chapter.1-11


「ヴィル」

 ヴィルを思考の世界から現実に戻したのは、シェスカの彼を呼ぶ声だった。
 彼女は少女を見上げたまま、小声で続ける。

「今から何とかして隙をつくるわ。その間に逃げて」

「え…?」

「あいつらは、目撃者を逃がしたりしないわ…。絶対に殺される…」

「殺されるって……」

 そんなバカな。そう言おうとした。しかし、前を見据えるシェスカの瞳は真剣そのものだ。

「…シェスカだって危険じゃないのか?」

「あいつらの狙いは私だもの。怪我はしても死にはしないわ」

「でも…!」

「いいから。言う通りにして。お願い」

「……………わかった」

 ヴィルが小さくうなずくと、シェスカは嬉しそうに、けれどどこか寂しそうに、笑った。

「話し合いは終わりました?」

 それまでずっと黙っていたフードの少女は、飽き飽きとした様子で口を開いく。どこまでも冷えきった声だ。

「逃げる算段でも練っていたなら無駄ですよ?この森には、」

 一旦言葉を区切ると、ぺちぺちと踵でデカガエルを小突き、いやらしい笑いとともに両手を広げてみせた。

「この子のような魔物をたっくさん!放っておきましたから。とぉってもお腹が空いている子ばかりです。きっと、町にも行くでしょうね。ヒトを求めて」

「なっ…!」

「最低」

「ほら、もうここも囲まれてますよ?」

 ヴィルはその言葉に弾かれたように周りを見渡す。木、木…目に入るものはそればかりで、それらしい魔物の姿はよく見えない。
 しかしシェスカはそうではないらしく、改めて剣を構えていた。

「だから何?『目覚めよ!汝は風に近くなる!』」

「おや、詠唱させると思ってるんですか」

 少女は素早く背中に手をやると、そのマントの向こうから身の丈程の大剣を取り出した。まるで矢印のような形をした、禍々しい装飾の施された剣だ。
 そいつはそれを振りかぶって、デカガエルの上からヴィルたちの方へと飛び降りた。

『否!風より速く!』

「ぅわッ!?」

 シェスカがそう唱えるとふわり、と体が浮いた。
その感覚は、シェスカがヴィルの上着の首根っこを掴んで後ろへと跳躍したものだった。
 それと同時に、さっきまで彼らのいた地面を深々と抉る禍々しい剣。

「なっ!?」

 少女は驚愕を隠さずに声を上げる。体勢を立て直したシェスカは再び構えると、

『満ちよ、包め深く!何者も阻むこと敵わぬ濃霧!
 イエリオンミスト!!』

 その声と共に、視界が一気に白く包まれた。
少し離れているシェスカははっきりと見えるのに、それ以外はぼんやりとしか見えない。

「これ…霧か?雨が降ってるのに…」

「今のうちに逃げて!」

「シェスカ!?」

「体、軽いでしょ!早く!!町に魔物が行くかもしれないのよ!?走ってッ!!」

 ヴィルはシェスカに言われるがままに走り出した。彼女がそうしてほしいと頼んだことだが、ずきり、と胸が痛んだ。このままシェスカを見捨てるのなんて、絶対に嫌だ。
 何か…そうだ、師匠やローに言えば、きっと手を貸してくれる…!町へ向かうだろう魔物も、あの二人なら…!
 彼は走る足に力を込めると、もっと速く。そう念じながら足を動かし続けた。
ふいに、ついさっきまでとは体の感覚が全然違うことに気が付いた。しっかりと地面を踏みしめる感覚はあるのに、ほとんど体重を感じない。
シェスカが言っていた「体が軽い」というのは、こういうことか。
 そうして木にぶつかりそうになりながらある程度走ると、濃かった霧は次第に雨で掻き消されていった。改めて周囲を確認する。
 森にいるから当然のことなのだが、周りを見渡す限り、一面の木、木、木…………。

「って、どっちが町なんだよちくしょぉぉぉぉ!!」

 ヴィルのその叫びは、雨の音に吸い込まれてむなしく消えていった。 
 


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