神様は待ち焦がれ、


※神様×人間



 その村は、もう随分と雨が降っていなかった。
 雨が降らなければ水不足に陥る。水がなければ人は生きていけない。しかし人には雨を降らせる力など存在しない。そこで、村人たちは水柱様と呼ばれる神様を頼ることとなった。
 この村には言い伝えがある。その昔、今と同様旱魃に悩む日々が続いていたという。そんなとき水柱様が現れ、村一番の娘と恋に落ち、娘を貰う礼に恵みをもたらしたというのだ。
 それから村の近くの湖の側には小さな祠が建てられ、週に一度は供え物をする習慣が根付いていた。しかし村は貧しく、祀るといってもたったそれだけのもの。だからそれ以降は何も望まず、村人たちはただただ先祖の言い伝え通り、静かに手を合わせるだけであった。
 だが此度の旱魃ではそうも言っていられなくなった。村人たちは再び神様を頼ることになってしまったことを申し訳なく思いつつ、話し合いにより水柱様に娘を貰ってもらおうという結論に至った。もう、これしか道は残されていないのだ。
 皆の会議で選ばれたのは今この村で一番美人の娘であった。その娘は曇り顔ひとつ見せず水柱様への嫁ぎ話を引き受け、翌日には祠のある湖へと向かった。
 だが一日が過ぎ、娘は帰ってきた。村人たちは慌てながら娘に駆け寄る。聞けば、水柱様には会えたという。しかも丁寧にもてなしてくれて、とても優しい方であった、と。
 村人たちは水柱様の存在に湧いた。けれどすぐに何故娘は戻ってきたのかと首を捻る。すると娘は言った。
 ──水柱様は、たった一人を待っていらっしゃるの。
 その言葉を聞き、村人たちは次の娘を送り出すことになった。幸い水柱様が優しいお方であったと聞き、皆穏やかに頼みを引き受けてくれた。五人目、六人目、と年頃の娘たちは湖を目指して村を出る。
 しかし、誰一人として水柱様が見初めてくださることはなかった。
 もうこの村には彼女しかいない。最後の一人である娘が水柱様の元へ行く。そしてやはり話通りもてなされた席で、娘は言葉を詰まらせながら告げた。もう私しか居りませぬ。他は皆幼子や、男ばかりなのです。どうか今までの娘の中から選んではくれませぬか。
 そんな懇願にも、水柱様は首を横に振るばかり。俺には、唯一が居るのだ、と。
 娘は問う。この村に居るのですか。居る。では名前を。神から乞うことは禁忌の行為とされている、出来ない。ならば、せめて、他に何か。
 途方に暮れた娘はさめざめと問い続ける。このままでは村が枯れてしまう。時間が無かった。
 暫く口を閉ざしていた水柱様は、やがてその整った唇をゆっくりと開かせる。
『俺と、会ったことのある者だ』
 娘はなんとかそれだけを聞き出し、水柱様のお社を後にした。
 村に帰った娘は早々に村長に水柱様の言葉を伝えた。村長はすぐさま心当たりのある者はいないかと村人たちに呼び掛ける。けれど大人たちは知らないと言うし、娘も幼子も手を挙げる者はいなかった。
 では、と問われた男たち。やはり皆が首を傾げたときだった。たった一人の少年が、あの、と声をあげた。
 一斉に視線を浴びせられた少年は炭治郎という。早くに家族を亡くし、けれど村人たちに可愛がられて育った少年であった。
 炭治郎はその水柱様のお姿を教えてほしいと頼んできた。これまでに湖へ行った娘たちは炭治郎にその特徴を話してみせる。特徴を聞くうちに、炭治郎の顔はみるみるうちに変化していく。おぼこい少年は、あっという間に生娘のように頬を桃色に染めていったのだ。
「水柱様を知っていたの?」
 最初に水柱様と会った娘が聞いた。
「いいえ、とんでもない。神様だなんて思っていなかったんです」
 聞けば、旅人だと名乗って炭治郎が一人暮らす家へ訪ねてきたのが出逢いだったと言う。ボロボロだった男を、炭治郎は家に上げ、飯を出し、水を沸かした。あいにく布団は一枚しかなく、旅人に差し出したところ共に眠ればいいだろうと二人で縮こまりながら眠った。
 数日滞在した男は炭治郎の元を去った。しかしまた暫くして、男は再び炭治郎の前に現れた。前の礼だと言って沢山のタラの芽を貰い、大喜びで天麩羅にしたのだ。男と二人でそれを口にした際にはひどく胸が高鳴った。
 それから男は度々炭治郎の元へふらりとやって来ては、数日を過ごしていた。まるで逢引のようなときを過ごすうちに炭治郎の心は旅人に奪われてしまった。彼がいない日々は寂しく、しかし彼を想うと仕事にも精が出た。
 炭治郎の語りに、村人たちは納得した。家族を亡くしてから絶望し生気を失った目をしていた少年が、いつしか笑顔を見せるようになった。それがその旅人──つまりは水柱様のおかげだと知ったからだ。
 大人たちは皆炭治郎を心配していた。何人もの大人がうちで暮らさないかと誘っても、炭治郎は決して頷かなった。集落から少し離れた家を守っていくのが、遺された自身の役目だと言い張って聞かなかったのだ。
 そんな炭治郎にいつしか好い人が存在していたとは。しかも相手は水柱様と分かった。なんという運命だろう。
「炭ちゃん、行ってくれるかい?」
「はい! あの方が、そう望んでいてくださるのであれば」



  ◇  ◇  ◇



 炭治郎は湖近くにある祠を目指して歩いていた。祠には炭治郎も何度も訪れたことがあるので場所は分かっている。しかしいつもとは全く違う心境であった。
(義勇さんが水柱様だったんだ……)
 旅人は義勇と名乗った。彼からは優しく澄んだ水の匂いがして、とても悪人とは思えなかったから快く家に入れたのだ。
 そんな炭治郎の予感は当たり、それどころかいつしか義勇は心の支えとなっていた。
 村の人たちは優しく、家族を失った炭治郎を気遣って良くしてくれていた。それは嬉しかったし、村の大人たちが炭治郎の親代わりと言っても差し支えはない。
 それでもたまに、ふと寂しく思う夜があった。そんな日は決まって悪い夢をみる。魘されながら目覚める朝は気分が落ち込み、一日の仕事もままならない。けれどそれを村のみんなには悟らせないよう明るく振る舞うのが癖になっていた。心配をかけたくない、これ以上気を使わせたくない。そんな思いから、炭治郎は人に頼るということがめっきりとなくなっていた。
 そこに現れた義勇はというと、炭治郎の心にそっと寄り添い隙間を埋めてくれた。彼と眠るようになってからは悪夢もみなくなり、無理に笑顔を浮かべる、なんてこともなくなった。彼からは清らかな匂いもしていて、それが炭治郎を癒してくれているのかと思っていた。
 ──今思えば纏っている不思議な雰囲気も、清らかな匂いも神様だったから、と考えれば納得がいく。
 恩人の彼に惹かれるなという方が無理な話で。淡い想いを抱いていた炭治郎にとって、今回の話は願ってもない機会だった。
 水が枯れていく程に村人の疲れきった顔を見るのは辛かった。しかし炭治郎に出来ることなど皆無で、水柱様に頼るということで話が纏まったときもただ見守るしかなかった。
 いくら娘たちが通っても首を縦に振らず唯一を待ち望む水柱様の噂に、何故だか予感があった。ざわざわと胸が騒ぎ、詳しく話を聞きたくなった。
 最後の娘が帰ってきたとき、村長は告げた。誰か水柱様にお会いしたことのある者はいないかと。
 みんなが知らないと口々に言うなか、炭治郎はそろそろと口を開いた。水柱様がどのような容姿なのか、聞かなければならないと思ったのだ。
 ──結果、娘たちが話す水柱様というのが、義勇とそっくりであると知ったのだった。
 彼と最後に会ってからもう二ヶ月が過ぎている。炭治郎の心は逸るばかりだった。早く会いたい。本当に彼が水柱様で、炭治郎を望んでくれているのであればこれ程嬉しいことはない。自分も好きだと伝えて、伴侶になれたらと思う。
 とん、と。ようやく祠の前に辿り着いた。辺りは当然人気などなく静まり返り、風も吹いていない為に水面が波立たず凪いでいる。けれどその静寂さが、雰囲気が、炭治郎の予感を確信へと変えた。
 とてもよく似ているのだ、彼と。
 水柱様、と呼ぶ声は震えていたかもしれない。
 刹那、ぶわりと風が吹く。思わず炭治郎は目を瞑った。そして次に開いたときには、そこは湖の前ではなかった。
 目の前には大きなお社が建っている。炭治郎は丸い瞳をぱちくりと瞬かせて呆然とした。少し目を閉じた隙に知らない場所へと移動していたのだから無理もない。
 そんな炭治郎の前にふわりと誰かが降り立った。白い装束を身に纏うは炭治郎のよく知るひと。いつもは紺の着流しの姿で、そちらもとてもよく似合っていたのだけれど、今の姿も美しかった。
「……っ水柱、さま、」
「……」
「……? どうしました?」
 ようやく会えた感動に浸っていたいのに、水柱様はかすかに眉間に皺を刻んでいた。
「何故、他人行儀な呼び方をする」
「え、……あの、俺、貴方が水柱様だったなんて知らなくて、」
「言っていないのだから当然だ。……お前は、自分の伴侶になる者に距離を置くのか?」
「はん、っ……!?」
「違うのか?」
 伴侶。改めて言われ、彼は本当に炭治郎を待っていてくれたのだと知る。嬉しくて言葉が出ない。それでも絞り出すように、これだけは伝えねばなるまいと炭治郎は首を振る。
「ちがい、ません……!」
 一語一語丁寧に、大事に、愛の言葉を紡いだ。
「俺は、義勇さんをお慕いしております……っ!」



  ◇  ◇  ◇



 義勇は此処等一帯を治める、水を司る神である。
 その日義勇は、先々代の水柱から見守るようになったという村付近に降り立っていた。その村は心優しい人の子ばかりで、彼らにとってはもう何百年も経つというのに今も欠かさず祠に手を合わせる習慣があるという。
 確かに村からは清らかな気配がしていた。それは義勇たち神の住む神域と近いものであり、居心地の良いものであった。
 その中でも一際輝く気配がある。吸い寄せられるようにふらりとその場所へ向かうと、辿り着いた先には小さな家がぽつんと一軒だけ建っていた。
 義勇はその戸を叩いた。はい、と中から声がして出てきたのは額に痣のある、赫灼の瞳を持った愛らしい少年だった。
 その少年を目にした義勇は射抜かれたような衝撃を受けた。所謂一目惚れというものである。
 神は自ら人の子に正体を明かしてはならない。その為旅人だと称した義勇を少年、炭治郎は何の疑いも持たず受け入れた。
 少年は義勇に家へと入るように促す。そんな薄い警戒心で大丈夫なのかと、義勇が言えたことではないけれど、物凄く心配になった。

 炭治郎と過ごした数日は、神である義勇にとってはほんのわずかな時であったというのに忘れられそうにないひとときであった。
 故に再び炭治郎の元へ訪れてしまった。神は一人の人間を贔屓してはならない。けれど例外はある。それは己の伴侶と決めた者であれば構わないというものだった。
 義勇は炭治郎を唯一と決め、伴侶にしたいと心から思った。その望みの為に、こうして炭治郎の元へ通いゆっくりと距離を縮めて、いつしか想いを告げられる日が来ることを待ち望んでいた。
 ──そういう、手筈であったのに。
 少年の住む村に雨が降らなくなってしまった。義勇にはそれを助ける力があるのに、自分の身勝手な感情で力を使ってはいけない。それが酷くもどかしかった。困っているのが炭治郎一人で、少年の周りだけ雨を降らせるくらいであれば許されるだろう。けれど村一つとなれば話は別だった。
 心優しいあの子は、家族同然のように思う村人たちも救われなければ心の底から笑ってくれることはないだろう。歯痒く思いながら、早く村人たちが神を頼ってくれることを願った。
 しばらくして、祠に娘が訪れた。しかし村人たちの話し合いで決められたのは、願いの代わりに義勇に伴侶となる者を差し出すということだった。
 義勇が心に決めた子は一人だけだ。炭治郎が来てくれなければ村を助けてあげることもできない。かといって炭治郎の名を出してしまえば、それは禁忌とされる行為にあたる。自らの立場がこれ程疎ましく感じたことは初めてだった。
 一人、また一人と帰す度に焦れったく感じた。こうしている間に村の食物や水は減り続けている。元々少なかった蓄えだ。底はもう見えているだろう。きっと義勇の焦る気持ちは人の子と同じものだった。

 そうして、待ちに待ったその日は来た。
 愛し子が祠の前に立ったのを感じ取った。浮き立つ気持ちを抑えながら、義勇はすぐさま神域へ炭治郎を招く。
 水柱様などと他人行儀に接する炭治郎に、義勇と呼べと告げる。今更そんな呼び方をされては寂しいではないか。
 愛の言葉を交わし、予定とはかなり違ったものの今腕の中に炭治郎がいることにひどく安堵する。もっと顔を見せてほしいと、義勇はそのおとがいを掬ってみせた。
「ぁ、ぎゆう、さん、」
 ふにゃ、とゆるめられた眦。その表情の何と可愛らしいことか。義勇は堪らず額や頬など顔中に口付けを落としていく。擽ったそうにしながらも、炭治郎が義勇の行為を拒否することはなかった。
「炭治郎、」
「はーいそこまでだよー」
「ぅひゃっ!?」
 さてその唇へ、と近づいたとき。待ったがかけられ義勇は固まらざるをえなかった。
「真菰……」
「義勇、まずは村のこと、ね?」
「あっ!!」
 炭治郎の慌てた声に、義勇は飛んだ。己は本当に未熟者だ。危うく約束を違えるところであった。

 それから間もなく。村には久しぶりの大雨が降り注いだのだった。



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