主人公になりたい


※オダマキさんちのユウキくん



 研究者である父のフィールドワークを手伝っていたから、ポケモンの扱いには慣れているつもりだった。野生のポケモンと戦うこともあるからバトルだって経験があった。
 ジョウト地方から引っ越してきたというお隣さん。女の子なのに活発で、臆しない性格ゆえか彼女の旅は順調に進んでいたようだった。
 ユウキも最初は先輩として色々アドバイスをしていたけれど、いつの間にかそんなものは必要なくなっていた。バトルだって一度も勝てていない。ジムバトルに勝ちバッジを集めていく彼女と、夢もなくただ父の手伝いをする日々を過ごすだけの自分。同い年なのにどうしてこうも違うのだろう。
 ──いつしかユウキの心には影がさしていた。

「キミ、こんなところで何をしてるの?」
「わっ」
 遠くからココドラとコドラの群れを観察していると、突如頭上から声をかけられユウキはびくりと肩を震わせた。振り返り背後を確認すれば、そこにいたのはなんとホウエンのチャンピオンかつ、誰もが知るデボンコーポレーションの御曹司でもあるツワブキ・ダイゴがいたのである。
 驚いて声も出ないユウキにダイゴは「おーい」と手を振ってきょとんと首を傾げる。
「チャンピオン……?」
「お。キミはボクのこと知ってるんだね、よかったよかった。最近キミと同じくらいの年の子に会ったんだけど知られていなかったみたいだから、知名度下がっちゃったかと思ったんだよね」
 他の地方出身であったり、テレビを観ていないならそれも仕方ないのかもしれない。ユウキの頭には休む暇もないくらいずっと旅を続けているお隣さんの姿が浮かんだ。

「ああそうだ。ボクなんかのことより、キミは何をしていたのかな」
「ええと、フィールドワークの手伝いを……あそこにいるココドラたちを見ていたんです」
「へえ、偉いんだね」
 何気なく放たれたであろうその一言はユウキの心を容赦なく貫いた。褒められることなんて何もしていない。けれど礼儀として形だけの礼を述べ、再びココドラたちの群れへ視線を戻した。
 忙しいであろうこの人がどうしてこんな辺境な洞窟にいるのだろうかと一瞬頭を過ぎったが、すぐにチャンピオン特集番組で観た彼の趣味を思い出して納得する。ポケモンたちの様子を見る限り環境も良好のようなので、案外珍しい石が埋まっているのかもしれない。
 てっきりそれで話は終わりだと思ったのに、あろうことかダイゴはユウキの隣に腰を下ろした。ぎょっとしてチャンピオンの名を呼ぶと、しーっと人差し指を口にあてて静かに、というジェスチャーが返ってくる。
「ど、どうして、」
「ボクの愛するポケモンたちをお忘れかな? はがねタイプのエキスパートだよ。手持ちにボスゴドラだっているんだ」
「もちろん知ってますけど……!」
 エースのメタグロス、彼のいうボスゴドラの他にはエアームドなども使っている姿をテレビ画面越しに目にした覚えがある。だが彼がここに居座る理由には薄いはずだ。
「うーん……そうだね、敢えて理由をつけるとするならば……キミが寂しそうな目をしていたから、かな」
「っ、」
「それにね。昔のボクに似てるんだ」
「……チャンピオンに、オレが……?」
 ココドラたちに向ける視線はそのまま、ダイゴは静かに語った。
「迷っているんだろう? さっきフィールドワークを手伝ってるって言っていたね。大方、自分の将来について、とかかな」
「ッ、」
 図星をつかれてしまい、ユウキは息を呑んだ。それが顔に出ていたのだろう。ダイゴは眉尻を下げ諭すように言う。
「ボクも、おやじの跡を継ぐか、バトルを極めるか、はたまた趣味を貫くかで悩んだこともあったからね。でも結局は選べなくて全部を追い求めてしまった」
 御曹司、チャンピオン、さすらいの石集め。確かに彼は貪欲にそれらの地位を手にし、あらゆる分野で目覚ましい活躍を遂げている。
 ユウキには彼がいっとう眩しく映った。

「……石はね、磨けばどんな宝石にだってなる原石なんだ」
「?」
 黙り込んでいたユウキに何を思ったのか、ダイゴは再び口を開くと突拍子もないことを言いだすので大人しく聞き役に徹する。
「キミにもたくさんの可能性があるはずだよ。ボクに言えるのはこんなことしかないけれど、諦めずに頑張ってほしいな」
 ポン、と頭を撫でられて思わず泣きそうになってしまった。目頭が熱くなって、こみ上げてくる涙を隠すように俯く。偶然会っただけの子どもにこんなにも言葉をかけてくれるなんて、とユウキは唇を噛んでダイゴの優しさを享受した。
 まだまだユウキの歩む道は暗闇だったけれども、それでも一筋の光を見つけた気がしたのだった。





 あの日からユウキはすっかりダイゴのファンになってしまった。彼にとってはたまたま出逢った子どもを励ましただけかもしれないが、ユウキにとってはずっと欲しかった言葉をかけてくれた、忘れられない一日になっている。
 あの人みたいに、とまでは高望みしない。もし次に会うことがあれば、あの人に恥じない自分でいたいと強く思った。
 父の手伝いでやっていたフィールドワークも楽しんでやるようになっていた。もともとポケモンが大好きなユウキにとっては、まさにピッタリじゃないかと考え直したのだ。バトルに関しても一から修行し直すことにした。諦めてしまえばそこで成長は止まってしまう。だけど逆に言えば、努力し続ければいつか実ってくれるはず。ダイゴが言った原石とはそういうことなのだろうとユウキは解釈した。

 それからすぐ。新たな挑戦者が四天王たちとのバトルを勝ち抜き、チャンピオンへの挑戦権が与えられたと聞いた。ダイゴのチャンピオン防衛戦となる注目の試合はテレビ中継されるらしく、ユウキはその日を心待ちにしていた。
 ──だがそんなユウキの浮き立った気持ちは、中継を見ると瞬く間に萎んでいくこととなった。
 画面越しに見たバトル中のダイゴの表情は生き生きとしていて、とても輝いていて。ああやはりチャンピオンこそが彼の居場所なのだと再確認した。ユウキのいる世界とはまったく違う、遠い存在の彼との道が交差することないのだとはっきりと突きつけられた気分だった。
 所詮ユウキはコマの隅にひっそりと佇む脇役で、ダイゴは物語の中心にいるような重要人物。自分ではどうしたって主人公にはなれやしないんだと、現実をまざまざと見せつけられてしまった。
 もう一度会いたいという願いなど叶うはずもないと諦め、ユウキの心にようやく芽生えた希望は再び輝きを失っていた。



  ◇  ◇  ◇



「ハルカちゃんのライバル?」
「はい。あたしの先輩でもあって、旅のことも色々教えてくれたんです」
「へえ。それでその子がどうしたんだい?」
 ダイゴはたまたま街で見かけたハルカに声をかけ、近くのカフェに来ていた。
 少女はまだ旅に出たばかりのトレーナーだったが、会う度にぐんぐんと成長を見せつけており、いずれチャンピオンである自分のところまで登り詰めてくるのだろうと目をかけている子どもだった。
 そんな彼女が浮かない顔をしていたためダイゴは訳を尋ねた。聞けばハルカの悩みというのは、彼女のライバルにあたる少年の様子だという。最初は微笑ましい内容なのかと思ったのだけれど、どうにもそうではないらしい。
 以前は競うように図鑑の記録を見せあっていたのが最近ではめっきり会えなくなってしまったり、偶然後ろ姿を見かけた際に話しかけようと近づいたところ逃げるようにその場を立ち去られてしまったこと。
「……あたし、何かしちゃったのかなあ……」
 落ち込む少女を慰めるようにダイゴはケーキを頼んでやった。顎に手をあて考える仕草のまま、ゆっくりと言葉を選んでいく。
「んー……ボクはその少年を知らないから憶測になるんだけれど、キミもその子もどちらも悪いわけじゃないさ。トレーナーの性というものはなかなかに厄介だから」
「……?」
「アハハ。まだ難しいかもしれないね。それにその少年のためにもボクから言えることはひとつもないかなあ」
「えー! そんなあ……」
「安心して。別にその子はキミのことを嫌ったりはしていと思うし」
 不安げな少女に微笑んでケーキをすすめると、ひとくち口にした途端に頬をゆるませていた。やはり子どもには笑顔が似合う。

 ケーキを食べ終えたハルカは元気を取り戻し、新しいポケモンを捕まえに行くと言ったのでその場で別れた。手を振って、飲みかけのコーヒーに手をつける。そんなダイゴへ様子を窺うように名前を呼ぶ存在があった。
「ダイゴ?」
「おや、ミクリじゃないか」
「ああ合ってたのか。女の子と居たからもしかして人違いかと」
「なんだか誤解を招くような言い方するなあ」
 友人であり、ルネシティのジムリーダーを務める男が先程までハルカが座っていた席に腰を下ろした。注文を取りに来た店員に紅茶を頼むとダイゴに向き合う。
「あの子、近いうちにミクリのところにも来るはずだよ」
「……ほう。チャレンジャーだったか」
「色々あって知り合いになってね。さっきも相談にのっていただけだよ」
「あのダイゴがねえ……」
「なんだい、その目は」
 ミクリは含みのある視線をこちらに寄越し、肩を竦めた。
「最近はこんな機会がよく巡ってくるみたいなんだ」
「たとえば?」
「一ヶ月前にね、気になる子を見つけた」
 ダイゴの脳裏にひとりの少年が過ぎる。名前すら知らない、だけどダイゴの目には一際眩しく映った少年。
「随分と浮かれてるようだ」
「まあね」
 石を求めて潜った洞窟で出逢った少年はフィールドワークでココドラの群れを観察していた。少年のココドラを見つめる瞳からはポケモンが好きだという想いが見て取れるのに、反面その表情は曇っているのだ。不思議に思えたが、ダイゴはすぐにそれが昔の自分と重なることに気がついた。考える前に少年へ話しかけていた。驚いていたが敢えて無視してダイゴは彼にアドバイス、のような言葉をかけていた。
 ダイゴの言葉が彼の心に響いてくれたかは分からない。だが少年の表情をあのままにしておくわけにはいかなかった。
「今どうしてるかな、あの子」
「名前も聞かなかったのかい?」
「うん……」
 ミクリの質問にダイゴはそっと肩を落とす。そうなのだ。結局少年の名を聞く前に別れてしまって、早々に偶然が起こりうることもなく今日まで少年と再会を果たせずにいた。
 もう一度を願うくらいには、ダイゴはあの子どもに惹かれる何かを見出している。
「ま、通報されない程度にしなよ?」
「だからボクのことをなんだと思って……」
 ふふふ、と肩を揺らして笑う友人に、ダイゴはひくりと口端を引きつらせた。





 エアームドの背に乗せてもらい空中散歩をするのは、ダイゴの日課のひとつである。
 この日は海の上を悠々と飛んでいた。風が頬を切って気持ちがいい。ふと下に視線を落とすと、海上をぷかぷかと浮かぶ姿が見える。よくよく目を凝らすと、それはラグラージに乗る、焦がれ続けていたあの少年だった。

「や。こんにちは」
「ひっ」
 エアームドに指示を出して水上スレスレまで降下してもらう。少年の隣に並ぶと顔を覗き込み声をかけた。彼は突然現れた人影にひどく驚きラグラージの上でバランスを崩しかけていたので慌てて腕を掴む。
「大丈夫かいっ? ごめんね、ボクがいきなり話しかけちゃったから」
「いっ、いえ……じゃなくて、チャンピオン!?」
 安堵の息をついて一拍、少年は遅れてダイゴの存在を認めた。

「良かった。キミに会いたかったんだ」
「ど、どうして……」
 少年が怪訝そうな顔をする。誰に言われずとも、ラグラージが水上を進む速度を落としていた。優秀な子だ。
「この間は名前を聞きそびれちゃったからね」
「えっ、それだけで……?」
「それだけ、か。確かにそうかも」
 そう言われてしまうと苦笑せざるを得ない。この少年のことが気になってしまったのに何も知らない。探す手がかりがひとつもないまま時間が経ってしまった。
 けれどこうして見つけることができた。自身が子どもみたいにはしゃいでいるのを自覚しつつも、気持ちは止められそうにない。

「……ユウキ、です」

 ぽつりと落とされた音が、彼の名前だということに数秒経ってようやく気づいた。ダイゴは花を散らすように破顔すると少年──ユウキの手を両手で握ってぶんぶんと振る。
「ユウキくんか。あ、ボクのことも名前で呼んでくれていいからね! むしろチャンピオンなんて距離を感じるから是非そうしてほしいな!」
「は、はあ……」
 ダイゴの勢いに気圧されてか、少し距離をとってしまった子どもの姿を見てハッと我に返る。咳払いをするも時既に遅し。ユウキはぽかんとした顔でダイゴを見上げていた。
「……だ、ダイゴさんってクールな人なんだと思ってました……イメージとは全然ちがう……」
「あはは……割とよく言われる。特に石を前にするとこうなるから」
「え。でも今は……?」
「そんなの、ユウキくんに会えたからに決まってるじゃないか!」
 いきいきとしたダイゴとは打って変わってユウキの表情は暗い。何か言い出すのを躊躇うかのようにチラチラと視線を向けているのに、一向に口は閉ざしたまま。前回のダイゴの言葉では彼の笑顔を引き出すには至らなかったのだろうか。
「オレそんなこと言ってもらえるような人間じゃない……」
「……ユウキくん?」
「あの子に全然勝てないくらいバトル、弱いし。夢もない……せっかくダイゴさんに励ましてもらったのに、オレ、だめで……」
「ユウキくんっ!」
 自身を卑下する子どもを見ていられなくなって遮った。
「バトルの特訓は何度でも相手になるし、夢なら一緒に見つけたい。ユウキくんを元気づけるためならずっとそばにいてあげる。だから、ね? そんなこと言わないで」
 捲し立てるみたいに言葉を並べる。とにかく必死で、頭を撫でたりもした。するとダイゴの思いが無事に届いてくれたのか、ユウキはぽろぽろと涙をこぼし始める。
 なんとなく、その涙が悲しみからくるものではないことは読み取れた。
「……ずるいやダイゴさん。オレが嬉しくなるようなことばっかり言ってくれる」
「そう? それは光栄だね」
「ほら、そんな勘違いしちゃいそうなセリフまで、」
「勘違いじゃなかったとしたら?」
 ずい、と近づいて迫るとユウキはぱちくりと目を瞬かせた。その表情に幼さを見出して口元が緩む。可愛い。この子は驚くとこんな顔をするのか。他にも色んな表情を引き出してみたいな、という気持ちが首をもたげた。
「そ、れって……」
 ユウキの頬にぶわりと赤色が広がる。どうやらこちらの意図が正しく伝わったみたいで、ダイゴは満足げに微笑む。
「ユウキくん、ボクとお友達から始めてくれませんか」
「……オレでよければ、よろしくお願いします」
 差し出した手のひらを握り返してほにゃりと笑ったユウキに、ダイゴは積もる愛おしさを噛み締めながらその手を引いて額に口づけを落とした。
 そんな二人を見ていたのはエアームドとラグラージ。それぞれの主人が幸せそうにしているのを感じ取り、目を合わせてぎゃう、と鳴いたその声色は、ひどく優しいものであった。





「そういえば、バトルに勝てないあの子、って?」
「えっと……オレの家の隣に越してきた子で、ライバル、だと思ってた子なんですけど……。オレがこんなだからライバル名乗れるかどうかも微妙なところで……」
「なるほど……?」
 ダイゴは最近どこかで似た話を耳にした気がした。なんとなく相手が察せられて、もしこの予感が当たっているのではあれば骨が折れそうだと内心苦笑する。ただ何事にも絶対なんてことはない。
「ユウキくん。バトルの特訓なんだけれど、ちょっと厳しくなりそうだ。それでも覚悟はあるかい?」
「……! もちろんっ!」
 ダイゴの問いかけに一瞬だけ呆気にとられるも、すぐにユウキの目は闘争心に溢れ輝きを増した。ああ、きっとこの子は伸びる。そう直感してゾクリと背筋が震えた。その震えは間違いなく期待から来るもので。
 いつかユウキがダイゴと向かい合う日が来るのを夢みて瞼を閉じる。強くなった少年と全力でバトルするのが楽しみで、ダイゴの心は密かに躍っていた。



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