最強は偶然すらも引き寄せる



「あ」
「うわっ」
 どたんばたん。ガタイのいい男二人が転べば、なかなかに騒々しい音になる。教壇に上がろうとした悠仁が段差につっかかり身体が傾く。咄嗟に庇おうとした五条が手を伸ばしたものの、それぞれがバランスを崩してしまったためにあえなく転倒。
 そんな、偶然にも覆いかぶさるような形で床に転んだ二人いる教室の扉を開ける者がいた。
「……………………」
「せめて何か言って!」
「…………すみません、あまりの光景にちょっと気絶してました。警察ですか、警察ですね」
「ちょっ、めぐみ、まって……!」
 あとにも先にも、こんなに焦る五条悟を見たことがない、と。後に伏黒恵は虚ろな目で語った。

「最近いっつもああなんだよな」
「早く通報しとけよ」
「五条先生は悪くねーから……!」
 悠仁のぼやきに、伏黒はげんなりとした表情を隠しもせずに呟く。胡乱げな視線はこちらの言い分をちっとも信じておらず、五条の人としての信用のなさはなんなんだろう頬をかいた。
 ここ最近はいつもいつも、悠仁と五条は他人に見られたら何故か誤解を生むような体勢になってしまうのだ。先程のように転けて抱きついてしまったり、振り向いたら危うくキスしそうな距離だったり、着替え中に部屋の扉を開けられたり、エトセトラ。「To LOVEるかよ」という会話ならすでに五条と交わしている。このままダークネスに発展したらどうしようというのがもっぱらの悩みである。
「最強ならなんとかしてくださいよ」
「やだなあ、いくら僕でもラッキースケベ回避は無理だよ」
「ラッキーじゃなくない? これ」
 悠仁のツッコミはさらりと流され、いやさあ、と目の前の教師は笑いながら続けた。
「二人でどうしたらいいか散々考えたけどぜーんぶダメ! もうバレちゃったし恵も一緒に考えてよ」
 どうやら開き直ったらしい。先程の焦りようは既に綺麗さっぱり消え去り、五条はアハハーと暢気な笑い声をあげている。
「……例えば、どんなこと試したんです?」
「えっとねー、転けても無視するとか行動するときは声掛けてからとか?」
「知らない人から見たらまるでアホみたいですね」
「伏黒めちゃくちゃ言うじゃん」
 オレすっげー頑張って考えたのにい。そう言って唇を尖らせる悠仁に伏黒は何か言いたげだったようだが、結局は黙ったまま考え込む仕草をして数分。

「しばらく離れたらどうですか」
「なるほど!」
「ハア? ヤダ」
 伏黒からのナイスなアイデアにポン、と手を打った悠仁と、盛大に顔を歪ませて子どもみたいな答えを返す五条。同時にまったく違う反応を見せる二人は息ピッタリに顔を見合わせた。
「悠仁?」
「いや先生がなに? なんでイヤなん、すげえ名案じゃね?」
「ヤダヤダヤダ〜〜〜!! 恵も野薔薇も冷たいし、悠仁とキャッキャするのが僕の癒やしなんだよ!? 僕から癒やしを取るなんて……泥棒猫ッ!」
「本人なんだけど!?」
 それよりも。五歳児顔負けの駄々をこねる担任を悠仁は困惑げに見遣る。伏黒といえば、付き合いの長さゆえなのか「見苦しい」と呟いたきり我関せずの顔のまま机の中から文庫本を取り出していた。これ今から読む気だ。
 そもそも今は昼休みで、誰がどう過ごそうかなんて勝手であるわけで。悠仁には伏黒に対してぶつける文句なんてひとつも持ち合わせていない。けれど、けれども。友人として、悠仁よりも五条の扱いが慣れている者として、少しは助けてほしいと思ったのは当然のことだろう。
「ちょっと悠仁聞いてるの!?」
「面倒くさい彼女みたいなこと言いだした……」
「誰が面倒くさいですって!?」
「怖ッ!!」
 生徒を後ろから抱きしめて肩にぐりぐりと頭を擦り付けてくる担任なんて、日本中を探せば他にもうひとりくらいは見つかるのだろうか。訳のわからない現実逃避をしながらも悠仁はその白い髪をよすよすと撫でてやった。
 彼が最強ゆえに忙しいことなんて、呪術師いちねんせいの悠仁でももうしっかりと認識している。五条の言葉を鵜呑みにするのなら、悠仁の存在が癒やしになっているそうだ。自分なんかがいるだけでいいのなら。悠仁にできることなんて些細なことでしかないけれど、それで少しでも疲れがとれてくれたら嬉しいとは思うのだ。

「虎杖、あんまりその人甘やかしてると調子に乗るぞ」
「これ以上?」
「これ以上」
「まじか〜〜」
「悠仁ってカワイイ顔してときどき毒吐くよね」
 ページは進んでいるのになんとなくやりとりは聞こえていたらしい伏黒が顔すら上げずに忠告をくれる。悠仁はカワイイなんてほざいている五条の頬を人差し指で突いた。当たらなかった。逆側は引っ付いてるのにな、器用なことで。感心と呆れを抱いた悠仁だった。
 しかし、だ。ラッキースケベを受け入れるわけにはいかない。善人だのお人好しだの言われる悠仁といえど、この現状を黙って見ているほど懐は広くない。どうせなら尻と身長がデカいオンナの人と経験してみたいのだ。なにせ、健全な男子高校生なので。
「先生ちゃんと考えてる? このままだとインコー教師とか呼ばれちゃうよ?」
「悠仁からそんな単語聞きたくなかった。誰に吹き込まれた?」
「真顔じゃん。誰でしょ〜?」
「可愛さで有耶無耶にする気かー!」
 五条が離れてくれたので席を立つ。当然のようについてくる長身の男はやはり伏黒の案を却下したらしい。
「せめて距離をとっていればいいのでは?」
「ダメ」
「も〜〜あれもダメこれもダメって子どもじゃないんだからさあ」
 目的地は自販機だった。辿り着いた先で何台も並んだ機械を前にむむむと唸る。高専は生徒数が少ないのに何故か自販機の数は多い。よってラインナップも豊富なのである。
「悠仁が買うなら僕も買っちゃお〜、あっ」
 チャリンと小銭が落ちる音が辺りに響いた。こちら側に転がってきたそれを拾おうと悠仁が咄嗟に屈む。そして落とした本人も同じ行動をとるのは当たり前だった。
「わー、悠仁ありがと、お、」
「あだっ、」
 そうなると二人がぶつかるのは必然で。そこそこの勢いで額を打ち、思ったよりも受けたダメージにその場で蹲る。
「いっ〜〜、っ……!! 先生、だいじょぶ……? 俺結構石頭だと思ってたけど先生の頭も固いね」
「まー最強は伊達じゃないってことよ。じゃなくて悠仁も大丈夫?」
 お互いに心配して顔を上げる。するとどうなるのかといえば、最近の悠仁と五条にかかれば例のアレが発動してしまうのが答えである。
 ギリギリ、本当にギリギリでキスは回避できたくらいには唇スレスレだった場所に五条の唇が衝突した。キス未遂だった。
 明らかに今までよりもパワーアップしているラッキースケベに目眩がする。我ながら物凄い勢いで後退り、ゴシゴシと口を拭った。
「な、な……っ、」
「わー悠仁ひどーい。そんなに嫌がらなくてもいいじゃん」
「え、先生嫌じゃないん」
 こちとら危うくファーストキスの喪失だった事態にまだ頭がついていけていないのに、五条は口を尖らせてぶーぶーと文句を言っている。しかし悠仁に責められる謂れはないはずだ。それよりももっと言うことがあるだろうと募ろうとしたところでざり、とコンクリートを踏む音と人の気配がした。
 悠仁はギギギと錆びたねじを回すみたいにゆっくりとした動きでおそるおそるそちらを向いた。視線の先には盛大に顔を顰めた真希と釘崎という女性陣二人の姿があり、一目瞭然の表情からして今の流れを見られていたのは確実であった。
「あ、あの、釘崎サン……?」
 何も言わない彼女たちへ悠仁自ら沈黙を破る。言葉があってもなくても怖くて、どちらかを選ぶとしたら何かしら起こってくれた方がほんの少しマシだと思ったからだった。
「……オイ、テメーら真希さんになんつーモン見せてんだオラァ!」
「ゴ、ゴメンナサイ……」
 凄まれたものの理不尽とは、言い返せなかった。道理にかなっていると自分でも思ったので。
「オマエ……生徒に迫るとか無いわ……クズだとは思ってたけどここまでとは……」
「真希ガチで引いてるじゃんウケる」
「先生! 笑ってる場合じゃないよ!?」
「虎杖! アンタは黙ってらっしゃい!」
「ひゃい!」
 意にも介していない五条を揺さぶってこれ以上煽るようなことを口走るなと止めようとしたところを釘崎に黙らせられ、悠仁は大人しくその場で縮こまる。頭上では五条VS真希&釘崎の刺々しい口論が飛び交うものの当然口を挟む権利なんか与えられず、いたたまれない気持ちで聞くはめになる悠仁であった。





「や〜僕の生徒たちったらみんな逞しくて参るね。これもGTGの教育の賜物かな」
「ウン……ソウダネ……」
 ぐったりとしている悠仁に対して五条はあっけらかんとそんなことを宣う。最早ツッコむ気力も湧いてこない。
 悠仁は目線だけを動かし隣の男を盗み見た。いつも飄々としている五条の口から本心を聞けた覚えがない。彼は事実は述べても、己の気持ちをさらけ出すことはないのだと悠仁は知っていた。
「……先生はさー……、いや、やっぱなんでもない」
「えー? なになにそこまで言いかけたんなら気になるじゃーん」
 ひょいと顔を覗き込まれる。目隠しのせいで顔も半分近くが隠れているから、表情から感情を読み取ることもできない。
 無意識に顎に手をあて、どう言葉にしていいか考える。聞いても、いいのだろうか。五条のことだからまた上手く躱してしまうかもしれない。
「……んーとね、あんまし言わん方がいいと思うよ? その、女の子が勘違いしそうな発言」
「は?」
 悠仁なりに懸命に思考を巡らせたというのに、返ってきたのはドスの利いた声だった。
「ど、どしたん?」
「はああああ〜〜〜〜…………いやさあ、伝わってないのは知ってたよ? でもここまで意識されてないのは正直凹む……」
「ん? 先生?」
 先程までの態度は何処へやら。見るからにがっくりと肩を落としてぼそぼそと呟いている。何を言っているのかは聞こえないけれど、悠仁はこんな五条は初めて見た、という驚きで呆けてしまっていた。
「え、えーっと、俺まずいこと言った?」
 ただひとつだけ理解したのは自身の発言がきっかけらしいこと。先生ごめん、と訳もわからず謝ると、突然ぐいんと首を回してこちらを見るものだからちょっとした恐怖で悠仁は肩を震わせた。
「傷ついた」
「へっ?」
「誠意のない謝罪なんていりません!」
「ええ……俺どうしたらいいの?」
「あのねえ? いくら軽薄に見える僕だって教師なんだよ?」
「自分で言っちゃうんだ……」
 発言したら睨まれたのが目隠し越しで分かった。今はお口はチャックしていなければならないらしい。
「そんな教師の僕が! 生徒である悠仁に! 可愛いとかキスしたかったとか言うと思う!?」
 キレ気味に指をさされた。というか。
「先生キスしたかったん!? そんなこと言ってた!?」
「言っ……えるわけないじゃん! でもショックだとは言った!」
「じゃあ分からんよ!!」
 何故だか五条が悠仁に怒りをぶつけてくるので思わずカチンときて言い返した。デリカシーが死んでるなんて言われるだけあって悠仁も五条に対してキレかけた経験がある。最近でいうとききかりん糖と言われて宿儺の指を食べさせられたときなんかそうだ。それでも、なんだかんだでいつもは受け流してしまうことが多いから、こんなにもヒートアップしたのは初めてだった。
「もー! 結局何が言いたいわけ!?」
「悠仁が好きだってことだよ!?」
「は、……はあっ!?」
 おそらく五条も口にするつもりはなかったのだろう。目に見えて「しまった」という顔をした。だが悠仁はしっかりと己の耳で聞いていた。思わぬ話の転がり方に怒りはスッと引いていく。
「……せんせい、俺のこと、好きだったの?」
「〜〜〜っ悪い!?」
「いや別に、悪くはないと、オモイマス」
 語尾がカタコトになった。
 五条は、それはそれは盛大なため息を吐くと「あー、もういいや」とヤケクソ気味に語りだす。
「ていうかさあ、もうぶっちゃけるけどここ最近最高の日々なんだよね」
「うん……?」
「だから言ったじゃん。ラッキースケベだって。ラッキーなの、僕的には」
「えっ、あ、あー……」
「もうちょい際どいとこまでいかないかな〜なんて思ってたけどさすがに漫画みたいにはいかないね」
 たはー、と軽すぎる雰囲気で本当にぶっちゃけていく五条はどこかスッキリした口振りだった。一方で悠仁は告げられた事実をなんとか噛み砕くので精一杯だ。
 そうして、どうやら五条はかなり悠仁のことが好きらしいのは理解できた。
「五条先生、マジなんだ……?」
「そうだよ。気づかなかった? さっきだって術式解いてたデショ」
 言われてみれば。本来なら五条とぶつかるはずがないのだ。なのにあたったということは五条が半分は意図的に狙った証になる。
「で? 僕に好かれていると知った悠仁くんは、何をしてくれるんでしょうか?」
 試すように、こちらを窺うように。五条は威勢よく問うたが、それはどこか不安を纏っているように感じられた。ついさっきまで掴みどころがないなんて思っていたはずなのに、今は手に取るようにすっと染み込んでくる。
「あ、あんね、俺まだびっくりしてるし混乱してるけど、五条先生の気持ちが知れたのは嬉しいって思ったよ」
「……うん」
「だからこれからちゃんと考える。……それでもいい?」
「っ、うん……! うん!」
 途端に五条の周りに花が舞う幻覚が見えた。喜び方に既視感がある。こう、大型犬みたいな。案外可愛い人なんだな、と思ってから一拍、いやいやと頭を振る。いくらなんでも早すぎないか。今考えると告げたばかりなのに。ちょろすぎるだろ自分。
「言質とったから。本気で落としにいくからさ、早く僕のものになってね、悠仁」
 目隠しをするりと外されてあらわになった素顔で、五条は微笑む。普段見慣れない端正な顔立ちに加えて、自身のそれが他人にどう映るのか知り尽くしたうえでやっていると思われる笑み。あまりの眩しさに悠仁は反射でぎゅっと目を瞑ってしまった。
「悠仁?」
「わかった! わかったからそれやめよ……?」
「ふ〜〜ん? なんで?」
「眩しいから……」
「っふ、ふふ、そう?」
 へえ、と口角を上げて笑った顔、それはとんでもなく悪そうで知らずのうちに背筋が震えた。
 ──もしかして、まずった?
 口端が引き攣る。お手柔らかに、の声が無事に届いていることを祈って、悠仁は未来の自分にすべてをぶん投げたのであった。



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