明日が待ち遠しい、なんて


※中学生



「黒子、」
「どうしました? 赤司君」
 以前まではこうして赤司が話しかけると途端に花を咲かせたみたいな笑顔を見せていた黒子だが、闘志を秘めろと教えたあの日からはすっかり目にしなくなってしまった。
 それに気がついていながらも直接問う機会を窺っているうちに新たに黄瀬が一軍に入り、より一層賑やかになったレギュラーメンバー。そして浮き彫りになった黒子の感情の薄さ。ついに赤司は黒子に疑問をぶつけたのだった。

「あれは試合中の話だろ」
「えっそうなんですか?」
「…………確かに、普段からやっていれば技術も磨かれるだろうが……」
 そうして返ってきたのが「赤司君が教えてくれたんじゃないですか」というひとこと。察してはいたがやはりあの発言がきっかけらしい。赤司としては試合中のみのつもりだったが、黒子は無表情を標準装備にしてしまった。そもそも黒子はもとから感情表現が薄かった。というのにさらに感情を秘められてしまえば静かとしか言いようがないほど。
 本当は、分かりづらいながらもころころと表情を変える黒子が好きだった。だから現状はどうにもいただけない。惜しいと思ってしまったのだ。
「試合中だけってのはできないのか」
「そう言われましても……難しいです」
 赤司が言っても黒子は眉を下げるだけだった。
 わずかな変化だとしても赤司の眼はその違いを見極めることができる。だからといって、黒子の笑顔が見たいという気持ちがなくなるわけではない。むしろ強くなる一方だ。
(それなら……)
 声に不思議がる色を乗せながら「赤司君?」と黒子に問いかけられたが、赤司は思考の海に沈んでいてあいにく答えられそうになかった。





 ──見られないのなら引き出せばいいのだ。翌日からの赤司はさっそく行動に出た。
「黒子、このあと時間大丈夫か?」
「えっ。……大丈夫、ですけど……」
 部活終了後、それぞれがへとへとになった身体をなんとか動かし着替えているなか、赤司は黒子に声を掛けた。
 ぱちぱちと目を瞬かせているのは驚いているからだろう。ほんの少し表情を変えられたことに赤司は自然と口角を吊り上げた。
「テツ、なんかやらかしたのか?」
「失礼ですね、キミと一緒にしないでくださいよ」
「そうっスよ青峰っち、黒子っちがやらかすわけないでしょ」
「あァ? やんのか黄瀬ェ!!」
 途端にぎゃあぎゃあと騒ぎだす青峰と黄瀬。発端だというのにすっかり忘れ去られて、そそくさとふたりから離れた黒子はこちらに近づいてきた。
「青峰君にはああ言いましたが、ボク何もしてませんよね……?」
「え、そこの心配してたの?」
「だって、赤司君から誘われるなんて珍しいですし……部室で構いませんか?」
「いや。マジバに行こう」
「えっ!?」
 黒子は今度こそ目を丸くした。そして驚いたのは黒子だけではなく、周りもしんと静まり返って赤司を見ていた。先程まで喧嘩していたふたりですら、だ。
「どしたの赤ちん、めずらし〜」
「お前が寄り道を提案するなど……明日は雨か?」
 こういう場面では特に口出しせずに見ているだけ、といったことが多い紫原や緑間まで動揺を見せている。赤司はつい首を傾げた。
「オレがマジバに行くことがそんなにおかしいか?」
「少なくとも、今まで赤司君が自ら提案したことはなかったので」
「だな。来たことはあってもオレらについてきただけだったろ」
「もしかしてああいうトコ苦手なのかな〜と思ってたっス」
 赤司の疑問に各々が答えて、同意するように首を振っている。緑間と紫原まで同様の態度をしていることからこの場にいる全員からそう思われていたことを悟り、赤司は少し複雑だった。
「……いつもはお前達が先に言い出すから機会がなかっただけだ」
「忙しいと断られるのも適当な口実かと」
「それは本当に時間がなかっただけだ」
 そうなんですか、と言った黒子は逡巡するような間を空けて「では今度からは遠慮なく誘いますね」と微笑んだ。
 それは予想のしていなかったもので、赤司は一瞬固まってしまった。赤司の考えとしてはマジバでバニラシェイクを奢り、そこで初めて笑顔を引き出す予定だったのだ。それなのにいきなり目にすることが叶ってしまい、心臓は一際大きな音を立てている。
 そんな赤司に微塵も気づいていないのだろう。黒子はさっさと自身のロッカーの前に戻っていってしまう。未だドッ、ドッ、と暴れ回る心臓に落ち着けと言い聞かせ、赤司は平静を装って着替えを再開した。

 赤司は黒子だけを誘ったつもりだったのに、結局その場にいた全員がついてきたためにいつもの如く六人でマジバーガーに足を踏み入れる。皆と馬鹿騒ぎするのは嫌いではないのだが、なんとなく面白くないと感じるのは何故だろう。
 大量に注文する青峰と紫原から順番に並ぶ。五番目に並んだ赤司は自身の分に追加して黒子用にバニラシェイクを注文した。背後から驚いた声があがったのは聞き間違いではない。そのまま黒子の袖を引いて端へ移動する。
「あの、ボクまだ注文が」
「それなら今済ませただろう」
「あっあれボクの分だったんですか!?」
 慌てて財布を取り出そうとする黒子を止め、赤司は用意していた台詞をすらすらと並べ立てる。
「オレが誘ったんだからこれくらいいいじゃないか」
「でも、」
「教育係お疲れさま、の意を込めたんだが貰ってくれないのか?」
 赤司が意識して小首を捻ると黒子は見るからに言葉に詰まった。
「あれは別に……ああもう分かりましたよ。有り難く頂戴します!」
「それは良かった。あ、他の奴らには内緒な」
 ウインクして人差し指を立てる。黒子はわずかに眉間にしわを作って「……赤司君って、そういうところありますよね……」と呟いた。言われた意味が理解できなかったが尋ねる前に店員から呼ばれてしまったために聞き返すタイミングを失ってしまった。

 トレイに乗ったシェイクをその場で受け渡す。黒子は丁寧に「ありがとうございます」と礼を告げ、ほわりと顔を綻ばせた。それこそがまさに赤司が見たかったもの。謎の達成感と、それからふわふわとした浮遊感に似たあたたかい感情。それらを己の中で上手く噛み砕けないまま赤司たちはすでに四人が座る席に向かう。
 そのあとはいつものように六人で喋っていたので、今感じたものについて考える暇もなかった。

 シェイクのみの黒子を除いた全員のトレイが空になりつつある頃。黒子はふわ、とあくびをもらした。向かいにいた赤司は当然その様子を目撃する。
「眠いのか?」
「ん……少し」
「思えば口数も少なくなっていたな。そろそろ帰るとしよう」
 赤司のひとことに全員が席を立ち、ぞろぞろと店を出ていく。歩きながら黄瀬が「黒子っち、眠いなら早く言ってくれればよかったのに〜」と口を尖らせた。
「みなさん楽しそうでしたので」
「そんなエンリョしなくても」
「そもそもお前が一番はしゃいでいたのだよ」
「黄瀬ちんうるさかったね〜」
「なんでオレが責められる流れになってんの!?」
 黄瀬たちのじゃれあいを横目に赤司が隣を覗き込む。
「真正面にいたのに気づけなかったオレも悪かったな」
「いえそんな、」
 「ほら、ボクってあんまり顔に出ませんし」と。おそらく気にするなと言いたかったのだろう。だがその前に、黒子の隣にいた青峰が口を挟んだ。

「そうか? まあ確かにテツって何考えてっか分かりづれーけど、全然読めねえってこともねえだろ」

 青峰の言葉に、表には出さなかったが赤司は内心目から鱗が落ちる思いだった。今の出来事についてではない。これまですべてを振り返ってのことだった。
 確かに、昨日今日だけでも赤司は黒子の表情の変化はきちんと読み取れていた。それは赤司が、黒子と真に向き合っていたからだろう。
(……オレはまだ心の何処かで、黒子との間に壁を作っていたというのか……)
 自分の冷たさに我ながらショックを受けた。己がそんな人間だと理解していたし、意図的に他人と距離をとっていた面もある。それでも、レギュラーメンバーに対しては素の赤司征十郎として向き合っていたつもりだったからだ。
 ひそかに悄然とする赤司の心情を知ってか知らずか、当の本人である黒子が口を開く。
「でもボク、赤司君の前だと特に気を張っていたかもしれません」
 ──だがそれは今の赤司にはとても重い一撃で、なかなかの衝撃をもたらしてくれた。
「……それは、オレが邪魔だとかそういう……」
「えっ、そんな訳ないじゃないですか! すみません誤解を招く言い方をしましたね」
 顎に指を添え、ええと、と黒子は続ける。
「最初の頃は恩人ということで緊張していて……最近は、友人になれたと思っていたつもりなんですけど、……慣れですかね」
 まるで悪気のない発言にすっかり気が抜けた。ほっとした、のだと思う。
「テツでも赤司相手にンなこと思ったりすんだな」
「ちょっと青峰く、」
「青峰」
「げっ、悪かったって」
「……先程の発言は聞かなかったことにしてやる」
 今の赤司は機嫌がいい。油断すると鼻歌でもうたってしまいそうだった。青峰が「なんだ? 逆に怖ぇんだけど……」とまた余計な失言を繰り返そうとしたところで黒子に肘鉄を食らっている。黒子に免じて特別に今のも見逃そう。

 そんな会話をしているうちにあっという間に分かれ道にたどり着き、じゃあここで、と皆帰路についていく。それぞれの背中が遠ざかっていくなかで何故か、黒子だけはその場に留まっていた。
「……黒子? 帰らないのか?」
 動き出さない黒子に気づいて同じく残っていた赤司が振り向く。黒子は俯いており、こちらから表情は窺えなかった。
「…………さっき、ひとつ言いそびれたことがあるんです」
「うん?」
「ボクが赤司君の前でだけ、気を張っていた理由です」
 さあ、と風が吹く。傍らの車道を何台もの車が走り抜けていった。
「──好きなひとを前にして、顔が緩まないよう気をつけていたからです」
 やはり赤司の位置からは黒子の顔が見えない。けれどそれで良かった。何故なら赤司もまた、今の顔を黒子に見られたくなかったからだ。
 黒子はそれだけを告げると逃げるように走り去っていってしまった。赤司なら彼に追いつくことは容易いだろう。けれど、赤司はその場に足を縫い付けられたみたいに動けなかった。
 ──好きなひと。その単語だけがぐるぐると頭の中を駆け巡っている。
 あれが告白というのなら、赤司の返答はもう決まっていた。

 思い至ったのだ。どうして黒子の笑顔が見たかったのか、その理由に。
 早々に驚いた顔は見られたのだから、無表情を崩すだけならそれで良かったはず。だというのに笑顔にこだわったのは、つまりそういうことだったのだ。
「そうか、……オレはただ、黒子の笑った顔が見たかったのか……」
 それは相手のことを好きだから、以外に何があるのだろう。
 学校を出た際についてきた皆の姿に、ふたりきりのつもりでいた赤司がモヤモヤしていた気持ちにも納得がいく。それ以前に覚えていた違和感も、考えればたったひとつの感情と結びつくのはもう面白いとすら思えた。どうして自力で答えにたどり着けなかったのか、という自身の滑稽さも含めて。
 すっきりした顔で、赤司は足取り軽く帰り道を進む。頭にあるのはすでに明日のプランについて、だ。
 黒子はミスディレクションを駆使して赤司から逃げ回るかもしれない。それとも、男前な彼は堂々と現れるのだろうか。どちらにしろ赤司がやることはひとつしかない。捕まえて、返事をする。そんな赤司に黒子がどんな反応を示すのか、ただただ楽しみだった。
 できれば、その瞬間見るのは笑顔がいい。柄にもなく浮き立つ赤司が思い描いたのは、頬をピンク色に染めて破顔する黒子のすがただった。



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