蛇は傍観する


※伊黒さん視点、188話以降の内容含みます。
未来捏造、おば→みつ要素あり。



 伊黒小芭内は、冨岡義勇のことが嫌いである。それはもう、視界に入れば何かと文句をつけてやりたいくらいに、その男のことが嫌いだった。

 その日は午後からは休暇とするようお館様から言い渡された。
 先日から続く柱稽古は、伊黒にしてみれば結果を出しているとは言い難い。聞きかじっていた隊士の質が落ちているという事実をヒシヒシと実感するからだ。とはいえ今更どうこう言っても何も変わらない。伊黒は隊士がいくら泣き叫ぼうが一切構わず厳しく指導した。こんなものでは駄目だ、もっと強くならねばすぐに死んでしまう。貴様らは自らの実力不足で悪鬼の餌に成り果ててもいいのかと木刀を振り下ろせば、隊士たちはよろよろと立ち上がった。

 伊黒にとって鬼とは必ず殺し尽くさなければならない生命体だ。しかしいくら鬼を殺そうとも伊黒の心が晴れることはない。それはきっと首魁の鬼舞辻を葬っても、だ。伊黒に纏わりつく罪は一生消えない。それでも良かった。あの日伊黒の心を暗闇から引っ張り出してくれた笑顔を守る為にこの身が役立つのならば、這い蹲ってでも奴の頸を斬ると決めたのだから。

 さて、突如降って湧いた休暇をどう過ごすべきかとふらりと往来を逸れて狭い道を進む。ふと、この道の先には甘味処があることを思い出した。伊黒にとってあたたかな記憶のひとつ。甘露寺蜜璃と其処を訪れ、共に過ごした店であった。
 包帯の下に隠された口元が緩みかける、そんな折だった。
「…………何故貴様が此処にいる」
「……伊黒か」
 何を考えているのか読めない瞳が伊黒を捉えた。右手には湯呑み、左手には食いかけの団子とまさに憩いを満喫している風の同僚の姿に視線を鋭くさせる。
「人を待っていた。…伊黒は?」
「貴様に言うつもりはない」
 顔には出さなかったが、内心意外に思った。甘味処で待ち合わせなど、まるで逢瀬のようではないか。まさかこの男に限って、という思いが胸中に広がる。
 水の呼吸を使う剣士で、こんなこと死んでも口にはしないけれども、柱に登り詰める程に実力は申し分ない。だというのに、この男はいつも自分は関係ないと宣い一歩引いたところにいる。前に見たあの目は、己もよく知るものだった。
 ──まるで、鏡を見ているような気分だった。
 むざむざと死んでやる気はない。死ぬなら悪鬼が滅びるのを見届けてからが良い。けれど、心の何処かで死に急ぐ気持ちがあるのは否定できない。穢らわしいこの身とは早々に別れてしまいたい。
 そんな思いがあの男からも垣間見えてしまったのだ。
 鬼殺隊の隊士たちは鬼共への怒りを原動力にしている者が多い。それは伊黒もあの男も同じだ。だが二人に共通するのは、いつ死んでも構わないと考えを秘めていることだった。謂わば、奴を見るのは自身を客観的に見ているようだったのだ。
 だからこそ、伊黒小芭内は冨岡義勇のことが嫌いである。
 人々を守れる力を持っていながら死を願う。それのなんと傲慢なことか。本当に忌々しい。いくつか自分に跳ね返ってくることがあっても罵られずにはいられない。
 加えてまともに口を利くことすら厭う男だった。伊黒があれこれと言葉を連ねても耳を貸す様子すらなかったのだ。

 ──それが、どうした。
 伊黒は腕に鳥肌が立つのを感じながら団子を頬張る男を窺う。
 感情を悟らせない瞳はゆるやかに細められ、人を待っているという言葉通り待ち人の姿を探している。
 此奴はこんな奴だったか、という疑念は膨れるばかりだ。そもそも伊黒の問いに答えたことからおかしかった。いや、甘味処などで待ち合わせしていることから奇妙だ。此奴はこの間の柱合会議でも俺には関係ないと一蹴し稽古をも放棄した男だ。他人のことなぞに全く関心を持たないのだと思っていたのだ。
「稽古に参加していない者が呑気だな。貴様がいればあの腑抜けたちも多少は使えるようになるかもしれないものを」
「……そのことだが。遅れてしまったが俺も参加することにした」
「…………何?」
 伊黒は眉を顰めて思わず隣を見遣った。男はもくもくと団子を頬張り続けている。
「関係ないんじゃなかったのか?今更何のつもりだ」
「……すまないと思っている。しかし俺は……」
 其処で男の口は閉ざされてしまう。俺は、なんなんだ。変わったかもしれないなんて伊黒の気の所為だったのではないか。やはりこの男は肝心なことを何一つ喋らない。
 苛立ちが頂点に達し、伊黒が口を開きかけた、そのとき。
「義勇さーん!お待たせしました!実は今其処で甘露寺さんと…あれ?伊黒さん?」
「…………」
 伊黒にとって、気に食わない人物が増えてしまった。
「伊黒さんと冨岡さんなんて意外な組み合わせね!素敵だわ!」
「義勇さん、伊黒さんと仲良くなれたんですか?良かったですね!」
 しかも、伊黒の想い人を隣に連れて。というか仲良くなんてしていないやめろ気色悪いことをほざくのは。
 よく回る口は此処に来るまでの経緯をペラペラと明かした。曰く、甘露寺に紹介して貰った甘味処が気になっていた竈門が冨岡に話をし、訪れる約束をしたのが今日の休暇。しかし竈門が少し遅れることになり、慌てて向かっていた道中たまたま此処を訪れる予定だった甘露寺と会い、話を弾ませながら来たらしい。
 何もかもが許されない。まず甘露寺と喋ることすら伊黒の癪に障るというのに、甘味処に到着するまで二人きりだときた。有り得ない今すぐにでも叩き潰してやろうかと己の日輪刀に触れたものの。
「義勇さん口の端についちゃってますよ。少しじっとしててくださいね」
「ん」
「よし!綺麗になりました!」
「ありがとう」
「ふふっ、まるで兄弟みたいね〜」
「えっ!俺が義勇さんの兄ちゃん…!?」
「何を言っている。お前は年下なのだから弟だろう」
 伊黒は頭を抱えた。ズキズキとした痛みが走る。何もかもがおかしいだろうと誰かこの阿呆な兄弟弟子に指摘してくれ。
 冨岡はその歳でみっともない姿をさらすな。それを弟弟子に拭われるなどこの男は赤子か。甘露寺は可愛い。今この場の唯一の癒しだ。その後のずれた会話は聞いているだけで血管がブチ切れそうだ。冨岡は己が年上の自覚があるのならば今しがたの自分を省みろ。
 しかし口には出すことはなかった。関わりたくないからである。
 伊黒は踵を返した。折角の休暇をこの二人と過ごすなど御免であった。甘露寺と別れるのは惜しいが、甘味処が目当ての二人は当然この場に残るだろう。であれば伊黒が退散するしかなく。
「あらら?何処か行かれるんですか?」
「俺は貴様らと過ごす気はない」
「えっ!あっ、あの!俺たちはもう行くので……折角なら、甘露寺さんとお二人でどうですか?誰かとする食事は一等美味しいですので!」
 にこー、と浮かべられた陽気な笑顔にはおそらく他意はない。伊黒に配慮したのでもなく、優しさを見せたのでもなく、ただ単に持論を述べただけだと察せられた。
「食べなくていいのか」
「俺が遅れてしまった所為でこの後の予定が変わるのは忍びないですし……だからまた今度行きましょう!ね?義勇さん」
「…分かった」
「そっかぁ。二人とも予定があるなら残念だけど仕方ないわね……炭治郎くん、今度は別のカフェーを紹介するから絶対行こうね!」
「か…?はい!」
 大いに聞き流せない約束を交わし、竈門と冨岡は連れ立って去っていった。残されたのは伊黒と甘露寺の二人だ。
「……ふふ」
「どうした甘露寺」
「あの二人素敵だなーって!キュンキュンしちゃったわ!」
「………」
 甘露寺の言うことは全て肯定したい伊黒でも、流石に今の発言には頷けなかった。
 しかし。そういえば、冨岡の待ち人とは竈門のことであったことに今更ながらに気がつく。弟弟子を前にした奴の目にはかすかに執着心がちらついていた。それがまた甘露寺を想う自身を連想させ、腹立たしいことこの上ない。
 だからまあ、一つだけ言うのであれば。
「……恋にうつつを抜かして鍛錬を疎かにしなければいいがな」
「あら、伊黒さんったら!」
 炭治郎くんたちなら大丈夫よ、と愛らしい笑顔で力強く力説する彼女。それを見て癒されながらも伊黒は心の内で男へ吐き捨てた。
 ──生き甲斐を見つけたのなら、精々人生を全うするがいい、冨岡義勇。





「伊黒さんっっ!!」
「………またなのか、炭治郎」
「……す、すみません」
 申し訳なさそうにしながらも伊黒の屋敷に駆け込んでくる少年はちゃっかりしている。長男だからと周りに世話を焼く光景を見るのと同じだけ、柱の面々に可愛がられているさまを見るのは伊達ではないということだろう。なんだかんだ言って伊黒も内心いい後輩だと思うようになるくらいには絆されてしまっているのだから、他の者をとやかく言えないのだけれど。

 鬼殺隊は鬼舞辻無惨を倒し勝利を収めた。しかし代償は大きく、生き残った者でも心身ともに深い傷を負った。それは前線で戦っていた者がとくに酷いもので、伊黒も両目を失明し鏑丸に頼らなければ生活すらもままならない事態だった。
 それでも前を向いて進むしかない。そう言ったのは市松模様の羽織が特徴の、今伊黒の目の前にいる少年だった。自身も右目部分を中心に鬼舞辻の毒で痛々しい姿になっているというのに、その声に絶望の色は浮かんでいなかった。
 まだ幼いお館様に全てを任せることなどいかず、残った柱と元柱が中心に今後の方針を決めていった。暫くは鬼の残党が本当にいなくなったのかを確認する為に各地へ警備にあたる。そしてそれが終われば徐々に鬼殺隊は解散していく。そんな流れになったのは自然だろう。
 日輪刀は最早飾りになったも同然と言える頃には、下級の隊士たちから鬼殺隊を抜けていった。もう残っているのは柱と一部の隊士だけだ。その残った者たちも気を抜けるような穏やかな日が増えてきている。それを証明するように、この少年は冨岡義勇と恋仲になった。
 元々冨岡からの好意は分かりやすかったが、少年はどう思っているのかが読めなかった。慕っているのは一目見ただけでも嫌という程に伝わる。けれどそれが憧憬や恩情以外も含まれているのかどうかは、見守っていた誰もが察せていなかった。
 そんな二人にどんな紆余曲折があって恋仲になったのか、伊黒は興味が無い。宇髄辺りは聞き出そうと躍起になっていたようだが、伊黒にとっては知る由もないことだ。
 とはいえ最終決戦にて炭治郎と二人で戦っていた瞬間もあったからかいつの間にか少年には懐かれていたし、伊黒にも心の変化が全くなかった訳では無い。そんな少年から頼られて、話を聞くくらいならと受け入れたのが良くなかった。
 いつしか炭治郎は冨岡と仲違いをしたら伊黒の屋敷に駆け込むことが度々起こるようになった。世話になっているからと礼に出される夕餉が美味かったこともあって、つい気が済むまで居ても構わないと伊黒が告げてしまったからだ。
 そうして今日も炭治郎は伊黒の屋敷の戸を叩いたのである。

「一応聞いておくが、今日は何だ」
「………義勇さんが、無駄に俺の世話を焼くな、と…」
 僅かに怒っているようでいて落ち込むという器用な真似をしているらしい。鏑丸がどうしたものかと困り果てている。気がつけば伊黒の相棒とも心を通わせているのだから、本当に侮れない少年である。
 炭治郎の言葉には何も答えず、伊黒はただ茶を啜るだけ。それも手を煩わせまいと仮にも客人であるはずの少年が淹れたもの。だがそれでいいらしい。伊黒の屋敷を訪れるということは、ただ話を聞いてもらえれば構わないときのようだから。伊黒だって相談などされても返せる言葉がない。助言など柄でもないからだ。そんなものが欲しければ、顔の広い炭治郎には妹を始め同期や宇髄など親身になってくれる者が大勢いるだろう。
「俺を慮って言ってくれてるのは分かるんです。時折俺の右目を辛そうに見てくるし、心配している匂いもするから」
 炭治郎の右目は未だ包帯が取れないらしい。むしろ取っていない、という方が正しいかもしれない。聞いたことはないが、理由は伊黒が一番理解できた。誰だって醜い姿をさらすのには抵抗がある。気味悪がられるのは勿論、大切な人が悲しむ顔をするのだ。できれば己のことでそんな表情をしてほしくない。心優しい少年ならば尚更そう思うだろう。
「でも…片目しか見えない俺と、片腕、しかも利き腕が使えない義勇さんだったら、俺の方が負担は少ないから……」
 その声はもう沈みきっていた。成程、と思う。
 今まで一人こなせていたことが出来なくなるというのはひどく情けなくなる。そしてそんな自分に苛立ちが募る。伊黒もこの間までは同じ経験が少なからずあった。
 世話を焼いてくれる愛しい者が近くにいる分、あの男はそれを顕著に実感しただろう。だが悪いのは少年ではない。むしろ感謝しかないのだから、当然怒りをぶつけることなんてできない。であればその怒りは積もる一方だ。そして積もりに積もった感情が溢れ出してしまったのが、今日だったのだろう。
 きっとあの男は今、後悔に苛まれているに違いない。己の未熟さを然とその身で味わっていることだろう。
 ──いつも凪いだような顔をしていた男が随分と変わったなと思う。
「……俺の行動は義勇さんにとって鬱陶しいものだったんでしょうか」
「彼奴のことは知らないが、俺だったら世話になりっぱなしなど冗談ではないな」
「……っ、」
 鏑丸から慌てる気配がする。息を詰めた音から聞かなくとも炭治郎の様子は伝わった。
 つい口を挟んでしまった。変わったのは何もあの男だけではない。この少年に関わると大抵の者がそうだった。
 伊黒は屋敷の外に感じる気配にため息をついた。
「だから言いたいことも聞きたいことも全て吐き出せばいい。当然本人にだ。俺はこれ以上は付き合わない。お前の鼻ならもう分かるだろう」
「っ、え、……ぎゆう、さん……?」
「……伊黒、すまない」
「貴様からの礼など要らん。さっさと立ち去れ」
 伊黒は室内に引っ込んだ。今回の迎えは早かったなと再び嘆息する。
 もう声は聞こえない。それでいい。そもそも此処にあの少年の声がすることすら、今尚慣れないのだから。

 全てが終われば、伊黒は死ぬ心積りだった。なのに今も生き続けている。そのうえあの二人を見ていると、汚れきった身でありながら光すらも奪われているような己でも、あの子へ好きだと伝えてしまっていいものかと、そんな思考が頭を過ぎるのだ。どれだけ影響を受けているのだと笑うしかない。
 脳裏に眩しい笑顔が浮かぶ。無性に逢いたくなって、支度に取り掛かる。
 いつしか今世で想いを告げようと決心する日が来るのかと、伊黒は想像できない未来を想像して、ほんのわずかに口角をあげてしまった。



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