記憶がなくたって惹かれ合う運命なんだから


※転生
 大学生×中学生。
 200話時点で書いてるのでほんのりそんな描写あり。流血描写も少々。



「こんにちは! 初めまして、竈門炭治郎と申します! 此度は私共のサービスをご利用いただきましてありがとうございますっ!」
「…………は?」
 自宅のインターフォンが鳴り、宅配便かとドアを開けた義勇の前に現れたのは、元気よく訳の分からないことを宣う少年であった。

「覚えがない。帰れ」
「嫌です!」
 新手の宗教勧誘かもしれない。義勇はすぐさまドアを閉じようとするが、意外と力の強いらしい少年が粘り膠着状態が生まれる。ドアノブがわずかにミシミシと音を立てている気がする。
「……おいっ、何の、つもりだ……!」
「ですから! 私共のサービスを……っ!」
「だから、それが何なんだと聞いている!」
「あっ! カウンセリング! カウンセリングです!」
「…………はぁ?」
 この間攻防しつつドアの隙間からの会話である。というかこの少年、声が大きい。このままでは近隣住民から通報されかねない。利便性のあるこの地は居心地が良く非常に手放し難い。脳内の天秤がぐらぐらと揺れ、今ここでこの少年を留まらせる方がデメリットが大きいことを察した義勇は、観念してドアノブを握っていた手から力を抜いた。するとこちら側から引っ張る力が突然なくなった所為で少年がうわっ、という声とともに扉に頭をぶつけていた。なかなかの音がしたが、果たして頭は無事なのだろうかと己がしでかしたことに罪悪感が湧く。
「……大丈夫か」
 隙間から顔を出して下を見る。尻もちをつきながらも少年はけろりとしていて、とりあえずは安堵する。
「はい! 頭は頑丈にできていますので!」
「そうか。これ以上は近所迷惑になるから入れ」
「いいんですか!?」
「お前このままだと帰らないつもりだろう」
「よく分かりましたね!」
「……」
 はああ、と深いため息を吐き、貴重な休日の午前中から得体の知れない少年を家に上げることになった事実に、義勇は頭が痛くなってきた。

 興味深そうに室内をきょろきょろと見回しながらついてくる少年へ視線を送りつつ、義勇は何処で会ったのかを記憶から掘り起こそうと奮闘していた。しかしいくら脳内を探ってみても少年の姿はてんで思い当たらない。
「……で、カウンセリングって何だ。俺はそんなもの頼んだ記憶はないし、そもそもお前は見たところまだ学生じゃないか」
「う……た、確かに頼まれてはいませんけど、蔦子さんには許可を頂いて来ました!」
「姉さんが?」
 ますます意味が分からなかった。姉はいつの間にこんな少年と知り合い、挙げ句の果てには信頼を築いていたのか。姉が過保護気味なのは義勇もよく知るところで、つまりはそんな姉が認めているこの少年が信用に足る人物だと証明していた。
 ──まあ、悪人でないのは見て取れるけれど。
「俺、義勇さんを幸せにしたいんです!」
「……」
「昔色々思い残したことがあったので、今それを実行したくて、」
 だから、よろしくお願いします。そう言ってぱっと笑顔を浮かべ、手を叩く少年。義勇はそれを終始眉根を寄せたまま聞いていた。
 今こいつは何と言ったか。幸せにする、とは。そういうのは普通求婚するときに言うものではないのか。何故この少年が義勇に宣言しているのだ。
 間違いなく義勇の脳内には混乱が渦巻いていた。しかしこちらの様子も何のその、少年はよく回る口を閉じる様子もなく。
「流石にずっと居座るわけにはいかないので、平日は夕方に、あとは休日にもお邪魔しますね。なので用事があるときは教えてください」
「拒否権は、」
「ないです!」
 いっそ宗教勧誘の方がマシではないだろうか。そう考えてしまう程には強引に物事を決められていく。あれよあれよという間にほぼ毎日少年が訪れることが決定され、くらりと眩暈がした。
「えへへ、楽しみだなあ……」
「……」
 もう会話する気にもなりやしない。何を言ったって無駄なら口を閉ざしていた方が良い。元々義勇は喋るのが苦手なのだ。なのにこんな騒がしい少年を相手にして疲れた。折角の休日が台無しである。
「あ、そろそろお昼ですよね。何にしましょう? 義勇さんは食べたい物はありますか?」
「…………知らん」
「じゃあ好きにします! 冷蔵庫開けますねー」
 中身少ないですね、買い物に行きませんかなどという声は無視だ。
 義勇はふと、自身のスマートフォンに通知が入ってることに気がついた。それはメッセージアプリからのもので、相手は姉の蔦子だ。届いたメッセージはというと。
『炭治郎くん、とっても良い子でしょう? きっと義勇と仲良くなれると思うの。そう邪険にしないであげてね』
(姉さん……)
 物凄く好意的だった。完全に外堀を埋められている。
 ちらりとキッチンの方を見遣ると、初めて来た場所である筈なのに手際良く料理を作る少年がいる。義勇の視線に気づくと、やはり嬉しそうに笑ってお腹空いてますか、なんて問うてくる。
 無言を貫き通すつもりだったが、タイミングよく腹の虫が返事をしてしまう。ぐ、と気まずくて顔を背けると、少年はもう少し待ってくださいねと手を動かす速度を上げた。
 漂ってくる醤油の香りに思わず喉を鳴らす。ここに来て義勇は少年の料理の腕が良いのかもしれないことを察したのである。

「お邪魔しました、ではまた明日!」
 変に礼儀正しい少年は玄関先でお辞儀をして去っていった。嵐のような人物だった。
 昼食のあとは部屋中を掃除してまわっていた。あまりに楽しげにやるものだから、途中でつい変わっているなとひとり言同然に呟いた言葉をしっかり拾った少年は、掃除が趣味だと返してきた。やっぱり変わり者だと思った。
 夕方にさしかかろうとする時間の現在、義勇は一人の静けさを満喫していた。たった今日一日だけで、あの少年は義勇に賑やかさを植え付けていった。一人というのは、こんなにも静かだったのかと驚く。
「はあ…………」
 本日何度目になるか知れないため息を吐き出したとき、再びメッセージが届いた。
『どうだった?』
 主語もない姉の言葉に義勇は暫し思考に耽ける。あの少年との時間を指していることは理解できるけれど、すぐに返信できる程義勇の感情は整理できていなかった。
 頭が固くて人の話を聞かない、かと思えばこちらの機微を敏感に感じ取る。活発でころころとよく変わる表情は見ていて飽きない。
『悪い奴じゃないと思う』
 結局、長考してまで打った内容はなんとも曖昧な表現だった。
 けれど、本当に分からないのだ。普段の義勇なら一蹴しているような相手なのに、家に上げてあまつさえ気が済むまで好きにさせてしまった。パーソナルスペースの広い義勇にとって有り得ない事態なのだ。
 明日からも少年は義勇の元を訪れる。それがあまり憂鬱ではないのは何故だろうか。
 釈然としない気持ちのまま、作り置いていかれた鍋に火をかける。あと数分煮込めば出来たてで食べられますよと少年から伝え聞いていたので。
 料理に罪はない。昼間作ってもらったものも美味しかった。義勇は誰が聞いている訳でもないのに心の中で言い訳を並べて立てていくのであった。





「こんばんは!」
 約束通り次の日もやってきた少年は元気よく挨拶をした。
 扉を開けたのは義勇だが、こちらが何か言う前に靴を脱ぎ始めるのはどうかと思う。
「あ、お勉強中でしたか? お茶煎れましょうか? そうだ、今日は色々食材を買ってきたので何でも作れますよ! 鮭大根なんてどうでしょう?」
 一気に捲し立てられて追いつけず目を白黒させていたが、鮭大根という単語に肩が揺れる。ピンポイントで義勇の大好物を当てるなんて超能力者か何かか。
「決まりですか? 決まりですね! じゃあ義勇さんはお勉強頑張っててください」
 資料が広げられっぱなしだった机の前に座らされた。義勇が止める間もなく少年はキッチンへ向かっていった。

「義勇さん義勇さん、最近つらいことはございませんか?」
「……その設定、生きていたのか」
「む、設定とはなんですか! 俺は本気で義勇さんを幸せにしたくて来ているんですよ!」
 互いにやることをこなしながら口を動かす。ぷんすかと頬を膨らませた少年に義勇は驚いた声を出した。昨日は家政夫の真似事をしただけで帰っていったので、出会いざまの少年の台詞などすっかり忘れ去っていたのだ。
「……生活は別に、普通だ。むしろ、恵まれている」
「……ご両親も、蔦子さんも、いらっしゃいますもんね」
 突如落とされたその声が、あまりに静かなものだったからつい目を瞠ってしまう。やけに達観したようなそれは、しかし次の瞬間には散っていた。あまりの変わり様に気のせいだったのかと錯覚しそうだ。
「ご友人はどうですか?」
「、……よく話す奴らなら、いる」
「へえ! どんな方たちです?」
「派手なのとか、声が無駄に大きい奴とか……あとは弟思いの奴、か」
「……! そう、ですか……!」
 少年は何かに気がついたかのようにハッと口元を覆った。考える素振りをしながらかすかに聞こえた呟きはもしかして、というよく分からないものだった。まさか義勇の腐れ縁の者たちとも知り合いだったりするのだろうか。であればこの少年はどれだけ顔が広いのだ。その中で義勇だけ顔を合わさなかったのはなんだか寂しい。
(……寂しい?)
 湧き出た感情に首を捻る。寂しいとは何なのだ。己はそんなに友人たちに情を持っていたか。あれはたまたまつるんでいるだけで、腐れ縁という言葉が一番当て嵌るというのはメンバー全員の共通認識であるのに。
 だとしたら、義勇が寂しいと感じたのは少年と今まで会えなかったことに関してということだ。何故、昨日初めて会った相手にそんな感情を。
 少年に対して、義勇の行動や心はイレギュラーばかりだ。ちっとも己をコントロールできない。悶々としている間に煮込みが終わったらしい。ことり、と目の前に置かれた器にはほかほかの鮭大根がこんもりと盛られている。
「幸せの為にまずは鮭大根をどうぞ! 俺の得意料理なんですよ」
 教えていない義勇の好みを知っているかのような口振りに気づくことなく、義勇の意識はすっかり目の前の好物へと注がれることとなった。





「不味い」
「何処がだよ、派手に美味そうじゃねぇか」
 義勇はあっという間に己の生活の一部に馴染んでいく少年に対し焦燥感を覚え始めていた。
 今だって持たされた弁当は少年の作ったものだし、家に帰ればおかえりなさいと出迎えてくれるのが当たり前になっている。受け取るばかりで心苦しくなり、普段の礼だと言ってエプロンをプレゼントしたらいたく感激していた。太陽のような笑顔を向けられ、それが義勇の引き出した笑顔だと思うと心が満たされる感覚になった。あのときは変に心臓が跳ねるものだから本当に焦った。
「違う。弁当のことじゃない」
「じゃあ辛気臭ェ面晒してんじゃねェぞォ、不愉快だからさっさとどっか行けやァ……」
 義勇とは真逆の派手な男は宇髄。彼が箸を伸ばす先は義勇の弁当で、中身を守りながら摘み上げた唐揚げを口に含む。こんなにも美味しいものを横取りされては堪らない。それ以外に他意はない、筈である。
 正面に座り、こめかみに青筋を浮かべて義勇を睨んでいるのは不死川だ。どうにも彼とは馬が合わないらしく、顔を合わせる度に何かと因縁をつけられる。義勇が男に対して気に食わないことをした覚えは無いのだが。
「……最近、家に子どもが来るんだが、俺はアイツと会った記憶が無い」
「は? なんだそりゃ」
「何かと世話を焼きたがって、幸せにしたいなどとほざく」
「ちょちょちょ、え?」
「もう、訳が分からない」
「それはこっちのセリフだァ!!」
 まるでひとり言のように周囲の言葉も聞かず、ただ思っていることを吐き出す義勇に不死川が怒りをあらわにした。そこでようやくはじかれたように義勇が顔を上げる。何故唐突に怒りだしたのか分からなくて首を傾げた。隣では宇髄が肩を竦めている気配がした。
「テメェはさっきの話を鏡の前でやれやクソがァ!!」
「不死川、教師志望がそんな言葉遣いでは良くないと思う」
「あー、あー、冨岡はもう黙ろうな」
 肘で思いきり横腹を小突かれ、義勇は黙らせられる。痛みを目線で訴えるが宇髄はこちらを見ないので伝わらない。
 不死川はもう一度悪態をつき、髪を掻き乱しながら席を立った。そういえば次講義が入っているんだったか。義勇は胸中で手を打った。課題でも出ていて鬱憤が溜まっていたから八つ当たりされたのかもしれない。大変だな、という同情を込めた視線で見送ったが、不死川は気づいていないようだった。
「彼奴も疲れているんだな」
「……俺は何も突っ込まねェからな……?」
「俺は漫才などしていない」
「この天然俺には荷が重すぎるんだけど」
 テーブルに突っ伏した宇髄を訝しげに見ていると、手元に置いていた端末が震えた。ロックを解除して届いたメッセージを見ると相手は少年からで、内容は帰りに買ってきて欲しい物があるということだった。分かったとひと言だけ返信してアプリを閉じる。
 ふと視線を感じて隣を見た。そこには信じられないものを見たと言いたげな宇髄がいて眉を顰める。
「今一瞬見えたが、さっき言ってた奴からか?」
「勝手に覗くな。……そうだが」
「お前あんっだけうだうだ言ってたくせにベタ惚れじゃねえか!」
「…………は?」
 ぽかん、と呆ける義勇。そんな義勇を目にしてため息をつく宇髄。
「自覚ナシとかマジかよ。信じらんねェ。お前はその相手のことが好きなんだよ、分かったか?」
「分からない……」
 小さく呟いた義勇を、宇髄はばしりと叩いた。そこそこの威力を持っていたのか、叩かれた背中は痛かった。





「……ただいま」
 ひとり暮らし故に帰宅して挨拶をする習慣など消えていたのに、少年が訪れるようになってからはただいまを言う癖が戻っていた。
「おかえりなさい! 頼んだ物は買ってきてくれましたか?」
「ああ」
「ありがとうございます、助かりました」
 ビニール袋を掲げると少年はひょいと受け取って、すたすたとキッチンに戻って行く。なんだか最近は義勇の扱いが雑になってきているような気がする。幸せにします宣言はどうした。
(……? 今、俺は何を、)
 少年からの扱いに不服を申し立ててどうする。別にどうでもいいだろうとかぶりを振ったとき、昼間の宇髄の言葉が脳裏に過った。
(俺が彼奴のことを好きだと? そんは馬鹿なことが……)
 過ごした時間のおかげで少年のことはある程度分かってきた。けれど、知ったからと言って好きになるとは限らない。確かにプロポーズ紛いのことはされたが、義勇は何とも思っていないのだ。
(そもそも俺には恋愛というものが分からない)
 昔からそうだった。同級生がこのアイドルが可愛いと雑誌を見せてきても、義勇が何か感じることはなかった。街を歩いていてもそうだ。声を掛けられることも度々あるけれど、義勇は興味無いのひと言でバッサリと斬り捨てる。
 自身でも少し驚く程に女性に対し何も感情が湧いてこないのだ。理由は分からない。その所為で彼女ができない義勇を家族が心配していることも知っている。けれどどうしても、恋人をつくる気にはなれなかった。
 つくる気がないというか、誰かが心の内から囁いてくるのだ。『あの子』以外を選ぶな、と。その肝心の『あの子』のことについて微塵も知らないのだけれども。
 この奇妙な感覚について、義勇は呪いのようなものだと認識している。こういうと物騒かもしれないが、本当に呪いとしか思えないのだ。義勇自身すらも分からない相手を選べだなんてゾッとするではないか。
 では誰がかけた呪いなのか。義勇には皆目見当もつかない。何処かで恨みをかったか、はたまた前世で何かやらかしたか。今後の人生的には幾らかマシのように思える後者であってほしい。
「義勇さん? こっちをお願いしたいんですけど……」
 すっかり思考の海に沈んで黙り込んでいた義勇に少年が顔を覗かせる。無意識とは恐ろしい。気がつけば皿を並べる手伝いをしていたようだ。しかし少年の指定とは別の皿を持っていた為におかしいと感じたのだろう。尤もである。
「……」
 無言で皿を取り替えた義勇に少年は不思議そうな顔をしたままだったが何も聞いてはこなかった。この少年は距離感がやけに近いかと思えば、こうやって妙に引き際がいい場面もよくあるのだ。義勇が少年を知っているより、少年が義勇に関して詳しいのだと実感させられる。それが不快に思うでもなく、当たり前に受け止めているのが自分でも謎であった。
「……お前は、どうして……」
「……」
「いや、何でもない」



  ◇  ◇  ◇



 およそ百年ぶりに再会した彼に、前世の記憶は存在しなかった。
 竈門炭治郎には前世の記憶というものがあった。とはいえ生まれたときから備わっていた訳ではない。最初に取り戻したのは、妹である禰豆子の手を初めて握ったとき。生まれたばかりで小さく柔らかいその紅葉に触れた途端、断片的に見えたのは真っ白な雪景色と、雪を赤く染め上げる血液。その中に三人の人影が揺れていた。
 しかし炭治郎はそれを夢か何かと思ってすぐに思考の隅に追いやった。今は妹のことだと向き直る。
 だが逃がさないとばかりに、炭治郎が成長するにつれて次々と浮かんでは流れていく光景。次第に一番よく映る人影の正体が自分にそっくりなことに気がつく。隣にいるのが妹だということにも。
 『炭治郎』は仇を討つ為、鬼になった妹を人間に戻す為に刃を振るっていた。辛いことも悲しいことも沢山あった。それでも前に進むしかない。いつかきっと、悲願が達成されることを信じて。
 そんな『炭治郎』にとある感情が芽生えた。それが『炭治郎』を叱咤し鬼殺の道へと導いてくれた兄弟子への恋心であった。
 紆余曲折あったけれども、兄弟子は心を開いてくれて、あまつさえ『炭治郎』と恋仲になってくれた。恋人として過ごした時間はほんのひとときしかなかったけれど、二人は強い思いで結ばれていたのだ。
 だが、『炭治郎』の記憶は最終決戦の最後で途切れていた。
 多分、そこで死んでしまったのだろう。最後に聞いたのは兄弟子の悲痛な叫び声だった。
 彼の過去を知っていたのに、三度目を経験させてしまった。そんな自分に今世でも義勇と会う権利はあるのだろうかと考えたこともある。
 けれども炭治郎には義勇以外と結ばれる気は毛頭なかった。そして決め手だったのは、禰豆子の後押しもあったからだ。
 なんと禰豆子にも前世の記憶があるというのだ。炭治郎と同じく少しずつ思い出していて、最初はとても混乱したという。言われてみれば思い当たる節がある。どうして泣いているのか、いくら聞いても首を振るばかりで何も答えてくれない場面が何度かあった。あれがまさしく記憶を取り戻してしまった瞬間だったのだろう。炭治郎にも同様の経験があるので、きっと両親には多大な心配をかけてしまっているに違いない。
 とにかく互いに記憶があることを偶然知った兄妹の間では緊急会議が行われた。議題は冨岡義勇のことである。
 なんでも炭治郎が命を落としたあと、妹と義勇はよく話をしたらしい。主に炭治郎への小言を言い合っていたのだというのだから耳が痛い。たとえそれが妹と義勇の強がりだったとしても、炭治郎には何も言い返すことができなかった。
 さて、炭治郎は告げる。今世の冨岡義勇を探して再会したい、と。そしてゆくゆくはまた恋人になりたいとも。
 禰豆子は頷いて言った。それがいいと思う、記憶があってもなくてもお兄ちゃんたちは絶対に結ばれる運命だから。
 そのときの瞳があまりにも力強いもので、炭治郎は思わず息を呑んでしまった。けれどそう言われて悪い気はしない、むしろとても嬉しかった。
 ここまで話し合ったが、肝心の義勇を見つける手立てがない。炭治郎は項垂れたところで禰豆子はふふんと得意げに笑う。
『あの人には会ってないけど、お姉さんの蔦子さんなら、うちの常連さんにいるんだよ』
 目を見開く。知らなかった。炭治郎は口元を覆って、妹が優秀すぎると呟いた。

 記憶を取り戻した禰豆子はそのスタンプカードを見てもしかしてと思ったらしい。そこで彼女に話しかけた。失礼ですが、弟さんはいらっしゃいませんか、と。
 彼女は驚きながらどうして分かったの、と聞いてきた。禰豆子は少し悩んだが、できるだけ誠実な態度をとるべきだと思って、粗方の事実を述べた。前世という単語を除いて、更にいくらかの事項をぼやかすことになってしまったが、とにかく兄妹揃って義勇に世話になったこと、兄が義勇に会いたがっていることを告げた。蔦子がどのような反応を示すか少し不安だったけれど、意外にも笑顔を見せてくれた。あの子をこんなにも慕ってくれる子がいたなんてと感動したそうだ。
 それから彼女が来店した際には会話をするような仲になっていたようだ。妹の行動力に、炭治郎はただ目を瞠るしかなかった。
『ありがとう、禰豆子……』
『ううん、私も奇跡を信じてみたいから』
『?』

 そんな経緯から炭治郎も蔦子と知り合い、そして義勇のことを真剣に愛しているから、もし自分が信頼に値する人物だと思ったら会わせてほしいと頭を下げた。炭治郎の覚悟が伝わってくれたのか、彼女は静かに分かりましたと言ってくれた。
 義勇に会えるまでに時間は掛かるだろうが諦めない、と意気込んでいた炭治郎だったが、予想よりも遥かに早く、蔦子は義勇と会う許可をくれた。
『元から反対なんてしていなかったわ。あの子自分でも無自覚みたいだけど、昔からいつも誰かを探すような仕草をすることが多かったから。だから、禰豆子ちゃんから話を聞いて合点がいったの。ああ、貴方たちのことを探していたんだ、って』
 義勇に記憶があるかどうかは分からない。それでも嬉しかった。記憶の有無など関係なく彼も惹かれ合っているのだと悟ったのだから。
 現在ひとり暮らしをしているという義勇の住むアパートの住所を聞き、半ば押しかけるように彼の家へ通うようになった。最初は拒まれたけれども全く聞き耳を持たなかった炭治郎に観念したのか、徐々に日常に溶け込むかの如く彼のそばにいることを許された。

 記憶がないというが、それでも義勇は炭治郎を過保護に扱う。例えば今だって。
「義勇さん、俺少し出てきます」
「何処に行くんだ」
「すぐそこのコンビニです」
「ちょっと待ってろ」
「え、義勇さんも来られるんですか!? 五分で戻りますよ!?」
「……俺も用がある」
 義勇はとってつけたように言い訳をするが、いつもこんなやりとりをしていては流石に察しがついてしまう。
 前世で義勇を置いていったのが余程彼を傷付けてしまったということか。予め禰豆子から話は聞いていても半信半疑だったことが証明されていく。記憶のない義勇ですらこんなにも過保護なのだから、もし記憶があったらと思うと怖かった。前世のことは覚えていなければその方が良い。あれはなかなかに堪える。幼い頃の自身や禰豆子はよく発狂しなかったなと感心する程だ。
 複雑な心境のまま炭治郎は義勇が用意するのを待った。まだ少し肌寒い季節だ。背筋が震え、上着を着て行くかとリビングへ足を向ける。そんな炭治郎の眼前に、ソファにかけておいた上着が差し出された。相手は言わずもがな義勇で、無愛想に右手を突き出している。
「あ、ありがとうございます、義勇さん!」
「……ん」
 ふい、と目を逸らされた。今までの行動が些か強引だという自覚がある炭治郎は、そんな己にも優しくしてくれる義勇にまたひとつ惚れてしまう。やっぱり好きだなあ、と頬をゆるめた炭治郎を、義勇は訝しげに見ていた。





 買い物を終えた帰り道、炭治郎は義勇の家までの短い道のりを彼と二人で歩いて行く。結局義勇が購入したのは缶コーヒー一本だけだった。しかも今すぐに飲む様子もなくて、やはりコンビニに用はなかったのだと分かる。
「義勇さんは優しいですね」
「なんだ突然」
「だってこうしてわざわざ、……?」
 口を開けかけた炭治郎は不意に嫌な匂いを嗅ぎ分けた。この匂いは知っている。しかもいつも嫌な方面で覚えがあるものだ。炭治郎は辺りを見回して発生源を探し始めた。急に様子の変わった炭治郎に義勇も目を眇める。
「っ、」
 反対側の歩道に、挙動のおかしい男がいた。男からは濁ったようなひどく澱んだ匂いがする。炭治郎は表情を歪めた。これは良くないことが起こる前兆だった。
 炭治郎が見ていた所為か、ばちりと思いきり目が合ってしまった。男の口元が歪な形をつくる。ぞわり、と、炭治郎の背に悪寒が走った。
 男が此方に向かって走り出すのと、炭治郎が義勇に振り向いたのは同時だった。
「義勇さんッ!!」
「っ、!?」
 義勇に危害が及ぶなんてことはあってはならない。しかしここで逃げれば誰かが傷付くかもしれない。ならばこの場で取り押さえなければという思考に辿り着くまできっと一秒もかからなかっただろう。
 驚愕に染まる表情を見ながら、炭治郎は義勇を突き飛ばした。その瞬間既視感を覚える。ああ、前にもこんなことがあったなあと思い出していた。あんなにも後悔したのに、炭治郎はどうやっても義勇を庇ってしまうらしい。こればかりは身体が先に動いてしまうのだから、もう諦めるしかないのだろう。
「ぁ、あああ、う、あああ……!!」
 男は全く意味の成さない言葉を発しながら真っ直ぐ炭治郎へ向かってくる。その手には刃物が握られていた。こんなときに浮かんだことといえば、義勇には注意が向いていないようで良かったと安堵する気持ちだった。
「炭治郎!!」
 焦った義勇の声も覚えがある。そういえば今世で名を呼ばれたのは初めてかもしれない。
「……っ! ……ぐ、ぅ、」
 あの頃と違って呼吸を取得していない今の身体では思うように動いてくれない。こんなことなら少しでも鍛えておけばよかった。
 なんとか腹を掠める程度で済むよう避けたのだが、すっぱりと裂けた部分からはたらたらと血が滴り落ちていく。
 脳内にある戦いの記憶を頼りに炭治郎は動いた。きっと不格好ながらも、持っていたレジ袋を振りかぶる。幸い相手は全くの素人だったのか、レジ袋とその中身は男の背中に直撃する。ゴスッ、といい音を立てて攻撃が入ったようだが正当防衛ということで許してほしい。購入したものの中で一番重かったのは、恐らく缶コーヒーだった。
 重心が傾いた男はバランスを崩す。その隙を狙って男の身体を押し倒し、刃物を蹴り飛ばした。
「おいっ、炭治郎! 大丈夫か!!」
「、なんとか……! それより警察を呼んでください!」
「もう呼んでる!」
 冷静に対処していた義勇に内心驚いたが、それもそのはず。彼はいつだって最善を選択できる人だった。
 二人がかりで抑えつければ、然しもの男も大人しくなった。そのあとはもう忙しなかった。駆けつけた警察に男を引き渡し、救急車も呼んでいたらしい義勇が付き添って病院へと運ばれた。出血に対して傷は浅く、治療をしてもらったら帰してもらったけれど、後日事情聴取に呼ばれるらしい。
 とりあえずひと息、かと思えば義勇から説教、家に帰ってからも説教、特にきょうだいから泣きながら怒られるのには参ってしまった。
 そのまま数日はバタバタして、義勇とは会えずじまいだった。

 そうして漸く家族から外出が許された頃に、這い這いの身体で義勇のアパートを訪ねた。唯一彼がどう接してくれるのかだけが懸念事項だったが、とりあえず出会い頭に追い返されるようなことはなかった。
「……お久しぶりです」
「ああ」
 声色から察するに相当お冠である。無理もないけれど。
「さて、何処から話すか」
「……じゃあ、あの人は大丈夫だったのか聞いてもいいですか」
 そう言うと、義勇は大変不機嫌な顔をさらした。炭治郎はびゃっと縮こまる。怖い。
「…………憂さ晴らしに通り魔をしようとしていたどうしようもない屑。以上だ」
「ええ……は、はい!」
 これ以上は話したくもないと目線が語っていたので、炭治郎は口をきゅっと引き結ぶ。
「どうしてあのとき俺を庇った?」
 訪れた沈黙を破ったのは義勇だった。説教されるときに散々己を大切にしろ、自己犠牲も大概にしてくれと言われたが、この質問は初めてだ。
「勝手に身体が動いてしまっただけなので、理由なんてないです」
「……お前、先日の話を聞いていなかったのか」
「ですから! ……ああいう場面に遭遇すると、咄嗟にそうしてしまうんです。これは俺が俺である限り、絶対に覆せません」
 だから諦めてほしい、と。逸らさない視線で訴えかければ、先に折れたのは義勇の方だった。
「……はぁ。……どうしてそう……頭が固いんだ……」
「すみません!」
「謝るくらいなら改善する努力くらいは見せてくれ」
「無理でした!」
「過去形……」
 彼は知る由もないだろうが、前世という盛大な過去を経ているのだから相当である。
「……俺は、お前に庇われた瞬間恐怖で心臓が止まるかと思った。こんな事態に遭遇したのすら初めての筈なのに、また手が届かなかったのかと、また、守れなかったのか、と……」
「ぎ、ゆう、さ……、」
 義勇本人は己が何を喋っているのかも分かっていないようだった。目は虚ろで、目の前の炭治郎すらも、その蒼い瞳には映っていない。
 彼は『また』と言った。やはり義勇の心の奥底にも記憶の欠片は残っているのだ。今回の件で炭治郎が義勇を庇う姿に前世の光景が重なって、知らずのうちに記憶の欠片を掘り起こさせてしまったのだろう。
「……大丈夫、大丈夫ですよ。義勇さん。今度はちゃんと、生きてますから」
 炭治郎はそっと近寄って義勇を抱きしめた。背には義勇の腕がまわされ、ぎゅうぎゅうと抱き込まれる。よしよしと彼の背中をさすると、腕の力はますます強くなった。それはまるで、炭治郎が本当に生きているかの確認作業に思えてならなかった。

「…………」
「あ、気まずい匂いがします。落ち着きましたか?」
「……嗅ぐんじゃない」
「この距離で無茶言わないでくださいよ」
 どれくらい抱き合っていただろう。義勇の身体がわずかに身じろいだのが合図かのように、炭治郎はすっと離れた。
「俺はどうして……お前は何者なんだ」
「竈門炭治郎。パン屋の息子で、六人きょうだいの長男で、義勇さんが大好きで仕方がないただの中学生ですよ」
「……そんな中学生がいてたまるか、」
「それが居るんです! あ! 義勇さん照れて、むぐ、」
「嗅ぐな。黙れ」



  ◇  ◇  ◇



「来世なんてものがあるならば、俺はまた炭治郎を好きになる」
 その言葉に、禰豆子は兄に似た丸い瞳をぱちぱちと瞬かせながら義勇の顔を見上げた。
「予め私から許可を貰っておこうって算段ですか?」
「それもなくはないが……己に課しておこうと思っただけだ」
 炭治郎の名が刻んである墓石を優しく撫でている義勇の目には、わずかに狂気ともいえる色が見え隠れしている。それに気づいているのかいないのか、禰豆子は風に吹かれ頬にかかる髪を払いのけて穏やかに笑う。
「お兄ちゃんに出会えないかもしれませんよ」
「構わない。炭治郎と結ばれないなら恋人など要らない」
「今世の記憶はないかも」
「だったら己に呪いでもかけるか」
「……どんな?」
「炭治郎以外誰も好きにならないように」
 執着心を隠そうともせず彼の妹に堂々と宣言する姿はいっそ清々しい。禰豆子はぽかんと呆けてしまった。
「みっともないと思うか?」
「……いいえ。ただ、貴方にそこまで想われていながら先に逝ってしまったお兄ちゃんはひどいなって」
「全くだ。今世の分も合わせて来世で愛してもらわはなくては。……それくらいは、望んでもいいだろうか」
「はい。私が許可します」
 暫く沈黙が続いた。やがて禰豆子が先に立ち上がる。それを合図とするように義勇も倣う。最後に墓石をひと撫ですることも忘れず。
 踵を返した二人だったが、一度だけ振り返り、また来るとそれぞれが声をかけた。いつもこの一瞬は名残惜しく感じていけない。
「……彼奴は俺の本心を聞いてどう思ったんだろうな」
「ふふ、多分……似たようなことを言い返していると思いますよ」
 ──お兄ちゃんも義勇さんも、揃って愛が重いですからね。
 禰豆子のしょうがない人たち、とでも言いたげな微笑みに、義勇は気恥ずかしくなって、ついついそろりと視線を外してしまったのだった。



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