うつつの世界






朝から、ずっと続いている霧雨。

桜の大木の根元に座り込んだ あたしは、ぼんやりと真っ黒な空を見上げていた。


「砂南姉!」

小柄な身体に不似合いな大きな傘をさしたギンが、水溜りを器用に避けながら駆け寄ってくる。

「そんなとこ座っとったら風邪ひくで。中入ろ」

「うん……」

生返事をして、曖昧な笑顔をギンに向けつつ、また視線を空へ向ける。そんな あたしを見たギンは、溜め息をひとつ。

「平子隊長、お昼前に総隊長はんに呼び出されていったっきりやねん。多分、しばらく帰ってけぇへんよ」

「そう……」


それでも立ち上がる気配のない あたしを見て、ギンは傘を閉じると隣にしゃがみ込む。

「雨、やまへんね。鬱陶しいわ。……ボク、こういうの嫌いや」

「駄目だよ、そんなこと言っちゃ。雨が降らなきゃ困る人だって、いっぱいいるんだから」

「……砂南姉かて、表情と言ってることの中身が合ってへんけど」

苦笑いして顔を見合わせて。立ち上がることも忘れたように、あたしたちは また空を見上げる────



   *   *   *   *   



空は黒い雲に覆われ、鬱陶しい霧雨が朝から ずっと降り続いている。 

予定の時間を大幅に過ぎて執務室へ戻ると、嫌味なまでの爽やかな笑みを口許に湛えた惣右介と、堆く積まれた書類が俺を待ち構えていた。


……なんや、雨の方が なんぼかマシやな…………。


「お疲れ様です、隊長。……如何でしたか、隊主会は」

「どうもこうもないわ。総隊長に、ごっつ説教されただけや」

と、惣右介の前を真っ直ぐ通り過ぎ、自分の机へと向かう。

「先ほど、十一番隊からの書類を持って祐月三席が来てましたよ。一番上に、付箋と一緒に置いておく、と言ってましたが……」

「おー」


……付箋?そんなもん、どこに……。

書類のてっぺんに何故かずらして置かれた二,三枚ほどの書類。それをなにげなく取り上げる。

「おわっ!」

淡い緑の色紙で折られた小さなカエル。その下にじゃばらに折られた細長い紙がたくし込まれていて、書類の重みが取り去られた途端、まるで生きているように跳ねた。

そのカエルの背中には……。


「どうしました、隊長?」

突然、大声を上げた俺を不審なものを見るような目で非難がましく見つめている惣右介。

「……あ、いや。すまん、なんでもない」

と、一応その場は取り繕い、惣右介に気付かれないよう『ソレ』を摘み上げて、そっと袂へ落とした。


「すまん、惣右介。もっぺん出てくるわ」

「……構いませんけど……もう、その書類は隊長がチェックして判を押すだけになってるものばかりですからね?僕はお手伝いできませんよ。明日の朝までには仕上げてくださいよ」

「わかっとる」



向かう先は、十一番隊。……の筈が。

五番隊を出て、いくらも歩かないうちに、霧雨の中で傘もささずに佇んでいる馬鹿を発見した。


「コラァ!何やっとんねん、砂南!」

ぱしゃぱしゃと水溜りを蹴立てて近付いていく。

砂南の手には、抜き身の斬魄刀が握られていて、その刀身に視線を落とす目には、まるで何も映っていないかのようだ。柄を握り直し、声にならない声で何ごとかを呟き続けている。


「砂南!」

後ろから強く肩を掴むと、びくりと大きく身体が揺れて、ゆっくりと振り返る砂南の目に、少しずつ“世界”が戻ってくる。

その目が、はっきりと俺を映した。そう確信した瞬間、頬に赤みが差し、一瞬 泣きそうな表情がよぎる。次いで現れた柔らかい笑顔。

「……真子」

「お、おお……」

その笑顔に若干の不意打ちを食らい、思わず目を逸らす。 

「……風邪ひくで。何やっとんねん、こんな雨ん中」

「んー……雨更紗が水浴びしたいって言うからさ。この程度の雨なら、あたしの負担にもならないだろうからって」

砂南の雨更紗は、水流系の斬魄刀だ。卍解はできないまでも、砂南に懐いて離れたがらないほどだという。

「……そんだけ濡れとったら、風邪引いて熱出すには十分やろ?」

そう言って、ふわりと白羽織の下に砂南を隠す。

「早う、水滴落として刀納め。帯刀許可もなく抜き身の刀持っとったら、口煩いのに やいやい言われるで」


砂南が刀を納めたのを見届けると、そのまま羽織の中に砂南をくるむように抱きかかえたまま、屋根のある場所まで移動する。

「……今の あたしに触ったら、真子も濡れちゃうよ」

「それこそ今更やろ」

霧雨は黒髪をしっとりと湿らせ、毛先から水滴を滴らせていた。


「阿呆。……怒っとるんやったら、俺にぶつけぇや。いちいち、そうやって閉じこもるなや」

袂から取り出した折り紙のカエルを砂南の目の前にかざす。カエルの背中いっぱいの『ばか』という殴り書き。

「……怒ってないもん」

「ほお……」

「怒る理由がないじゃん、別に いつも約束してる訳じゃないのに」

「ああ……せやけど、心配してくれたんやろ?いつもおるヤツが、突然 姿見せんかったら」


そう、先ほどの表情の推移は、多分そういうことなのだろう。

「ごめんな」

そう言って、白羽織の腕で砂南の頭を包む。袖で濡れた髪の水気を取るように、ぽんぽんと撫でながら。と、その動作に気付いた砂南は、慌てて俺の腕を引き剥がしにかかる。

「ちょっと、何やってんの真子!」

「いや、今 手ぬぐい持ってへんし。あ、でも洗ったばっかやし、綺麗やで」

「そういうこと言ってんじゃない!隊長さんが、濡れてヨレヨレの羽織着てたら、下の隊士に示しがつかないでしょー!?……うっわ、信じられない……ちょっと貸して!乾かして、綺麗に伸ばしてきたげるから!」

先程の、泣き出しそうな表情はどこへやら。一転して、ガキどもに接するときのような世話焼きモードにシフトしてしまっている。


……こういうのもええなぁ。嫁さんみたいで。いつものように、こっちから一方的に甘えさせようとするんじゃなくて、もうちょっと砂南からのアクション待ってもええんかもしれへんな。けど……。


「ちょっと、真子……!」

俺から羽織を脱がそうとしていた砂南の手首を捕らえて、再び腕の中に閉じ込める。

「あとで綺麗にしてくれるんやったら、もうちょっとくらいええやろ?」



強くなる雨音に紛れて囁いた言葉。聞き返すように顔を上げた砂南の頬に、そっと唇を押し当てた……。



(2010.06.14. up!)



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