行きつけのパン屋の息子くんとその恋人さんの話


※モブ腐女子視点



 お気に入りのパン屋。美味しくて店員さんが可愛くて毎日のように通っている店。そんな行きつけのパン屋の店先が今日は騒がしい。理由は簡単で、野外販売として立っている店員がどえらいイケメンだからだ。おかげで女子が殺到しまくっている。しかしいくら女に囲まれようともその中心にいる男は無表情を貫き淡々とパンを売り捌いていく。ああ、また一人被害者が。可哀想に、がっくりと肩を落としながら袋を持って去っていく。
 そんな様子をパンを選びつつ店内から見つめる私。積極的になれないからここからこっそり、なんてことはない。あの人単体には興味がないからだった。
「あの人は炭治郎くん一筋だってのに、女の子たちったらまあ……」
 はあ、と嘆息をこぼす。そう、あの人には恋人がいることを私は知っている。そしておおいに堪能させてもらっているからだ。何がって、二人の関係を。
「た、田中さん!?」
 レジに立つ人物が焦った声をあげた。わわわ、と唇をわななかせ、ぷるぷると震えながら赤面するこの子は竈門炭治郎くん。このパン屋の息子で、この辺りではあらゆる意味で有名なキメツ学園に通うピカピカの高校一年生だ。男の子なのにつやつやの肌が眩しい。

(はあ〜〜〜〜可愛いが過ぎる……これはド受けですわ)
 趣味でボーイズラブを嗜む私は脳内でめちゃくちゃ失礼なことをぼやく。
 まあつまり、あの人の恋人は炭治郎くんで、炭治郎くんの恋人はあの人なのである。うーん、今日も世界は素晴らしい。
 あんなイケメンが男を好きになるっていうのがまず最高だし、お相手が女の私ですら完敗の嫁力を誇る炭治郎くんであるのだから堪らない。初めて二人の関係を知ったときなんか、よっしゃあ!なんてデカい声をあげてガッツポーズを決めた。あ、いやもちろん全部心の中だけで。
 私が知ったのはただの観察力の高さゆえだ。これに関しては自分を褒め讃えたい。よくぞ気づいた!偉い!やったー!
 元々炭治郎くん可愛いなあとか、この常連のイケメン顔がいいなあとか、この二人って仲良いよなあとか不埒なことを考えながら目の保養にしていたのだ。しかしあるとき見てしまったのだ。お互いを見つめ合うときの熱いあの視線を。
(えっ、これで付き合ってないとか嘘でしょ)
 危うく口に出しかけていた。危ない危ない、妄想と現実の区別がつかず、本人たちに直接告げるなんてマナーが悪いとかいうレベルの話ではない。人間以下のゴミだゴミ。咄嗟に口を閉じた自身に胸を撫で下ろした。そのときだった。
 カウンター越しに、炭治郎くんのマシュマロみたいなほっぺに、あの人が、キスを、落としたのだ。
 漫画であれば多分このときの私の目は飛び出していたに違いない。手のひらで口を覆ったのは女子らしい反応ではなく、叫びだしそうなのを防ぐ為だった。
(え?マジ?現実?それとも二人は長い付き合いでそういうのは家族愛の範疇とか?いやでも妹の禰豆子ちゃんにしてるのは見たことないな。この線はナシ!)
 すぐさま冷静に分析を始める。
 どうやらこのときの私は空気になっていたらしい。常々推しカプの空気になりたいと願っていたのがここで叶っていた。おかげで二人は私がいることに気がつかないまま、考察や妄想を遥かに上回る決定的な行為をかました。
 店内にはあの二人以外に私しかいない。その私は現在空気。つまりあの人たちは只今絶賛二人きりの世界。恋人繋ぎで指を絡めるのは当然だと思うし、ほっぺどころか唇スレスレにちゅーしちゃうのも全然アリだと思う。このとき私の脳内では今までの妄想がぐりぐりと書き換えられていた。なんで私はこのあと仕事なんだ?今すぐ帰宅してパソコンに向かいたいんだが?この興奮をしたためさせてくれよ。会社爆発しろ。
 空気に溶け込みつつもしっかりと覗かせていただいていた甘美な光景は、あまりの私からの熱視線に気がついた二人によって打ち消されてしまった。
「〜〜〜〜っっっ!!!??」
 そのときの炭治郎くんの驚きようといったら。大丈夫なのかと心配するくらい顔を真っ赤に染め、瞳を潤ませながら恋人に目線を向ける。口をぱくぱくさせて何かを言おうとするも音にならないのだろう。
 一方炭治郎くんの恋人の男の方はといえば。全く、これっぽっちも、一切合切感情を読み取れない無の表情をしていた。マジでどういう感情だこれ。いやむしろ無の境地だからなのか?
 何を言うか逡巡して一呼吸。私は多分過去最高の笑みで、親指を立てた。
「えーと……ありがとうございます!」
 今思い返しても意味不明だ。馬鹿じゃないのか?恥ずかしい死にたい。けれど混乱していたのはみんな同じだったのか、炭治郎くんも「ありがとうございます!」とつられたようにいいお返事をしてくれたので救われたのだった。
 その日は時間もなかったから会計を済ませてパン屋を後にしたけれど、炭治郎くんに詳しく話を聞きたくて、次の日にはいつもより三十分早く家を出た。彼はレジを禰豆子ちゃんに頼んでまで、私に話をしてくれた。出会いから馴れ初めから付き合うまで。夢のような時間だった。恋人の話をしている炭治郎くんはたいそう微笑ましいものだったのである。
 「引かないんですか?」と最後に付け加えられて、私は即座に首を振った。流石に腐女子なのでなんてことは言えないし、純粋な炭治郎くんにこの世界を教えるわけにはいかないので曖昧に濁して、とにかく偏見はないし逆に応援していることを伝える。すると炭治郎くんはゆるゆると頬を和らげ、本当に嬉しそうにありがとうと言ってくれるので、思わず仏様を前にしたように静かに涙してしまった。南無阿弥陀仏。

 そんな経緯で二人の関係を知ってからずっと、私の妄想はネタに事欠かない。フィクションと称してSNSに垂れ流してはフォロワーと噛み締め合っている。事実は小説よりも奇なりというのは本当だった。
 今日も今日とてお二人さんのイチャイチャっぷりを楽しもうと思っていたのだが、なんと本日は恋人さんが店の手伝いをすることになったという。というわけで騒がしい外とは打って変わって静かな店内で炭治郎くんと共に店先を窺っているのである。
「炭治郎くんは恋人がモテモテでも大丈夫なの?あんなに顔がいいと出かけても大変でしょ」
「うーん……昔は不安でこっそり泣いたりもしたんですけど、義勇さんがどれだけ俺のことを好きか、ってしっかりと教えてもらったので平気です!」
 どやさ、と胸を叩く炭治郎くん。私の心臓は萌えでキュ、と縮こまった。死ぬ。
 長男ですので、が口癖の炭治郎くんが不安で涙を流したって?でも自分がどれだけ愛されているのかを教え込まれたと?仰られました?
 具体的には?身体に?なんてことまでは聞けないが、煩悩にまみれた私の脳内では既にベッドで恋人に組み敷かれている炭治郎くんがいた。こんな私でごめんなさい。
 私が見る限りは仏頂面で無口の彼、義勇さん。彼は炭治郎くんの前では微笑を浮かべるし声色が優しくなる。それが二人きりだと攻めをやってると来た。ここが外でなければみっともなく蹲って悶えていたところだ。
 どちらがタチでネコかなんてデリケートな問題も知らない。けれど私は義勇さんが攻め、炭治郎くんが受けだと睨んでいる。いや、まぁ、ただの好みなんですけれども!イケメンの寡黙な年上攻めが元気健気な年下受けにメロメロって構図が良くない?良い……。
 はあ〜〜今日も二人が可愛い……と感慨深くなっていると、どうやら全てのパンを捌ききったらしい義勇さんが店内に入ってきた。外の喧騒はすっかりなりを潜めていて、きっとみんなすげなくあしらわれたのだろうというのは容易に予想できた。どんまい。いつでも新婚ラブラブカップルみたいな二人には敵うまいよ。
「お疲れ様です!寒かったでしょう?裏で何かあったかい飲み物を…」
「……炭治郎……」
「わぎゃっ!?」
 戻ってきた義勇さんに駆け寄り労う炭治郎くんはまさに新妻。同じことを思ったのかどうかは定かではないけれど、義勇さんは近づいた獲物を捕らえるように抱きしめて確保した。
 けれど今の私はもう動揺しない。何故かってそりゃあ、こんな光景を毎日ご馳走になっているからである。有り難く目の保養にさせていただきつつ最早慣れたもので、すぐさま空気になる。
 懐かしいなぁ、最初は義勇さんに牽制するような鋭い視線をいただいたのだっけ。それはそれでこれが攻めの牽制!?ありがとうございます!!なんて思ったりしたのだが、どうやら私が炭治郎くんに向ける感情が恋愛に関するものでないと悟ったらしい。多分彼にしか分からない勘みたいなものがあるんだろうな。BL漫画で見たことあるもん。
 炭治郎くんはおそらく私のことなんて忘れてくれて、目の前の恋人に夢中になった。「分かりました!俺が暖めますね!」なんて言って炭治郎くんからもぎゅうぎゅうと抱きしめ返していらっしゃる。おおあああ愛おしすぎない?ここが天国か?
 二人とも幸せそうな顔をして健全な意味で体温を分け合って一分くらい?名残惜しそうに身体を離し、最後に義勇さんが炭治郎くんの髪の毛に唇を落とした。ハーッ!?見ました!?このさりげなさ!!これは間違いなく何事もスマートにこなす攻めですよ。腐女子の勘がそう言ってる。
 さてどのタイミングで声をかけるべきか。いつまでも観察していたいけれど、私は今日帰って原稿に励まなければいけないのである。貴重な休日に進めなければ一生終わらない。この光景を脳に焼き付けていればすごい頑張れる気がする。むしろこれを糧に今日中に入稿いけちゃうのでは?
 手持ち無沙汰に無茶な計画を立てていると、ハッとしたような炭治郎くんが勢いよくこちらを向いた。あっ気づいたなこれ。
「ぎっ、ぎぎぎぎゆ、さ……!!」
「落ち着け。彼女ならずっと其処にいたぞ」
 やっぱりこの人わざとか。恥ずかしがる炭治郎くん見たさにやってるんだろうな。いいよどんどん私を当て馬にしてくれ。そしてイチャついてくれ。
「義勇さんの意地悪!!」
「客商売なのに客を忘れる奴が悪い」
「うぐぐ…」
 まあ正論かもしれないけど。可哀想に…それにしてもこの人えげつないな。こりゃ絶対攻めだよ。もう事実よこれ。きっとベッドの中でも凄いんだろうな……。
 しかしはたと気がつく。あんまりに気が利く子すぎて忘れがちだが、炭治郎くんはまだ高校一年生だ。義勇さんは大人だし手は出していない可能性が高い。いかんいかん。染まりきってるなーと自省してパンの乗ったトレーを炭治郎くんへ差し出す。顔を赤くしたまま消え入りそうな声で「お会計ですね……」と受け取ってくれた。
 何気なーく、本当にたまたま、偶然。私は炭治郎くんの首元を見て、そこに赤い斑点があるのを、見つけてしまった。
(あああ〜〜〜っっとぉ!!?)
 どっちだ、ただの虫除けなのか。炭治郎くんはこれ気づいてるの。義勇さんを一瞥するも既に無表情に戻ってるから全然分からん。好奇心が擽られた私はなんにも知りませんよーという体を装い無邪気な感じで尋ねてみる。
「炭治郎くん、首のとこ虫刺され?赤くなってるよ」
 BL漫画で受けの友人が言っているシーンを幾度となく読んできた私に死角は無い。さてどんな反応を…と様子を窺うと、まあ。
「う、……えっ、と……これは……」
 私は笑顔のまま固まった。さっきのとは比べ物にならないくらい、耳や首まで林檎のように真っ赤になって縮こまり、指摘されたそこをわたわたと隠した。百点満点の反応をありがとう。
(やっぱりキスマークだったか〜〜〜)
 しかもこの反応を見る限り、付けるまでに色々あったように思える。どこまで進んでいるかは察することはできないけれど、少なくとも色事に関して全く何もないわけではないらしい。義勇さんてばわっるい大人だな〜と内心唸る。こんな純粋な少年を自分好みに染めあげようなんてとんでもない男だ。
 再びその悪い男へ目線を向けると今度はバッチリと目が合い、ドヤ顔とともに頷かれた。アッこれ確信犯だよ!!あの人最初から私に期待してたよ!!公認の当て馬じゃん!!やべーよこえーよどこまで計算してんだあの人。
 ピッタリの代金を置いて、袋詰めは終わっていたパンを掴むと、「じゃあまた来るね」と軽い感じで店を出た。そして振り返り、窓から中を覗くと義勇さんに言い募る炭治郎くんの姿がある。怒られているのに反省してなさそうな、楽しんでいるように見える義勇さんを目にしてしまい、私は肩を竦めた。そこまで見て、さっさと立ち去ることにする。
「あんなにラブラブで、私以外気づいてないってことはないんだろうなー」
 今度禰豆子ちゃんにもさりげなく聞いてみよう、なんて考えて、帰路についたのだった。



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