ねこのひ


※年齢操作



「にゃーん、です」
「……急にどうした」
「やめてくださいよ、冷静に返すの。ほら、今日って猫の日じゃないですか? だからこう……乗ってみようかなと思ったんですけど」
 ああ、と頷きながら赤司はカレンダーを仰ぎ見た。二月二十二日。暦上は特にこれといった祝日などではないが、何かと遊び心を持たせがちな日本人はこの日をにゃんにゃんにゃんの語呂合わせで猫の日と呼ぶのだと、いつかのニュースで見たことをたった今思い出した。
 とはいえまさか黒子がそのようなイベント事に乗るような性格だったとは思わず、赤司はすぐに彼の意図を察せなかった。突然可愛いことを言い出したな、とは思ったが。
「もしかして知りませんでした?」
「いや。そんなことはないが」
「はあー……さすが赤司征十郎、雑学にも強い」
「何だそれは」
 途端つまらなさそうにため息を吐く黒子に赤司は片眉を上げた。敬語だし普段は物腰の柔らかい黒子だが、たまにこうやって失礼な物言いをしてくる。それがまた赤司の好奇心を擽るのだけれども、それはそれこれはこれ。カチンとくるものはある。まあ長続きしない程度の苛立ちなのだが。
「だいたい、オレにどんな反応を求めてたんだ」
「そうですねぇ……多少は動揺しないかなと思ったんですが、どうやらボクの考えが甘かったみたいです」
「お前はオレの何を狙っているというんだ……?」
 まるで試合中のような真剣な眼差しでこちらを見つめてくるので赤司は呆れを通り越して疑問を浮かべてしまう。まったく、本当に黒子の思考は読みづらい。
「まあそれはさておき、」
「ええ……?」
「じゃーん。どうです? これ、可愛いでしょう」
 分かりづらいながらも少しだけ微笑みを浮かべた黒子が赤司の死角になっていた位置から取り出したのは、猫のイラストがあしらわれたマグカップだった。見れば瞳の赤い白猫が寝転がっている。そのゆるさに、赤司は笑いを堪えきれずにフッ、とふきだす。
「……っそれ、わざわざ猫の日だからって買ってきたのか?」
「えぇまあ……と、言いたいところなんですが、実はここでひとつ赤司君に告白があります」
「なんだ、言ってみろ」
「わぁ、その感じ久しぶりですね。ちょっとだけ背筋が寒くなりました」
 相変わらず真顔で嘘だか本当だか分からないことを宣う。そのまま、黒子は少しだけ躊躇いつつ口を割った。
「……キミが愛用しているマグカップを割ってしまいました」
「えっ」
 赤司はつい食器棚の方を振り返った。そして、取り出しやすいよう二段目の手前に存在していたはずのそれのすがたが消えていることを確認してから、再び黒子を見遣った。犯人は赤司の視線に気がつくと下手くそな笑みを浮かべた。
「……ったく、怪我はしてないか」
「は、はい。まったく、全然、ちっとも」
「そりゃ結構。じゃあいいよ」
「えっいいんですか?」
「うん。別に、こだわりがあって使っていた訳ではないからね」
 これは本心だった。この家に引っ越してきたあとの買い出しで、適当にカゴに入れたもの。あれから数年経っているが別に買い換える必要性もなかったのでそのまま使用していた。
 赤司は、あるものを除けば基本的に物に執着しない。使えるなら使うし、壊れたら新しい物に代える。そういう、当たり前の価値観をしている。
 だから黒子が物々しい雰囲気でマグカップを割ったと告白されたところで、返答は「そうか」としか言いようがなかった。あまりに雰囲気と告白の内容が合っていなかったせいで一瞬理解が追いつかなかった程である。
 おまけに何かと赤司の心を振り回す黒子だ。むしろ心配の方が勝り、つい先程のような台詞が出てしまったのである。まるで子どもに掛けるようなものだったが。
「それよりもお前に物を贈ってもらえたことの方が嬉しいな。ありがとう、大切にするよ」
「そ、れは、ありがとう、ございます……?」
 受け取りながら、微笑する赤司を黒子は複雑そうに見守った。おそらく赤司に怒られるだろうと思っていたのに逆に感謝されたからだろう。ホッとしたような、釈然としないような面持ちで手持ち無沙汰に視線を彷徨わせている。
 一方の赤司は、そんな黒子の様子を正確に読み取っておきながら、しかしそちらを気にする素振りを見せずにマグカップに夢中になっていた。なんたって、述べた感想は紛れもなく赤司自身の今の気持ちだからだ。
 誕生日などのイベントで贈り物を貰う機会はあった。だが普段は貸し借りなしだとばかりに何もないし、赤司からも贈らせてもらえない。そのことに不満がないと言えば嘘になるが、かといってわざわざ取り上げる程の話題でもなかった。
 今回だって黒子としてはそれらのイベントに並ぶ出来事だったのだろう。しかし、赤司にとってはきっかけは些細なもので『黒子から贈り物をされた』という方が余程重要だった。
 ──そう、赤司が執着するのはいつだって黒子に関する事項だけなのである。
 マグカップを手にしてくるくると回す。もちろん手を滑らせないよう慎重に、だ。見れば見る程うずうずとした気持ちが湧き上がってくるのを、赤司はしっかりと自覚していた。まるで与えられた玩具を自慢したくて堪らないのに、ひとに見せるには惜しいと感じてしまう、なんとも言えない焦れったさを感じている。
「……あ、あの、赤司君? そんなに見つめられると恥ずかしいのですが」
「その台詞は今じゃない。……うん、いいな」
 ひとりごとのように呟く赤司に黒子は今度こそ耐えきれなかったようで、両手で顔を覆ってしまった。「……やめてください……」と口からもれ出た声は消え入りそうな程。
「……ボクは今、恋人に言葉を失うくらい感激されて、あまりの自分の不甲斐無さに消えたいんですよ。分かります?」
「分からない」
「ええそうでしょうね、そうでしょうとも。なんたって赤司君は昔から完璧なくらい素敵な恋人ですから。おかげでボクは何度キミに惚れ直したか」
「オレは今怒られているのか褒められているのか」
「両方ですね」
「そうか」
 軽口を交わしているうちに黒子も調子を取り戻したらしく、ようやく上げられた顔はいくらかいつもどおりの無表情になっている。それに安心するやら少しだけ残念に思うやら。赤司は音も立てず丁寧にマグカップをテーブルの上に置くと、そのまま黒子の身体を押し倒した。クッション部分の柔らかいソファーは主たちを難なく受け止める。
「おや?」
「ところで黒子」
「はい、なんでしょう。ボクはこの状況に早急な説明を求めますが」
「さっきの。猫の真似がとても可愛かった」
「…………今!? 時間差ですか!?」
「タイミングを見計らっていたんだ」
「なんですかそれ! 怖い!」
 だから、と赤司は続ける。
「意識が保っている間だけでいいからやってくれ」
「ずっと!? 嫌ですけど!?」
「なんで」
「恥ずかしいからに決まっているでしょう!!」
「お、今度は台詞を間違えなかったな」
「会話を!!」
 とはいえ、黒子の抗議も口だけのものであった。目元をわずかに赤に染めながらもたいした抵抗はしてこないので気を良くして行為を進める。数度首筋にキスを落とすと「、んっ」と甘い声があがった。
「…………しょうがないですね。マグカップも、お詫びにもならなかったみたいですし」
「そんなことないよ。すごく嬉しかった」
「思ってたのと違う反応なんですよねぇ……」
 黒子は遠い目をしながら答えた。赤司はそれを聞き流しつつ服の下に手を差し込む。
「ボクのとっておきの『にゃー』を聞きたかったら、せいぜい手加減をすることですね」
「やけに男前だ」
「フフン、腹を括りましたから」
 色気もムードもあったものじゃない。それでも赤司には確かに煽られるものがあって、今度はお喋りの止まらない口を自らの口で塞いだ。

 赤司が何度黒子の『にゃー』を聞けたか、詳細は伏せさせてもらうが、たまにはこういうのもいいかもしれないと思ったことは記しておく。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -