旅のおわり



 端末がヴヴ、と振動してメールの受信を知らせる。手に取り確認すると相手はヨハンの想い人からだった。
『飛行機乗った。明日には会えると思う』
 いつもと変わらないあやふやな連絡。それでもあるだけマシなのだと、アカデミア時代の仲間たちから話を聞いて知った。返事がこないだとか、そもそもメールが届かず送信失敗となって返ってくるだとか。別に無視をしているというわけではなく、彼曰くしょっちゅう野宿をしているから充電できずにバッテリー切れだったり電波の届かないところにいて受信できなかったりするらしい。みんなが口々にする文句も彼を心配してのこと。それを分かっているからか集まった際には彼も毎回大人しく怒られているみたいだった。
 なんだかんだヨハンの存在は彼にとって特別に思われている自惚れてもいいのだろうかと少しニヤけながら、ヨハンは踵を返して自宅へ向かっていた足をスーパーへ向けた。最寄りのスーパーは深夜まで営業しているためまだ開いている時間だ。腹を空かせているであろう彼に腕を振るってやろうと夕食のメニューをあれこれ思い浮かべつつ脳内に買う物リストを作る。
 ──ヨハンが十代と会うのは、実に数ヶ月ぶりだった。

 数日引き籠もれるくらいには食料と日用品を買い込んだ。両手を塞ぐ荷物は重いはずなのに、ヨハンはそれを感じさせないような軽い足取りで自宅へ急ぐ。走ったところで十代はまだ到着していないというのに、すでに気が急いていた。
「……ってあれ……オレ、部屋の明かりはちゃんと消して出たぜ……?」
 きちんと消灯を確認して出たはずの家に明かりが点いている。首を傾げてキッチンに足を踏み入れたところでリビングから感じた気配にそちらを向く。
「えっ……十代!?」
「久しぶりー、邪魔してるぜ!」
 鍵は渡してあったので居ても不思議ではないのだが、メールの文章から会えるのは早くて明日だと思っていたため思わぬサプライズにヨハンは買い物袋を放り出してソファーに駆け寄った。
「着くのは明日じゃなかったのか?」
「へへ、トラップ発動! なんてな、ヨハンを驚かせようと思ってウソついた」
 イタズラが成功したせいか嬉しそうに、にししと十代が笑った。

「鍵。使ってくれたんだな」
 思えば十代が鍵を使ったのは今日が初めてだった。ふらりとやってくるのは決まってヨハンが在宅か確認してから。そのため日の目を浴びる機会もなく十代の手元で眠っていたはずだった。
「ああ。せっかく貰ってるんだし使わないと可哀想だろ?」
「よく言うぜ。十代のことだからなくしてるんじゃないかって密かに不安だったけどな」
「オイオイ……オレそんなにハクジョーなヤツだと思われてんの?」
「ははは」
「否定しろよ」
 いくらずぼらな十代とはいえ人から預かったものをそう簡単に失くすような人物だとは思っていない。けれどいつになったら使ってくれるだろうかとソワソワしていた気持ちがあったのも間違いではなかった。
 ──何しろヨハンと十代はただならぬ関係でありながら、きちんとお付き合いをしているわけではないのだから。





 あれはまだデュエルアカデミアに在籍していた頃。本校に留学生としてやってきたヨハンはあっという間に十代と意気投合した。それは精霊が見える者同士だったこととデュエルに対する思いが似通っていたのも幸いしたのだろう。
 精霊が見えるのは万丈目も同じであったが彼は素直ではないせいか打ち解けるのに時間を要してしまったし、アカデミアの生徒は皆等しくデュエル好きとはいえ寝食忘れて没頭するほどに語り合ってくれる人物なんてのはなかなか存在しなかったのである。
 つまり、ヨハンにとって十代とは稀に見る人物であった。はたしてそれを運命と呼ばずしてなんと呼ぶのだろうか。
 おかげで日々は格段に充実していった。そして十代もまた同じ考えだったのか、互いにブルー寮とレッド寮を行き来してはデュエルに明け暮れた。
 いつしか十代のことを思い浮かべるとほんのりと胸の内が温まるのだと気がついていて、その理由にも薄々見当がつき始めていた時期。その日は十代がブルー寮のヨハンの部屋を訪ねており、ふたりの満足がいくまで何度もデュエルしていた。ヨハンも十代も負けず嫌いなものだから負けた側がもう一回、もう一回と続いてしまいキリがない。気がつけば門限を過ぎていて、十代は「ヤバ」と立ち上がった。
「いっけね、もうこんな時間……また窓から出るか……」
「また!?」
「いや、前にちょっとな……じゃあなヨハン。オヤスミ」
「待てよ十代。せっかくだから泊まっていけよ」
「……え。さすがにそれはマズいだろ」
「バレなきゃ大丈夫だって!」
 ううん、としばらく悩む素振りを見せた十代だったが「まあいっか!」と楽観的にヨハンの誘いに乗った。
「ヨハンって意外と悪いヤツなんだな」
「オレはただ留学生として本校の生徒と友好を深めたいだけだぜ?」
「……そういうヘリクツを考えつくとこなんだよなァ」

 ブルー寮はレッド寮と違い設備が整っているのでそれぞれの部屋には簡易キッチンや浴室も備えられている。とはいえ材料までは用意していなかったので夕食は自身の非常食として買っておいたカップラーメンで腹を満たし、交互にシャワーを浴びた。ベッドはそこそこの広さがあるので男ふたりが寝ても余裕があった。
「久しぶりだなあ、こういうの!」
「言われてみればオレもだ。前は翔や隼人がいたけど今はひとり部屋だし」
 弾んだ声で布団に潜るヨハンに同意して十代も隣に寝転んだ。
 真横にある温もり。それは久しく感じていなかったもので、ここにきて初めてヨハンは自分が今好きなひとと同衾している事実に思い至った。逆に、どうして今まで気がつかなかったのか不思議なくらいに。
 意識すると途端に心臓がバクバクと暴れまわってうるさくなってくる。けれどまさか十代を追い出すなんてことは有り得ないし、今更自分はソファーで寝るとも言い出せない。そういえばなんで互いにベッドで共に寝ることをおかしいと感じなかったのか。ヨハンとしては嬉しい誤算にもなったけれども。
「じゅ、十代。もう寝たか……?」
 しかし隣に好きなひとが寝ている状況、そう簡単に眠れそうになかった。惜しく感じるがかくなる上は十代が寝たらこっそり移動するしかない、とヨハンは意を決して十代の方を向き話しかけた。
「どうした、ヨハン?」
 だが願いも虚しく十代は振り向きこちらを見る。明かりを消した状態でも分かるほどにバッチリと目が合った。
「や、な、なんでもない!」
「なんだよそれ……、あれ? ヨハン、顔赤くないか?」
「へ!? 気のせいだぜ!?」
「…………もしかして照れてんの?」
「!!?」
 他人の恋愛感情には疎いだろうと思っていた十代に意外なところを突かれ、ヨハンは驚いて起き上がってしまった。それが図星だと言っているようなものなのに、ヨハンは慌てて言い訳を紡ごうとする。
「この部屋暑いから!」
「暑くねーけど。春だぞ」
「見間違いじゃないか?」
「どう見ても今のヨハン、テンパってるだろーが」
「……なんだよ。今なら全部流せるだろ」
「なんで流すんだ? ……オレもヨハンと居て今こんなになってんのに」
 十代も同じく上体を起こし、ヨハンの身体に寄りかかり肩に顔を伏せた。つい手を伸ばしかけて、発言の打撃力の凄まじさに体内に電撃が走ったような衝撃が襲ってきたせいでヨハンはピタリと動きを止めた。
「じゅう、だい……?」

「はぁっ、……よはん……おれ……」
 十代の熱い吐息がヨハンの首筋を掠めた。途端、ぞくりと背筋が震える。
 シャツの裾を捲り、十代の手がヨハンの腹を撫ぜた。ようやく十代が上げた顔を覗くととろりと溶けた瞳と赤く染まる頬が視界に映り込んでくる。
 ドクリ、と心臓が脈打った。なにが、起こっているのか。もしかしてこれは都合のいい夢なのか。
 ──もう、なんでもよかった。願望が出てしまったゆえの夢ならもちろん、十代から請われているという今が現実であるなら願ったり叶ったりだと思った。
 だから今度こそ手を伸ばした。十代を押し倒して性急な手つきでシャツに手をかける。十代は抵抗しないどころか、ヨハンの首に腕をまわして抱きしめてくれた。

 その夜、ヨハンは十代とセックスをした。
 翌朝起床して昨夜の出来事が夢ではなかったと知ると怖くなったが、その後目覚めた十代がさらりと「またする?」なんて尋ねてくるのでヨハンはひどく安堵し頷いてしまった。
 それからは度々身体を重ねた。どちらの部屋にしても関係なく『泊まる』という言葉が合図だった。訪ねたほうが誘うことも、時には日が沈まないうちから始めるなんてことまでもあった。
 かといってヨハンは十代と付き合っている意識はなく、十代もまた同じようだった。互いに好き合っているのは理解している。それでもヨハンは十代には自由でいてほしいから、なんて言い訳をして曖昧なままの関係を続けてしまっていた。
 卒業してしまえば自然消滅するかもしれないと覚悟もしていたのだが、驚いたことに必ずヨハンのもとへ帰ってきてくれる十代に甘えて結局ずるずるとここまで来てしまった。たぶん、こんな関係が俗に言うセックスフレンドなのだろう。

 十代がヨハンの家にやってくると数日は滞在していく。そのうちのほとんどをセックスに費やし、身体を繋げていないときも十代にくっついてダラダラと自堕落な生活をして過ごす。
 数日すれば十代は満足してしまうのか、またふらりと旅に出る。寂しいと思う気持ちもあるがそんな気ままな十代が好きだったから、ヨハンはいつも笑顔で見送った。
 一緒に暮らしたい、という気持ちがないと言えば嘘になる。だがヨハンにはそのひとことを伝える勇気がどうしても湧いてこなかった。もしヨハンの気持ちをはっきりさせて、それがきっかけで十代との関係が切れてしまうほうが嫌だったからだ。





 今回もまたいつもどおりセックスして、数日経つと十代を見送る日を迎えるのだろう。そんなヨハンの予想を裏切るのはやはり十代でしかなかった。
 ヨハンががっついたせいで遅れて目を覚ます十代が、眠気まなこを擦りながら起き上がるさまをぼんやりと見つめていた。もはや変わらないその光景がヨハンに安堵と少しの落胆を与えるのも日常といえよう。
 健康的な肌色に紅々とした痕が目立つ。まるでそこを見せつけるみたいに十代が首筋に触れる。「ヨハン、見過ぎ」そう言って視線だけをこちらに向け歯を見せる表情には少年らしさが垣間見えて扇情的だった。
「あ、そうだ」
「……うん?」
「オレさー、そろそろ身固めようかなって思ってんだけど、」
「ふーん…………は、はあッ!!?」
「うわびっくりした」
 急に大声出すなよと文句を言ってくる十代には猛烈に抗議したい。平然としたままする発言ではないからだ。
 誰と、だとか、どうして急に、とか。問い詰めたい言葉たちがヨハンの脳を駆け巡った。何度も口を開閉させて声にしようとするが上手くいかない。
 時間をかけてなんとか絞り出せたのは情けない声で、取り繕うこともできない本音だった。
「捨て、ないでくれよ……」
「は?」
「ばかじゅうだい、ひどい、おれのしたであんなによがっておいて、いまさらべつのやつのところに、」
「おいっ、ヨハン!」
「へあ?」
 ガツッ、と。固い物同士がぶつかる音と衝撃、それからやわらかな感触、目の前には十代。すぐにキスされているのだと理解した。
「……ッいった……」
「十代お前、キス下手くそだな……」
「〜〜〜っうるせー! そうだよ! 誰かさんがなんの意地張ってたんだか知らねえけどキスしてくんねーから!」
「……オレのせい?」
 ──そう、確かに。ヨハンなりの誠意、と言えば片腹痛いのだけれど。お付き合いをしているわけではないのだから、と唇同士を重ねることだけはなかった。あんなに身体は重ねておいて、だ。
「はああぁ……ちゃんと言葉にしなかったオレも悪いけどさ。まさかヨハン以外のヤツを想像されるとは思わなかったぜ」
「……それってつまり、十代はオレと付き合ってくれるって解釈でいいのか?」
「付き合うどころか一緒に住んでほしいって頼んでる……」
 立てた膝に顎を乗せ、拗ねたように唇を尖らせた十代が言う。まさに青天の霹靂。ヨハンはあー、だとかうー、だとか意味のない音を発して現状の理解に努めた。
「夢、」
「じゃない」
「…………十代。ほんっと……格好いいのも大概にしてほしいぜ……」
「お。もっと褒めてくれたっていいんだぜ」
 ほらさあ、と十代は目を瞑る。
「オレ、もう半分人間じゃないし? こんな半端者よければ貰ってくれると助かるんだけど」
 次に開いた瞳は左右異なる色をしていた。だが、それがどうしたというのだ。
「十代は十代だぜ! 返事は、もちろん。結婚してください!」
「ひひ、喜んで。……結構照れるなコレ」
 うっすらと頬を桃色にして視線を彷徨わせる十代に、ヨハンは先程の仕返しとばかりに唇を奪ってみせた。



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