幸せになってもいいのですか?


※大富豪赤司くんと奴隷黒子くん





降り続ける真っ白いそれを微かに視界の端に捕らえて、今が冬だという事を把握する。道理で寒いはずだとぶるりと身体を震わせて最後にまともに外の世界を見たのは、外の空気を吸ったのはいつだっただろうかと静かに意識を背ける。そんな事をしていないとボクは正気を保っていられなかった。


「おい、起きろ」


そんな声で虚ろだった意識を浮上させる。焦点を合わせて前を見ると、いつもの男ではない別の男が立っていた。今までの経験からすると今日はまた別の主人へと売られるらしい。


ここに来たのは1ヶ月くらい前だっただろうか。カレンダーなどはもう何年も見ていない。とうに忘れてしまった日付から正確には分からないが、今回は短かったなぁと他人事のように考える。


―ボクは所詮、奴隷というやつだ。
いつから、なんて覚えていない。物心ついたときには両親の顔も分からなかった。ボクにあるのはこの身一つだけ。小さい頃からひたすら働いて、暴力を受けて、売られて居場所を転々としていって。中には熱のこもった目で僕を見ていた主人もいた。そういう時は命からがら逃げ出して、また別の主人に拾われた。でもその主人も結局は人身売買を商売にする人で、ボクはこの運命から逃れられないと知った。


「もたもたするな」
「…」


気付けば声すら出なくなっていた。
のそりと立ち上がって、ふらふらとした足取りで前を歩く男について行く。ずんずんと早足で進んでいく男について行くのが必死で、余り周りを見る余裕がない。
だから、悪かった。


「…っ!」
「…なんだ?」


思いきり誰かにぶつかってしまった。
といっても細身のボクがぶつかっただけでは相手はどうもないだろう。ボクが尻餅をついて転んでしまうだけで良かった。
問題は相手の気分だ。あぁ、良い人だったらいいなぁ、謝って済むだろうか。悪い人だったら殴られてしまうのだろうか。面倒事に巻き込まれたらあの売人らしい男に殴られるのは確実だろう。
これからの事を色々と考えてしまっていたうちにあの男は気付かずに行ってしまったらしい。しまった、と思ったがもうどうする事も出来ない。小さく息を吐き出すと、それは寒いこの空気で白くなった。
先程ぶつかってしまった相手を見つめる。相手はまだ去っていなくて、向こうもこちらをじっと見下ろしていた。
ぶつかった彼は深紅の髪をしていて、瞳は片方はその髪と同じ色をしていた。もう片方の瞳は金色。身体はすらりとしていて、だけどしっかりと男の体つきをしていた。ぼんやりとしながら綺麗な人だなと見とれてしまった。


「怪我はないか?」
「…?」


その人はボクにそう声を掛けて手を差し出してくれた。突然の出来事にぽかんとしていたボクの頭にいつかの記憶がフラッシュバックした。脳裏に浮かぶのは前にボクを引き取って良い人を演じてボクを売った人。
出された手を掴めずにボクの手は変に宙を掴んだ。
その行動を変に感じたのだろう、その人はなんとしゃがんでボクに目線を合わせてからにっこりと微笑んだ。


「先程はすまなかったね。それで、どうしたんだい?」
「…っ」


こんなボクに謝ってくれた事に申し訳なくて。気にしなくていい。早くボクから離れて。言いたい事はたくさんあるのに声は出ないまま。声の出し方なんて忘れたまま、もう必要ないとも思っていたのに、今はそれにただただ情けなくなった。下は雪が積もっていて冷たい筈なのに今はそれどころではなかった。


「何なのかしら…あの子…」
「汚いわ。きっと奴隷にされていた子だわ」


周りからそんな声が聞こえ始めた。このままではこの人まで怪奇な目を向けられてしまう。ジェスチャーでなんとかここから立ち去るように言ってみると、彼は顎に手をついて何かを考えると納得したように一人こくりと頷いた。


「とりあえずここじゃなんだから僕の家へ来るといい」
「…!?」


そう言うとボクの手を握ってすくりと立ち上がった。そうすればボクも一緒に立ち上がる事になって。オロオロとしているうちに彼はどんどん先へ進んでいくのでボクはついて行くしかなかった。
途中に聞こえたのはボクへの罵倒の言葉と、―彼が有名な家の者らしいという事だった。


***


暫く歩くと、大きな門が見えた。それは一目見ただけで立派だと分かるものでそれに見とれていると彼がその門に手をかけた。驚く間もなく門はギイイィ、と大きな音を立てて開いた。


「ここだ」


彼はそれだけを言って更に奥へと進んでいく。ずっと足下ばかりを見ていたが、下はたくさんの石で整備されていた。彼の着物姿からどうやら今どき珍しい和文化の家のようだ。


「まずは風呂へ行ってこい。その間に服を用意しておく。…あぁ、怪我の手当てもしなくてはいけないな」
「…!」


ふるふると首を横に振ってそこまでされる覚えはないというのを伝えたくても彼は笑顔を浮かべてそれを許さなかった。…その笑顔に背筋が震えてしまったのは気のせいだと思いたい。


***


風呂から上がって用意されていた豪華なそれに袖を通す。今までぼろ布のようなものしか身に着けていなかったから、すごく温かく感じて思わず目元が熱くなった。
着物を着るのは初めてだったので上手く着る事が出来ずに仕方なく羽織るだけにして、彼が待つという部屋に行く。
襖を開けると彼は優雅に座って本を読んでいた。


「…」
「どうだった?風呂は気持ち良かったかい?」


こくこくと首を縦に振ると彼は良かった、と呟いて微笑んだ。


「おいで、着物、ちゃんとしてあげる」


部屋に入り、彼の前に座る。ふわりと香るのは椿の匂い。衣擦れの音だけが静寂の部屋の中に響いている。


「質問を幾つかいいかな?」
「…」
「ん。君は先程から一切喋らないけど何か理由があるのかな」
「…」


何か書くものがあればいいのだけれど、と周りをきょろきょろしていると、勘のいいらしい彼は立ち上がってちょっと待ってて、と部屋の隅へ行った。
―着物はきっちりとしまっていた。


「はい、これでいいよね」


彼は紙とペンを持ってくると、ボクに渡した。
さらさらと文字を書いていくのを見て彼は少しだけ驚いているようだった。


『お風呂と服、ありがとうございました』
「いいよ。それにしても言葉は分かるんだね」
『はい。喋らないのは長年喋るという事が必要なかったので喋り方を忘れてしまいました、すみません』


そう書いた紙を見せると彼は目を細めてみせた。


「…そう…。じゃあ次の質問だけど…何故あそこにあんな格好でいたんだ?」
『また、売られるところだったんです』
「どういう事だ?」
『長年喋るという事が必要なかった、と書きましたがボクは奴隷だったんです。なんでしょう、弱音を吐かない自己防衛でしょうね』
「…」
『口を開けば弱音を吐いてしまう。弱音を吐けば殴られてしまう。だから気付けば喋るという考えを消していたんです』
「…」
『そんな辛そうな顔しないでください。ボクは、こうして助けて頂いただけですごく幸せなんです。ずっと、こうなる運命だと思ってましたから』
「…事情はだいたい分かった…。もう一つ、聞きたいこといいか?」
『なんでしょうか?』
「名前を、教えてくれ」


驚いた。ボクの、名前なんて、もう何十年も使われていなかった。これからも、いらないと思っていた。
ついに涙腺が緩んで、もう我慢出来なかった。涙はじわじわと溢れ出し、頬を伝って紙へと染み込んでいった。涙で紙に書いた名前は滲んでしまっていたが彼はちゃんとよんでくれた。


「テツヤ」







(神様、ボクは)
幸せになってもいいのですか?







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黒子っちが赤司くんの名前知るまでいかなかっただと…

それにしてもこれ私得でしかねえ…(^-^)



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