臆病者にさよなら


黒子が赤司に告白されたのは、突然のことだった。それまでそういった話はしていなかったし、そんな雰囲気でも流れでもなかった。
部活中、いつものように赤司にアドバイスをもらっていた黒子に、赤司は次の指示を出すかのように、さらりと言い放った。

「好きだよ、黒子」

え?と赤司の方を見て固まった黒子に、赤司は目を細め、とても愛おしげに微笑んだ。
周りは練習をしているのだから、決して静かなはずがないのに、黒子の耳には赤司の声以外全く届いてこなかった。
赤司がこんな冗談など言うタイプではないことは承知している。だからこそ、黒子には赤司が分からなかった。友人としての、という意味かもしれないという可能性も、今の黒子には考えられなかった。
だって、友人に対しての"好き"なら、こんなにもとろけそうなくらい、甘い眼差しを向けるわけがないのだ。

「……あ、」

何を言えばいいのか分からなくて、黒子の口からは意味のない音が漏れる。
告白された、という事実は頭では理解しているというのに返す言葉が一向に見つからない。普段本を読んで培ってきた、少々自信のあった語彙力も全く役に立ちやしない。黒子はシャツの裾を掴んだ。

「すまない、困らせるつもりはないんだ。返事もいらない」

好きだと告げてからずっと口を結んでいた赤司だったが、黒子の様子を見かねて口を開いた。目線はすでに黒子から、持っていたバインダーへと落とされている。シャーペンでコツコツ、と音を立てながら赤司は続けた。

「ただ俺が黒子に伝えたかっただけなんだ……自分勝手かもしれないが、これからも今まで通り接してくれると助かる」

珍しく弱々しい色を含んだ言葉と態度に黒子はなんだか自分が悪いことをしている気がした。
今まで通り。赤司はそう言ったがそんなの。
黒子は赤司から視線を逸らして、コート内にいるレギュラーメンバーを見つめた。キラキラと輝いている彼らを見るのはいつものことなのに、今日はひどく遠く感じる。彼らがただバスケを楽しんでいるからだろうか。自分も何も考えずに、思い切りバスケがしたい。無性にそう思った黒子は、赤司にすみません、と一言断りを入れて、コート内に足を踏み入れた。仲間たちに駆け寄って、ボールを受け取る。
先ほど赤司に言った"すみません"は、あの場を去るために言ったものなのか、告白に対してだったのか、黒子自身にもよく分からなかった。何もかも振り切るように、黒子はボールを放った。


***


あれから黒子はよく分からない感情が心を乱し、いっぱいいっぱいになっていた。どうやって部活を終えたのかもよく覚えがないまま、気付けば自宅のベッドにうつ伏せになっていた。いつも以上に無口な黒子を心配する母親に、夕飯は食欲がないからと断れば、母はそれ以上何も言わなかった。
ああ、食べなかったらまた赤司くんに怒られてしまうな、とぼんやりと思考が傾いたところで、黒子は、はっとした。

(赤司、くん…)

赤司は黒子が好きだと言った。そして、何もいらないから今まで通りでいてくれ、とも。
しかし黒子にはそれが実行出来るとは到底思えなかった。そんな器用なことなど出来ずにきっと赤司を避けてしまうことは明白だった。そうやってぐるぐると考え込んでいれば、今までどうやって赤司と接していたのかすら、今の黒子には分からなくなってしまった。
チームメイト、友人、同級生、主将と部員、師匠と弟子。思いつく限り、赤司との関係性を言葉にしてみる。赤司は黒子をどう思っていたのだろうか。

(そういえば、赤司くんは何故ボクなんかが好きなんでしょう…?)

黒子が知るに、赤司征十郎という男は全てにおいて完璧な人間だった。それも嫉妬すら湧かないほどに。
家は富も権力もある大企業だ。そんな家庭に生まれた彼は幼い頃から英才教育を受けているため頭脳明晰、その上容姿までも整っているから、きっとどんな女性も彼には惚れてしまうだろう。それなのに何故、これといって取り柄もない平凡な男の自分なのだろうか。
もう何も考えたくなくて、黒子は枕に顔を埋めた。そのまま襲ってきた睡魔に身を任せて、意識を手放した。


***


翌日、考えすぎたのか夢に赤司が出てきてしまい、よく眠れなかった黒子はガンガンと頭痛のする頭を押さえて目に隈のついた顔を洗面所の鏡で見つめていた。黒子はひとつため息を吐くと、とりあえず頭痛薬を飲もうと決めてリビングへ向かう。
こんな姿を赤司に見られたら、きっと彼は黒子に告白をしたことを後悔してしまうだろう。赤司は黒子に返事を求めないという無欲な告白をするくらい、優しいのだから。誰だって想い人とは通じ合いたいと思うはずなのに、赤司はそれを求めなかったのだ。
黒子はどうしても赤司には自分に告白したことを後悔してほしくなかった。我ながら身勝手だとは思うが、赤司の気持ちは黒子にとって、とても嬉しかったのだ。
前に読んだ恋愛小説で、告白はすごく勇気のある行動だと言っていた。それは経験のない黒子にも分かる気がした。今まで可愛いな、と感じた子がいないわけではなかったから、もしその子に告白すると想像するだけでどきどきして、顔が火照ってしまう。そんな行為を、赤司は同性の黒子にやってのけたのだ。これを無碍に出来るほど黒子は無情ではなかった。
薬を飲んで登校準備をすると、黒子はいつもより早めの時間に家を出ることにした。今日は朝練がある日ではなかったけれど、近くのコートで少しボールを触ろうと思った。バスケをすれば、不安定な気持ちが落ち着くと思ったから。


学校に着いてから一番にバスケ部の更衣室に向かう。シャワーを浴びて、置きっぱなしにしている新しいシャツに替えるためだ。部員ならば自由に使っていいことになっているから、黒子もよく利用している。
ガラリと扉を開けて、ホームルームまでに間に合うにはどれくらいで準備すればいいのかを頭で計算しながらロッカーに向かえば、シャワー室から水音がするのに気がついた。誰かいるのだろうか、と不思議に思いすみません、と声を掛ければこちらに気がついてシャワーのコックを閉める音がした。そして扉を開けて出てきたのはつい数十分前まで黒子の脳内を占めていた人物、赤司だった。
まさか朝から会ってしまうとは思わず、黒子はぴしりと固まった。全く心の準備というものが出来ていなかったのだ。先程まではボールを追いかけるのに夢中で、案の定考え事など吹き飛んでいたし、赤司と会うのも恐らく昼休み以降だろうと楽観視していたのだ。
言葉に詰まった黒子に、赤司はぽん、と黒子の頭に手を置きながら苦笑した。

「黒子も朝からバスケか?」
「あ…はい。珍しく早起きしたのでせっかくなら、と…」
「そうか、でもバスケ馬鹿も大概にしろよ?」

くすくすと笑う赤司に黒子は少し拍子抜けした。赤司は本当に、今まで通り黒子と接するつもりらしい。
何故だか黒子は胸がもやもやしてきた。あんなに悩んでいたのは自分だけだったのだろうか、赤司は黒子のことを言うほど好きではなかったのだろうか。
あまりにあっさりした態度をとる赤司に、黒子は謎の感情に心が支配されていくのを感じた。そんな暗い感情を少しでも抱いた自分が嫌になって、黒子はぽそりと、はい、とだけちいさく返事をして、赤司の横を通り過ぎるとシャワー室へと足を踏み入れた。
背後で悲しそうに笑う赤司がいたことにも気付かずに。


***


それからの黒子は一方的に赤司とぎくしゃくした関係になってしまっていた。何度も何度も平常心で、何事もなかったように過ごそうとすればするほど、赤司から目を逸らしてしまうのだ。
理由を問われれば、明確な答えは出せない。そんな何かがここ数日の間、黒子の胸の奥で燻ぶっているばかりだった。
元気のない黒子を見かねてか、練習が入っていない久しぶりの休日に黄瀬が黒子を誘ったのはそんなときだった。いつものように「どこか出掛けないっスか?」とメールが来て、黒子は少し迷って「いいですよ」と返信したのだった。
あれよあれよという間に黄瀬は全てを決めていき、黒子に時間と待ち合わせの場所を記したメールをした。時計を確認した黒子は、時間まであと三十分しかないことに気付き、慌てて鞄と携帯を持って家を出た。

「黒子っち!こっちっスよー!」

急いだ黒子ではあったが、黄瀬の方が早かったのか約束の十分前には二人とも待ち合わせの時間に揃ってしまった。
随分急だな、と思った黒子はそのまま黄瀬に疑問をぶつけることにした。

「黄瀬くん今日はどうしたんですか?」
「んー?何がっスか?」
「とぼけないでください。君にしては計画性がないじゃないですか」

知らん顔をして辺りをきょろきょろと眺める黄瀬に、黒子は少し怒気を含んだ声を上げた。それでも黄瀬は「まあまあ、んじゃ行こっか、黒子っち」とはぐらかしてさっさと歩き始めてしまった。これはもう何も聞いても無駄だろうな、と悟った黒子は一息つくと、黄瀬に続いて歩き始めた。


黄瀬に連れてこられたのはよく放課後にみんなで寄るマジバだった。いつも来てるじゃないですか、とは思うもののバニラシェイクを前にすれば何も言えない。黄瀬が何も言わず奢ってくれたシェイクを遠慮がちに受け取って(有無を言わせない雰囲気だった)、そのまま席につく。黄瀬も黒子もしばらく何も喋らずにいたが、ふと黄瀬がナゲットをつまみながら言った。

「まあ、黒子っちが思ってる通りっスよ。赤司っちとどうなのかなーって」
「……やっぱりですか」
「うん、ごめんね」

黄瀬が自分たちのことをよく考えてくれていたのは伝わるので首を横に振る。
黒子も分かっているのだ。このままじゃいけないのは。それでも自分は何かを迷っている、踏みとどまっている。誰かに、背中を押してほしいのだろうか。

「きせくん、」
「うん」

黄瀬はなにも言わずに黒子に続きを促す。最初から話を聞くつもりで黒子を誘ったのだと改めて気付かされ、黄瀬の優しさに嬉しいと思う半面、申し訳なくなった。

「ボクはずるいんです。自分が傷つくのを恐れて、赤司くんの気持ちに甘えてる」
「誰だって傷つくのはこわいよ」
「ちがう、ボクなんかより、赤司くんのほうがずっと、こわかったはずなんです」

じわり、じわりとシェイクの側面が汗をかくのを黒子は見つめながら、自分の気持ちを少しずつ吐き出していく。触れるとたらりと落ちていく水滴が、まるで今の黒子のようでほんのりくちもとが緩む。

「ボクは、ほんとうは赤司くんが好きなんです。それこそ、きっと出会ったときから」
「うん」
「誤魔化してた、認めるのすらこわいんです。ボクは臆病者だ。そんなボクが赤司くんと結ばれていいはずがない。だって赤司くんはすごく強いひと」
「でも、黒子っちだって今認めたじゃん。それでいいんスよ、まだ遅くない」
「そんな、」
「そんなことない」

黒子が即座に否定の言葉を呟こうとすれば、それはここに聞こえるはずのない人物に遮られた。

「赤司っち、ナイスタイミングっス」
「黄瀬、ありがとう」
「なんてことないっスよ!それよりオレたちがもどかしくてたまんねーっス!それじゃああとは若いお二人で!」
「お前も同い年だろ…」

まって、と伸ばそうとした黒子の手は黄瀬の「ばいばい」の声に不自然に上がって、下りた。

「……」
「……」

騒がしいはずの店内に、黒子と赤司のふたりだけ切り離されたような静けさが場を埋める。先程まですらすらと言葉を告げていた黒子の口は、今ではしっかりと閉じてしまっていた。
黒子はどうしよう、と考える。あの様子では黄瀬はあらかじめ赤司を呼んでいたことになる。ということは黒子の本心はすでに赤司に聞かれてしまっているのではないか、自分が卑怯なやつだとばれてしまったんじゃないかと、そう考えるとぎゅっと目を瞑って赤司の言葉を待つしか出来なくなった。
――やっぱりボクは、臆病者だ。

「……黒子、ひとつ聞いてもいいかい?」
「…、はい」

しばらくの沈黙のあと、ようやく赤司が告げたのは黒子を罵倒するものでも否定する言葉でもない、質問をするのに確認をとるものだった。その赤司の優しさに黒子は鼻の奥がツンとした。赤司はどこまでも黒子を気遣ってくれている。黒子は赤司と向き合った。

「さっきのは黒子の本心?」
「…っ、やっぱり、聞いてたんですね…」
「ごめんね…」
「いえ、赤司くんが謝ることではないです。…先程のことはようやく認めたボクの、ほんとうの気持ちです………赤司くんの親切心につけ込むような真似をしてしまってすみません、君が怒るのも無理もないで」
「黒子」

黒子の言葉を遮るように名前を呼んだ赤司は、今まで見たこともないような甘いとろけた微笑を浮かべた。その眼差しには黒子を咎めるような色はいっさい見当たらない。

「すごく、嬉しい」
「…え、なんで」

一拍置いて我に返った黒子は慌てだす。自分は赤司を。

「だってつまり黒子は俺のことが好きなんだろう?俺はその事実だけで嬉しい。それに、認めようとしなかったってことは心の奥ではずっと自分の気持ちに向き合ってたってことだろ」
「そんな、」
「謙遜しなくていいんだよ」
「…っ!」

もうだめだ、と思ったときには黒子の頬につう、と涙が伝っていた。それは一粒どころではなく次から次へとたくさんの涙が。赤司はそれをそっと指で拭う。ぽろぽろと涙をこぼす黒子が愛しくて、赤司は胸が熱くなった。

「あっ、あか、し、くん」
「うん?」
「だい、だいすき、です…!」

ようやく聞けた黒子の想いに、赤司はその華奢な身体を精一杯抱きしめてあげたかったけれど、場所を思い返してあいていたもう一方の手で黒子の手をぎゅっと握りしめるだけにした。
それでも、とても幸せなものだった。







臆病者にさよなら
(少しずつでいいから)







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友人が「優しい赤司くんに戸惑う黒子っちの赤黒」と言っていたのでなにそれたぎる!と思って書きました 友人ありがとう


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