お賽銭に愛を込めて


※リスナー×配信者
 後半数年経過のモブ視点



 気まぐれに起動した動画配信アプリ。そこで悟は運命に出逢ったのである。
 ──なんて大袈裟な表現をしたものの、要はお気に入りの配信者を見つけただけともいう。ちなみにこれは断じて悟の言葉ではなく、悟の親友のものであるということは明記しておく。悟は運命だと信じているので。

 トップ画面で、悟もプレイした経験のある長寿シリーズのタイトルロゴがサムネイルに設定されている動画があった。そういえば新作が出たとかなんとかCMを目にした覚えがぼんやりと頭の隅に記憶されている。しかし動画のゲームはその長寿シリーズの最新作ではなく、今から十年ほど前のソフトだ。
 なんとなしにそれをタップするとそれはいわゆる実況プレイの生配信というもので、配信者が喋りながらゲームをプレイするものだった。
 配信者の欄には『とら』と書かれている。声から男だと判別でき、少し高めのそれからはまだ少年くらいにも窺える。
『あ、リスナーさん増えてる! いらっしゃいませ〜』
 悟のことだろうかと画面下を見れば閲覧者は三桁前半で、一桁の数字が忙しなく上下に動いている。ゴロンと寝転がりながら端末を掲げた。
『今? 今ねー、まだひとつめのジムだよ。うん。そう。レベル上げしてる。最初に選んだの? 俺は最初はほのおタイプって決めてっからね!』
 コメントを追っているのだろう。その場でやりとりをするみたいに受け答える少年の声は、なんだか悟の耳にとても馴染んだ。
『シリーズによってめちゃくちゃ不利なときあるじゃん? まあ今回がそうなんだけど。でも最初のパートナーが一番レベル上がってっからさあ、やるしかねえんだよなあ』
 わかる。初代をプレイした悟は深く頷いた。くさタイプかみずタイプを選んでいればと後悔したものの、ここで変えたら負けた気がしたのでリセットはせずにレベル差でゴリ押しした思い出があった。
『こうなりゃパワープレイってワケよ。え? 他の捕まえろって? いーや俺はコイツを相棒に決めたかんね、意地でも相棒と行くよ』
 流れていくコメントにはアドバイスや彼に同意するもの、自分はこうした、と主張するものなど様々だ。それほど多いというわけでもないので『とら』はそれら全てを拾い上げて反応していた。そうするとリスナーはコメントを拾われたことが嬉しくてさらにコメントを書き込む。『とら』の人柄が朗らかなのも合わさって、少人数ながらもその生配信は賑わいを見せていた。
 少年の語りを聞いているうちに懐かしい気分になり、つい先程まで悟の気分を地の底まで追いやっていた今日の仕事のことなど吹っ飛んでいた。軽い気持ちで「初代だけならプレイしたなー」とコメントを残した。スラスラと流されていくそれも『とら』の目にはバッチリ留まったらしく。
『おっ、初代かー。俺は逆にやったことないんだよね、いいな〜』
 そんな返答があった。悟は面映ゆい気持ちになったけれど、胸にこみ上げてくるものは決して悪い気分ではなかった。他にコメントしている人もこんな感じなのかと納得し、これはハマるのも分かると思った。
 配信者が全員こうなのか、彼だけがトクベツなのか。少年の穏やかな声とトークが悟の心を揺さぶり、鷲掴んで離そうとしない。
 結局その日、二時間ほど配信されていたものを最後まで見届けてから眠りについた。もちろん、忘れずにチャンネル登録をしてから、である。

 起床した悟は寝ぼけた頭のまま端末を操作する。立ち上げたのは昨夜見た動画配信アプリ。昨日の出逢いが夢ではなかったかどうかの確認だ。
『こんばんは! とらです。聞こえてる……かな?』
 悟が見た配信のアーカイブ映像だ。最初から見ていなかったのでこの部分は知らないけれどしっかりと残されていることは確認できた。あとでこの続きも目にしなければ。
「あ゛ーー……ホント癒やされるな、この子の声……」
 寝起きの悪さに定評のある悟だが、彼の声を聞くなり起き上がった。そのまま洗面所までのそのそと歩いていく。
「ヤバ……この子がいればマトモな生活送れそー……」
 その場で悟の独り言に答えてくれる人間はいなかった。しかし昨夜のことをほぼそのまま親友にもらしてしまったところ、なんと有益な情報を貰えたのだ。

「悟、投げ銭ってわかるよな?」
 曰くこのアプリには投げ銭機能が備わっているのだとか。配信中であればいくらでも何回でも配信者へと投げ銭付きのコメントが送れるらしい。昨日のうちに気が付かなかったのが悔やまれるところだ。
「傑オマエ詳しいな」
 夏油傑。悟の唯一といっていい親友である。運命を見つけた興奮を誰かに話さずにはいられなかったので、手始めに職場も同じ彼に打ち明けた次第だった。
「いやぁ、私も菜々子と美々子からの受け売りなんだけどね」
 菜々子と美々子というのは傑が娘同然に可愛がっている隣室の女子高校生らしい。なんやかんやあって懐かれた、と困ったように笑っていた男を揶揄したのも少し前になる。
「ナルホドな〜……これか……」
 早速アプリを立ち上げそれらしい項目を眺め始めた悟を見る傑はなんとも言えない顔をしていた。
「……しかし、悟が他人に興味を示す日が来るとはな……」
「なんでそんな宇宙人でも見たみたいな顔すんだよ」
「ああそれ言い得て妙だな」
「どーいう意味だコラ!?」
「自分でも分かってるんじゃないのか? ガラでもないのは」
「……まあ……」
 傑の言い分には我ながら納得するものもあったので、悟はもごもごと言葉を濁して口を閉ざした。人の良さそうな顔をしておいてこの男は案外ズケズケと物を言ってくるのだ。これ以上は墓穴を掘りかねない。
 ただ、何も言わないのに傑の口元が弧を描いていたので思わず蹴りを入れてしまった。軽く躱されたが溜飲は下がった。



  ◇  ◇  ◇



 どこかの誰かが夢中になっている『とら』の素性は本名、虎杖悠仁という、運動が得意以外には特筆するものもない苦学生だ。ちなみにハンドルネームは見ての通り本名からとって適当につけたものだ。
 悠仁がゲーム実況を始めたのは、お小遣いが稼げればいいなという邪な心からだった。
 もちろん簡単なことではないと聞き齧っていた。けれども悠仁には藁にもすがる思いがあったのだ。
 悠仁は両親の顔を知らないまま育った。かろうじて父親はうっすら覚えていなくはないような気がするが、所詮その程度。
 そんな悠仁を育ててくれたのは祖父で、その祖父も悠仁が大学に上がる前に他界してしまった。学費や生活費は祖父の遺してくれたお金があったおかげでなんとかなっているけれども、趣味に使うとなるとさすがに足りなかった。友人たちからの誘いは泣く泣く断り続け、次第にみんな気をつかって声をかけてくれなくなったのが余計に切ない。
 アルバイトという手は、祖父の遺言のうちのひとつである「大学はちゃんと行け」のひとことから使えなかった。ただでさえ授業についていくのがやっとな悠仁がアルバイトなんてしてしまえばあっという間に勉強が疎かになってしまうのが目に見えている。だからひたすら節約と我慢の日々を過ごしていたのだ。

 そんなときに耳にした動画サイトからの収入。なけなしの金で最低限の環境を整え、動画のネタはゲーム実況にした。顔出しは考えていなかったのと、良いとは言えない環境からできることはかなり限られていたので。
 肝心のゲームソフトも、中古屋のワゴンで投げ売られているようなものから適当に見繕ってきた。これが多少なりともお小遣いになれば万々歳。ほんの少しの出来ごころだったのだ。
 最初は見に来てくれる酔狂な人なんていなかったから、独り言を垂れ流しているようなものだった。それがいつの間にか少しずつ少しずつリスナーが増えていき、有難いことに今では三百人を超えていた。その頃には小遣い稼ぎよりも、寂しがりな自分の話を聞いてくれる人たちがいる、という方向に認識が変化していた。

 ある日、悠仁の配信に颯爽と現れたそのコメントは五桁の上限額と真っ赤な色を携えてこちらに飛んできた。
 悠仁はそれを人の配信で目にした機会は何度もあった。しかし自分には縁のないものとして認識していた。何故ならそんな額をもらえるような大した存在ではないという意識があったものだから。
「ヒエッ……!?」
 配信中にもかかわらず素っ頓狂な声をあげてしまったのも無理はない。これまでも少額の投げ銭を受け取った際は丁寧にお礼を言っていた悠仁だが、これに関してはどうすればお礼になるのか、咄嗟にはとても思いつきそうにない。初めて配信したときレベルに狼狽えながら震える声で赤枠に囲まれている名前を呼んだ。他のリスナーたちは悠仁の反応に草を生やしたり心配するコメントが書き込まれていたりと様々だ。
 とにかく動揺する心を早く落ち着けなければとそれにレスポンスを返してゲームに集中しようと画面に向き直る。なんだかいつもよりとても慎重に読む上げてしまったが、高額ゆえ多少の贔屓は許してほしい。
 高額投げ銭の彼または彼女は『目隠し』といった。悠仁はコメントを残してくれるリスナーの名前ならそこそこ記憶しているので、『目隠し』さんがコメントをしてくれたのは少なくとも前回の配信が初めてだった。
 悠仁のことを気に入ってくれたのなら素直に嬉しい。だがたった一回見ただけで数万をぽんと投げられるものなのか。他人の金の使い方に口を出すなんて真似はしない主義であるが、さすがに疑問を持たざるを得なかった。
(いかんいかん、今は配信中!)
 とにもかくにも他にもリスナーはいるのだからと心の中で唱えてようやく、悠仁はいつも通りの喋りに戻ることができたのだった。

 さて。話は少し変わり、高級住宅街にぽつんと建つ年季の入ったアパート。それが悠仁の自宅であった。
 なんでこんなところにあるのかといえば、大家が頑固な人で意地でも土地を譲らなかったらしい。そして悠仁がここを自宅に選んだ理由は家賃が安いから、である。
 周りに住むのはセレブばかり。ゆえにご近所さんたちからの視線はあまり気持ちのいいものではなく、住んでいた住人も逃げるように引っ越していくのだとか。おまけに新しく入る人もいないから、気がつけば事故物件並みに家賃が安いと悠仁にここを紹介した不動産会社の人が言っていた。
 近所の目なんて気にしない質なので、悠仁は喜んで住処をこのアパートに決めた。少し古いが駅も近く風呂もトイレもキッチンもある。ひとり暮らしとしては文句なしだ。

 まあそんなわけで近所付き合いは厳しい環境であったものだから、帰宅途中に誰かに話しかけられる機会があるなんて微塵も考えたことがなかった。
「ねぇッ! 君もしかして……!!」
「へッ!?」

 最近は友人からの誘いを断ることも少なくなり、明日も遊びに行こうと約束していたため予定の確認に悠仁は電話をしながら帰路についていた。メッセージアプリという手段が手っ取り早いのだろうが、まだスマートフォンを持って間もない悠仁にとっては通話の方が楽だったのだ。
「うん、うん、じゃあまた明日、」
「えっ」
 すれ違ったのは、背が高く白銀の髪が目立つ男だった。しかし悠仁は気にもしない。オンボロアパートに住むのは悠仁しかおらず、自分なんぞが関わっていいような者はこの辺りにはいないからだ。そそくさと逃げるように通り過ぎようとしたのだけれど、そんな悠仁を引き止めたのは他でもない男の方だった。
 もしかして、と何か心当たりがあるみたいな言い方に悠仁の脳内は疑問符に染まっていく。サングラスをかけていたが、よくよく見れば顔はモデルや俳優などと遜色ないほど整っており、これほど目立つ人なら一度見れば忘れるはずもなかろう。しかし悠仁には一切見覚えがなかった。まさか白昼堂々犯行に及ぶ不審者なのか。いやこんなゴツい男子大学生を捕まえてどうこうもないかと現実逃避でもしているのか思考は明後日の方向へ飛んでいく。

「……えーっと、俺たち会ったことありまし、た?」
 悩んでいても仕方がない。だが相手からのリアクションも一向にない。悠仁は戸惑いながら首を傾げて尋ねてみた。
「あっ、いや……突然ごめん。その……的外れなこと言ってたら悪いんだけど、君……」
 やけに緊張感のある表情で、男は視線を彷徨わせておそるおそるといった風にゆっくりと言葉を紡いでいくものだから、悠仁もつられてごくりと喉を鳴らした。
「げ、ゲーム実況の生配信とか、やってない!?」
「…………え?」
 なんとか一文字だけ放った悠仁はおそらく、相当間抜けな顔をしていたに違いなかった。

「なんか、本当にごめんね……?」
「いやいや! 全然気にしなくていいっスよ! 見てくれてた人がこんな近くにいたことにビックリしてるだけっつーか……!」
 悠仁は男に連れられた近くのカフェで、向かい合って座っていた。後に悠仁のことを弟か何かと思っている節がある友人に「知らんヤツにホイホイ着いていくのやめろバカ!」と怒られる羽目になる一連の行動である。
 男は五条悟と名乗った。あの高級住宅街の一角に佇むマンションに住んでいるらしい。この容姿で金持ちとか天は二物も与えるんだなあ、なんて思った。
 ──そしてこれが一番の驚き、なんと男は悠仁のリスナーなのだという。
 嘘じゃん、が心の中での第一声だ。リアルで充実しまくってそうなのにマイナーもいいところの悠仁の配信を見たことがあるだなんて。
 どうやら知ったのはごく最近らしいが、それでも過去のアーカイブはすべて見たと言うし、最初に見て以降の配信は必ずリアルタイムで視聴しているんだとか。

「へへ……なんか照れんね。ありがとうございますっ!」
 一度は疑った悠仁だったが、五条の真剣さを目にすれば次に訪れたのは喜びだった。なんだかんだで気まぐれに始めたことだったが、悠仁の配信を楽しみにしてくれている人を目の当たりにするとやっててよかったという思いが湧いてきた。
「ううん、こちらこそありがとう……ええっと、とらくん?」
「あっ、まだ名乗ってなかった! 俺虎杖悠仁っていいます! 虎に杖なんで、ハンドルネームはそっから」
「そうなんだ! じゃあ悠仁って呼んでもいい? あと敬語もなくていいよ〜その様子だとあんまし得意じゃないっしょ」
「わ、バレてた〜恥っず。わかった! 俺のことも好きに呼んでいーよ、五条さん」
「え〜〜! そこは悟さんにしよーよ」
「うえぇー、お、追々ね……?」
 ちぇ、と口を尖らせても可愛く見えるのだからイケメンは凄い。悠仁は妙な感心を覚えつつ、手をつけられていなかったメロンソーダでようやく喉を潤した。思ったよりも緊張していたようだ。
「そうそう、忘れないうちに渡しとくね。これ僕の連絡先」
「え?」
「実況者のとらくんも好きだけど、悠仁のことも好きになっちゃった」
「俺のどこに……? てかこんな簡単に渡しちゃっていいの? 五条さん金持ちなんでしょ? 俺がタカってきたらとか考えないん?」
「悠仁にならいくらでも貢ぐからだいじょーぶだよ。そもそも既にやってるしねー」
「んん……?」
 既にやってる、という発言に悠仁は眉をひそめる。五条は最近リスナーになったという。そして悠仁は最近生活に余裕がでてきた。例の『目隠し』さんがあれから配信する度に上限額の賽銭を投げてくるからだ。明日遊びに行けるのだってあの人のおかげである。
 なんだか、時期が重なっているなあ、など。
(うーん……あの人が五条さんだったりして……?)
 悠仁の脳裏に一瞬過ぎった可能性に、それはないかと苦笑をこぼす。
「ね、ね。悠仁はまだ時間ある?」
「平気だけど」
「やった。じゃあもっと悠仁のこと教えてほしいな〜、なんて」
「俺? なんも面白いことないよ?」
「そんなことないよ! 何話せばいいか分かんないなら僕の質問に答えてくれたらいいし」
 それから五条はニコニコとご機嫌で悠仁にあれこれ訊いてきたのだった。悠仁の何の変哲もない日常を聞いてはウンウンと笑顔で相槌を打たれると、だんだんとそれが楽しくなってくる。配信をしているときに似た心を満たされる感覚だった。
 喋っているうちに互いの映画の趣味が合うことを知った。すると五条から今度なにか観に行かないかと誘われ、悠仁は喜んで話に乗った。

 初対面でこんなに仲良くなれるとは思っておらず、別れ際、悠仁は随分と気安い関係になったなあ、と少しだけ手を振るのが惜しい気持ちになった。
「じゃあ、また。連絡するし、悠仁からもしていいからね!」
「うん! 次会えるの楽しみにしてんね」

 そう言って別れたのが数時間前。今日起こったそれらが未だ夢のように感じられる。悠仁はスマートフォンを前にぼんやりとしていた。
 すると、ピコンという通知音とともに画面にメッセージが表示された。送信者は今まさに悠仁の脳内を占める人物からだった。
『今日は悠仁に出会えて良かった! こんなに近くにいたなんてもう運命だと思う』
『運命て。五条さん面白いこと言うね』
 そういえば好きだとかなんとかも言っていたような。悠仁は今さら五条の大袈裟な表現を思い出して吹き出していた。
 何度かやりとりすると、おやすみで締めくくった。背伸びをして布団に寝転がる。ああ、そういえば。
「今日、配信やってないな……」
 五条と会ったことで寂しさも消え失せていたからすっかり忘れていた。毎日やっていたわけではないので別に構いやしないのだけれど、それでも忘れてしまっていた自分に驚く。
「五条さんがいてくれたら寂しいのなくなるんかなー……なーんて、は、はは……」
 思わず溢したひとりごとが恥ずかしくなり焦って笑って誤魔化したものの、それは紛れもない悠仁の本心であった。



  ◇  ◇  ◇



 投げ銭機能を知ってからというもの、『とら』の配信時には必ず上限金額分を貢いだ。本当は一度の配信でそれを何度もやりたかったのだが、傑曰くその子が普通の子だった場合引かれるよ、とアドバイスをもらったから控えた。確かに彼なら遠慮しそうだと、悟も思った。
 コメントのお礼を照れくさそうに述べる声が可愛くて気がつくと頬がゆるんでしまう。追加をかけようとする指を何度抑え込んだかもはや数えきれない。

『今日はひと狩りいっちゃうよ〜! 俺ちょー久しぶりだからめっちゃたのしみ!』
 新作を携え、スタート画面でそう言った彼は声だけでどれほど待ち望んでいたのかが手に取るように分かった。久しぶりなのはきっと金銭的な理由からだろう。金なら積むからいくらでも好きなゲームをしてくれ、推し。
「はぁ……好き……」
 悟を知っている者が見れば鳥肌をたてていそうな程うっとりした表情を浮かべて、今日も画面を見つめるのだった。

 初めてできた『推し』という存在へ日々思いを募らせていく。最初は面白がっていた傑もやがて悟の推し語りに生返事しかしなくなっていっていた。
 つれない親友に不貞腐れて、悟は帰路についていた。前方から青年がこちらに向かって歩いてきている。手にはスマートフォンが握られており、どうやら電話中らしい。
 どうして気になったかといえば、ここは高級住宅街のど真ん中だったからだ。青年はお世辞にも富裕層には見えずこの辺りからは少し浮いた存在だった。それを本人も理解しているのだろう、すれ違いざまはどこか逃げるみたいだった。そのまま通り過ぎようとしたところで、悟は気がついてしまう。誰かと話しているその声が、すっかり聞き慣れたものにそっくりだということに。

「ねぇッ! 君もしかして……!!」
「へッ!?」

 思考が纏まる前に悟は青年に声をかけていた。そのときは必死だったからそこまで考えが及んでいなかったが、思い返してみれば少々、いやかなり怪しい人物だったかもしれない。己がグッドルッキングガイでなければ通報されてもおかしくなった、ような気がしなくもない。
 推しを前にしてつい挙動不審な行動をとってしまい混乱していても、悟の口はよく回ってくれた。
 青年が『とら』だということを確認するなり話がしたいからと行きつけのカフェに連れていった。彼は終始困惑していたけれど大人しくついてきてくれたので、連れてきた側の悟が心配してしまった。大丈夫かなこの子。

 まずはこちらが名乗らなくてはと、悟は自身のことと『とら』のリスナーであることを告げる。するとそこで気が緩んだのか、表情を和らげた青年が口を開いた。喋り方は配信のときと同じように快活で、それにイケメンではないものの愛嬌のある顔で朗らかに笑いながら見てくれて嬉しいと悟にお礼を言った。それが悟の人生で初めて目にしたタイプの眩しさで、思わず「ウワッ」と声が出た。幸い聞こえていなかったようで彼からの反応はなかった。助かった。

 それからなんと彼の本名を知って、敬語はいらないからとフランクに話せるようにしてもらい、ちゃっかり連絡先も交換して、惜しむ心を押し殺しながら別れた。
「悠仁……、悠仁かあ〜〜……!!」
 インターネット上で知っていた人物をリアルで見たらあんまり、なんて話はそこそこ聞いたことがあったけれど、悠仁はまったく全然ちっともそんなことなかった。それどころか本物が数百倍可愛かった。なんか無意識に口説いてたほどに。
「あー、恋人いるか聞いてなかった……まあ関係ないか! 僕に惚れさせたらいいんだし」
 これまで恋愛において苦労したことのなかった悟は楽観視していたが、自分からアタックなどしたことなかったせいで悠仁を落とすのに苦労する羽目になるなど、今は知る由もないのだった。



  ◇  ◇  ◇



 とあるモブの話を聞いてほしい。私の名前なんてどうでもいい。覚えて帰ってほしいのは私の推しのことだから。
 私には推しのゲーム実況者がいる。名前は『とら』くんといって、声から判断してまだ若い男の子だ。
 とらくんは特に得意のジャンルなどはなく、幅広くマイナーから有名どころまで色んなゲームをやってくれる。タイトルを知っていても知らなくても彼が楽しそうにゲームをしている声はたいへん癒やされるので、たまに寝る前に動画を開いては寝落ちすることもしばしばだった。

 そんなとらくんのことを私が知ったのはもう数年前になる。今でこそとらくんのチャンネル登録者数は数万人にも及ぶけれど、その頃はまだ数百人とかそこらだった気がする。
 ちょうどその頃に起こった可愛いエピソードがある。配信が始まって挨拶が済むなり、とらくんは『今日は皆さんにお知らせがあります……』と畏まった口調で何やら語りだした。それを聞いた私の脳内には引退という二文字が浮かんだ。どうしよう。そうだったらめちゃくちゃ悲しい。
 顔を青くしたままとらくんの言葉を待つ。コメント欄は私と同じ考えを持った人でいっぱいだった。「まって」「なになに」「もったいぶらないでー」とわずかに緊張感に包まれているのがわかる。
 数十秒がやけに長かった。とらくんが口を開く。
『俺……っ!! みんなのスパチャのおかげでいい機材を導入できましたー!!』
 その瞬間、昔のコントとかだったら確実にズコーッと勢いよくすっ転んでいたに違いなかった。
「え、そんなこと?」
 と、そう言った私は悪くない。

 とらくんが必要最低限の機材で配信しているのは前に聞いたことがあった。本人があっけらかんとしているので私生活がどうとかは察せなかったけれども、いつも気持ち多めに貢いではいた。オタクは推しに貢ぐのが好きなので。しかも二次元キャラやアイドルと違って直接ポケットに札をねじ込める……いやこれだと言い方が悪いな。完全に絵面がヤバい。
 まあとにかく。それを聞いた私はホッとすると同時に少し泣いた。だって、あまりにも健気すぎる。
『俺が言うのもなんだけどさー……貰ってばっかじゃ悪いし、でもスパチャはみんなの気持ちだし。それで考えたんだ! 何か少しでも返せるにはどうしたらいいんだろって』
 それで思いついたのが、機材を良いものにして環境を整えることだったらしい。もうこんなん泣いちゃうでしょ。心底この子に貢いで良かったと思った。
 コメント欄は安堵と可愛いの声で溢れていた。うんうん分かる、と同意しつつとりあえずコーヒー代にでも、という気持ちで三百円を投げた。

 この可愛いエピソードについて付随するものがある。というのが後々ある人物を私がしっかりと認識したきっかけだ。
 そう、まだ数百人しかチャンネルの登録者数がいないのに何故彼が機材を買うなんてできたのか。理由は明白だった。
 悔しいが、一人のリスナーのおかげ、だろう。
 どうして私がこんなに唇を噛んでいるのかといえば、そのリスナー──そいつが憎たらしいからである。
 庶民の嫉妬でもやっかみでもなんでも言ってくれて構わない。事実だから否定はしない。だけど。でも。

「スパチャ金額でマウントとるのはズルくない!!?」

 毎回毎回とらくんが配信する度に五万を置いていくそいつは『目隠し』というハンドルネームだった。一度に何度もしないのはとらくんに気後れさせないためか。そんなところも狡賢い。
 最初に現れたときはすごいなあという他人事みたいな感想が出た。赤色を引っさげてしばらく表示されるのだから目立つことこのうえない。その頃のとらくんに赤スパチャを送る人は記憶の限りでは存在しなかったから、多分あの人が初めてだった。その証拠にとらくんもかなり動揺しており、わたわたとしているのが声だけでじゅうぶんに伝わってきた。それが聞けたのは感謝……しなくもないかもしれない。
 コメント内容は至って普通で、応援していますとかそんなことだったと思う。如何せんその頃は特に意識していなかったからさすがに覚えていない。
 それから何度も見かけて、なんとなくアイコンに見慣れた頃だった。とらくんがそんなお知らせを出したのは。
 その配信にも当然ヤツは居て、とらくんのお知らせが大したことじゃなくてみんなが安心しているなか『ありがと』なんてひとことを送っていた。これも当時は「んん?」と思うだけでスルーしていた。

 それがだんだんとエスカレートしていった。例えば。
『喉が乾いたからちょっと飲み物とってくんね』
 そう言いつつ一旦離席して、帰ってきたと思ったら。
『二週間前の飲みかけのやつ見っけた! ヤバいウケる』
 などとけらけら笑いながら報告してきた。もちろん飲まないよね、と心配される様にとらくんはリスナーに三歳児だと思われてそうだなと微笑ましくなっていたら『そーいうとこあるよね〜!』と赤スパチャが飛んでいた。私はそいつにとらくんの何を知っているんだ……と唖然とした。

 他にもある。かなり怖いと評判のホラーゲームをやっていたとらくんはビビるどころかヒャッハー状態で主人公を操作していた。リスナーたちからは「むしろとらさんが怖くて草」「なんでそんな元気なん?」「制作者がかわいそう」などと散々な言われよう。そんななか投下されたヤツからの赤スパチャの内容がこれ。
『前から思ってたけど肝座ってるよね〜。そういうところも好き』
 まあ、とらくんがホラゲやるのは初めてではないし。前から、という言い分も分からなくはない。けれど。どうしてこう、鼻につく言い方をしてしまうのか。ていうかなんでいつも語尾にハート付けてないかこの人。

 ──なんていうか、わざわざ目立つ赤スパチャで、かつ内容も含めてマウント取られてる気がするんだけど、気のせい?
 ついにそんな感想を抱いてしまった私は、それ以降あの野郎が気に食わないのである。

 ああだめだ。今からとらくんの配信が始まるのに嫌なことまで思い出してしまった。どうせ今日も現れるであろうアカウントを目にすると蘇ってくるから変わりはしないが、それでもなるべく脳内に留めておきたくない。
 悶々としていても時間は過ぎていき、スマホに「まもなく開始される配信があります」と通知が来る。すぐさまタップしてアプリを起動すると我が癒やし、とらくんの声が聞こえてきた。たったそれだけでモヤモヤがまるごと吹き飛んだ。推しってすごい。
『こんばんは! みんな今日もお疲れ様〜……コメント早くて読めねえ……!』
 とらくんのお疲れ様というひとことがあれば世界が平和になるな、と割と真面目に考えた。
『えーっと、それでね。今日やるタイトルは、』
『ねー、冷蔵庫にあったプリン知らな、』
『わあああああ!!??』
 びっっっくりした。とらくんは聞いたこともない大声で、謎の闖入者が喋りだしたのを遮っていた。例えどんなホラゲやっても『うわッ。びっくりした〜』だけで済ますあのとらくんが、だ。
 彼には煩わしくない騒がしさがある。だから賑やかでも、どこか落ち着いた雰囲気を纏っていた。なのに今のとらくんはとても焦っていて、リスナーのことすら気にしている余裕もないみたいに離席した。声がどんどんと遠ざかっていくが、何やら言い争っているようなのは聞き取れる。コメント欄には「家族かな?」ともう一人の声の主を予想するものがちらほらと増えていた。
 私は震えていた。もしみんなの予想どおり家族の誰かがたまたま部屋に入ってきてしまった、みたいなハプニングであれば、とらくんの名前が呼ばれているはず。だが今のは彼が配信しているのを知っていてわざと声をかけたように思えた。今の流れで名前を呼んでないって、不自然じゃないか。いやいや、部屋に入るなら普通、なのかな。
「さすがに、考えすぎ……?」
 このなんとも言えない感じが、ヤツがスパチャしたときの感覚に似ていて苦い顔になる。気に食わなさすぎて被害妄想しているのかもしれない。そうだったら自分にドン引きだ。

 やがてとらくんが戻ってきて申し訳なさそうに謝った。
『ご、ゴメンナサイ! 同居人、が、プリン探してたみたい!』
 配信者の帰還に「おかえり〜!」「同居人かー」と沸きだしたコメント欄。一瞬で流れてしまったそのなかから、私は確かに見つけてしまった。
「慌ててる姿もかわいーね」
 ハッとして遡る。しかしもうその文章は見当たらず、代わりに「このコメントは削除されました」と表示されており再び見ることは叶わなかった。
 見間違いでなければあのコメントを投稿したのは──。

「いや、ええ……なに? コッッワ…………」



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