌に手入れをしていないので、よく絡まる上に硬い。彼女の髪とは正反対だ。彼女は苦労して、不格好ながら俺の髪をひとつに纏めあげた。
 どうやらそれが楽しかったらしい。彼女は時折、俺の髪を整えたがるようになった。
 拒否する理由もこだわりもないので好きにさせていると、しばらくして編み込むのを気に入ったのか、三つ編みを作るようになっていった。最初は週に一度、やがてそれが三日に一度になり、いつしか毎日になった。

「自分の髪ではやらないのか?」

 ある日、俺の髪を編み込んでいる彼女にそう尋ねると、彼女は小さく首を振った。髪を切って以来、彼女は伸ばそうとはせず、伸びてきたら切ってくれと頼んできていた。

「髪、長いと思い出すの。こわいことを」

「そうか」

「それにね、サキに切ってもらうのは好きなの」

 すっかり手馴れたもので、彼女はするすると編み込みを終わらせると、満足そうに笑っていた。
 そんな毎日がしばらく続いた後、任務中の不注意で千切れるように髪が切れた。ちょうど編み込みの根元からざっくりといってしまったので、仕方なく長さを揃えた。すっかり軽くなった頭で、これはこれで楽だ。なんて考えていた。
 その状態で家に帰ると、彼女は真ん丸の瞳をさらに真ん丸くしたのだった。

「髪…………」

「ああ。切れてしまった」

「そう……」

 彼女は明らかに落胆したような、そんな表情を浮かべていた。

「もう三つ編み、できないね」

「また伸ばせばできるだろう。時間はかかるが」

「……また伸ばすの?」

「ん? ……ああ」

 言われてふと、俺は自分が髪を伸ばすつもりだったことに気が付いた。先程までは、このまま短いままのほうが楽だとすら思っていたはずなのに。

「じゃあ、できるようになるまで待ってるね」
 
 どうやら俺は、自分で考えているよりも、彼女に髪を結ってもらう時間を名残惜しいと思っていたらしい。


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