良薬は長男に甘し


※204話後



 あの死闘の一夜から暫く。鬼殺隊の面々がそれぞれ、穏やかな日々に腰を落ち着けはじめた頃合いだった。
 一度雲取山の実家に善逸と伊之助を連れた四人で帰ったものの、炭治郎はみんなに家のことを任せて義勇のもとを訪れていた。
 此れまでは互いに鬼殺のことだけを考えていたために口に出す機会はなかったが、炭治郎と義勇は想い合っていたのだ。相手も同じ気持ちだと察しても恋仲にまで発展しなかったのは、二人とも不器用であるから、という単純明快な理由からだった。
 恋に現を抜かして任務を疎かにするなど、絶対にあってはならない。炭治郎は義勇と恋仲になれば浮かれてしまう予感しかなかったし、義勇の方も、ただでさえ仮といえど柱の地位にいるのだから他の者より劣る自分がそのような腑抜けになるわけにはいかないという思いがあったらしい。
 蝶屋敷で療養中の期間、たくさん話をしているうちに聞いた。似たような理由で手を伸ばせなかったんだなあ、と二人で笑い合ったあのときを忘れられない。

 そんなこんなで想いを通じ合わせた二人が逢瀬をするのに、誰が異論を唱えようか。出発間際、少しの間留守にして悪いと謝る炭治郎に、禰豆子はにこにこと本当に嬉しそうに笑って送り出してくれた。なんでも、炭治郎が自身の幸せを優先してくれたことが何より喜ばしいのだとか。妹の言葉に炭治郎はたいそう感動して瞳は潤みかけた。兄の想い人が男だという事実など瑣末なこととして片付けてくれている。それどころか「お兄ちゃんと義勇さんが結ばれてくれるなんて夢みたい」と、長年の願い事が叶ったかのごとく喜んでくれた。それがどれだけの安堵をもたらしたのか、きっと禰豆子は知らないままなのだ。
 背負った籠にうちで採れた野菜をこんもり積んで、炭治郎は山を下っていく。呼吸方のおかげで義勇の屋敷までの道のりは然程遠くには感じられない。この調子であれば数日もせずにたどり着くであろう、と訪ね先の人を想ってそっと笑みをこぼす。なにせ久しぶりなのだ、話したいことは山ほどある。

「へっくしゅ」
 刹那、鼻の奥がむずりと疼いて、炭治郎はくしゃみをしてしまった。ずず、と啜りながら鼻下を擦る。季節は冬を迎え、辺りの木々はかろうじて枯れ葉をぶら下げている。
(あの冬から、もうそんなに経ったのか)
 忘れもしないあの日、炭治郎は家族を失い、妹を抱えて山をおりていく途中に転げ落ち、そして義勇と出逢った。鱗滝を紹介してもらって鬼殺隊に入るべく修行し、無事入隊してからは怒涛の日々だった。
 流れるように過ぎ去ったあの頃を思い出すと、どうしても胸が痛む。失ったものが多すぎて、けれど後ろを向いてばかりもいられないと頭を振り今を懸命に生きている。
 まだ蝶屋敷で療養していた頃に、俯いてしまいそうな心を引き上げてくれたのは意外にも義勇だった。教えてくれたのはお前だろう、と微笑んで繋いでくれた手にどれほど救われた気持ちになったか。ああ好きだなあ、と何度目とも分からぬほどに惚れ直した。
(降ってしまう前に急ごう)
 あいにくと空模様は灰色だ。この寒さからして雪が降るのも時間の問題だろう。炭治郎は震える身体に目を瞑り、道のりを急いだ。





「こんにちはー」
 あれから半日程度で義勇の屋敷に到着できた。いつかのように中にいるであろう家主に声をかけるも返事はない。おや、と首を傾げ、ガラリと門扉を開ける。すんすんと匂いを辿るがどうにもその匂いは薄く、義勇が留守にしていることが窺えた。
「あれま」
 たまたま出掛けているのだろう。運悪くすれ違ってしまったようで少しだけ、がっかりする。寸前まで義勇に会えると浮かれていたためにどうしても落ち込む気持ちは避けられず、家に上がらせてもらいつつ落とした腰は重いものになった。
「義勇さん、いつ帰ってくるかなあ」
 心細い、なんて気持ちが浮かんでくる。何故だろう。いつもなら義勇を待つ時間であれば苦にならないのに。
「はあ……」
 疲れもあいまって、背負ってきた籠にぐったりと寄りかかる。なんだか意識がぼんやりとしてきた。おかしいなと炭治郎が自覚したところで既に遅く、息も上がってきて身体が熱くなった。
「……どう、しよう……かえらなきゃ、」
 ──風邪をひいてしまったらしい。義勇の屋敷に着いてから気がつくなんて。
 今思えば、出発する前からどうにも鼻が利きにくくなっていた気がする。それを深く考えずにいた。自己管理もできない子どもだと彼は呆れるだろうか。
 回らない頭で帰路を思い描く。とんぼ返りになってしまったことは後で手紙で謝るとして、とにかく彼にうつしてはまずいと、そればかりが脳内を占めていく。
 心配をかけてはならないので書き置きを残さなければ。ふらふらと覚束ない足取りのまま廊下を三歩進んだところで、炭治郎の意識はことりと落ちてしまった。





「……あれっ? ここは……」
 ふっと目を覚ました炭治郎の視界に入ったのは見知った部屋だった。自身は布団に寝かされ、額には濡れた手ぬぐいの感触がある。
「おれ……ぎゆうさんのやしきについて、それから……」
 記憶を辿れば己がどうなったのか推測するのは容易だった。ここに着いたときに風邪の症状が出てぱたりと倒れてしまったのだ。炭治郎はサッと表情を青ざめさせる。布団を敷いた覚えなどない。そもそも、さすがの炭治郎でも家主に断りもなしで布団を出さない。ということは、今こうしているのは義勇が運んで寝かせてくれたからに他ならない。訪ねてきて倒れるなどなんて奴なのか。きっと帰宅した義勇はたいそう驚いたに違いない。考えれば考えるほど、底なし沼のように悪い思考に嵌っていく。己の不甲斐なさに、どうにもならないと知りながら掛け布団の中に包まった。

「……炭治郎?」
 障子の向こう側から気遣う声がした。炭治郎はハッと我に返ると、まだ閉ざされたままのそこへ飛びつき押さえつけた。
「あのっ! 来て早々ご迷惑をおかけしてすみません……義勇さんにうつしてしまったら申し訳ないので、俺のことは放っておいていただけませんか? 動けるようになったらすぐに帰りますので!」
 一息に捲くし立てると、義勇からは困惑したような返事がある。
「熱があっただろう。下がるまで動くんじゃない」
「……っ大丈夫です! 長男ですので……!」
 くらり。声を張ったせいで目眩を起こす。もしかすると、自分の想像以上に体調は芳しくないのかもしれない。けれど譲る選択肢もなくて、炭治郎は目を回しながら説得に励む。
「だから、あの、もうすこしだけ、このおへやをかしていただければ、」
「煩い」
 声と同時に重心をかけていた障子はいとも簡単にスパン、と勢いよく開け放たれてしまった。当然だ。普段の炭治郎でも、力で彼に敵うはずもない。
 思わず倒れかけた身体を義勇は難なく受け止める。
「ぎ、ぎゆう、さん……」
「ああほら、先程より頬も赤い。……体温も上がっているな、変な気を使うからだ。訳の分からんことをつらつら並べている暇があるなら寝て治せ」
「でも、」
「でもじゃない。少し留守にしている間にお前が家の中で倒れていたときの俺の気持ちも考えてくれ」
「…………ごめんなさい」
「理解したか」
 もしも義勇が炭治郎の家で、と置き換えると己のやったことがどれほど恐ろしいものだったかよく理解できた。死が身近にあった自分たちは、最悪な結果を容易に想像できてしまう。炭治郎の暗い声に義勇は呆れたため息をついていた。
「炭治郎、分かったら布団に戻るんだ」
「はい……」
 義勇の優しさに触れて安心すると、一気に倦怠感が炭治郎を襲った。見かねた義勇が支えて運んでくれてようやく床に就く。そのまま離れていこうとする体温が離れ難くて義勇の腕を掴んだまま寝転がる。
「炭治郎……」
「んん……」
 義勇から困った匂いがする。それには嬉しさや焦れったさも混じっており、炭治郎が不安に思う要素は感じない。だから、鈍った思考が後押しをして思いのままを口にした。
「もうすこし、だけ……ぎゆうさんをひとりじめしてもいいですか……?」
「そんなことしなくとも、俺はとっくに炭治郎のものだぞ」
 それより、と義勇は続ける。
「風邪で弱っているとはいえ、甘えられるのはいいものだな」
「……?」
 ぽやぽやした頭では義勇の言葉が上手く飲み込めない。
 それでも。絡め取られた指と、くっつけられた額が彼の存在を炭治郎の心に刻み込んでいく。うとうととし始めた炭治郎に義勇が穏やかな声でおやすみと告げる。
「……でも、炭治郎には元気な姿が一番だよ」
 唇に少しだけかさついたそれが触れたのは、きっと気のせいではなかった。



  ◇  ◇  ◇



「……寝たか」
 義勇は心の底から安堵してほっと息をついた。炭治郎には何度肝を冷やされるのだろうか。帰宅してすぐの己を思い出して苦笑する。たいしたことではなかったと分かれば笑えもするものだ。
 炭治郎の息があることを確認した義勇は布団を用意し寝かせた。抱き上げた際に体温の高さを悟ったので風邪と判断し、薬を取りに行っている間に炭治郎は目を覚ましていたのだ。
 良かった、と思ったのもつかの間。炭治郎はおかしな気遣いですぐにでも去る、などと言う。優しさが変な方向へ暴走するところが炭治郎の短所だと思う。
 絡んだ指に力を入れると、無意識なのだろうが握り返されて頬が緩んだ。炭治郎には聞こえていなかったようだが、たまにはこんな姿も悪くない、なんて考えてしまった義勇はひどいと罵られても何も言い返せない。
 炭治郎が風邪を自覚したのが義勇の家で良かった。妹や友人たちの前では虚勢を張ってしまうに違いないのだから。
 それが悪いとは言わない。炭治郎だって一家の大黒柱として過ごしてきた月日がある。そういう意識を持っていて当然なんだろう。
 ──けれど、義勇の前くらい、甘える姿を見せてもいいんじゃないか。
 幾度となくそう思っていた。それが現実になるとこうも嬉しいものなのか。義勇の心は先刻からトクトクと弾んでいた。
「……心頭滅却……」
 愛おしい存在の愛おしい姿に邪な思惑が顔を見せるのは男なら誰だってあるだろう、なんて誰にも聞かれていないというのに言い訳を連ねてしまう。
 吐く息が熱い。いつになったら収まってくれるのか。炭治郎の寝顔を見つめても、好きだという気持ちが溢れるばかり。

(……そうだ、水……)
 次に起きたときには喉が乾いているだろうし、何より薬を飲ませる前に寝かせてしまったので、あとで必要になることに思い至った義勇は立ち上がろうとする。しかし、ぐいっと引っ張られる感覚に少しだけよろめいた。
「たんじろっ、……力、強いな……!?」
 流石、義勇と力を合わせたとはいえ赫刀を出した炭治郎の握力が凄まじく、眠っているというのに袖を掴んで離さない。
(困った……)
 こんなときだからこそ、義勇が面倒を見ようと張り切っていたのに。これでは一歩も動けずただ居るだけではないか。
「炭治郎、すぐに戻るから少しだけ離してくれないか?」
 そっと囁くものの炭治郎は一向に力を緩めない。それどころか。
「……っ」
 ぐいぐいと布団の中へ引きずりこまれていってしまった。ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、炭治郎の火照った身体から熱が伝わる。フウウ、と深く息を吐いた義勇はゆっくりと瞼を閉じる。諦めた。炭治郎が望むのなら、いつまでだって隣に居てやると決めた。
「起きたときの反応が楽しみだ」
 驚いたあと照れて、そして申し訳なさそうにする姿が想像できる。それをどう言いくるめるか。決して口数が多いとはいえない義勇に、それができるだろうか。
 そんなことをつらつらと考えながら、義勇は穏やかな空間に身を委ねて襲い来る睡魔を受け入れた。



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