chapter.5-19


「嘘っ!? あれ動くの!?」

 めり……めり……。嫌な音を立てて、繭はゆっくりとその亀裂を大きくしていく。ある程度隙間ができると、黒い塊が蠢いているのが視認できた。

『風塵収束』

 サキが小さく呟いた。微かな風が、彼の元へと集まっていく。視覚できるほどに細く圧縮され、繊維のように編み込まれた空気の束は、やがて剣の形にその空間を歪ませていた。
――先程問題ないと断言したのはそういうことか。シェスカは彼の魔術の組み上げていく様を眺め、ひとり納得していた。武器がなくとも、創り出す手段があるならば、確かに何も気にすることはない。

「剣出せるなら、そっちをオレにくれよ!」

「無理を言うな」

 銃なんて初めて触ったんだから! とささやかな抗議をあえなく却下され、ヴィルは仕方なしに格好のつかない構えで銃口を繭へ向けた。
 シェスカが見たところ、サキのコアが生み出す元々の魔力量はそれほど多くはない。それでも短時間で、さらにはあの短すぎる詠唱で、あそこまでの魔術を使うとなると、かなりの鍛練を積んでいるのは間違いない。
 足りない魔力を補うのはイメージを確固たるものにする想像力と、それを崩さず維持する集中力が必要になる。サキの場合、詠唱がかなり短いことから、瞬間的な集中力が飛び抜けて優れていると予測される。そして速すぎる故に、完全には魔力は練りきれていない。あの空気の圧縮された剣は、サキの手にあるから辛うじてその形を保っているにすぎない。他人に渡すことは不可能なのだ。
 それでも、今なお形を保つことが難しいというのには変わらない。相当に精神力を消耗する行為を、普段と変わらない涼しい顔でやってのけているが、あまり時間は掛けていられないだろう。

「いいから構えて、ヴィル! 何が出るのかわからない!」

「わかってるってば!」

「先行する。気を抜くなよ」

「ちょっ、サキ!?」

 言うや否や、サキはシェスカの静止の声を無視して繭に蠢く黒い塊へと斬りかかった。深々と剣を突き立て、すぐに手を離す。すると、繊維が解け剣の形が崩れていきながら、繭をさらに切り刻んでいった。

「やったか!?」

 ぼとぼとっ。不快な水気を含んだ音を立てて、繭の残骸が落ちていく。繭を吊っていた糸は、重りを失いだらりと力なく垂れ下がった。

「手応えがないな」

「嘘やん!? 粉々やで!?」

 驚くイリスを横目にサキは、再び短い詠唱を始め、新しく剣を形作っている。それに倣い、シェスカも改めて剣を構えた。ヴィルは未だ、手の中の金属の塊をどう扱うべきかわからず、とりあえず銃口を繭があった場所に向けるしかなかった。

「黒いのが見当たらないわ」

「なんでなんよ〜! 普通あんなん食らったらぐっちゃぐちゃやろ!? ……って、見て上や!!」

 イリスが指したのは、繭のちょうど真上。そこには、

「またあの蟲か!?」

 ナメクジとムカデとロブスターを混ぜてできたようなあの蟲が、天を這うようにへばりついている。シェスカが短く悲鳴を上げた。ぎょろりとした、それでいてどこを見ているかわからない濁った目玉が、彼女の方を向いたからだ。その瞬間、シェスカは息をすることを忘れたように体を強張らせる。大きく見開かれた瞳に映っているのは、恐怖だった。

「――――ぁ……!」

 一瞬。蟲は天井から脚を離し、空中で半回転身を捩り、崩れた繭の上へ着地する。そのまま一気にシェスカへと距離を詰め、鋭い鋏が、彼女めがけて広げられた。
――このままじゃまずい! ヴィルの思考はそう結論を出すのに、身体が追いつかない。

「撃て!」

 サキの怒号が飛ぶ。反射的に引鉄に力を込めた。透明な弾が銃口から飛び出した、とわかったのは、反動で地面に背中をぶつけてからだった。

「当たったか!?」

「上出来」

 弾は鋏の横を掠め、腕を落としていたようだ。気持ち悪い体液を撒き散らしながら、蟲は少しだけ後ずさる。追い打ちをかけるように、姿勢を低くしたサキが懐に入り込み、もう一方の鋏を落とすと、彼の剣はまたも解けて消えていった。
 やっとそこで我に返ったシェスカは、蟲から距離をとってイリスの近くまで後退する。顔は真っ青ではあるが、無傷のようだ。それには少し安心したが、

「……当たっても死なないって言わなかったかコレ!?」

 間違いなく当たったら死ぬレベルの銃撃じゃねえか! 手に収まる小さな銃とサキ、交互に抗議の視線を送ると、彼は目を瞬かせて首を傾げた。

「おかしいな。出力を間違えたか」

「ちょっとズレたらシェスカまで吹っ飛ばすところだったじゃねーかコラァ!!」

「ふたりとも悠長にしゃべっとる場合か!!」

 イリスが焦りを隠さずに叫ぶ。見ると、蟲の鋏が落とされた腕の断面から、透明などろりとした粘液が吐き出され、ずるずると鋏と腕とを繋げていく。そしてあっという間に、元通りにくっついてしまった。

「この魔物――――!」

「な、なんなんよこれぇ……!! くっつくとかナシやろ!?」

 ぐるり。またあの濁った目玉がこちらを捉える。

「どうなってるんだよッ!!」

 再び銃を構えて一発。今度は反動で少し後ずさるだけだった。真っ直ぐに蟲へ向かった弾は、どちゅっと不愉快な音を立てて、胴体の端のほうへ当たった。それとほぼ同時に、

「っ――――がッ!?」

 思い切り振り切られた尾が、ヴィルへと直撃する。びちゃっと音を立てて叩き込まれたのは、さっきまで繭があった場所だった。ねっとりとした繭の残骸が、顔にへばりついて気持ちが悪い。

「ヴィル!?」


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