溶ける前に食べてくださいね


※バレンタイン話



「お兄ちゃんお願い!手伝って!」
「へ?」
 妹の禰豆子と花子はぱちんと手を合わせて炭治郎に頼みごとを告げてきた。
「もうすぐバレンタインでしょ?チョコ作りたいんだけど不安で……でもお兄ちゃんがついててくれると百人力だから!」
「ええ?でも兄ちゃん、料理は得意だけどお菓子は自信ないぞ?」
 よくお菓子作りと料理では勝手が違うと聞く。炭治郎は眉尻を下げて断ろうと口を開きかけたのだが。
「大丈夫!だからお願い、お兄ちゃん…」
「ぐう…!!」
 可愛い妹二人からの視線に耐えきれず、了承の返事をした。やったぁと喜びながら部屋を去っていく様は微笑ましくて、炭治郎はすぐさまスマートフォンを取り出して、作り方について調べる為に文字を打ち込んだのだった。

「ううーん……」
 バレンタインデー当日の朝。炭治郎は綺麗にラッピングされたチョコレートを持ったまま、自室に立ち尽くしていた。
 昨夜、禰豆子と花子がきゃぴきゃぴとはしゃぎながらバレンタインデーの準備をするのを横に立って見守っていた。時折意見を出して三人で吟味しながらの準備は思いのほか楽しかった。好きな男の子にあげるのかなあ、と思うと少し寂しくもあったが、二人が選んだのであればきっといい人に違いない。複雑な長男心を抱いていた炭治郎だったが、出来上がったチョコレートはなんと炭治郎に渡された。どうやら兄弟の分と友人の分だけらしい。ほっとしたのと嬉しいのとで炭治郎は二人をぎゅうぎゅうと抱きしめてありがとうと笑った。
 が、そのチョコレートたちはまだ冷蔵庫にある。これは妹たちの横にいた際にできた、炭治郎作のチョコレートである。話し合いながら作るうちに、気づけば炭治郎の手にもそれが完成していたのだ。
 では何を悩んでいるのかといえば、これを誰に渡すか、である。
 正直に告白すると一人、いるのだが。けれどその人は男性で教師で甘いものがあまり得意ではない。そんな相手に渡せるものなのかと肩を落としていた次第であった。
「……幸い一粒ではないし、善逸と伊之助に…、いや…錆兎、真菰…玄弥やカナヲにも……むむ……」
 特に仲の良い友人にあげようかと思い浮かべるがそれだと多すぎる。
 炭治郎が悩んでいる間に時刻は進み、廊下からは竹雄の兄ちゃんまだー、という急かす声がした。慌てた炭治郎はチョコレートを鞄に押し込む。今行く、と答えながら炭治郎は自室を飛び出した。

 小学校や中等部に向かう弟妹たちと別れると、途端に意識は鞄の中身へと注がれる。
 考えれば考える程渡せる口実がない。せめて既製品であれば普段お世話になっているからと言い訳ができるかもしれないが、炭治郎が持っているこれはどこからどう見ても手作りのものだ。
(そういえば、先生は去年たくさん貰ってたんだっけ。じゃあ女子からの預かり物の振りをして渡したり、とか……)
 以前善逸に連れ回されたのは校内チョコレート獲得数ランキングとやらの上位者で、彼は二位だったことを思い出す。生徒からの好意を無下にできなかったのだろう。普段はあんなに怖いのに、根は優しい人だと思う。
 悶々と想い人のことを考えていたせいで、炭治郎はその本人が毎朝校門に立っていることをすっかり忘れていた。
 突如脳天を襲った痛み。母親譲りの石頭を持つ炭治郎でも、その一撃は不意をついていたということもあって、とてつもない威力を伴っていた。
「〜〜〜ッッ!!?」
 思わず頭を押さえて蹲る。じんじんと広がる痛みに長男であってもじわりと涙が滲んでしまった。ここに来て漸く原因に思い至る。服装検査で容赦なく竹刀を振るう生活指導担当の教師である。
「……冨岡先生、おはようございます」
「おはよう。今日は随分と注意力散漫のようだな」
 いつものジャージのファスナーはきっちりと上まで閉められ、竹刀を握る手には手袋と防寒対策バッチリのようで何よりだ。
 どこか満足そうな表情を浮かべた男が炭治郎を見下ろしている。いつも避けていたのが余程悔しかったのだろうか。だがこんな一撃を毎回受けていたら身が持たないので勘弁してほしい。
 冨岡の竹刀が身体のどこかを掠めでもしたらその日一日はピアス没収。二人の間でいつの間にか定められている暗黙のルール。炭治郎は渋々外したピアスを名残惜しみながら、差し出される手のひらに乗せた。
「放課後は、」
「指導室、ですよね。分かってますよ」
 没収されたのはこれが初めてではない。体育教師で剣道部の顧問でもある冨岡の攻撃を避けるのは容易ではない。それこそ最初は毎日のように食らっていたものだ。毎朝たんこぶを作ってピアスを没収され、と散々だった。だから金髪の友人と同じくらい、とはいかずとも苦手意識を持っていたはずだったのだ。
 けれど放課後に指導室で反省文を書いている時間。沈黙に耐えられなくて、炭治郎は少しずつ話しかけるようになった。そこで手を止めていると小言を貰うが、書きながらであれば冨岡は相槌だったりひとこと答えてくれたりと反応を見せてくれた。
 次第に炭治郎は、みんなが恐れる冨岡義勇という教師は存外抜けていたりと意外な面があることを知っていったのである。
 その頃には朝イチの攻撃も避けられるようになってきていて、それが少し寂しいと感じたこともあって。彼のことを好きになってしまったのだと思い知らされた。
(そうか。今日、先生と二人なんだ……)
 好きな人と二人きりになれて嬉しくない人は存在しないだろう。とく、とく、と心臓は既に高鳴り始めている。はあ、と吐いた息で手を温めるふりをして、炭治郎は頬の赤みを誤魔化した。





「失礼します」
「ん」
 炭治郎が指導室へ足を踏み入れた途端に待ってましたとばかりに渡される原稿用紙。大人しく受け取ってから、冨岡の向かいの席を借りる。
 かりかり、とシャープペンシルの芯が紙の上を走る音と、時折冨岡が書類を捲る音だけが室内に響いていた。
「……今日は静かだな」
「、え?ああ、はい、」
 珍しく彼から話しかけられたことで炭治郎は動揺した。一拍遅れて返事をしつつ顔を上げると、じっとこちらを見つめる紺色の瞳とかち合う。肘をつく仕草だけでも格好良く見えるのは炭治郎が彼に惚れているからだろうか。
 いや、と炭治郎は内心で首を振る。この教師はものすごく顔がいい。炭治郎のようにひっそりと恋心を隠している者だって少なくないはずだ。
 ──でなければ、彼の隣にある紙袋の中身の説明がつかない。
 入った瞬間から部屋中に漂う甘い香りの正体を、嗅覚の優れた炭治郎が見抜けぬはずもない。分かっていて、それでも無視していた。無視しなければ、嫉妬心を抱いてしまいそうだった。
 女子、というだけで秘めた想いを渡せる。それがとてつもなく羨ましい。炭治郎でも義理だと言って渡せば受け取ってもらえるのだろうか。
 うだうだと余計な思考が入り混じるせいで、先程からちっともペンが進まない。解決策を探った目線が鞄にいき、閃いた。そうだ糖分を摂取しよう。さすれば多少は頭もまわり始めるに違いない。
「……先生、」
「何だ」
「此処って飲食禁止でしたっけ」
「……? 別に、構わないが……」
 糖分補給がしたいですと馬鹿正直に告げた炭治郎に、冨岡は呆れた視線を向けたもののため息一つで見逃してくれるらしい。
 なんだかんだ言って話の分かるところが好きだ。炭治郎は有難く思いながら鞄に手を伸ばした。ガサゴソと中身を漁ればそれはすぐに姿を現す。結局誰にも渡さずずっと鞄に入れていたせいで、綺麗にラッピングされていた袋はくしゃりと皺が寄って歪んでしまっていた。
 それがまさに今の自分にぴったりに思えて笑ってしまう。
 乱雑に開封してチョコレートをひとつまみ。口に入れると溶けていくそれと同じように彼への恋心も終わりにできたらいいのにな、と馬鹿みたいなことを考えた。
 もう一粒を口に放り込んだその瞬間、炭治郎の腕は引っ張られ、後頭部を押さえ込まれる。目の前には冨岡がいて、唇からは何かが侵入しようとしていた。
「……っんぅ……!?」
 驚いた拍子にわずかに開いた隙間から入り込んでくるそれを許してしまう。得体の知れない生きものが咥内で好き勝手に暴れ回り、二人の熱でチョコレートはあっという間に溶けてしまう。止めようと伸ばした舌は絡め取られ、擦り合わせたり吸われたりして大人しくさせられる。炭治郎が怯んだのが伝わったのか、あとはもう、されるがままひたすらに貪られた。唇が腫れたんじゃないかと思うくらいに。
 炭治郎の初めてのキスは激しくて、とても初心者相手にするようなものではなかった。
 口の中に少しだけ残ったチョコレートの味がなんとも虚しい。突然口付けをしてきた相手を呆然と見遣る。
 目の前の男は平然とした顔で、ぺろりと口端を舐めとっていた。濡れた唇が色っぽくて、かあ、と頬に熱が集まる。きっとそこには炭治郎の唾液も混じっているのだろう。
「………な、なんで………」
「…お前は、」
 懸命に絞り出した声は震えていた。そこに冨岡からの低い声が被せられる。
「あれ程熱の篭った視線を寄越しておいて、あっさりと他の奴の元へ行こうというのか?」
「……え…?」
「こっちはお前の卒業を今か今かと待ち望んでいたというのに、お前の想いはそんなものだったのか?」
「え、えと…?」
 実を言うと先程から炭治郎の頭は酸欠気味でろくに考えられる場合ではないのだ。そこに畳みかけるように炭治郎の知らない情報を浴びせられて最早パンク寸前だ。何がなにやらと目を回している炭治郎に、先程まで持っていた包みが突きつけられる。
「誰から貰った?」
 なんとかその問いには答えられそうだと口を開いた。
「違います!それは貰いものじゃありません!」
「だったら何だ。お前は自分が食べる物をわざわざ懇切丁寧に包むのか?」
「〜〜っあなたに!あげようと!していたんですっ!!」
 廊下まで響いているんじゃないかと思うくらいの大声で叫んだ。おかげで余計に酸素の足りなくなった炭治郎は必死に肩で息をする。どうしてか炭治郎に対し理不尽な態度を取り続ける教師を睨めつけた。
「先生のばか!俺が!今日一日!どれだけ悩んだと!思ってるんですか!」
「……ま、待て。落ち着け。冷静に話し合おう」
「先に手出してきたのはどっちですか!?」
 手というか舌というか。いや、今はどちらでも構わない。カッと頭に血が上ってわあわあと喚く炭治郎を冨岡がどうにか宥めようとしてくるが、気持ちは収まりそうにない。
「きっ…、キス!の!理由を!聞かせてください!こんな…、初めて、だったのに……!」
「!」
 目を見開く男からは何故か嬉しそうな匂いをさせていて意味が分からない。
 ──だってそんな、それじゃ、まるで炭治郎のことが好きみたいじゃないか。
「……先生は、何とも思ってない生徒…しかも、同性に口付けるような人なんですか……」
「違う。……すまない」
 好きだ、と。聞いたこともない甘い声と柔らかい表情を炭治郎に向けるから。
「それを、先に、言ってくださいよ…!」
「お前が誰かからチョコを受け取ったのだと思ったら、堪らなくなった」
「……もう、」
 先程まで震えあがってしまいそうな程に怖かった冨岡が、怒られた犬のようにしゅんとしているので炭治郎はあっさりと許してしまった。この人絶対弟属性がある。ずるい。
「……あと一粒ですけど、受け取ってくれますか…?」
「勿論」
 あ、と口を開く冨岡に、炭治郎は仕方がないなぁと笑いながらチョコレートを放り込んでやった。

「ところで。俺にあんなこと言っておいて、先生が女子たちから受け取ってるのは何なんですか?」
 にっこりと、それはもういい笑顔を浮かべて。炭治郎は冨岡に迫った。視界の端に映るのは紙袋に詰められた可愛いラッピングの山。どこからどう見ても本命のそれ。
「………」
「なんで黙りなんですか!ちょっと!…んむっ!?」
 きゃんきゃんと吠える炭治郎は今は悪い大人に無理やり黙らされてしまったけれど、いつか絶対にこの理不尽に責め立てられた恨みを晴らしてやる、なんて密かに誓って。今は流されてやることにした。別に、キスが激しくて思考が回らなくなったとか、そんなことでは、決してない。



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