chapter.1-15


「おや、見えなくなりましたね。なるほど。術者の近くには霧がないんですか。まぁ、もう関係ありませんね。位置は把握しました」

「なによ、あんた“同行”とか言ってたくせに、殺す気満々じゃない」

「生きてさえいれば“同行”になります。例え四肢を切断しようと、生皮全部剥がしても、呼吸し鼓動するのならばね」

 じゃり、じゃり、と濡れた地面を鳴らしながら、そいつはシェスカのほうへ近付いてくる。シェスカは慌てて剣を構え、意識を集中させる。

『大気に満つる空気よ…!』

「詠唱させないって言ったじゃないですか」

 あいつはシェスカへ一気に距離を詰めると、その禍々しい形の大剣を思い切り突き出した。
 間一髪でなんとか躱す。しかし、あいつは躱された剣を地面に突き立て、それを軸にふわりと方向を変える。その勢いのまま彼女の顔めがけて鋭い蹴りを叩き込んだ。マントの下から覗いた刺々しい鎧が、シェスカの頬の皮膚を切り裂いて鮮血が飛び散る。
 シェスカはまた派手に吹っ飛ばされて、地面に転がされた。跳ねた泥が肩の裂傷にかかり、激痛が襲う。

「ああ、でも鬱陶しいですね、この霧。払うことにしましょう。『劫火よ、我が元に集まりなさい』」

「っ、させないわよ…!」

 そいつの周りに魔力が集中していく。シェスカは痛みに耐えて立ち上がると、詠唱を阻止するため、剣を構える。『劫火』とあいつは言った。つまり、あいつは火の魔術を使う気だ。なら、水の魔術で相殺するのみだ。
幸い、雨が降っているし、私たちの周りは霧で覆われている。原素の宝庫だ。これを使わない手はない。
 私は瞳を閉じてイメージする。水だ。それも大量のもの。思い浮かんだのは、増水した川だ。全てを飲み込む、奔流。

『天地に渡りて流れる水よ…』

 あと少し、魔力を練り込めば発動できる。一方、あいつの詠唱はまだ続いている。これなら…!そう思ったときだった。
 何かに足を掴まれたのだ。驚いて足を見ると、歪でねっとりしたものがシェスカのそれに絡み付いていた。

「っ!?何これ!?」

 そうだ、これはあのデカガエルの舌だ。
そう気付いた時にはもう遅く、そのまま強い力に引っ張られ、あっけなく宙づり状態になってしまう。
先程まで練られていた魔力は、シェスカの集中が切れたことによって霧散してしまった。なんとか脱出しようと剣で何度も斬りつける。何度も何度も…!
 そうこうしている間にも、あいつの周りの魔力はどんどんと高まり続けている。
 ようやくカエルの舌がぶつり、と千切れ、解放されたシェスカは重力に従って地面に叩き付けられた。まだ詠唱を続けている声が聞こえる。つまり、今唱えているのは上級魔術だ。
 シェスカは急いで立ち上がり、蘇生しようとするカエルに背を向け走り出した。
今少しでも集中を切ってしまえば、魔術は失敗するはずだ。少女の周囲の魔力は最大限まで練り込まれ、圧縮されている。森もろとも燃やしてしまうつもりなのだろう。今から相殺魔術の詠唱をしても間に合わない。シェスカは直接少女の邪魔をするしかないのだ。
 彼女は自ら生み出した霧が、こんなにも邪魔なのかと後悔した。霧のせいで魔力が拡散されているし、なによりあいつの姿が見えない。

――――このままでは、あいつの魔術が発動してしまう…!

『紅蓮は雨と化し、全てを焼き払う…!?』

「うわぁぁああぁぁぁあぁ!!どいてくれぇぇぇええぇぇぇぇ!!」

 突然近くから聞こえた聞き覚えのある声。しかもついさっき別れたばかりの。

「まさか、ヴィル…?」

 脳裏に浮かんだのは、お人好しなゴーグルの少年の顔だった。




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