結局は仕方がないで許された


※前半モブ視点



 三限目終わりの合間、移動教室の為に廊下を歩いていたとある女子生徒が立ち止まった。隣の友人は何事かと視線を投げかける。
 最初に歩みを止めた女子生徒は窓から外を見ていて、追いかけるようにそちらへ視線を移す。その先には校門で校務員と話す青年の姿があったのだった。
「知ってる人?」
「違うけど……かなり親しそうだから卒業生なのかなーって」
「そうかもね」
 青年は大袈裟な程の身振り手振りをしつつ口を動かし笑顔を浮かべている。余程親しいのだろうか。あの校務員は気難しい人で有名で、教師陣や一部の生徒以外が話しかけるところを見たことがなかった。だから珍しい光景ではあるけれど、わざわざ見つめる程かと不思議に思う。
「教室戻んないの?」
「なんかね……このまま見ていろって私の勘が言ってるんだよね」
「ふーん……?」
 たまに理解できないことを言い出す友人だが悪い子ではないのだ。首を傾げつつそれに付き合っていると、暫く話していた二人は校舎の方へ歩いてきた。どうやら学園に用があるらしい。そして近づいて来て分かったが、青年は荷物を抱えていた。市松模様の風呂敷に包まれたそれは形からして弁当のように見える。
「届け物かな? ってかそろそろ行かないと授業間に合わないよ!」
「えっ!? もうそんな時間経ってた!? ごめん!」
 二人はバタバタと廊下を駆けて行く。もし生活指導担当のスパルタ教師に見つかれば反省文は免れないだろうが、幸い通り道には現れなかった。

 四限目の授業が終われば待ちに待った昼休みだ。女子生徒二人は食堂へ向かう廊下を渡っていた。今受けた授業が難しかっただの、もうすぐ行われるテストが憂鬱だの他愛もない会話をしながら職員室を通り掛かったときだった。
 何やら職員室内が騒がしく、二人は興味を惹かれる。顔を見合わせ頷き合った彼女たちは揃って扉に近寄った。そしてそっと耳を傾ける。
「もう帰っちまうのかよー」
「はい。結構長居してしまいましたし……」
「せっかく久しぶりに会えたのだがなぁ」
「……竈門の実家はパン屋なんだから、行けば会えるだろう」
「そうだ……引き止めるのも悪い。すまないな」
「いっ、いいえ! 俺も久々に先生方に会えて嬉しかったです! 今度は皆さんの分の差し入れ持って来ますね!」
「オイ、冨岡。そんな露骨に嫌な顔してんじゃねェぞ、狭量すぎだろォ」
「うるさい」
 宇髄、煉獄、伊黒、悲鳴嶼、不死川、そして冨岡。個性溢れるキメツ学園の中でもひときわ目立つ教師たちの声だった。その教師陣が揃って誰かに構っている。聞き慣れないその声の主は青年のもののようだった。
 扉へ近づいてくる足音に女子生徒たちは慌てて職員室の扉から離れる。何事もなかったかのように近くの壁際まで逃げ、隠れて様子を窺った。
「では、失礼します」
「校門まで送ってくる」
「過保護だなー」
 宇髄のからかう声にひと睨みした冨岡と青年が職員室から出てくる。その青年は女子生徒たちが見たあの青年であった。
「あっ」
 小声であったが、つい驚いた声がもれたのは二人同時。あの荷物はどうやら教師の誰かへの届け物だったらしい。
「そんなに心配することないのに。俺もう大学生ですよ?」
「誰だって恋人のことは心配するだろう」
「ぎ、義勇さん! ここ学校……っ!」
 恋人。今恋人と言ったか。女子生徒二人は互いを凝視した。聞き間違いではなさそうだ。
 ──キメツ学園の体育教師、冨岡義勇といえば。
 生徒たちからはスパルタだと恐れられる教師だ。他には不死川も同様だけれど、数学の授業以外は生徒とは関わりがない彼に比べて、冨岡は生活指導も担っている所為で彼から怒りを買う頻度が多い。おまけにPTAに目をつけられていても、そんなもの怖くもないとばかりに竹刀で容赦なくぶっ叩いてくるものだから対峙したときの恐怖心は計り知れない。噂ではそれをものともせず逃げ回った生徒も居たらしいが、真偽は定かではない。
 まあ、つまりは近寄り難い存在なのである。
 その冨岡に、恋人。想像もできなかった。だからこそとても好奇心を擽られてしまった。二人はこそこそと移動して気配を消しつつ聞き耳を立てる。
「堂々と弁当を届けに来ていて、今更じゃないか?」
「でも……弟とか、なら、それくらいしません?」
「お前くらいの年齢はしないだろ」
「……言われてみれば、」
 ぽんぽんと交わされる言葉は気安いもので、冨岡と青年が非常に仲が良いことが察せられた。まさか先程言った恋人というのは、と二人の頭にひとつの可能性が思い浮かぶ。
 恋バナ好きな女心が疼く。突撃してインタビューしたい、なんて思っていたところ、冨岡と青年に駆け寄る影があった。
「冨岡先生〜! 次の体育の準備なんだけどさー!」
 それは男子生徒のもので、内容は五限目についての質問だった。
「それなら……」
 いつもの体育教師の顔をして淡々と答える姿を見つめる隣の青年の瞳は雄弁で、確かに熱を宿していた。それを見た女子生徒たちは確信する。やはりあの二人は恋人同士なのだ。
 礼を言って去っていく男子生徒に冨岡は「頼んだ」と声を掛け、名残惜しそうに青年の方を振り向く。あと少しは一緒に居られる筈だったのにと言いたげだった。
「お仕事頑張ってくださいね」
 恋人の気持ちを察してか、青年は百点満点の回答を述べた。対応の完璧さに思わず拍手をしかける。そんなことを言われてしまっては当然頑張るという選択肢しか浮かばないに決まっている。女子生徒たちはいつかの未来の為の参考に覚えておこうと密かに脳内に書き込んでいく。
「……ああ、分かった。いってくる」
「〜〜〜っ!? 義勇さんっっ!!」
 こちらから目視は出来ずとも、目を瞑り青年の背に合わせるかのように少しだけ屈んだ姿に何をしたのか理解してしまった。女子生徒二人の口から「ひゃあ!」と歓声が湧く。その所為で二人が一斉にこちらを向いてしまった。
 冨岡はすん、と無表情になり、青年は顔色を赤青に染め「ああうう」なんて意味のない言葉を発している。いたずらがバレてしまったかのようなばつの悪い表情で女子生徒たちは顔を出した。
「いやー、えへへ」
「すみません好奇心からつい……」
 声にならない青年とこちらを交互に見たあと、体育教師は静かな声で呟く。
「……あんまり言いふらすなよ」
「はーい!」
「ちょっ……!」
 何やら文句を言い募ろうとする恋人を宥めながら引き摺っていく冨岡を今度こそ見送る。普段の様子とは打って変わって優しい表情もできるんだなあ、なんて残された女子生徒らは思ったのであった。





「あ、あの先輩」
「え? あー冨岡先生の奥さんね」
 校門でそわそわと落ち着かなく立つ姿を見留めた女子生徒が声を上げる。二人は目を合わせて職員室へ向かった。
「冨岡せんせ〜、また奥さん来てるよ」
 ガラリと扉を開けて放った呼びかけに、職員室内のあちこちから吹き出す音が聞こえた。中には飲み物を口にしていたのかゲホゲホと咳き込む音さえして、軽い気持ちで言ったことを申し訳なく思う。
「……お前たち、」
「ごめんなさーい」
 こちらへ来た冨岡はこめかみを押さえていて、けれどいつもの何を考えているのか読めない表情でも、怒っている表情でもなかった。今まで近寄り難かったこの教師も一人の人間だったのだなと失礼な感想が浮かんでくる。
「呼びに来てくれたのは感謝するが、次からは他の言い方をしてくれ」
「えーでも私たち奥さんの名前知らないし」
「…………竈門だ」
「おっけー! 次からは竈門先輩って呼びまーす」
 そのまま校舎を出て行く後ろ姿を見送る。少し見守っていると、恋人に気づいた先輩がパッと破顔する。弁当を差し出しながら動かされる口元。それを見守る冨岡の表情のなんとやわらかいことか。時折相槌を打ち、片手が頭へと伸びている。
「そういや冨岡先生派の女子たちが騒いでたんだけどさ」
 キメツ学園は美形が多い。その為派閥があったりする。誰々の何処がいい、なんて布教トークが教室内を飛び交うのは日常茶飯事だった。
 その中でも冨岡派の女子たちは比較的大人しい子が多かった筈である。そんな子たちが騒ぐとは何事だろうと友人の言葉を待った。
「最近指輪してるらしいんだよね」
「へえ!」
 思わず、といった声が出た。今まで女の影がなかった教師が突然指輪をするようになっていたとなればそれはもう大事件だ。特に冨岡派は本気の子が多かったように見えていたからご愁傷さまとしか言えない。あちゃー、なんて口を覆うが今現在ラブラブっぷりを目にしている身からすれば誰もが適う訳がないと悟ってしまう。
「まあでもあの先輩が定期的に学園に来てれば自ずと知れ渡るんじゃない?」
「あ、それは思う。むしろ最初からそういう策略だったりして」
「えー! あの人そんなことするタイプかなあ?」
「でもさ、人は見かけによらないって言うじゃん?」
 きゃあきゃあと騒ぎながら、二人はその場を後にする。最後に見たのは今にもキスをしそうな距離のカップルの姿だった。



  ◇  ◇  ◇



 義勇は最近、女子生徒らに告白されることが増えてほとほと参っていた。教えたら笑顔の裏に自身の感情を押し殺してしまうに違いない健気な恋人には言えていないけれど、とにかくそんな悩みに苛まれていたのである。
 恋人がいると言えば多少は引いてくれるかもしれないのに、困ったことに恥ずかしいからと公言しないでくれと願われては義勇も強く出ることができない。惚れた弱みというやつだった。

 ある日、義勇はあろうことか弁当を忘れて出勤してしまった。学園に着いてから気づいた瞬間にはまさか炭治郎の作った弁当を忘れるなんてとショックを隠しきれなかった。だが取りに帰る時間などない。泣く泣く諦め、帰宅してから絶対に食べようと心に誓う。炭治郎から片付けられてしまわないうちにその旨をメッセージアプリにて送信し、義勇は授業の準備をすべく仕事に取り掛かるのだった。

 だから炭治郎がわざわざ届けてくれるなど予想外の出来事であった。
 今は校務員だが、義勇の師でもある鱗滝が珍しく職員室に顔を出したと思ったら、その背後からひょこっと覗いた赤に目を瞠る。卒業生が学園を訪ねてくるのは珍しいことではないけれど、あれだけ義勇の恋人である事実を隠す為に訪れようとしなかった炭治郎が来てくれたのは素直に嬉しかった。表情はついつい綻んでしまうというもの。義勇は立ち上がり扉に近寄った。
「鱗滝さん、ありがとうございました!」
「構わん。次は剣道部にも顔を出してやれ」
「はい!」
 炭治郎とともに頭を下げる。立ち去る師を見届けると隣に向き直る。目が合った炭治郎はにっこりと微笑み、市松模様の風呂敷に包んだ弁当箱を差し出してきた。
「忘れ物、お届けにあがりましたよ」
「炭治郎……!」
 義勇は感動に打ち震えた。それは昼食が炭治郎の愛妻弁当を無事食べられることであったり、手ずから渡される愛おしさであったり、数ヶ月ぶりに炭治郎が学園にいる懐かしさであったりと様々な感情が混ざり合い生まれたものだった。
 炭治郎が届けてくれた弁当を大切に受け取る。今日のは一段と美味しく感じられるに違いない。
 そんな義勇を見て、自身も満足げに炭治郎はさて帰ろうかと踵を返したところで。職員室からは待て待てと呼び止める声がかけられた。
「久しぶりじゃねェか、元気にしてたか?」
「っ、あ、宇髄先生!」
 一瞬言葉に詰まった炭治郎の様子から、どうやらここが学校だということを忘れかけていたらしい。その証拠にそわそわと身体を揺らしすぐにでも帰ろうとしているのが感じ取れた。嘘が苦手な炭治郎は義勇の恋人であることを隠しきれる自信がないのだろう。
 ──尤も、残念ながらその努力は水の泡なのだけれど。
「あー、なるほど。お前がいつにも増して地味な雰囲気醸し出してたのは愛妻弁当忘れてたからか」
「……」
「ぅえっ!!? あ、あいさいべんとうっ!?」
「顔引きつってんぞ」
 宇髄の言葉に義勇はそっぽを向き、炭治郎は素っ頓狂な声をあげる。その声はもはや悲鳴に近く、可哀想な程に狼狽えている。
 公言するなと言われているから直接的なことを言ってはいないが、義勇は己がバレバレな態度をとっている自覚が無い訳ではなかった。何かとつい炭治郎の名前を出してしまうし、携帯端末の待ち受けだって炭治郎と撮った一枚を設定している。これで気づかない方がおかしいだろう。
 つまりは炭治郎が焦って隠そうとしても時すでに遅し、ある程度義勇と会話をする機会のある同僚たちにはとっくに周知の事柄なのである。
「煩い……何を大声出しているんだ」
「いっ伊黒先生! なんでもないんですっ、すみません!」
 頬を染めて首や手を左右にぶんぶんと振る様子はどう見てもなんでもない者の仕草ではない。いい加減お前が説明しろと語る同僚の視線に押し負けた義勇はゆっくりと口を開いた。
「……炭治郎、俺は何も言っていないのだが」
「え?」
「こいつらは多分気づいてる」
「え!? なんで!?」
「なんでも何も主張が激しいんだよコイツ」
「あれで秘密のつもりだったとは正気か?」
「な……え、……義勇さん!? どういうことですか!? 約束してたじゃないですか!!」
「…………」
「お前ら此処が何処か分かってやがんのかァ……?」
 炭治郎の剣幕にだんまりを決め込んだ義勇の背後からは別の同僚の地を這うような低い声がした。気がつけば授業が終わり、教師たちが教室から戻ってくる時間になっていたらしい。
 どの教師とも交流があったからか、入って炭治郎に気づくなり皆からちょっかいをかけられていた。ピアスだけは頑なに外さなかったものの、それ以外は気の利く優等生だったおかげで随分と可愛がられる子だったのだ。おそらく長男だからと自分を蔑ろにする面もあったから余計に。
 ひと通り終了したときには炭治郎の機嫌はすっかり直っていてほっとする。なんとか有耶無耶になっただろう。

 義勇はもうずっと、ずっと前から炭治郎の恋人は自分だと周りに宣言したかったし、逆もまた然りだった。これを機に多少は許してくれるようになるかもしれない。であれば、家に仕舞ったままのアレを渡すのも頃合いであろう。
 炭治郎の左手をちらりと見遣って、義勇は想いを馳せた。

 その夜。善は急げと言うし、と。とっくに用意してあったペアリングを渡したときの炭治郎の反応は、喜びに涙し義勇の抱擁に全力で応え、最終的には二人してだいぶ盛り上がってしまった。ベッドの中で指を絡ませながら、情事の後の余韻に浸る。ああそうだ、と義勇はふと思ったことを炭治郎へ乞うてみた。
「炭治郎、今日のようにまた学園に来てくれないか」
「忘れちゃったときならいいですけど……あ! わざと忘れるのはナシですからね!」
「…………」
「返事! 義勇さん!」
「……分かった」

 渋々納得したかに思わせて。それから度々炭治郎が学園に顔を出す機会が多くなったのは言うまでもない。



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