憧れが好きに変わるまで



 ちょっとした縁で知り合ったデボンコーポレーションのツワブキ社長に頼まれて、彼の息子だというひとに手紙を届けることになった。お礼とはいえポケナビを貰ってしまったし、そのひとが今いるムロタウンにはジムがあったので、ついでだからとおつかいを請け負ったのだ。
 空にはキャモメとペリッパーが優雅に飛び回りながら鳴いている。メノクラゲが漂う海を渡って訪れたムロは穏やかで、潮風が気持ちのいいところだった。ここまで船で送ってくれたハギ老人にお礼を言って、ユウキは砂浜に足をつけた。

 目当ての人物は石の洞窟にいるというのでさっそく用事を済ませてしまうことにする。聞けば洞窟はムロの端にあるらしく、ユウキは目的地に一直線で向かう。途中で目が合った釣りびとのトレーナーとバトルしつつ進んだ先にあった入り口から中に入る。洞窟内は薄暗く、なんとなくユウキはモンスターボールからジグザグマを出して抱いた。ジグザグマは「きゅう?」と不思議そうにしながらも大人しくユウキの腕のなかに収まってくれた。
 さらに奥へ進んでいくと暗闇は深くなり、ついには一歩先さえ見えなくなってしまった。ユウキはアゲハントも出して、覚えさせたばかりのフラッシュをお願いした。すると途端に周囲は明るくなったのでユウキはホッとしてジグザグマを地面に下ろす。じっとこちらを見つめる視線には「もうおれをだっこしなくていいのか」と問いかける意図があったように思えたのは気のせいだっただろうか。
 明かりに誘われるように襲ってくる野生のイシツブテやズバットを倒しては進み、戦ってくれたポケモンたちの体力を回復するために休憩を挟む。そうすると思ったよりも時間が過ぎており、ポケナビで現在時刻を確認すると洞窟に入ってから三時間は経っていた。早くしなければ入れ違いになってしまうかもしれない。ユウキはポケモンたちにもう少しだけ頑張って、と声をかけて立ち上がった。

 苦労してたどり着いた最深部。そこにユウキの目的の人物はいた。
「あ、あの……ダイゴさん、ですか」
「おや、きみは……?」
 彼を訪ねた訳を話し、大事にしまっていた手紙をバッグから取り出して渡す。軽く目を通したらしい彼はひとつ頷き、お礼だと言ってわざマシンをくれた。それになんだかデジャヴを感じる。やっぱり親子って似るものなんだな、なんてことをユウキはぼんやりと思った。
 去り際に、彼はユウキのジグザグマとアゲハントを一瞥して微笑んだ。きみならいつか、ポケモンリーグのチャンピオンにだってなれるんじゃないかな。そんな大それたことを告げると、今度は本当に去っていってしまった。
「…………なんだったんだろ」
 確かにユウキはジムを巡ってバッジを集めているから、いつかは四天王を倒してチャンピオンにも挑戦するつもりだ。だがまだ突破したジムはひとつ。あと七つもバッジを集めなければいけないのだ。ゴールはまだまだ遠くて、ユウキには強くなった己のビジョンが見えそうにない。
 そんな新人トレーナーにかけるような言葉だろうか。それとも全員に言っているのか。本気にするような発言ではないと頭では分かっている。だが、それでも。
「うれしい、かも」
 ジグザグマも、アゲハントも、出会って間もないもののユウキなりに一生懸命に育てたポケモンたちだ。それを褒められたみたいでなんだか嬉しかった。この子たちが強いと認めてもらえたのだと思うと口もとが緩みそうだ。
「やったな、オレたちもっともっと強くなれるんだって」
 ユウキが言った意味が伝わっているのかいないのか。元気よく応えた二体を見て、ユウキは天を仰ぐ。上は真っ暗闇で何も見えない。まるで今の自分みたいだった。いつか晴れる日がくるのか。そしてそれはいつになるのか。自分が途方もない目標を掲げていると分かっていた。たったひとことで浮かれてしまうなんて馬鹿だと思う。それでも、踵を返したユウキの足取りは来たときよりも力強いものになっていた。まるで、決意を新たにしたかのように。

 旅の途中、何度かダイゴと遭遇した。二回目にはユウキの名前を覚えてもらったし、三回目には実力を試された。すこし緊張しながらもいつもどおりポケモンたちに指示を出す。ダイゴはユウキの闘い方に興味を持ち、ユウキのことをいいと言ってくれた。おまけに今度はデボンスコープなんてものを渡して立ち去っていった彼は、ユウキのなかでとっくに『かっこいいおとな』に見えていた。そんな人物に憧れを抱くなという方が無理な話で。
「オレもあんなおとなになれたらいいなぁ」
「ぎゅあ?」
「一緒に頑張ろうぜ、ジュカイン」
 拳を振り上げたユウキを見てなんとなくこちらの意思が伝わったらしく、相棒はこくこくと頷いて勢いよく鳴いた。

 またどこかで会おう、という彼の言葉はすぐに現実になる。トクサネシティに着いて街を歩き回っていると、なんとダイゴの家を見つけたのだ。たまたま帰宅した彼とばったり遭遇し、なにもないけど、と言いつつ家へ招いてくれた。
 失礼にならない程度に家の中を観察する。室内にはたくさんの石が綺麗に並べられていた。どうやらダイゴの趣味は石の収集のようだ。名前以外初めてとも言える彼の情報にユウキは知らずのうちに胸を高鳴らせた。秘密を知ったみたいでドキドキしてしまう。
「宝石みたい。すごい……」
「ユウキくんはお目が高い! たとえばこれなんかは……」
 世間話がてらに軽く話を振ったら、ダイゴは目を輝かせて饒舌に語り始めた。『かっこいいおとな』であったはずの彼の意外な一面にユウキは一瞬目を丸くしたものの、すぐにダイゴの話に聞き入った。憧れのひとの好きなものを知りたいと思うことは自然なことであった。
 それだけで満足だったのに、別れ際にダイゴはダイビングのひでんマシンをくれた。そろそろ申し訳なくなってきたユウキが遠慮しても折れてくれなかったので「いつかお礼させてくださいね!」と宣言して受け取った。「楽しみにしてるよ」と、そう言ったダイゴの笑顔はどちらかというと微笑ましい子どもを見守る類のものだったような気がしなくもない。もしかしてこのひと、ただの優しいお兄さんではないのかも。ユウキは認識をあらためたのだけれど、どこか親しみやすさを覚えてもいたのだった。





 ──旅を続けている場合ではなくなってしまった。
 ホウエン地方は崩壊寸前に迫られている。尋常ではない事態を前に、しかしその命運はユウキに託された。
 果たしてユウキには伝説のポケモンを鎮めることができるのだろうか。正直言ってあまりの規模の大きさに現実味を感じられないまま、自分が立っているのかも分からないほどの恐怖に押しつぶされそうだった。そんなとき、ダイゴは現れた。
 どうやら異常気象を調べるために移動していた途中にユウキを見つけて声を掛けてきてくれたらしい。その優しさにユウキは救われた。さっきまで不安でいっぱいだった胸中がみるみるうちに晴れていく。
「……ダイゴさん、ありがとう」
「ユウキくん……?」
 覚悟を決めたユウキの目になにかを感じ取ったのか。ダイゴは「ムリだけはするなよ」とだけ告げて、ルネシティへと飛び立っていった。

 さすがに、彼がただの御曹司ではないことは察してきていた。でなければこの荒れた天気のなか、避難もせずに一番被害がひどいであろうルネには向かわないだろうから。
 予感は的中。やはり渦中の目覚めの祠の前にいたダイゴはユウキが来たことに驚いていたが、すぐにこちらの手元に視線を落とし、納得したように頷いた。
「きみときみのポケモンなら……」
 信じている、と。憧れのひとからそんな言葉をもらったのだ、心強いことこのうえない。
(ダイゴさんには貰ってばっかりだ)
 ──もう、恐怖なんて微塵も残っていなかった。





 ホウエン、並びに世界の危機は去った。ユウキは手中に収まったハイパーボールを見つめてため息をもらす。強敵だった、このポケモンは。本当に。
 祠を出ると空は晴れ渡り、まるで何事もなかったかのように澄んでいた。かたり、とボールが揺れる。おそらく安心したのだろう。こいつだって別に世界を滅ぼしたいわけではなかったのだと思うから。
 この街のジムリーダーには報告に行くべきだろうとジムへ向かう。すると入り口の前にはやはりというべきなのか、ダイゴの姿があった。彼はユウキが顔を見せると安堵の息を吐いた。
「よかった、無事で……!」
「心配、してくれたんですか?」
「当たり前じゃないか! そりゃあ、きみなら必ずやり遂げてくれるって信じていたけど……きみはまだ子どもなんだ。おとなとして当然の気持ちだよ」
 ユウキの頭をぽんとひと撫でしたダイゴがルネジムを仰ぎ見る。
「ミクリはね、ボクの友人なんだ」
 あんなことが起きたばかりだというのに、もうチャレンジャーを、ユウキを待ち受けているという。
「じゃあ、がんばりなよ」
 自ら強いと評価するミクリの友人というダイゴ。そんなひとがただのトレーナーだとはとても思えなかった。だから。
「ダイゴさんっ!」
「ん?」
 去ろうとするダイゴの背中に呼びかける。
「オレ……っ、いつか、チャンピオンにも勝ちます! そのときはオレとバトルしてくれませんか!?」
 ユウキの頬は高揚から赤く染まり声も震えていた。そんな子どもは彼の目にどう映ったのか。
「いいよ」
 刹那、目を見開いて驚いた様子をしたダイゴは、しかしガラリと表情を変えてフッと不敵に微笑む。それは今までに見たことのなかった部類の表情で思わドキリとさせられた。
「ユウキくんとたたかえるのを楽しみにしているよ」
 そう言うと今度こそ、ダイゴはエアームドに乗って行ってしまった。
 ユウキは嬉しさやら喜びやらで緩む頬を引き締め、ごくりと喉を鳴らす。それはわずかにダイゴから感じた緊張感だったのか、それとも今から挑むルネジムがさらに大きな壁として見えてきたからか。武者震いからくるそれを抑えつけるように、ユウキはジムの扉を叩いた。





 四天王を倒しここまで来た。カゲツ、フヨウ、プリム、ゲンジ。当然みんな強くて何度ここまでかと思わされたことか。あれだけ大量に買い込んだつもりだったくすりもほとんど使い切ってしまった。それでももうこれで最後なんだからと出し惜しみせず、手持ちみんなを全快させて部屋に足を踏み入れた、まではよかった。
「ようこそ、ユウキくん」
「は、」
 薄暗い部屋に人影が見える。目を凝らすと、どこか見覚えのあるシルエットが浮かび上がっていく。途端、室内の照明が一斉に明かりを灯し、眩しさに目を細める。次にユウキが目を開け、そしてそこに立つ人物を認識し。
 間。ユウキが呆けていたのはどれほどだっただろうか。
「はああああ!!?」
「あはは、驚いた?」
「……〜〜ッふっざけんなよ……!」
 ──チャンピオンとして立つのは、ツワブキ・ダイゴ。そのひとだった。

 ふつふつと湧き出てきたのは怒りにも似た感情だった。どうして、だとか聞きたいことはたくさんあったけれども、ダイゴときちんと話すにはバトルで勝たなければならないということは本能で理解した。
「ぜってぇ倒す!!」
 ユウキの口の悪さにぽかんとしたダイゴだったが、やがて顔を覆い肩を震わせ始めた。
「ふっ、ははっ……いいね。でも、その勢いがどこまで続くかな」
 いつも目にしていた優しげな笑みを潜め、瞬きをしたあとに現れた瞳は射抜くようにユウキを捉えていた。

 上等だ、と知らずのうちに上げた口角。ユウキは腰からモンスターボールを手に取り、バトルフィールドに向かって思いきり振りかぶる。とす、と軽やかに着地したジュカインはユウキの初めてのポケモン。これまでの旅で一番長く時を過ごしてきた相棒はこちらの意思をしっかりと通じ取ったのか、やる気を漲らせるように吠えた。
「やろうよ、ダイゴさん。こっちはいつでもいいよ」
 同意するように尾を振り上げ挑発するジュカインは短気なトレーナーと似ていると評されたことがある。その性格が判断ミスを招いたことも、今では笑い話だった。
「ジュカイン……キモリの最終進化形、ということは最初から全力というわけかい?」
「チャンピオン様だもん。相手にとって不足なし、ってやつ」
「そう、……そうだね。これ以上は言葉はいらない。さあ、始めよう!」





「さすがだ、ユウキくん!」
 ギリギリ、本当にギリギリの戦いだった。最後にジュカインが気力で立っていてくれたから勝ったようなものだった。すぐさま駆け寄ると、よろけて片膝をついている。取り出した最後のきずぐすりを使う。ジュカインはやりきったとばかりに「ぎゃう、」と力なく鳴いた。
「お疲れ様、ジュカイン」
「……ユウキくんも」
 す、と目の前に手のひらが差し出されていた。指輪をした、ユウキよりもゴツゴツした大きな手。
「……」
 何を言うべきか迷う。始める前にはあんなに浮かんでいた言葉たちはバトルですべて昇華されていった。こんなにもヘトヘトになるほどのバトルはなかなか味わえないだろうと思う。だけどとても満足していた。そしてそれは、きっと彼も。
「……間抜けだったんじゃない? ダイゴさんに向かってチャンピオンに勝つっていうオレの姿」
「そんなことないよ」
 手を貸してもらいながら無言なのも気まずくて、つい口から出たのは捻くれたひとこと。なのにダイゴは慌てたように否定する。数分前まではこちらの隙を炙り出すような挑発的な顔をしていた男が、今やその片鱗すら見せずにわたわたとしているのだ。
(これに騙されちゃったのかなぁ……)
 呆れたのは自分に。だからだと思う。本当は言うつもりなんてなかった想いが溢れてしまったのは。

「……ダイゴさんのこと、好きだったよ」
「…………えっ!?」
「行く先々で会うし、なんか色々くれるし、御曹司なのに何してるのかよく分からないのに」
「ぼ、ボクいま好きなところ挙げられてるの……?」
「それに、父さんのこと抜きでオレのこと褒めてくれたの、ダイゴさんが初めてだったから」
 ああ、そうだ。あのとき嬉しかったのは、ジムリーダーの父を持つユウキを色眼鏡なしに見てくれたからだったのだ。
 もちろん父みたいに強くなりたいと思ったのがトレーナーになったきっかけではあるし、そうやって評価されるのも嫌いではなかった。
 ただそれでも、ユウキは心のどこかでユウキだけを見てほしいと思っていたのだ。
「きみのお父さんって……?」
 ほら見ろ。やはりダイゴはユウキの父が誰なのか知らない。
「うーん……ヒント、オレは最近ジョウトから引っ越してきました。では似たようなジムリーダーもいなかったでしょーか?」
「……、……ま、まさかセンリさんかい!?」
「ぴんぽーん、せいかーい」
 まるで棒読みなユウキも気にとめず何故だか妙に焦りだすダイゴ。「いや、いつかはと思っていたけれどあのひと相手に……!」とはなんのことだろう。

「チャンピオンだってこと隠されてたの正直ムカつくけど、であいがしらに言うのも変だし、そうこうしてるうちにタイミングを逃したってのも理解できるけどさ、」
「お、おっしゃる通りで……」
「……ダイゴさんにチャンピオンになったよって報告して、おめでとうって言ってほしかったな……」
「……おめでとう、ユウキくん」
「え。いいよ、別に」
「これは本心だよ。確かに悔しいけど、ユウキくんならボクにも勝つだろうなって予感はしていたからね」
「……ふーん……」
 ところで、とダイゴが切り出す。
「きみ、ボクからの返事を有耶無耶にしようとしてるな?」
 ユウキの肩が跳ねた。図星だったからだ。しかし、ダイゴだって子どもから想いを告げられても返答に困るだろうというユウキなりの気遣いでもあったのに。
「心の準備ができてないから後にしてくれない?」
「きみから不意打ちしたくせに逃げるのはずるいよ。あのね、ボクだってなんにも思ってない子に期待してあれこれ渡したりなんてしないからね?」
「……え、ええ、それって……?」
「さて、そろそろ……おや、誰か来たみたいだ」
「まっ待ってダイゴさん!」
 またあとでね。読唇術がなくてもダイゴの口がそう動いたのは分かった。どうしよう、同じ想いを返されるなんてのは想定外だったから思考がまとまらない。オダマキ博士やハルカがお祝いに駆けつけてくれたのにお礼もままならないまま、ユウキは記憶もあやふやな状態で記念すべき殿堂入りの登録を済ませてしまったのであった。

「わーん! ダイゴさんのせいだ!」
「ご、ごめんね……? それにしても、ユウキくんからすっかり敬語とれちゃったの残念だな……」



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