長男の頼りたいひと



 ここ、中高一貫キメツ学園にはいくつか名物ともいえるものがある。そのうちのひとつが、現在校舎内を駆け回る教師と生徒が繰り広げる鬼ごっこである。
「止まれ問題児!!」
「お断りしますッ!!!」
 凄まじい速度で通り過ぎていく二人、竈門炭治郎と体育教師の冨岡を横目に周囲の生徒たちが怯えながら避けて道をつくっていく。
「何も持ってくるなとは言わない! せめて校内でだけでも外せと言ってるんだ!」
「だから! それを! 嫌だと! 言ってるんですっっ!!」
 互いに足を止めないまま主張し合うも結局は平行線を辿るばかり。冨岡の足が止まるのは無事に炭治郎を捕らえたときか、予鈴が鳴った場合のみ。
 キーン、コーン、とチャイムが鳴る。今日は後者だった。
「チッ……」
「舌打ち! 教師が生徒の前でやることじゃないですよ!」
「問題児相手に教師もクソもあるか」
「口悪い!」
 とても教育者とは思えない態度の冨岡に、炭治郎はキャンキャンと吠える。今日は逃げ切れたものの、もし捕まってしまえば一日ピアスを没収されてしまうので、炭治郎にとって冨岡は宿敵といえるのだ。父の形見であるこれをずっと身につけていたいと思うのはそんなに悪いことなのか。炭治郎は口元を引き結びながら教室へと走る。後ろから「廊下は走るな!」なんて聞こえてきたけれど、腹いせに無視をした。

「どう思う!?」
 生徒たちにとってやすらぎの時間ともいえる昼休み。しかし笑顔になっていない者がここにひとり。
 憤慨した炭治郎はともに昼食をとる彼らに詰め寄っていた。
「あのね炭治郎。俺、風紀委員」
「善逸だって髪染めないじゃないか」
「地毛なのよコレ!! わかる!?」
 先輩兼親友の我妻善逸は自身の頭を指差しながら叫ぶ。
「俺はあの人を教師だなんて認めない……!」
「いや教師だよ。横暴だけど。PTAから怒られろと思ってるけど。ぶっちゃけあの人の方が正しいんだよ」
「こうなったらとことん抗ってやる!」
「ええ……ちっとも人の話聞かないじゃん……」
 体育教師への対抗心を燃え上がらせながら白米を口に運ぶ炭治郎に、それまで興味なしとばかりにおかずに夢中になっていた嘴平伊之助がもごもごとしながら口を開く。
「なんだ!? アイツと戦うのか!?」
「いや、暴力は駄目だからな。何か作戦を考える。あと伊之助、口の中のものは飲み込んでから喋るんだ」
「んだよつまんねぇ」
「やめとけってば〜〜絶対ロクなことなんないよ???」
 善逸の呆れる声などものともせず、炭治郎はすっかり黙り込んでしまった。あ〜あ、なんて視線を向けながら、善逸は目を瞑る。俺は何も聞いていなかった。自身にそう言い聞かせ、さっさと昼食を食べ終えることに集中する。
 三人にとっては、いつもより静かな昼休みになった。





「おい」
「はい! なんでしょう!」
「どうして隣にいるんだ」
「仲良くなればピアスを見逃してくれるかなと思いまして!」
「阿呆が。贔屓なぞする筈がないだろう!」
 次の日の昼休み、ひとりでパンを齧っていた冨岡の元へやってきた炭治郎は自信ありげに告げた。だが当然叱られ、阿呆なんて言葉を貰ってしまった。
「冨岡先生、やっぱり口悪いですよね」
「知らん」
「でもいいです! 俺、明日も来ますからね!」
「来るな」
 そっけない冨岡の態度にもめげず、炭治郎は強気に出た。
 正直に言うと仲良くなれたら、という思いもあるし、たとえできなくても冨岡に一矢報いた気持ちになれるからこれでいいのである。
 それに今日初めて知ったことであったが、まさかボッチごはんだったなんて。そんなの寂しいではないか、ご飯は誰かと食べるのが美味しいのに。だったら違反生徒であろうがいる方がマシなのでは、と炭治郎は思う。だから明日もここを訪れることに決めた。もし逃げられていれば匂いを辿って追いかける気満々である。今こそ、自身の鼻の良さを発揮するときだ。
 まさか隣でそんな計画を立てられているとは知らず、冨岡は不機嫌さを隠しもしないままパンの残りを詰め込んだ。案の定噎せて、炭治郎からお茶を貰うことになってしまったのだが。そのお茶が美味しくて数秒固まってしまったり、そんなハプニングを超えて、また次の日。

「お前」
「お前じゃないです竈門です。あっ、炭治郎でもいいですよ!」
「いいわけあるか」
 冨岡よりも早く着いて待っていた炭治郎の耳に低い声が届く。声の主は深い深いため息を吐きながらも今から別の場所を探す手間を考えたからか、やがて諦める匂いがし始めた。
「竈門は……他の教師から優等生だと評判だが俺からは全くそう思えんな……」
「えっ! 誰が言ってくださってるんですか? 嬉しいなあ」
「話の後半も聞け」
「聞いてますよ。譲れないだけです」
 そう言ってそっとピアスに触れる。父が亡くなり、形見のピアスは竈門家の長男である炭治郎へと引き継がれた。生前に父は穴を空けるのは高校卒業後にしておけと言っていたのだが、炭治郎はそれを反故にした。いくら長男といえども、まだ中学生であった炭治郎にとって父の死の傷は深く、しかしきょうだいの中ではこれから最初に家族を支える役割となるために、何か支えとなるものが欲しかったのだ。
 ピアスを身につけていれば父がそばにいてくれるような気がして、頑張れる気がした。
 実際不安なことがあるとついピアスに触れてしまう癖ができてしまったが、それが支えとなって炭治郎を勇気づけていた。
 そういった経緯から校則といえど外すことに躊躇いがある炭治郎は冨岡からのお叱りからも逃げていた。悪いことをしている自覚はある。けれどこれだけはどうしても、駄目なのだ。
 炭治郎の表情から察するものがあったのかは定かではないが、冨岡は少しの沈黙のあとおもむろに口を開く。
「別に穴を塞げとまでは言ってないんだがな」
「譲歩してくださるのは有り難いですけど、ぜっっったい嫌です!!」
「こんのクソガキ……」
「あー!! また口悪い!!」
 そんなんだからみんな怖いって言うんですよ、と言い返すと、隣り合った肩がわずかに跳ねた。もしや気にしていたのかと驚いて、炭治郎は口角を上げる。
「俺は怖くありませんけどね!」
「なんで自慢げなんだ」
 どやさ、と胸を張る炭治郎へ冨岡が呆れた視線を送った。
 なんだかんだ言いつつ、わいわいぎゃあぎゃあと騒いでいると昼休みはあっという間に過ぎていった。立ち上がる冨岡に倣い炭治郎も空になった弁当を持って腰を上げる。そしてふと思い出したように、冨岡がこちらを向いた。
「ああ、そうだ。竈門、どうしようもなくなる前には大人を頼れ」
「へ?」
 脈略のなさに呆ける炭治郎に構わず続けられる。
「お前は危なっかしい。見ていてヒヤヒヤする。自分がまだ子どもだということを忘れるな」
「……、」
「返事!」
「は、はいっ!」
 あまりに唐突だったために冨岡の言ったことの半分も理解できていなかったのだが、反射で勢いのついた返事をする。それに満足したのか冨岡は頷き、スタスタと歩いていってしまう。クエスチョンマークを浮かべたままの炭治郎もあとに続きながら、じわじわと彼の言葉が胸の中に沁み込んでくるのが分かった。
(冨岡先生って、こういうところがあるから怖く思えないんだよなあ……)
 時折見せる優しさ。それを知っているのははたして何人いるのか。知る人が少なければいいなあ、なんて思ってしまったのは、大切な玩具を取られまいとする幼子のような心なのだろうか。
(んんん……?)
 反抗していた教師に対してそう思ったことに炭治郎は首を傾げたのだった。





 気がつけば冨岡と昼食をとる昼休みが日常へと変化していた。どこへ行っているかを明かしていないせいで善逸と伊之助からは怪訝な顔をされているが、まるで二人だけの秘密みたいな現状をどうにも手放し難い。

「竈門ー、ちょっと頼みたいんだけど」
「うん? どうした?」
 放課後、クラスメイトから呼びかけられた炭治郎はくるりと振り向き声のした方へ視線をやる。炭治郎を呼んだ友人である彼の挙げられた手には日誌があり、首を傾げつつ近寄っていく。
「悪いんだけどこれ悲鳴嶼先生に届けてくんね? オレ今日用事があってさ……!」
「ああ、いいぞ!」
「ホントか!? マジで助かる!」
 炭治郎へ日誌を渡したクラスメイトは申し訳なさそうに何度も手を合わせながら、忙しなく教室を出ていった。

「失礼しまーす、……っわ」
 職員室の扉を開けた途端目の前に広がったのは青いジャージ。ぶつかる寸前に驚いてよろけたおかげで当たらずに何歩か後退った。
「大丈夫か」
「は、はい。ありがとうございます」
 ぱちくりと瞬いた冨岡は咄嗟にもかかわらず炭治郎の肩を支えた。さすがの運動神経だ、なんて感心しながらお礼を告げると、冨岡の視線が炭治郎の右手に向いていることに気がつく。
「冨岡先生?」
「……お前、それ……」
「あっ! そうだ、悲鳴嶼先生はいらっしゃいますか?」
「居るが、」
「良かった! それでは!」
 ぺこりと一礼して通り過ぎる。何か言いたげに見えたが、今は頼まれごとが優先だ。職員室内を見回し担任の姿を探す。
「悲鳴嶼先生」
「竈門……? どうした……?」
「頼まれて代わりに日誌を届けに来ました!」
「そうか……。……本人は?」
「用事があると言っていたので」
「む……しかし、持ってくるくらいの時間はあっただろうに……」
 眉間にしわを寄せて苦言を呈す悲鳴嶼に、炭治郎は笑顔で首を振る。これくらいなんてことないのだから重く捉えないでほしい。炭治郎がそう言うと、彼はなんとか引き下がってくれた。
「それでは失礼します」
「ああ。気をつけて帰りなさい」
「はいっ」
 担任の優しさにほっこりしつつその場を辞する。職員室を退室すると扉の横には先程すれ違いになったはずの冨岡が佇んでおり、じっと炭治郎を見つめていた。
「……竈門」
「? なんでしょう」
「話は聞いた。悲鳴嶼先生の言うとおりだ、お前が引き受ける必要はなかった」
「ええ……? 先生もそのお話ですか?」
 別にいいのに。炭治郎が口を尖らせそう返すと、駄目だとすぐさま冨岡から反論される。
「今回だけじゃない。自分で気づいていないのか? 普段から人にあれこれと頼まれてはそれをやすやすと引き受けているだろう」
「……うーん……?」
 指摘されればなんとなく思い出せる、というくらいにはあまり意識していなかった。炭治郎自身すら分かっていないことをどうして彼が知っているのだろうと不思議に感じた様子を悟った冨岡が、お前が毎日横で話すから、と言う。
 昼休みに押しかけ話した内容を覚えていたらしい。炭治郎は主にその日にあった出来事を語っていたから、聞いていた冨岡の方が気がつけたのだろう。納得して、しかし彼の伝えたいことが読めずに困惑する。気遣ってくれているのは分かるものの、担任ではない彼が気にかける義理はないはず。
「はあ……人に頼れと言ったんだがな」
「あっ、あれってそういうことだったんですか?」
「…………」
「いや! だって脈略もなく言われたら分かりませんってば! 冨岡先生こそご自身のこと振り返ってみては!?」
「……俺のことはいい。話をそらすな」
「ええー……」
 多少気まずげにしているが、あくまで強気な姿勢のまま冨岡が言い募る。
 仕方なく、炭治郎は最近を思い返してみた。そう言われてみれば掃除好きを買われ美化委員の活動の助っ人に呼ばれたり、次の授業の準備を頼まれた日直のクラスメイトを手伝ったり。ちょっとしたことを含めると他にもあったような気がする。
 だがどれも炭治郎を頼りにしてくれていると感じるからこそ、嬉しくなって期待に応えてしまうのだ。学校でも長男の癖が出てしまっているのだろうが、そういう性格だから仕方がない。それをどうこう言われても炭治郎には成す術がないのだ。
「えっと、無理です」
「は?」
「長男なので、人に頼ることもみんなの期待を裏切ることもできません」
「なんだそれは。意味が分からん」
「別に先生に理解してもらわなくても大丈夫です!」
 ムッとして、放った言葉に棘が入る。教師相手に失礼なんて気持ちは今更だった。
 それ以上続きを聞きたくなくて踵を返す。足早に立ち去ってしまえば冨岡が追っかけてきてまで炭治郎に何か言うとは思えなかった。
 人の役に立つことをして何が悪いのか。むしろ褒めてくれたっていいじゃないか。炭治郎の胸のうちはそんな思いがぐるぐると渦巻いていた。
 ──だから、近づいてくる足音にも最近嗅ぎ慣れた匂いにも、ちっとも意識を向けられていなかった。

「竈門ッ!」

 大声で名前を呼ばれ、びくりと肩が跳ねる。反射で固まった炭治郎の腕を背後から引っ張る者がいた。冨岡だ。
「何故逃げる、話は終わってない」
「俺の方はもう話すことがなかったので」
 事実だった。炭治郎と冨岡では意見が合わない、ただそれだけだ。彼はあまり友好的な性格ではないようだから、きっと炭治郎の気持ちが分からないのだ。
 こちらの荒れ狂う胸中なぞ知る由もなく、一方の冨岡は苦虫を噛み潰したかのごとく顔を歪めている。
「っ……お前が背伸びしている姿は、見ていられん」
「そうですか」
「急いで大人になろうとするな」
「は……?」
 冨岡の言い分が理解できなくて苛立ちが募る。担任でもないのにどうして口を出すのか。
「…………なんですか、先生には関係ないでしょう」
「ある」
「厄介な生徒が何を抱え込もうが、見てみぬふりでもしていればいいじゃないですか」
「しない。お前ならとくに」

 ──やめろ。暴くな。自分だって気づかないよう、奥深くに閉じ込めていたのに。

「……俺が、俺が頑張らなきゃいけないんです。はやく大人になって、みんなに楽させてやりたいから」
 口からこぼれたのはずっとずっと考えていたことと。
「俺には、だれも、いない……っ! 俺が長男だから……。母さんも、妹たちだって父さんがいなくなってつらいのに、俺だけが泣きごとをいうなんて、」
「竈門」
「おれが、おれがしっかりしないと……っ!」
 全部、本音だった。
 さびしい、父に会いたい。物じゃなくて、人に支えてもらいたい。
 けれどそれを誰に打ち明けられるだろう。家族はもちろん、友人にすら言えなかった。友人とは対等な関係でいたいから。炭治郎だけが寄りかかるなんて、到底できなかった。
 人に頼られると嬉しかった。自分がちゃんとやれてると実感できるから。笑顔を向けられると、理想に近づけている気がするから。
「──竈門、聞け」
 凛とした声が炭治郎の鼓膜を打った。弾かれたように顔をあげる。
「他の奴らに頼れないなら俺を頼れ」
「な、なんで……、」
「……今から言うことは独り言だ。……俺は竈門のことが好きだ。だから好きなやつが困っているなら手を差し伸べてやりたい」
「え、…………えっっっ!!?」
 炭治郎はぽかんと口を開けて冨岡を見た。彼は一切こちらを見ようとせず、あくまで独り言だという姿勢を貫くつもりらしい。それはそうだ。教師である彼が生徒の炭治郎を好きだなんてそうそう口に出せることではない。
 それでも、冨岡が想いを口にしてくれたのは炭治郎のためだと分かるから。
「い、つから、ですか……? 俺のこと、鬱陶しい生徒だったんじゃないですか……?」
「……そうだったんだがな」
 お前があんなにさびしげにしているのを見たら、俺が力になってやりたいと思ってしまったんだよ。
 そう言って、ふわりと微笑んだ男を見た炭治郎の口からは「わひゃあ……」なんて間抜けな声が出た。
「竈門はきちんとできているつもりだったのか知らないが、一度気づいたら簡単に見抜けるようになった。ずっとひとりで抱え込んでいたんだろう。頑張ったな」
「そっ、……っ、な……!」
 そんなことを言われてしまってはもう、駄目だった。欲しかった言葉と、頭を撫でるあたたかい大人の手。ぼろぼろと涙が溢れてきて炭治郎の頬を濡らしていく。しゃっくりをあげながら小さい子どもみたいに泣きだす炭治郎に呆れる様子もなく、やさしい顔のまま冨岡はずっと撫で続けてくれていた。

「…………おれも、せんせいのこと、すきです」
 泣いて泣いて、ようやく泣き止んで。ずず、と洟を啜りながら告げた炭治郎に、冨岡は眉根を寄せて首を横に振った。
「……いや、今言ったのは独り言だから気にしなくていい。返事もいらん」
「なんで」
 嘘じゃないのに。信じてもらえないのが悲しくて、ゆるくなった涙腺が再び刺激される。じわりと視界が滲んできた。
「泣くな。……弱っているところにつけ込んだんだ。勘違いだと思う」
「は? ちがいます! ちゃんと冨岡先生のこと、すきです!」
 確かに気持ちに気がついたのは今回のことがきっかけたったかもしれないが、さすがにそれだけで流されるほどは軽くない。
 炭治郎の真剣な瞳からなんとか本気さは通じたのか、やがて冨岡は大きなため息を吐き、二人にしか聞こえないほどの声量で囁いてきた。
「……だったら、卒業したときにまた告白するから、そのときに返事をくれ」
「……! や、約束ですよ!? 言質取りましたからね!?」
「はいはい」
 もうあのやさしい表情はすっかり引っ込んで、いつもの無表情に戻ってしまった。
(ちょっと残念)
 見慣れないせいで胸はどきどきと高鳴ったが、さらにかっこよく見えて好きだったのに。ちらりと見上げた横顔は涼しげだ。
「竈門」
「はい?」
「もう俺がいるから、ピアスは外してもいいんじゃないか」
「……先生はまだ恋人じゃないので、ピアスは外せません!」
 ちょっとした意趣返しでピアスを両手で守りながら答える。冨岡は小さく舌打ちしていた。
「さっきまではあんなに泣きじゃくっていたのにコイツ……」
「わああそれ持ち出すのはナシですよ!」
 ギャン、と喚いて、背中を頭突いてやった。思いのほかダメージがあったのか、小さく呻く声が聞こえたのに満足して、炭治郎は心から笑ったのだった。



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