chapter.5-24


「魔族は蜘蛛を配下として世界中に散らせている。恐らくその蜘蛛たちが情報を集め、主の元へ持っていっているんだろう」

「じゃあ、この竜は『私』を狙ってきた可能性がある……?」

「可能性はゼロではないが、少ないだろうな」

「なんでそう思うんだよ、隊長殿は?」

 あやしーじゃん。と、ジェイクィズ。

「皮膚の変色具合から、腫瘍自体かなり古いものに見える。それに、こいつの『内部』にも蜘蛛はいなかった。名残は見られたがな」

「名残って?」これはヴィルが問うた。

「『核』が入っていた巨大な繭があっただろう。あれは蜘蛛の糸だ。それもかなり古い。状況から、蟲に喰われたとは考えにくい。恐らく長い年月を経て、『核』と同化したんだ」

「そんなことが有り得んのかねェ……」

 サキは淡々と事実と、そこから導き出される可能性の高い事象を述べている。そのことを理解してはいるものの、納得はしていない、という様子のジェイクィズ。
 シェスカは顎に手を当てて考え事に没頭しているようだった。きっと、本当に《奴ら》の仕業ではないのかと考えているのだろう。ヴィルとしては、何か口を挟むにしても何も知らなすぎる故に、ただそんな彼らの様子を眺めているしかできなかった。
 しばらく無言の思考があちこちで交わされる。

「なぁ、」

 その静寂を破ったのは、ずっと黙って話を聞いていたイリスだった。少しだけ俯いて、前髪で瞳が隠される。きゅっと唇を引き結んで、何かを言いあぐねているようだった。言いたいことはあるのに、言葉がまとまらない。そんな風に見える。何度もぱくぱくと口を開けては、上手く紡ぎ出せずに押し黙る。

「イリス?」

 全員の視線が、イリスへと集まる。彼女は落ち着かなさそうに、耳元の赤い花を模したピアスを触っていた。そしてやっと、言葉を見つけたのか、ばっと大きく顔を上げた。

「あたし、話についていかれへんねんけどな、教えて欲しいことあんねん」

 不安げに、イリスの瞳が揺れている。どこかその声も震えている。

「どうしたの、イリス?」

 寄り添うように、シェスカは彼女の側に立った。優しく、あやすように、震えている肩に手を乗せ、イリスが落ち着くように、イリスを急かさないように、じっと次に続く言葉を待つ。

「あたし、海に浮かんどったんやんな? ……他に、誰もおらんかった……?」

 その問いは、一瞬理解できなかった。しかしすぐに、ヴィルの脳裏にあの『夢』でのイリスとの会話が浮かんだ。
――イリスは、仲間たちとはぐれていたのだ。
 シェスカたちを探している間、イリスはたくさんの人たちの名前を叫んで、探し続けていた。不安そうな顔など見せず、無事を信じて、ひたすらに。
 不安ではないわけがないのだ。イリスはまだ幼い少女で、仲間たちとずっと楽しく旅をしてきて。その仲間たちが見つからず、自分ひとりが取り残されるように生きている。
 それは、とても辛いことではないか。ヴィルは少しでもそれがマシにならないかと、イリスを見つけた時の様子を思い返す。シェスカとジェイクィズがこちらを見ていた。その視線は、諦めを含んでいる。
――私たちは見ていない。あなたは?
 シェスカの無言の問い。必死で記憶を掘り起こして、掘り起こして、それでもそこにイリスの望む答えが見つからなくて、ヴィルは強く前髪を握りしめた。その様子は、答えを言葉にするよりも明確だった。
 こちらの様子を確認したサキは、ベルシエルに二、三言、何かを確認して、淡々と、事務的に。感情をまったく滲ませず、イリスに向かって告げる。

「――――ああ。確認していない」

「――っ!!」

 動揺を隠そうと、イリスはすぐに俯いた。けれど、その震えは誰が見ても明らかだった。そんなイリスを、シェスカは自らの腕の中へ引き寄せ、静かに抱きしめる。やがて漏れてくる、押し殺したような嗚咽。

「イリス……」

 なんと声をかけたらいいのかわからず、ヴィルはただ名前を呟くしか出来ない。
 そんな中で、

 ビィ――――――――――ッ!

 聞きなれない鐘の音が船に響く。

「スタイナー隊長! 通信です! 識別信号〇〇五、ジブリール哨戒船です!」

 船員のひとりが、慌ただしく駆けてきた。腕には拡声器によく似た筒がくっついている箱を抱えている。箱には様々な突起と魔石が埋め込まれており、それなりの重量がありそうだ。ずっと鳴っている耳慣れない音は、そこから聞こえてくるようだった。

「繋げ」

 サキがそう返すと、船員は箱を甲板に下ろし、いくつかの突起を押し込んだ。ザザザ、と雑音がした後、咳払いをする男の声が明瞭に聞こえてくる。

『おーう、坊主! こちら第三分隊アラン・ガジェッドだ!』

 これまでの暗い空気を吹き飛ばすような、荒々しくも豪快な声。その声の主の名前には覚えがあった。
 以前サンスディアで足止めを食らった時に見た、赤いジブリール制服に身を包み、大きな眼帯をした巨躯の男。

『救難信号で駆けつけてやったぞ! 感謝し――』
「こちら第一分隊サキ・スタイナー。礼は後日に。通信終わります」
『待て待て待て!』

 ばっさりと。切り捨てるように応えるサキ。慌ててアラン・ガジェッドはおどけた声色を真面目なそれへと変えた。

『そちらの状況を知りたい。通信は生きているんだな?』

「ええ。この通りに。船自体の損傷も軽微です。『竜』さえ退ければ、簡単な修復で航行が可能かと……」

『竜だァ!? こっちの獲物取ったなスタイナー!!』

 あまりの大声に、びりびりと船中が震える。頭が揺れていると錯覚しそうだ。あのサキでさえ、不快そうに眉根を寄せている。音を下げろ、と船員に仕草で指示を出し、アランへ問いかけた。

「……そちらで竜を追っていたんですか?」
『リヴァイアサンだろ? オロッセ海域からメエリタ大陸側に移動していると報告を受けて、第三分隊に――いや俺に、討伐命令が下っている。
――っと、今はそれより……』

 アランがそこで何かを思い出したように言葉を区切ると、ザザザ、と。再び雑音。そしてすぐ後に、思いもよらない声が、船の中に響いた。

『イリス! そっちにイリスっちゅう女の子おりませんか!?』

 若い女性の声。独特の訛り。そして、イリスの名前。
 シェスカの胸に埋めていた顔をがばりと上げて、イリスは涙で濡れた瞳を声のする方へと向けた。

「――! その声……パウラ!?」

 イリスが叫ぶような声を上げると、雑音混じりの音声に歓声のようなものが聞こえてきた。大勢の声だ。
 イリスはつんのめりながら、シェスカの腕から抜け出して、箱の前へ、もっと声が聞こえるように駆け寄った。

『イリス! イリス! あんた無事やったんやね!? ケガない!?』

「っ、うん! うん!! あたし、平気やよ……!!」

 涙声のまま、箱に縋り付くように。それでも笑顔を浮かべて、イリスは答える。
 そんな彼女の様子を見て、シェスカは心底安心したような微笑みを浮かべていた。それを見て、ヴィルはやっと状況を飲み込めた。肩から力がふっと抜けていく。ジェイクィズも同じらしい。苦笑じみた、それでもあたたかい笑みを、イリスへと向けていた。

「なあパウラ、みんなは大丈夫なん……?」

『大丈夫……! 大なり小なりケガはしたけど、みんな生きとるよ……! あぁ、ほんま……っ! 見つかってよかった……!!』

 パウラは嗚咽で言葉を詰まらせながら、これまでのことをかい摘んで話し始める。
 パウラが言うには、イリスたちソルス・マノが乗っていた船は、リヴァイアサンによる嵐によって難破したものの、辛うじて生きていた救命艇で危機を脱し、そこをアランが指揮するジブリールの哨戒船に拾われたのだという。
 一番最初に海へ投げ落とされたのがイリスで、そのまま行方がわからなくなっており、ずっと探し続けていたが、もはや生きていることさえ絶望的だと思っていたらしい。
 何度も何度もかわるがわる、ソルス・マノのメンバーたちがイリスへと話しかけ、その度にイリスは笑ったり、怒ったり、泣いたりと、忙しなく表情を変えながらも、嬉しそうに応えていた。

『あー、悪いな。そろそろお喋りは終わりだ。替わってくれ。こらこらブーイングすんな! 続きは再会した時にとっとけ!』

 おしゃべりなソルス・マノの面々に、いつまでも終わりが見えなかったのか、アランが割って入る。

『――ってゆーワケだ。こちらでソルス・マノのメンバーを数十名保護している。そっちに合流するから待っているように』

「了解」

 サキが短く返して、通信が切られる。ふっつりと、静かになる甲板。
 すっかり放心しているイリスに歩み寄りながら、シェスカは少しだけ眉を下げて、柔らかく微笑んだ。

「よかったわね、イリス」

「……うん。……――うん!」

 振り返ったイリスは、まるで太陽のように眩しい笑顔を見せてくれた。





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