甘さ控えめくらいがちょうどいい


※最終回後



「カイト! あのさ、明日とか」
『悪いが明日は……』
「そ、そっか! 忙しいときにゴメン、じゃあな!」
 通話を切り、D・ゲイザーをカチャリと外す。はああ、と大きめのため息が出てしまったのは、遊馬がカイトに誘いを断られてしまったからに他ならない。もうこれで何度目だろうか。十回を超えたところで数えるのをやめてしまったので正確な回数は分からない。

 ──天城カイトは、基本的に弟のハルト以外には塩対応である。それがもっぱら周囲の認識であった。
 たとえそれが恋人の遊馬に対してもその態度は変わらない。彼が甘い言葉を囁いて優しく微笑む姿を見た者がいなかったためだ。だがそれは人前で見せないだけであって、きっと遊馬とふたりきりになった際には存分に甘やかしているのであろう。それはふたりが付き合うことになったときに報告を受けた皆が想像していることだった。
 しかし実際はというと、カイトと遊馬が恋人らしいことをしたことなど皆無といってもよかった。何度か遊馬からお願いして手を繋いだり抱きしめてもらったことはあったが、逆に言うとそれしかないともいえるのである。
 世の恋人たちと自分たちは違う。それは性別の問題もあるだろうが、それ以前の問題でもある気がすると、そういった知識に疎い遊馬でさえもさすがに気がつき始めていた。それでも、遊馬にできたのはどうにかカイトと過ごす約束を取り付けようと試みるしか現状を打破する手段を持ち合わせていなかった。結果は、失敗に終わってばかりなのだけれども。
「……カイトって、ホントにオレのこと好きなのかなー……」
 思わずぽつりと溢れたひとりごとにハッと我に返る。自分は今何を考えてしまったのか。ぶんぶんと首を横に振って先程の考えを振り払う。カイトの気持ちを疑うなど恋人以前に仲間として失格だ。
 確かに想いを告げたのは遊馬からであったが、カイトも好きだと言ってくれたではないか。まあ、聞けたのはあれきりだったのだが。
「……まさか、だろ……」
 再び嫌な可能性が脳裏に浮かび上がる。もしやもう遊馬に対し好意がなくなってしまったのだろうか。だから忙しさを理由にして遊馬の誘いを断っているのかもしれない。
「っ、カイトならそんな回りくどいことしねーだろ! 嫌なら嫌って直接言う、よな……?」
 自問自答を繰り返し、次第に気分が落ち込んでいく。聞いている者がいないからと「カイトのばか、あほ、」と行き場のない文句をもらした。それも虚しくなって、遊馬はガックリと肩を落とす。
 なんだかんだいって、遊馬もカイトに秘密にしていることがあったのだ。

 遊馬は表情や行動で感情を表に出すのに長けているが、唯一『さびしい』という気持ちだけは隠してしまう悪癖があった。幼少期に両親が行方不明になってしまい、甘えるという行為を抑え込んで育ってきたせいだろう。
 だが両親の記憶はあったし、姉と祖母だっていたから誰が悪いなんてなく、仕方のないことだったのだ。

 要は、遊馬はカイトに『さびしい』が言えず、カイトもそれを察知することもできず、結果的に遊馬の心のなかには溜め込んだ感情が着々と積もっている状況なのだ。
 きっと遊馬がひとこと伝えれば、優しいカイトなら時間をつくってくれるのだと思う。それでも遊馬はカイトが研究に追われているのが事実だと知っていたので、どうしても無理を言うことができなかった。

 何事にも限度がある。知らぬ間に遊馬の心はすでに『さびしい』でいっぱいになっていた。それが決壊し溢れてしまうのは必然だったのだ。



  ◇  ◇  ◇



 カイトは己の態度が遊馬を落ち込ませていることなどとっくに気がついていた。が、それとこれとは話が別で、じゃあ付き合うことになったからこれからは態度を変える、というわけにはいかなかった。それは自身の性格であったり、年齢差ゆえの諸々の葛藤であったりとカイトなりに理由があったのだが、当然それを遊馬に伝えているわけもなく。
(……こんなザマではいつ遊馬に見限られてもおかしくないな)
 視線は目の前の資料に向けながらも、考えてしまうのは遊馬のこと。今日はもう駄目だと見切りをつけ、カイトは資料の束を机上へ投げた。
 こんなことなら昨夜遊馬から誘われたときに了承しておけばよかったと後悔した。せっかくの遊馬からの通話は、もう既に幾度となく悲しそうな声で終わらせている。やはり自分なんかが遊馬の恋人になったのは間違いであったのかもしれない。
「ごめんね兄さん、ちょっといい?」
「ハルト? どうしたんだ」
 カイトが思考に浸っていると、シュンと開いた扉から控えめにハルトが顔を覗かせた。すぐさま立ち上がり弟のもとへ歩み寄る。
「もしかしてお仕事の邪魔しちゃった?」
「いや、ちょうど一息ついたところだ」
「そっか、よかった。あのね、遊馬のことが少し気になったから……」
「……遊馬?」
「うん」
 今の今までカイトの脳裏を占めていた恋人の名前を出されて目を丸くする。どういうことかと聞いてみれば、ハルトは「さっきまで遊馬と通話してたんだけど、」と前置きして話し出した。

『なあ、その……ハルトはフェイカーとか……カイトに甘えたりしてるのか?』
「急にどうしたの?」
 それまで今日のかっとビングやら凌牙やアリトとしたデュエルについて楽しそうに喋っていた遊馬が間を置いて切り出した話題がそれだった。突然だとは思ったがそれ以上の疑問は覚えずハルトは遊馬に続きを促す。
『エッ!? ええと……そう! オレの父ちゃんたち帰ってきてくれただろ? でも久しぶりだから色々悩んじゃうというか……』
「遊馬もそういうことがあるんだね。……うーん、でもボクの場合は参考にならないんじゃないかなあ」
『え? なんで?』
「父さん、はともかく、兄さんはボクが何か言う前に甘やかしてくれるから……」
 たとえば、ハルトが寒さを感じる前にブランケットを持ってきてくれたりココアをいれてくれるだとか、雨の日にはキャラメルを用意してどことなく気遣う優しい気配をさせているとか。言い出せばきりがないが、とにかくカイトのハルトに対する態度は少々過保護ともとれるかもしれないほどのものだ。ハルトもそれが嬉しいと思っているので「兄さんは心配性だなあ」で済ませている。
 それらを思い浮かべて告げると遊馬は納得、とばかりに相槌を打った。
『あ〜〜、確かに。それっぽい』
「ふふ。ってことは兄さん、遊馬にもそうなんだね」
『ぅえ!? ……お、おう!』
 てっきり遊馬も同意したのかと思いハルトは笑って、それからいくつか言葉を交わして通話を終えたという。
 だがその後遊馬との会話を思い起こして、彼が両親とギクシャクする様子なんて想像できないと思った。そして、兄の名前を出した瞬間の態度に違和感を抱かずにはいられなかった。もしかして兄と喧嘩でもしてしまったのかと心配してカイトに尋ねにきたのだそうだ。
 話を聞き第一にカイトが覚えたのは、やはり遊馬の心はもう離れていっているのかもしれないという疑念からくる動揺だった。カイトの態度はさすがの遊馬も愛想を尽かすものだったのだ。
「兄さん?」
「……喧嘩は、していない」
「ってことは兄さんが遊馬を怒らせちゃったの? あの遊馬を?」
「ぐっ……」
 純粋な目のハルトから繰り出された疑問にカイトは自身のライフポイントが減る音を聞いた。
「遊馬、もう家に遊びに来てくれなくなっちゃう……?」
「それは、」
 有り得ない、とも言い切れなかった。カイトは言葉を詰まらせ密かに拳を握りしめる。このまま放置できるような事項ではなく、カイトはオービタルを呼びつける。
「カイト様?」
「少し出掛ける。資料の整理をしておけ」
「ハハッ! しかしどちらヘ……」
「遊馬のところに行くんだよね!」
 ニッコリと笑みを浮かべ兄の意図を見抜くハルトにカイトはかすかではあったが頷いた。「頑張ってね、兄さん」と励ましてくれた弟へ微笑み返し頭をひと撫ですると、カイトは足早にその場を後にした。

 九十九家へ向かうのに飛んだ方が早いと分かっていても、遊馬とふたりきりで話をしなければと思うとオービタルは置いてくるしかなかった。
 ほとんど勢いで飛び出したようなものだったので、遊馬に連絡をしていなかったと気がついたのは目的地にたどり着いてから。我ながら計画性のなさに呆れてしまう。友人の多い遊馬のことだ、誰かと出掛けている可能性だって十二分にありうる。
 遊馬本人に尋ねるしかないか、とカイトが端末を取り出したところで、消え入りそうな声が「カイト……?」と己の名を呼んだのを耳にした。
 弾かれるように顔を上げると、屋根裏部屋の窓からこちらを見る真紅がカイトと目が合った途端に揺れた。
「なんでここに……今日は忙しいんじゃなかったのか?」
「……お前と、話がしたくて来た」
 距離があったうえにカイトの声量は普段どおりだったために、はたして遊馬に届くのかと思ったが杞憂であったらしい。一度顔を引っ込めた遊馬が階段を下りる音が、屋外にいるというのにこちらまで聞こえてきた。その騒がしさについ笑みを深めてしまう。この騒がしさを賑やかと捉えるようになったのも悪くないと思えるのは、そうさせてくれた相手が遊馬だからか。
「カイト!」
 慌てたようすで玄関から飛び出してきた遊馬に視線だけで促す。とん、とん、と跳ねるような軽い足取りで近づいてきた遊馬の手を取り歩きだす。隣から戸惑った気配が感じられたが構ってやれそうになかった。

 行き先も決めず歩いていたが、河川敷まで来ると歩みは自然と止まった。ふたりの間に沈黙が落ちる。カイトが誘い出したのだからこちらから切り出すべきであるのに、どうにもかけるべき言葉が浮かばない。どの面下げて今更遊馬に請おうというのか。そんな思いがカイトの胸中を過ぎった。
「……なあ」
「!」
 内心でくだを巻いているカイトを知ってか知らずか、遊馬のほうが先に口を開いた。その声がいつもの遊馬の声に比べて沈んでいる、とカイトが気がつくのと、遊馬が話しだすのは同時だった。
「……オレ、もうカイトと付き合うのはムリかも……」
 内容があまりにも衝撃すぎたためにカイトは言葉を失う。呆然とするカイトを置いて、俯いた遊馬は続けた。
「ゴメン……これはカイトに不満があるとかじゃねえんだ、オレの問題っていうか、」
「何……?」
 あろうことかカイトに非はないという。だったらなんなのか、皆目見当がつかない。少なくともカイトの目には遊馬は恋人として完璧といってもいいのではないかと思っていた。こちらに気を使いすぎるともいえるほどカイトの事情を優先し、我儘という我儘も聞いた覚えがない。
 そこまで考えて、カイトは息を呑んだ。そうだ。遊馬にはいつも我慢させてばかりで何か叶えてやれたことはあっただろうか。
 また自身の不甲斐なさに気がついてしまうが、これも遊馬が離れようとする原因ではないらしい。とにかく訳を聞き出さねばなるまいとカイトは遊馬に問う。手放すべきだと分かっているのに、まだ未練がましい心が残っているせいだ。
「……どういうことだ」
「い、言いたくねえ!」
「言え」
「イヤだ!」
 手のひらで口を覆いぶんぶんと首を横に振る遊馬の意思は固そうだった。もしかするとカイトが原因ではないというのは遊馬なりの優しさで、やはりカイトに嫌気がさしただけなのかもしれない。そう思うと無理に聞き出すことは憚られた。
「……そうか」
「……か、カイトは? オレに何か話があったんじゃねえの?」
「…………」
 今更だと思った。遊馬が別れたがっていると知ってしまった以上、カイトの話はすでに終わっているようなものだ。みっともなく縋りついたとて遊馬を困らせるだけにしかならない。
 だが、このまま誤解されたままでいいのかという疑問が浮かんだ。弁明なんてするつもりはないが、それでも天城カイトは確かに九十九遊馬のことを好きだったという事実はきちんと伝えておくべきなのではないかと思ったのだ。たとえそれが身勝手だと糾弾されようとも。
「……お前に好意を伝えていなかったと気がついた。今まですまなかったな。やはりお前にはオレより相応しい奴が、」
「え、えっ!? カイトってオレのこと好きなのか!?」
「は?」
「う……だってさあ……!」
 思わず出た声は温度のないものだったが、遊馬がそう思ってしまうのも無理はないほどにカイトの態度が悪かったといえるのだろう。こちらを見上げる遊馬の目は心做しか潤んでおり、罪悪感からカイトは言葉を詰まらせる。
「…………悪かった」
 かろうじて絞りだした謝罪を、遊馬はその懐の深さから簡単に受け入れてしまった。
「いや、カイトが素直じゃねえってのは知ってたのにオレが信じきれなかっただけだからさ!」
「遊馬……」
「な、なあ、やっぱりさっきのナシでいい……? カイトがイヤじゃなきゃ別れたくない……」
 視線を彷徨わせたあと不安げに瞳を揺らす顔を見せられ、カイトは躊躇った。遊馬のためにと決めたはずだ。なのに、またこの手を取っても良いのだろうか。同じ過ちを繰り返してしまうのではないか。そんな不安が頭を過ぎったが、結局カイトには遊馬を拒むなんてできるはずがなかったのである。
 ならばせめて今度こそは、と誓う。そのためにも遊馬には口を割ってもらわねばならない。彼が何を欲していたのか、カイトはどこまで触れてもいいのか、それを見極めるためにも。
「嫌も何も、オレが別れを切り出す理由はない」
「そっ……か、オレ、カイトと別れなくていいんだ……」
 心底ほっとしたような表情でそんないじらしいことを言うのでカイトは息を呑んだ。
「やはり、訳があったんだな」
「……あっ! えーと、その……」
 途端にしどろもどろになる遊馬は本当に隠し事ができないようだ。今度こそ観念したらしくぽつり、ぽつりと理由をこぼした。
「あのな……オレ、案外寂しがり屋だってことに気づいちまって……けど忙しいカイトに無理言うのもわりぃし……」
 ──……そういうことか。
 カイトは己の不甲斐なさに内心で何度とも知れない大きなため息を吐くこととなった。こちらが頻繁に連絡をとるなり約束を取り付けるなりするだけで遊馬はこんな悩みを抱えるはめにならずに済んだであろうことは容易に想像がつく。
 別に、と。カイトは続ける。
「無理じゃない。……部屋に籠もっているときは相手をしてやれないから、会うのはやはり難しいかもしれないが。通話なら付き合えるからいつでも掛けてこい」
「ホントか!?」
 カイトの言葉を聞きながら徐々に目を輝かせていく遊馬は聞き終えるなり「ゼッタイだぜ!?」とカイトの手を握りしめてはしゃいでいた。一瞬脳内を可愛いという感情のみに占められかける。
「遊馬」
「カイト? ……えっ?」
 自身よりひと回りは小さい身体を引き寄せ油断しきっていたであろう口端に己の唇を押し付けた。ほぼほぼキスと呼べるその行為を遊馬はすぐには理解できなかったようで、瞬きすらせずに固まった。
「…………え? え、いま、」
 次第に顔を林檎色に染め上げていく。口を手のひらで覆い一歩一歩後退るものだから、距離を縮めるようにカイトは前進する。
「なななななんでいきなりッ!?」
「お前には早かったか」
「ば、バカにすんなー!」
 カイトの胸にポカポカと拳を叩きつけながら放たれる文句を甘んじて受け入れる。なんせ遊馬の顔は真っ赤に染まり、カイトにとっては愛らしさしか感じられなかったからだ。
「これまでを反省して善処していこうと」
「だからって突然すぎるだろぉ……!」
 どうにも性急すぎたらしい。加減が難しいな、とカイトは思った。
「これからは徐々に慣れていけ」
「っどうして急に積極的なんだよ!!」
 わっ、と叫んだ遊馬に対してカイトは口には出さず答えた。急ではないんだがな、と。ただ吹っ切れただけであるが、このことは言うべきなのだろうかと思案する。
「駄目なのか」
「ダメじゃねえけど……」
「だったらいいだろう」
 未だうう、と狼狽える遊馬にカイトは口角を上げていた。素直になるのは案外簡単なことだったのかもしれないと考えながら、ぴこぴこと跳ねる髪ごと頭を撫でた。



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