chapter.5-4


「潮が……渦巻いて……っ!?」

 さっきまで、海の中はこの天気にも関わらず、穏やかなものだったのに。いつの間にかヴィルたちの背後に大きな渦潮が迫ってきていた。

「どうして急に……!?」

「くッそ、早く引き揚げんぞ!!」

 シェスカとジェイクィズの切迫した声も、今のヴィルには聞こえない。流されないように、せめて少女と浮輪を離さないように、力いっぱい掴んでいることしかできない。さっきはばたつかせて進むことができた足も、今はその流れに流されるままだった。

「ち、く……しょ……ッ!」

 そんな悪態も、高くなる波に飲み込まれていく。

「せーので引くぞ!」

 船員たちも集まり、一刻も早く、一気に片を付けようと、ジェイクィズが合図する。それにシェスカとサキが頷き返し、それまでそばで見ていただけだったベルシエルまでもがサキに並ぶようにロープに手をかけた。

「じゃあ行くぞ! せぇぇぇのッ!!」


 ぶつん。


 張り上げた声と同時だった。力の行き場がなくなったベルシエルとジェイクィズ、それから船員たちは、そのまま後ろにドミノ倒しのように倒れ込んだ。

「ーーは?」

 手に残るロープを見る。他の部分はまだ新品のように真新しいのに。ジェイクィズの持つその先端は腐り落ちていた。

「サキ!」

 ベルシエルの叫ぶ声。
 見るとサキは、シェスカを抱えて船縁の外側にぶら下がっていた。

「シェスカ! そのロープ離すなよ!」

「っ……! わかってるわよ!」

 ぎりぎりと引っ張られる力が強くて、ロープが手のひらをすり抜けそうだ。シェスカはそれをできるだけ思い切り引っ張って、ぐるぐると自らの腕に巻き付けた。腕が圧迫されて、指先まで白くなる。そんな彼女を落とすまいと、サキは抱える手に力を込めた。
 いくらジブリールの隊長といえど、人間のサキにこの重さを、船縁を掴んでいる片腕一本で支えきるなど不可能だ。すぐにでも限界はきてしまう。

「サキ! すぐに引き揚げ……!」

 ベルシエルが駆け寄ろうとしたその時だった。

 ばきッ!!

 不快な音を立てて、サキの掴んでいた船縁が割れた。まるで彼が掴んでいたところだけが腐食していたように、あっさりと。

「うわああああああああッ!!」

 サキの支えで何とか渦に飲まれずにいた状態だったヴィルと少女がその渦に飲まれていく。ロープを巻き付けていたシェスカも、それを抱えていたサキも。次々と。

「くそ!!」

 腐り落ちた船縁に駆け寄り、ジェイクィズはそう吐き捨てた。渦は何故かゆっくりとその大きさを縮小していく。まるで彼らを飲み込んで満足したように。

「どいて」

 ベルシエルはジェイクィズを押しのけると、そのまま、

「ちょっ、ベルちゃん!?」

 何の躊躇いもなく、その渦の中へ飛び込んでいった。
 彼女がその渦に飲み込まれた後、嘘のように海は穏やかになっていく。

「……………………嘘ぉ」

 残されたジェイクィズと船員たちは、ただただ呆然と顔を見合わせて、渦のあった場所を眺めているしかなかった。


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