幸せしか見えてない


※199話までの内容含みます。
未来捏造。



 最終決戦では多くの犠牲を払った。炭治郎はなんとか生き延びたけれども、代わりに右目と左腕を失った。けれど目に宿る光は、希望は、失われることがなかったのだった。

「義勇さん義勇さん!」
「今行く」
 炭治郎の弾んだ呼び掛けに、奥の座敷から義勇の返事がある。今日は二人で町へ出かける約束をしていた。炭治郎はふんふんと下手くそな鼻歌を口ずさみながら身体を左右に揺らして、見るからに上機嫌だった。
 羽織を纏いながら玄関先に立つ炭治郎の元へ急ぐ義勇の右腕も、あのひと晩で失われたものの一つだ。だが彼がそれを悲観することはなかった。命があるだけで恵まれていると、義勇は言っていた。
 それに、一人で生きていく訳じゃないのだから大丈夫だ、と。義勇のそんな発言に、周囲は呆気にとられていた。元々底抜けの明るさを見せていた炭治郎と違い、語らない方が多かった義勇がそんなことを言ったのだから特に驚きは大きかったのだろう。
 二人は宣言通り同じ家で暮らし始めた。しかしいくら二人でいるとはいえ、どうしても不自由なことがあるのではないかという周りの心配を他所に、炭治郎も義勇もあっさりと片手のみでも器用に物事をこなせるようになっていった。常に互いが互いを補うように寄り添う姿は仲睦まじく、結果的に周囲は何かあったらすぐに言うように念押しして声を掛け、見守るだけに留められた。
 炭治郎は皆を心配させまいという心づもりもあったけれど、義勇と二人なら何でもできる気がするという思いの方が強かった。
 実際、右目が見えなくても左手が使えなくても義勇といるだけで嬉しくて、こんなにも幸福でいいのかと偶に怖くなってしまうくらいだ。しかも、そんなときは義勇が敏感に感じ取り炭治郎を抱きしめて優しく言葉を掛けてくれるのだ。その度に炭治郎の好い人はこの世で一番素敵な人だと叫びたくなる。勿論そんなことはしないけれども。
「待たせた」
「いいえ! では行きましょうか!」
 義勇が手のひらを差し出す。炭治郎は満面の笑みでその手を握った。すると優しく、けれど離さないとばかりにきゅうと握り返される。たったそれだけの触れ合いで、炭治郎の心臓は忙しなく動き出す。
 人目が少ない場所では手を繋ぐ。それがいつの間にか二人の間にできていた決まりごとだった。

『義勇さん! 俺、すごいことに気がついてしまいました!』
『どうした』
『なんと! 俺たち隣に並んで手を繋ぐことができるんです!』
 出来ることと出来ないことを探っていくのが二人で暮らすうえで最初にやらなくてはならないことであった。
 そんな中炭治郎はふと思いついたことを言う為に、楽しくやっていた掃除を投げ出してまで義勇の元へ飛んできていた。
 炭治郎の突飛な発言に義勇は目を丸くする。果たしてその心情は、と次の言葉を待っていると、ふ、と。緩やかに口角を上げた義勇がそっと左手を炭治郎の目の前に掲げた。
『お前の発想にはいつも驚かされるな』
『……言っておいてなんですけど、笑わないんですか?』
『何を笑うことがある? 俺は嬉しいよ』
 その声色と、かすかに鼻腔を掠めた匂いが義勇の気持ちを証明していた。だから炭治郎は迷いなく右手で眼前の手を取る。そうして隣に座り込んだ。
 初めて直に感じた体温は、炭治郎の記憶に深く刻まれている。

 定食屋で昼餉を済ませ、蝶屋敷の皆にと土産を買い、義勇と共に過ごし同じものを見てそれぞれの感想を抱いて、と存分に外出を満喫した帰り道。川沿いを歩き心地よい風に吹かれながら、炭治郎は自身よりひと回り大きい手のひらに思いを馳せる。

 突き立てた刃が命運をかけたあのとき、義勇の手の大きさを知った。力強さを知った。あたたかさを、知った。
 死んでも刀から手を離さないと歯を食いしばっていた炭治郎の隣に並び、刹那の刻だったけれども、共に闘ってくれた。
 それがどれ程の力になっただろう。きっと彼は知らない。あの瞬間のことを話す機会もこれから先訪れないだろう。
 炭治郎は義勇に限らずあの晩幾度となく命を救われた。甘露寺も、伊黒も、伊之助、善逸、あの場に駆けつけた人たち全員に。今生きて此処に立っていられるのは義勇の、彼らの尽力によるもの。そう認識している炭治郎とは違い、義勇は負い目があるらしい。
 彼を死なせる訳にはいかないからと突き飛ばした炭治郎の行動こそが、義勇の心に傷を負わせてしまった。こちらとしてはほぼ無意識にやったことで、きっと何度時を戻して繰り返そうが必ず炭治郎は義勇を庇うだろう。だが彼は守れなかったら、と、また目の前で大事な人が死んでしまうのか、と。あるときぽつりと泣きそうな声でもらしたのを炭治郎はしっかりと聞いていた。
 だから二人があの日の話をすることはない。いくら話し合おうとも堂々巡りになるだけだと理解しているから。互いに譲れないものがあるのだ。そんな二人を見て、難儀だなと言ったのは誰だっただろうか。

「義勇さん」
「何だ」
「俺、もう貴方から離れるつもりはありませんよ」
「……急にどうしたんだ」
「いえ! 言っておきたかったんです!」
 真意は胸にしまっておく。けれど、これだけは伝えておきたかった。
 少しずつでいい。義勇がもう不安を苛まれなくていいように、毎日ゆっくりと行動や言葉で示していくつもりだ。手を繋ぐのも、訝しげにされようと唐突に未来を語ることも。
 炭治郎が傷付けた箇所を、炭治郎自身で治していくのだ。長期戦を覚悟しなければならないかもしれない。しかしそれがどうした。炭治郎と義勇はこれからもずっとずっと一緒に生きていくのだから何の心配もいらない。
「ふふっ」
「……」
 幸福を微笑みに代えてくふくふと肩を揺らす炭治郎につられたのか。次第に義勇も表情をゆるめていった。
 ──今日の言葉は、義勇を幸せにする為のほんの少しの第一歩に。





 最終決戦の後、昏昏と眠り続けていた炭治郎が最初に目を開けたとき。視界に映ったのは深夜にもかかわらず祈るように炭治郎の右手を握り込んだ妹の姿だった。
 禰豆子、と呟いた筈の声は音にならず、けれど妹はしっかりと聞き取って、泣いてしまった。
 爪先は丸く、涙を浮かべた桃色の瞳は人間のそれで、炭治郎も次第にぽろぽろと雫をこぼしていく。ああ、炭治郎の頑張りは報われたのだと。妹は人間に戻れたのだと。それが実感できて、炭治郎の涙も止まらない。
 兄妹揃ってわんわん泣いていると、静寂に包まれていた屋敷に響き渡るのは当然のこと。駆け込んできたカナヲやアオイ、なほすみきよは目を覚ました炭治郎に目を見開き、そしてやはり泣きながら容態を確認された。
 診断を受けながら聞いたのは生き残った隊士の殆どが既に目を覚ましていること、鬼殺隊の今後のことなど、寝起きの頭に詰め込むには膨大すぎる情報だった。
 それでも炭治郎は話してほしいと頼み込んだ。でなければ不安で押し潰されそうだったのだ。
 ひと通り聞き終えると、再び眠った。白い世界で、炭治郎が見送った人たちが良かったと声を掛けて頭をひと撫でしていくという不思議な夢をみた。彼らの思いは、繋ぐことができただろうか。
 次に目覚めた炭治郎は、人間に戻った禰豆子と存分に話をした。身体に異変はないか、人間に戻って炭治郎が眠っていた間に何をして、思って、過ごしていたのか。そして、家族のことも。
 沢山沢山、話をした。大事な話が終わると、今度は以前の平凡な日々でしていたような、何気ない会話へと移り変わっていく。そこに善逸や伊之助、カナヲも混ざって、蝶屋敷には笑顔が溢れていく。
 そうして浮かんだのは兄弟子の姿。嗚呼、此処にあの人も居ればどんなに良かっただろうと考えてしまった途端、居ても立っても居られなくなった炭治郎は漸く動けるようになった身体を引き摺って義勇の屋敷へ向かった。何の前触れもなく門戸を叩いた炭治郎に驚き、我に返った義勇にはめいっぱい叱られた。勝手に抜け出してきたことが見抜かれてしまったのだ。
 ため息をつきつつも中へ通してくれた義勇に対し、炭治郎は早速本題に入る。どうか俺をお傍に置いて頂けませんかと下げた頭に降り注いだのは少しの沈黙と、柔らかな声だった。
「……それは、愛の告白と思って相違ないか」
「……はい、」
「そうか。……俺の方こそ、よろしく頼む」
 がばりと勢いよく顔を上げた炭治郎が見たのは、それはもう美しいと見惚れてしまう程の笑み。それが真っ直ぐに炭治郎へ向けられていては、どうやって視線が外せようか。炭治郎の頬にじわり、と赤が差していく。
「……、ぁ」
 ぐっと縮まった距離に、そっと目を瞑る。愛する人とする口吸いは、幸せの味がした。



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