忘れた頃に


▼ワンライ
▼大学生赤黒



 ──唐突に、ビーフシチューを作ろうと思い立った。

 黒子は大学入学を機にひとり暮らしを始めた。学生向けのアパートを借りて、慣れない家事に勉強にと忙しい日々を送っている。
 そんな毎日でもまだ学生の身である。休日は友人と遊びに行くこともある。それも、大抵は黒子の部屋を直接訪れて誘ってくる者が多いのだ。家にいないかもしれないので事前に連絡してほしいと伝えても「大丈夫」としか言わない彼らには頭を抱えてしまうが、別に訪ねられること自体は嬉しいので強くは言えない。ちょっとした悩みだった。
 そんな今日はといえば週末の昼前。だがとくに誰かが来るということもなく、黒子は暇を持て余していたのだと思う。ふと、煮込み料理を作ろうと思い立ったのだ。そして料理をつくる際にはいつもお世話になるレシピサイトを検索して、ビーフシチューにしようと決めたのだった。
 じっくり煮込んで、昼食と、食べきれない分は夕食にもまわそう。黒子は出来上がりを想像して心を躍らせた。
 思い立ったが吉日というし、と黒子は早々に行動に移す。下準備を終えてタイマーをセットした。その間は本でも読んで時間を潰そうとして、鞄から文庫本を取り出す。

 どれくらい経ったのか。中盤だった物語はクライマックスを迎えようとしていた。そのとき、突如としてインターフォンが鳴らされた。思わずびくりと肩を跳ねさせる。今日はもう誰の訪問もないだろうと油断していたからだ。黒子は本を置いて立ち上がる。

 相手を確認して驚いたままドアを開ける。なんと、これまで訪ねてきたことのない相手だったからだ。
「……赤司くん、」
「こんにちは。突然悪いね、お邪魔しても?」
「はあ、どうぞ。狭いところですが……」
 物珍しそうに部屋を見回す赤司。黒子も鍵をかけて後を追った。
「ふうん。いいところだね」
「……どうも」
 はたして彼の言葉を真に受けるべきか。黒子は曖昧な返事をする。それにしても何の用なのだろう。黒子がこの部屋を借りて数ヶ月経つが、今まで来たのは黄瀬や誠凛のチームメイトたちが多かった。皆近場に住んでいるからだろう。
 そうでなくても集まって遊ぶこともある。その際に声をかけるのが赤司であったり緑間であったり、紫原や桃井もそうだった。ちなみに、火神や青峰はアメリカにいるのでそうもいかない。何故か帰国したら招待する約束はしているが。
 黒子にとって赤司は恩人であり友人でありライバルではあるが、どうしても距離を感じていたのは否めない。中学時代はよく緑間と行動を共にしていたのを知っているし、高校時代は物理的に距離があったため会っていた時間はわずかといえる。
 そんなだから黒子から声をかける機会も多くなかったし、また赤司からも同様だった。
 だからこそ、黒子は今驚愕を隠せず瞬きを繰り返していた。どうしてここに。ついこぼれた疑問に赤司は心底不思議そうに首を傾げる。
「来ては駄目だったか?」
「いえ……そんなことはないですけど……あっ、でも次からは連絡してくれると有り難いです」
「ああ、そうだね。アポイントをとるのは大事だ。でも黄瀬たちはしてないんだろう?」
「なんで知ってるんです……というか、知ってたならメッセージのひとつくらい飛ばしてくださいよ」
「いいじゃないか。オレもやってみたかったんだよ」
 赤司から発せられた台詞が意外で、黒子はまたしても目を見開いた。なんだろう。まるで友人としてのコミュニケーションを試しているみたいだ。
「まあ、今日のところはいいですけど……ボクも暇してましたし」
「それは良かった」
「ところで何か用事でも?」
「いや。興味があっただけだよ。いつまで経っても招待してくれないから」
「え。誘ってよかったんですか?」
「…………」
 赤司の不満そうな顔は言葉にされなくとも返答として成り立っていた。
「……はあ。そこまで他人行儀な態度をされるとはね……」
「そ、そんなつもりじゃなかったんですが」
 慌てた様子がますますお気に召さなかったらしい。じとりと据わった眼差しが黒子を射抜く。だが黒子としては「そんなことを言われても」と反論したかった。
「こうなったら、直球にいった方がよさそうだ」
「はい?」
「黒子、好きだよ。さっきは用事がない、というような返しをしたが、本当はそれを伝えにきた」
「……えっ……?」
「うん、どうやらきちんと伝わっているみたいだね。これで何処に、なんてありきたりな返答をされたらオレは途方に暮れていたかもしれない」
「いや、あの……っ」
「今日はそれだけだ。返事は急かさないからゆっくり考えてほしい。まあ、その間にオレは存分にアプローチをさせてもらうけど」
「ちょっ、」
 好き勝手喋り倒した赤司は「じゃあね」と言ってあっさり帰っていった。残された黒子は呆然と立ち尽くす。
「…………アプローチなんてされなくても、返事は決まってるんですけど…………」
 恩人、友人、ライバル、そこに加わる想いなどとっくに自覚していた。だから距離感を気にしていたというのに。

 ピピピ、と。すっかり作っていたことを忘れていたビーフシチューが完成したことを、タイマーが律儀に黒子に知らせてくれていた。



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