chapter.4-28


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 陽が傾いてきている。白いアメリの建物たちは赤いともオレンジとも、紫ともつかない色に染め上げられ、街の人々は下りてくる夜の帳に向けてバタバタとせわしなく走り回っている。
 そういえば情報屋の双子が言っていたっけ。ここは宿屋の多い区画だとかなんとか。この様子だとどこも大盛況のようだ。そんなことを思いながら、シェスカ・イーリアスは後ろでひょこひょこと楽しげにスキップしそうな人物へと声をかけた。

「あの、いつまでついてくるんですか?」

「そりゃあ、シェスカさんがお休みになるまでです!」

 うまく撒いたと思ったのに。と、シェスカはため息をついた。サラサネイアに丸め込まれて、一度はジブリールに用意された(今度は対魔術師用の独房のような部屋ではなかった)客室からこっそりと抜け出してきたつもりだったのだ。
 だが流石ジブリールと言うべきか。レタ・オルバネハにものの数分で追いつかれてしまい、こうして共にぶらついているというわけだ。

「ね、帰りましょう? 今日までずーっと気を張ってたんですから、身体だってお疲れでしょう?」

「……じっとしてると、なんだか落ち着かなくって」

「もお〜、アシュリーといいシェスカさんといい、どうしてじっとしててくれないかなぁ……」

 レタはがっくりと肩を落として溜息を吐く。放っておいてくれてもいいのに、と思うがそれが彼女の仕事なのだ。そう思うと申し訳ない気持ちがふつふつとわいてきた。どう足掻いても彼女からは逃れられなさそうだ。諦めて大人しく戻るとしよう。

「……わかりました。レタさん、お手数かけてすみません。もう戻ります」

「ほんとですか!?」

 ぱあっと顔が明るくなるレタ。そんな彼女に頷いて、ジブリールへ戻ろうとした時だった。
 くい、と。服の裾を引っ張られる感覚。
 振り返ると、セレーネが後ろに立っていた。驚いて思わず後ずさると、レタもシェスカ同様に驚いていたらしく、小さく声をあげていた。

「ぅわっ! あなた……ええと、セレーネだったかしら……? いつの間に?」

「…………」

 じっと。ただまっすぐに、セレーネはこちらを見つめている。青とも緑ともつかない真ん丸な瞳が、夕日の色と混ざり合ってさらに不思議な色を称えていた。彼女の顔には表情はなく、緩く小首を傾げた仕草で疑問を持っている、と主張している。

「……? 私になにか?」

「あなたは、なにもの?」

 セレーネは短く尋ねた。それもとても簡潔に。あなたはなにもの。そう言った。しかしシェスカの脳は何故か、それを一瞬理解するのを拒否した。ぐるぐるとその言葉が頭を三回ぐらい巡り、ようやくすとん、と落ちてきた。
 
「私は……」

「あなたは、なにもの?」

 言葉に詰まる。彼女は何を言っているのか。問いの意味は。いまいち何もわからない。自分が何者かなんて、自分が今一番知りたいことなのだ。
 私は何者なんだろうか。記憶もない。家族だっているのかどうかすら知らない。行くべき場所はあれど、行きたい場所もない。帰る場所もない。なにもない。自分がどうしようもなく惨めで、空っぽに思えてくる。
 私は何者か。『器』。時折そう呼ばれるけれど、その実感は湧かない。私の中に賢者の石が入ってる? 馬鹿馬鹿しい。この身体に異物感なんてどこにもないのに。そもそもに、賢者の石だかなんだか知らないが、人間の中にそんなものが入るわけがない。生きている人間に、そんなもの……

「シェスカさん!!」

 がっ。誰かに手を掴まれた。はっとしてそちらを見ると、レタが不安そうな顔で見つめていた。

「え、と……レタさん? どうしたんですか?」

 そう尋ねると、レタは目を丸くして「どうしたって……今、首を……」と、そこまで言って彼女は口を閉ざした。一体何なのだろうか。
 シェスカが不思議に思っていると、セレーネはさらに首をかしげた。

「やっぱり、わかってないの?」

「なにがよ……?」

 彼女は真ん丸い瞳でじっとシェスカを射抜いてくる。人形のように整った可愛らしい顔が、とても無機質に見えて、何故だか背中がぞわっとした。
 セレーネの柔らかそうな唇がゆっくりと動く。

「あなたが――――」


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