買い替えるにはまだ早い



「わー! コリンクそっちはだめだよ! レントラーおねがい!」
「がうっ」
「…………コウキ?」
「あっ、デンジさん! ちょうどよかった、その子つかまえてください〜!」
 コウキに呼ばれて彼の別荘を訪ねたら、家の中はもうハチャメチャになっていた。その原因と思われるやんちゃなコリンクは、現れたデンジに対し興味津々にこちらへ突進してきたのだった。

「ふう……助かりました。ありがとうございます」
「いや。それより……大変なのはこのあとじゃないか」
 散らかった室内を指差すと、コウキは苦笑を浮かべつつ首を振った。
「うーん……ちょっとずるいですが、この子に手伝ってもらいます」
 そう言ってボールから出したのはエムリットで「せっかく来てくれたのに待たせてごめんなさい」と謝るコウキを「オレは構わないから行ってこい」と送りだす。ちなみに、手伝いを申し出たのだがきっぱりと断られてしまっている。
 代わりに預けられた、この惨状の犯人は今はすぴすぴと気持ちよさそうに眠っていた。
 デンジは腰につけているモンスターボールのうちのひとつを取り出し小声で呼びかけた。なかから出てきたのはデンジのレントラーで、主人の膝にのる存在に気がつくなりちいさく鳴いた。
「はは、懐かしいよなあ」
「がぁう」
「でもお前はこんなにやんちゃじゃなかったよな」
 レントラーはその場に座り込みデンジとの会話に付き合ってくれる。
「しっかりもので、オレもピチューもエレキッドも頼りっぱなしだったよ」
「……ぐるる」
 そうだ、と同意するように喉を震わすレントラーに、デンジはからからと笑った。

「お疲れ様。で、どうしたんだコイツは。まさかコウキもでんきタイプを極める気になったか!」
 戻ってきたコウキを労り、ないだろうと思いつつも問いかける。目の前の少年が旅の途中で出会って一緒に戦ってきた仲間たちを大切にしていることはよく知っているからだ。とくに最初にもらったというナエトルから進化したドダイトスは相性のこともありデンジにとって軽い脅威だ。もちろんそう何度も負けてやる気はないのだが。閑話休題。
「ありがとうございます。いえ……この子はヒカリから預かったんですよ。ほら、コリンクのなかでもなかなか難しい子っぽいでしょう? ボクがレントラーを持ってるからと相談を受けて、それじゃあ少しの間こっちで様子を見てみようかって……」
「なるほど。それでオレも呼ばれたってワケだな」
「えへへ……ハイ!」
 コウキの素直な申告にデンジの頬がゆるむ。そこで頼ってもらえたのが自分であることがどれほど嬉しいか。おそらくデンジがでんきタイプ専門としていて、かつレントラーを所持しているからだという理由だとしても、だ。この子のなかで遠慮せず頼みごとができるという立ち位置にいるというだけで、デンジはこれまでの行いが報われた気がした。なんたって目の前の子どもは妙に大人びているせいでなかなかおとなに頼ろうとしないのだから。
 それはきっと、彼がギンガ団なる組織を相手にしていたり、伝説のポケモンと臆せず触れ合ったりとデンジには想像もつかない経験をしてきたことに由来するのだろう。そのときにその場にいてやれず、ともに戦うことのできなかったデンジには面と向かって自分に頼れと言う資格がないのがまたもどかしい。
 だから、どうにかコウキのなかで『相談しやすい頼れるおとな』という位置付けになれるようこまめに連絡をとったり、ポケモンのわざ構成を見直したいという彼の調整に付き合って意見を交わしたり、たまにバトルの再戦を申し込んでみたりと、とにかくそれとなくデンジなりにアプローチをしてきた。今回はそれが功を奏したと見ていいのだろうか。

「とはいえ、こればっかりはコイツの性格もあるだろうし。どうしたらいいもんかな」
 ならば今日はコウキの力になってやらねばと張り切るデンジであったが、ことはそう簡単な話ではない。ポケモンにも人間と同じようにそれぞれ性格があるし、それを変えるなんて真似はできやしないのだ。もちろんコウキも分かっているのだろう。そうなんですよねえ、と呟きながらコリンクの顎下をこしょこしょと撫でた。寝ていればおとなしいやんちゃっ子は、寝言でんにゃんにゃと愛らしく鳴く。
「お腹いっぱい食べさせてみたり、満足するまで遊んでみたりは試したんですが、結果はご覧のとおりです」
「何かが不満で暴れてる訳じゃない、のか」
 ふたりして「うーん」と唸る。ポケモンは元気いっぱいなのが一番ではあるが、有り余るほどのエネルギーをすべてトレーナーにぶつけられてはさすがに身がもたない。
「……こうなったら……」
 見上げてくる金色の瞳からの訴え。相棒の言いたいことを悟ったデンジはひとつのアイデアを唱えた。

「良かったのかな、任せちゃって」
 デンジの提案はコリンクをレントラーたちに任せる、というものだった。デンジのレントラーもゆらりと尾を振って、正解とでも言いたげに「ぐぁう!」と吠えた。それに乗るみたいにコウキのレントラーも頷き、二体は並んだのだ。コウキは彼らの厚意に甘えることにして一度はよろしくね、と言葉をかけたのだけれど、それでもヒカリから預かってきたという責任があるせいか引け目を感じているらしく、デンジに問いかけてきた。
「丸投げしてるみたいで気が引けるのは分かるが……見てみろよ、アイツらの楽しそうな顔を」
「……ほんとだ」
 レントラー二体とコリンクは追いかけっこをして走り回っている。しばらくして捕まったコリンクはデンジのレントラーにくわえられてぽてぽてと運ばれていく。そっと地面に下ろされると毛づくろいが始まった。コウキのレントラーがときおり前脚を出してちょっかいをかけている。コリンクはきゃうきゃうと楽しそうで、レントラーたちも子どもを見守るような優しい眼差しを向けていた。
 そんなすがたを見て安心したのだろう。コウキはくるりと踵を返してキッチンを指差す。
「これなら大丈夫そうですね。夕飯の用意しようと思うんですけどデンジさんも食べていきませんか?」
「いいのか? だったらご馳走になるぜ」
 なんと夕飯に誘われ、デンジは期待に胸を躍らせた。好きな子の手料理を食べられるチャンスを前にして口角の上がらない男はいないだろう。
 ご馳走になるのだから、と丸め込んでキッチンでコウキの隣に立つ権利を得た。デンジとてジムリーダーに就任する前はコウキのように旅をしていたのだ。普段は機械いじりに夢中になって疎かにしがちではあるが、自炊はできるほうである。
 コウキの横で会話しながら料理をするのは楽しかった。手を動かしながらもデンジは頭の隅で「今の状況、新婚みたいでいいな……」と密かに歓喜していた。
 完成したシチューはさぞ美味いだろう。デンジは食べる瞬間を想像しつつ内心で舌なめずりをして、レントラーたちを呼びに行くコウキの後を追った。

「ずいぶんと丸くなったな」
 三体のもとへ戻ってきたデンジの感想だった。コリンクはレントラーに囲まれてちょこんと大人しく座っていたのだ。数時間前のコリンクのままであればハウスプラントあたりが被害にあっていそうだ。
「ありがとうレントラー。コリンクのお兄さんになってくれて」
 ヒカリに大見得を切ったのに情けないな、とほんの少し落ち込む様子を見せるコウキの頭をぽんと撫でる。
「落ち込むことはないさ。ポケモン同士にしかできないこともあんだろ」
「……ありがとうございます、デンジさん」
 とてとてと寄ってきたコリンクを抱き上げて照れたようにはにかむコウキは、年相応の表情をしていた。





 コウキと一緒に作ったシチューを平らげてひと息ついた頃。ふたりで並んでソファーに座り適当なテレビ番組を眺めていたデンジはそろそろお暇しなければな、とぼんやり考えていた。このまま泊まってしまいたいのが本音だが、ベッドがひとつしかないことは以前に聞いていて知っている。恋人でもない男が一緒に寝るなんてコウキからしてみれば御免被る事態だろう。このまま共に過ごせるのであればこのソファーで眠るのだって些細なことであるが、優しいコウキがそれを了承してくれるとは思えない。
 己の想像で少し切なくなっていたデンジは、くいとジャケットの裾を引っ張られたことに気がつくのに遅れた。
「……コウキ?」
「…………ますか、」
「ん?」
「……今日、泊まって、いきますか……?」
「……え」
 珍しくぼそぼそとはっきりしない喋り方をするものだから聞き取れず、軽い気持ちで聞き返す。すると耳に届いたのは幻聴かと疑うようなデンジに都合の良い言葉だった。
「だ、だめですよね。突然ごめんなさい」
「あ、いや。オレは構わないが……!」
 何故だろう、空気が。デンジは知らずのうちにごくりと唾を飲み込んだ。ただ泊まるだけなのに、漂うこの緊張感は何事だ。デンジ側はこれで合っているけれども、なんとも思っていないはずのコウキがこんなにも緊張する必要はないだろうに。
「じゃあボク準備してきます!」
 耐えられなくなったのかコウキは逃げ出してしまった。取り残されたデンジは呆けたまま「もしや期待してもいいのか……?」とこみ上げてくる気持ちを募らせる以外に為す術がなかった。

 コウキの脱走も長くは続かない。客人をもてなす準備が整ったのだろう、早々に戻ってきてそろそろとソファーに腰を下ろした。幸いひとりにされたおかげでデンジは冷静になる時間があった。意を決してなあ、と沈黙を破る。
「オレは今日コウキに呼ばれて相談ごとを持ちかけられて、すげー嬉しかったんだぜ」
「そ、うなんですか」
「なんでだと思う?」
「……」
「オレがお前にとって少しでも特別な存在になってるんだって感じられたから」
「……っ!」
 瞬間、ひと目で分かるほどにコウキは顔を真っ赤にした。それを目にしたデンジはニヤけてしまいそうなくらい嬉しくて、締まりのない顔をコウキに曝さないようにするのがやっとだった。
「……そうかそうか。コウキは可愛いなあ」
「〜〜っデンジさんが! 優しいから!」
「お?」
 羞恥からかぷるぷると震えだし、コウキは開き直るみたいに叫んだ。
「だから、ボク、いつの間にか……っ!」
 俯いたコウキの頭がデンジの肩にとん、とぶつけられる。
「で、デンジさんは誰にでもあんなに優しいんですか」
「まさか。コウキこそ、頼る奴いっぱいいるだろ」
「ボク、人に頼るの苦手なんですよ。お母さんにもジュンにもそれでよく怒られます」
「ふーん……じゃあそれって、こんなふうに頼ってもらえんのは自惚れてもいいってことなんだよな?」
「…………はい」
 消え入るような返事。けれどそれでじゅうぶんだった。デンジはコウキの頬を包むようにして顔を上げさせ、わずかに潤んだライトグレーの瞳を覗き込む。
「好きだぜ、コウキ」
「ぼ、ボクも……」
 ついに堪えきれなくて、笑みがこぼれた。つられるようにコウキも破顔する。デンジの指がぴくりと跳ねた。
「……なあ。とりあえず、抱きしめてもいいか?」
「そんなのわざわざ聞かなくてもいいですよ。だって恋人、なんでしょう?」
 こちらが腕を差しだす前にコウキの手がデンジの背にまわった。ぎゅうと抱きつかれて体温を感じる。極めつけは身長差ゆえに見上げてくるという、夢にみた光景だった。堪らなくなって、デンジは天井を仰いで視界を手のひらで覆った。もう片方の手は未だ下ろされたままだ。
「……デンジさん、抱きしめてくれてませんけど」
「いや……、想像より可愛い世界で困ってる……」
「……??」
 ──デンジさんの言ってること、わかんない。
 拗ねたような言い方をしているのに、腕に込められる力は増していく。これにはさすがに白旗を揚げざるを得ない。もうどうにでもなれ、と半ばやけくそにデンジよりもちいさいその身体を思いきり腕の中に閉じ込めた。

 その日、ふたりで潜ったベッドは決して広いとはいえなかったがその窮屈さがとても心地よかった。きっとこのベッドが買い替えられるのはまだ先のことだろうとデンジは予感する。なんたってコウキも同じ気持ちなのだと感じたからだ。それも自惚れではないのは、まるくなるを使ってデンジにすり寄る子どもの様子からして明白だったのである。



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