chapter.5-16


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「――ル……! ヴィル!」

 聞き覚えのある声が降っている。凛とした、よく通る少女の声だった。彼女はずっとヴィルの名を呼んでいる。
 オレは一体どうしたのだろうか。ぼんやりと朧気にヴィルが覚えているのは、気持ち悪い魔物に襲われたということだった。
 それから一体どうしたんだっけ……? 思い出そうとしても、それ以上の眠気が思考に殴り込んできていて、眠い以外何も考えられない。

「どうしよう……全然起きないわ」
「叩き起こすか」
「そんならあたしに任せてぇな!」

 さらに声が増えた。さっきの少女とは別のもので、ひとつは若い男の声でどこか気怠げだ。もうひとつは明るい、溌剌とした少女のものだった。そのどちらも聞き覚えがある。
 三人の声すべてが、頭の中で顔と合致した時だ。つい最近感じた魔力の集中していく気配を感じた。そうだ。さっき彼女に起こされた時もこんな感じだった。一気に頭が覚醒に向かっていく。

「さっきもこれで起きたしな! ほんならいくで〜! 『ねぼすけには、ばっしゃーんっと――』」
「ストップ! 起きる! 起きてるから!!」

 がばり! と一気に身体を起こす。案の定イリスが魔術の水を頭から被せようとしていたようだ。少し離れたところにシェスカとサキが避難している。

「……ちっ。――起きとるんやったら、はよ起きぃや〜!!」
「今舌打ちした!? 舌打ちしたなイリス!! 絶対つまんねって思ったな!?」
「いややもぉ〜! そんなわけあらへんよぉ〜! ヴィルひどいわ〜!」

 絶対に嘘だ。証拠にイリスの顔は少しにやけている。

「立てるか?」

 静かに、いつの間にかこちらへ来ていたサキ・スタイナーが、そう問いかけてきた。

「あ、うん。多分」
「痛むところは? 見たところ怪我はないようだが」

 それに大丈夫、と頷いて、一度膝を立ててからぐっと、足に力を込めて立ち上がった。しっかりと地面を踏みしめて、その感覚を確かめる。特に問題はなさそうだ。強いて言うなら寝起き独特の身体のだるさがあるだけで、これは動いているうちにどうにかなるだろう。

「――っていうか、シェスカにサキ!? いつからいたんだ!?」
「うわ〜、突っ込むの遅すぎやでヴィル」
「そんでここどこ!? なんかすっげーキモい!!」

 あらためて周りを見ると、岩肌のようだと思っていた壁や地面が、どくん、どくん、脈打っているのに気付いた。色も赤紫っぽいピンク色だったり、赤黒かったりと、大きな生き物か何かの体内にいるようだった。

「オレ、さっきまで森の中にいたと思うんだけどなぁ……」
「あれ全部うちらの夢みたいなもんらしいで。ほんで、ここもまだ夢ん中……なんやったっけ?」
「ああ。ここから抜けるには、夢の核を壊さなければならない」
「えー……えーっと……?」

 状況があまりよくわからない。とりあえず、ここは普通の場所とは違うらしい。もう少し細かく説明してもらおうとシェスカを見ると、疲れ切った顔でしゃがみ込んでいる。

「シェスカ? どうかした?」
「………………つかれた。ものすごく。」

 そう言う彼女の声は少しかすれていて、顔色も悪ければ、めちゃくちゃやつれているように見える。一体何が――

「シェスカ姉ちゃん、まだ蟲ついとるで」
「ちょっっ!? やだやだやだイリス取って!!」
「あ〜〜、服の中入ってった!」
「待って無理無理!」
「っていうのは嘘やねんけどな」
「〜〜〜〜〜っ! イリス! いい加減に……」
「取れたぞ」
「うわ、ガチでついてた」

――――これか。サキの手にぶらさがっているのは、気を失う前に見た変な魔物がかなり小さくなったものだった。手のひらよりも小さいくらいだろうか。サキはそれを素手でぐしゃっと握りつぶした。うーんグロテスク。
 しばらくサキと握手したくないな。と思いつつ、シェスカの予想通りのリアクションで思わず苦笑いがこみ上げる。で、イリスに散々面白がられたのだろう。確かにいい反応をするから、からかいたくなるのもわからないでもない。

「ひょっとしてずっとこんな感じだった?」

 しゃべる気力もないのか、ヴィルの問いかけに、シェスカは黙ってこくこくと首を縦に振るのだった。

「とにかく! ヴィルも目が覚めたことだし、早いとここんなとこ抜けましょ! ぐずぐずしてまたあの蟲に囲まれるのはごめんだわ! 核はもう近いんでしょう?」

 気を取り直して、といった具合にシェスカは無理矢理明るい声色でサキに尋ねた。尋ねられたサキは、それに頷く。

「ああ。もうすぐだ」

 サキの手のひらの上には、淡く光る球体が浮いていた。球は見覚えのあるピンク色のリボン状の帯を纏っており、その端がゆらゆらと方位磁石よろしく、ある方向を指し示している。彼はその方向を確認すると、ぐっとその拳を握り、行くぞ、と顎で合図した。
「それは?」彼の後ろについて行きつつ、そう尋ねた。

「ベルシエルの魔力を視覚化したものだ。おおよそだが、核の位置を教えてくれる」
「ベルシエルの?」

 ここにはいない少女の名前が出て、ヴィルは首を傾げた。「さっきまでいたのよ」と軽くシェスカがこれまでの経緯を教えてくれる。ここが悪魔によって作られた幻術の中だとか、どうやって自分たちと合流したのかとか。
 ヴィルの脳裏に、出会った時のベルシエルが浮かぶ。真っ白な、光を放つあの翼を。
 見間違いじゃなければ、あれは遺跡でたびたび見かけた翼人かも――思わずそんな言葉が喉元まで上ってきた。唾ごとそれを飲み下す。あの姿は誰にも言わないと、ベルシエルと約束していた。翼が生える人間なんてそんなものはありはしないのだから、言えばきっとみんな彼女を気味悪がるだろう。彼女はきっとそれが嫌で、黙っているように言ったのだ。

「ヴィル?」

 不思議そうにこちらを見つめるシェスカをごまかすように、何か違う話題をと頭の中を探る。
 真っ先に浮かんだのは、気を失う前に見たシェスカによく似たあの少女についてだった。
「あのさ、気を失う前に……」と、ここまで言い出してから、ふと言葉に詰まる。どう、尋ねるべきなのだろうか。シェスカにそっくりな人を見た、といっても、正直あの時のことは朧気ではっきりと覚えていないのだ。思い出せるのは、前にも彼女が夢に出てきたことと、あの、ぞっとするほどに無機質な赤い瞳だけだった。
――今はやめておこう。なんとなく、そのほうがいい気がした。
 ヴィルは一度咳払いをして、できるだけさっき口を滑らせたものからそう不自然でない話題を無理矢理引っ張り出す。

「そういえば、さっきの蟲ってなんだったんだ? オレが見たときはこーんなでっかかったのに、さっきのこんくらいだったじゃん?」

 身振りでその大きさを伝えると、シェスカは想像しただけで嫌になったのか眉根を思いっきり寄せた。どこか青ざめてさえいる。
 彼女は一度落ち着くように深く息をして、

「ここの主についている寄生虫のようなもの……らしいわ。大きさは……多分だけど、あなたとイリスがより夢の深いところにいたから、じゃないかしら」
「んんっと……?」
「さっきまでのあたしらは、敵の懐の深ぁいとこにおった、ってこと」

 シェスカに続いてイリスが口を開いた。

「そんで、あの金髪の姉ちゃんがうちらをちょっとだけ安全地帯側に連れてってくれた、っていうのでええんやったっけ?」
「ああ。その認識で間違いないだろう。ここから出るには、この夢を形作っている核を破壊するしかない」
「それはわかったけど、今はどうしてあの蟲がいないんだ? さっきまでわんさかいたんだろ?」
「恐らくだが、俺達から本体の意識が逸れているからだろうな」
「意識が逸れてる?」

 サキはもう一度手のひらを開き、ゆらゆら揺れるベルシエルの方位磁針を見つめて頷いた。

「外側からの干渉だな。ベルシエルかジェイクィズが本体を攻撃してるんだろう」




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