互いの視線の先は


※カフェ店員の二人



 商店街の片隅にある小さな喫茶店が炭治郎のアルバイト先だ。
 そこはマスターが趣味で始めたもので店自体はこじんまりとしているが、近所の憩いの場として愛されていた。温かくて優しいその場所は、炭治郎にとって第二の家とも呼べる居場所で大好きだった。
 けれど町の高齢化が進み、訪れる人も少しずつ数を減らしていた。マスター自身も働き続けるには高齢で、そろそろ店を畳もうかという話が持ち上がっていることを炭治郎は偶然耳にしてしまった。
 寝耳に水のそれはとてもショックだった。でも、だからこそマスターはまだ炭治郎に話していなかったのだろうと悟る。
 せめてもう少し人足が増えればタイムリミットは遠のくのではないか。そう考えた炭治郎は斯くして、マスターに内緒で立ち上がったのである。
 ──全ては、大切な居場所を守るために。

 さて、では何からすべきかと考え導き出した答えはライバル店を偵察することだった。良いところを盗めるだけ盗み、それをアルバイト先で活かす。そういう作戦である。
 炭治郎の住むキメツ町では幸いというべきか、いやむしろ不幸なのか。スイーツが美味しいと評判が良く、満席行列は当たり前、番組の取材が殺到する程の人気店が存在する。キメツカフェ、今SNSでも話題沸騰中の喫茶店だ。

 流石に初めて行くうえに、女性ばかりのいる店内に足を踏み入れるのは躊躇われて、炭治郎は妹を連れて行列に並んでいた。勉強しにきた炭治郎は熱意の炎を燃え上がらせていたが、妹は単純に楽しみにしており可愛らしい笑顔を絶やさない。
「そんなに行ってみたかったのか?」
 炭治郎が誘った際、すごく興味があったと顔を輝かせていた。それを思い出して尋ねる。
「うん!デザートのメニューが豊富でどれも美味しいんだって。どれにしようか迷っちゃうな〜」
「そうなのか…」
 下の妹も来たがっていたしあと数回は行く予定だったが、そんなに品数が多いとなるともっと通うべきかもしれない。ホームページを眺めながら決めきれずに悩む妹と、一方でむむむと唸っている炭治郎たちは気づけば自分たちの順番が回ってきていた。
 カララン、と軽やかなベルの音が鳴り響き、店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいでしょうか?」
「はい!」
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
 出迎えたスタッフはびっくりする程の美形で、カフェで働くよりモデルの方が向いているのではないかと炭治郎は思った。切れ長の目にすっと通った鼻筋、形のいい唇と全てがバランス良く整っている。どうやらそんな感想は人類共通のようで、彼には店内のあちこちからたくさんの視線が集まっていた。
「楽しみだね、お兄ちゃん」
 しかし妹は花より団子というように彼など眼中に無く、兄として安心すればいいのか嘆けばいいのか、複雑な気持ちになっていた。

 妹たちと数回、それからは一人で通うようになった炭治郎は今日もキメツカフェを訪れていた。
 毎回違う品を頼んではほっぺたが落ちそうなくらい美味しいデザートたちに舌鼓を打つ。たまに目的を忘れてしまいそうになるが、持参したノートを見て自分がやるべきことを思い出す。見たもの、感じたこと、全てを書き連ねていく。新メニューのアイデアを端にメモすればその日のミッションは完了だ。
 あとはノートを片付けゆっくりと味わう。そして、とあるスタッフへさりげなく注目する。
 炭治郎が目を向ける先にいるのは、最初に店を訪れたときに案内してくれた男性スタッフだった。左胸に装着されているネームプレートには冨岡、と書かれている。
(いつ見ても綺麗な所作だなぁ……)
 何度か足を運んでいるうちに気づいたのだが、ここのスタッフは個性豊かな人ばかりだった。おまけに美男美女が揃っているものだから、常連客のうちの半分くらいはそっちが目当てだとかなんとか。
 こうして冨岡のことを目で追ってしまう炭治郎も、そのうちの一人になっているのかもしれなかった。
(いやいや!俺があの人を見てるのは、参考にする為だ!)
 彼は女性たちに話しかけられても凪いだ表情を一切崩さず淡々と受け答えをしている。そしてきちっとした態度で何事もスマートにこなしてしまうので、炭治郎は密かに憧れを抱いていた。
 あんな風になれたら。同業者としてそう感じられずにはいられなかった。
 彼を見ていれば勉強になるに違いない。そうして炭治郎は、ここを訪れるときにはいつも冨岡を見つめていた。一応文庫本を開いて読書をしている風に見せかけてこっそりと、ではあったが。
 憧れ以外の感情はないつもりだが、それでもたまに乙女のようにときめいてしまうことが何度かあったのは否めないが、とにかく炭治郎の偵察は順調にこなせていると自負していた。



  ◇  ◇  ◇



 あの子を見た瞬間、義勇は果てしない衝撃を受けた。
 くりりとした柘榴色の瞳は興味深そうに店内を見回している。髪の毛は柔らかそうで撫でつけてみたいし、まろい頬はマシュマロのようでつついてやりたい。額に特徴的な傷があり、耳には花札のようなピアスがからからと揺れながら存在を主張している。一目見たら絶対に忘れられそうにないくらいに、可愛かった。
 だが義勇という男は感情を表に出さないことに長けすぎていた。
 いつも通り冷静に対応し、その子と連れの女性を席に案内する。義勇は他の客の相手をしながらも耳だけは器用にあの子たちの会話に傾けられていた。恋人同士なのかと思えば、女性はあの子をお兄ちゃんと呼んでいたことから兄妹と窺える。そのことにほっと安堵の息を吐いた。
 義勇は生まれて初めて一目惚れというものをしてしまったのである。

 義勇が案内してオーダーを聞いてサーブしたワッフルを、目を輝かせながら頬張るあの子は今日も愛らしい。陰からそっと見つめていた義勇の背後に複数の気配が近づく。
「あの少年、最近やけに冨岡を見ていないか!」
「珍しいよなぁ、男性客でお前に興味あるヤツ」
「冨岡さんは顔のおかげで女性人気ばかりですもんね」
「………何なんだお前らは。仕事しろ」
 眉を顰めて義勇を取り囲む三人をじろりと睨むが、似たようなやりとりは慣れたもので涼しい顔のまま休憩だと宣う。
「というか、冨岡さんも気になさってますよね?」
「おォ!?まさか!?今までどれだけ美人に言い寄られてもすげなくフッてたお前が!?」
「よもや、だな!」
「……煩い」
 踵を返しつつ襟元を緩める。休憩なのは義勇も同様で、だからこそゆっくりとあの子を堪能していたかったのだが、この面倒な同僚たちに捕まってしまっては終わりだ。義勇は諦めてバックルームに向かう。
 だが同僚たちは意に介さず後ろをついてくる。休憩時間が被っているのだから仕方のないことだが、せっかくの休憩時間が休めなさそうでうんざりする。その証拠に今まさに背後からあれやこれやと言い合う声がしているからだ。
「名前は聞けたのか!?」
「そもそも個人的に話すら出来ていないのでは?」
「来店すれば毎回飛んでいくのになぁ……俺らが気を利かせてやってるの気づいてんのか?」
 いくら人の機微に鈍い義勇だってそれくらいは薄々感じていた。あの子の好みでも分かれば、なんて思っているのだが毎回違うデザートを頼んでいるので特に決まったものはないようだった。強いて言うなら甘いものが好き、くらいしか分からない。
 この調子では、自分でも進展なんて気が遠くなる。
 少し見ているだけでも礼儀正しく優しくて面倒見がよく、きっと女は放っておかないに決まっている。だが今のところ妹二人としか来店しておらず、彼女の類いは見る影もないので安心していられるがそれも長くは続かないだろう。そもそもカフェのスタッフと客の関係など限りなく薄いものだ。早くどうにかして会話をとは思うのだが、今まで恋愛ごとに疎かったせいで義勇には距離の縮め方が分からない。
 ──後ろの三人は、義勇が頼めば何か協力してくれるのだろうか。
「…………会話のきっかけは、何がいいのだろうか」
 重い口を開いた義勇に、その場がしんと静まり返る。振り向くと、同僚たちは目を瞠りながら手のひらで口元を覆っていた。
「……大変です、」
「明日は雹が降るのではあるまいな?」
「いや、マジ……マジか?ビックリしたわ……」
 驚愕に染まっていた表情は次第ににんまりとあまりよろしくない笑みへと変化する。嫌な予感がした義勇はやはり断ろうかとしたものの。
「よし!派手に俺たちに任せろ!」
「連絡先聞くのは突然すぎるか?」
「まずはひとこと足すだけでいいんじゃないですか?さりげなく甘いもの好きなんですか?と尋ねてみたり」
「あとお前の場合は笑顔だな、ギャップってやつだ」
「多少の時間なら追いかけて店外で話してくればいい!」
「…………そうか」
 案外まともなアドバイスが返ってきて、義勇は戸惑いながらも素直に受け止める。
(ひとこと、か)
 義勇が話しかけたら、あの子はどんな反応をするのだろう。驚くだろうか、戸惑うのだろうか。いや、きっと優しそうなあの子は笑顔で返してくれるに違いない。
 向けられる表情を想像するだけで、義勇の口元はほんの少し緩められた。



  ◇  ◇  ◇



 その日はいつも通り、ではなかった。
「お客様は甘いものがお好みでしょうか?」
「……へ?」
 炭治郎はどうしてか、スタッフを呼ぼうと店内に視線を巡らせるといつも冨岡と目が合う。そのまま会釈すると彼が来てくれるので、炭治郎はいつも彼にオーダーをしている。そういえばサーブも会計も彼が担当かもしれない。今更ながらに気がついて、こんな偶然もあるんだなぁなんて思っていた矢先のことだった。
 今日はレモンのミルフィーユを、と頼んだ炭治郎に、冨岡が口を開いたのだ。寡黙な人なのだと認識していたから、てっきり必要以上は喋らないのだと思っていた。炭治郎は驚いてまじまじと海底のような青い瞳を見つめる。
「ええと、まあ、好きです」
 確かにドリンクもミルクティーだったりカフェオレだったりと甘めのものだ。恥ずかしながらブラックはマスターが煎れたものしか飲めないもので。
 デザートに関しては新規開拓をするならこれだと決めてしまったので仕方ない。趣味で来ているのであればドリンクだけで済ませることもあるだろうが、あくまで炭治郎の目的は勉強。とはいえ最近は楽しみにもなっているのだけれど。
 嘘ではないな、と彼の質問の意図を謎に思いつつ頷く。すると、では、と冨岡はメニュー表を捲ってみせた。
「季節限定のストロベリームースはいかがでしょう」
 そう言って仄かに目元を和らげた彼の破壊力といったら。
 炭治郎は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を縦に振っていた。あれ、ここってホストとかじゃないよね。
 言われるがまま二品を頼んだ炭治郎は、冨岡が去っていっても未だ火照る頬を抑える。何だったのだろうか、今の表情は。
(ただの営業スマイル?俺に?なんで?)
 普段ほとんど表情筋が動いていない男なので、炭治郎の頭の中は疑問だらけだ。彼のファンの女性客にやればいくらでも稼げそうなのにどうして炭治郎に。いや、だからここはホストではない。
 ふしゅうう、と頭から湯気を出していた炭治郎は、離れたはずの蒼眼がこちらを見つめていることに気がつかなかった。

 会計を済ませた炭治郎はふらふらとした足取りで近くの公園に向かっていた。先程から心臓がうるさくてかなわない。気持ちを落ち着けようと、ひと休憩を取るつもりであった。
 しかし背後からかつかつと誰かが駆けてくる足音がする。そして炭治郎の優秀な鼻は澄んだ水のような匂いを捉えた。
「……ッお客様、」
「ぅえ、…!?」
 今まさに炭治郎の心を逸らせる原因の人が、わずかに息を切らせてこちらの手を掴んでいた。
「……名前を、」
「え…?」
「名前を、聞いても、いいだろうか」
 それはきっと彼の素の口調だった。いつも彼の唇が紡ぐ敬語とは違った響きが新鮮で、炭治郎の心臓はさらに高鳴る。もうまわりの音が何も入ってこない。
「…たんじろう。竈門炭治郎、です…!」
「そうか。竈門、炭治郎……」
(うわわわ……!!)
 彼が己の名を呼んだ。たったそれだけで照れや嬉しさが混じり、そわそわとした気持ちになる。憧れだけでこんな状態になるのだろうか。ちょうど炭治郎がそんな疑問を持ったとき。
「…好きだ。一目惚れだった。俺と付き合ってほしい」
「え、………えええーーっ!!?」
「声が大きい…」
「ごめんなさい!…じゃなくて!」
 あまりにも唐突な告白に炭治郎はパニックに陥る。こんな美丈夫が何をとち狂ったのか炭治郎に一目惚れを。どうしようという思いだけが渦巻いて、そして耐えきれなくなった炭治郎がとった行動は。
「えっと、あの、〜〜っ少し!お時間をください!!」
 そう叫んで、掴まれていた手を振り払って。炭治郎は逃げだした。
 油断していたからなのか、彼が追いかけてくることはなかった。

「ど、どうしよう……」
 どこをどう通って帰ってきたのか記憶にないが、いつの間にか炭治郎は家に帰りついていた。そして部屋に篭もると座り込んで膝に顔を埋めている。
 脳内を占めるのは当然今しがた起こった光景。それが何度も何度も再生されている。
(冨岡さんには憧れてるけど、付き合うとか、そういうのは……そういう、の、は……)
 想像してみる。告白してきたときのような甘い匂いをさせて、微笑を浮かべて、触れられる。
「ひええ……」
 顔を覆った。とても恥ずかしいけれど、嫌悪感はなかった。これはもしや、いつの間にか炭治郎も彼に恋をしていたのだろうか。
「あああ……でも逃げてしまった……俺はなんて失礼を……」
 まだまだ自分の気持ちの整理ができていないけれど、もし返事をせずに手を振り払ってまで逃げた炭治郎に幻滅されていたら。そう考えると胸が苦しくなった。自分勝手な思考が嫌になる。
 ふと、次はどんな顔をして店に行くべきなのか分からなくなった。次に会ったときには返事をすべきだろうが、上手く喋れるかすらも不安だった。
 延々と悩んでいるうちに夕飯に呼ばれ、うわの空のまま自室を出たのであった。





 何度かカフェの近くへ足を運んでみたものの、とても中に入る勇気が出なくて結局行くことができていない。
 一度遠くで見かけた彼は女性に囲まれており、そんな光景は既に見慣れているはずだったのに己の恋情を自覚し始めた今の炭治郎にとっては悶々とする材料にしかならなくて。
 そんな悩みが仕事に影響したのかマスターには心配をかけてしまった。家族も様子がおかしいことを察してどことなく気遣う匂いがしている。
(これじゃあ本末転倒だなぁ……)
 マスターを喜ばせようと頑張っていたのに。とにかく調子だけは戻さなければと思っていたときに偶然友人から連絡がきたのだった。

「炭治郎!」
「玄弥!久しぶり!」
 高校時代からの友人の一人である彼がこちらに向かって走ってくるのに気がついて手を振った。
「大学はどうだ?」
「相変わらず母ちゃんみたいだな…楽しくやってるよ」
 根は優しいこの友人は身体の大きさと見た目のせいで怖がられ、炭治郎が周囲に訴えかけるまでなかなか友人ができなかった過去がある。そのことで気にかけていたのだがどうやら大学生活は上手くやっているらしくてほっと安堵の息を吐く。
 一方玄弥は高校時代の炭治郎のあだ名がお袋だったことを思い出したのか、苦笑しつつ頬をかいて照れを誤魔化していた。
「悪いな、今日付き合わせちまって」
 この友人はスイカが好物で、今日は気になっていたスイカスイーツを食べに行きたいからと誘われたのである。
「いや、俺も最近カフェ巡りを趣味にしてるからタイミングが良かったよ」
「カフェ巡り?」
 炭治郎はアルバイト先の喫茶店のことを掻い摘んで話した。
「へぇー、なるほどなぁ。あ、じゃあキメツカフェには行ったか?」
「え?あ、ああ。それはまあ…」
 ドキリと心臓が跳ねる。有名だし、と炭治郎が答えると、玄弥は首を横に振った。
「それもあるんだけどさ。俺の兄貴が働いてんだよ」
「えっ!?そうなのか!?」
 炭治郎は思い出してみるが、不死川という苗字のスタッフはいなかったように思う。
「厨房担当だから多分知らないと思うぜ」
「へあー…すごいんだなあ、玄弥のお兄さん…」
「へへ、兄貴は俺の自慢だからそう言ってくれると嬉しいよ」
 そう言う玄弥の表情は喜びに溢れていて、きょうだいが自慢だと思う気持ちがよく分かる炭治郎は微笑ましく思った。
 そうこうしているうちに目的地に着き、二人は中に足を踏み入れる。

「……あら?あの子って確か…」
「どうした、甘露寺」
 その瞬間ちょうど目の端に映った男女は見覚えがあった気がしたが、それが誰なのかまで考えが至る前に案内されて、炭治郎の視界から消えてしまった。





 物陰からちらちらと前方を窺う。長男のくせにずっとうじうじしているだけなんて不甲斐ないと己を叱咤するもののやはり足は竦んだままだ。長時間この場に居座ることもできず、今日も駄目な炭治郎だったと肩を落として踵を返そうと片足を一歩下げたとき、ふっと現れた気配に声をかけられた。
「こんなところで何をして、」
「びゃあああっ!!?」
「!?」
 驚きすぎて内臓がまろび出たかと思った。ドッドッと早鐘を打つ心臓を抑えながら振り向くと、そこにはあれほど会うのが気まずいと思っていた相手がいた。
「ど、どうして此処に…」
「…出勤まで時間があったから何処かで暇を潰そうとしていた。……竈門、は、何故…」
「えと、あの、その……」
 しどろもどろに狼狽える炭治郎を見てどう思ったのか、彼からは悲しみの匂いが漂ってきた。
「……俺が、想いを告げてしまったからか?」
「え?」
「だからもう通いたくもないのか?であれば、あんなこと言わなければ良かった。そうすればお前が他の店に行くこともなかったのに……」
「え…?ま、待ってください。何の話ですか?」
 勝手に進んでいってしまう話を慌てて止めに入る。炭治郎は少なくともデザートメニューを網羅するまで他の店に行く気はなかった。
「……伊黒たち…同僚から、他のカフェに入っていく姿を見たと聞いた。俺が居るから店を変えてしまったのだろう?」
「あ…!それは違うんです!友人の付き添いで……確かに、貴方に告白されて足が遠のいてしまいましたが、嫌とかじゃなく、むしろ嬉しくて、えっと…」
 冨岡を直視できなくて、炭治郎は俯いたまま懸命に言葉を選んでいく。すると息を呑んだ気配がして、肩を掴まれた。
「いま、なんて、」
「冨岡さんに告白されたこと、嬉しかったです。俺もいつの間にか貴方のことをお慕いしていました、ので」
 今まで悩んでいたのは何だったのかと拍子抜けするほどに、炭治郎の口からはすらすらと冨岡への恋心が溢れた。
「……そ、うか」
 炭治郎の真っ直ぐな想いを前にして、冨岡は照れているようだった。そっぽを向いてしまったけれど、髪の隙間から見える耳はほんのりと赤い。つられて炭治郎まで頬を染めてしまう。
「ずっとお前を見ていたら、竈門も同様だったと同僚が言っていた」
「わあああ…すみません…」
「責めていない。むしろ嬉しかった」
「そ、そうですか?良かった…!冨岡さんの所作が美しくてつい…」
 というか見られていたのか。全く気づいていなかった。確かに好きな人に視線を送られていたという事実は照れくささと嬉しさが同時に感じられた。
 炭治郎側の視線の理由を告げていたところで、はたと元々は学ぶ為だったことを思い出す。はて、これは少し騙していることになるのか。誠実な彼に対してこのまま黙っているのは卑怯だと思い直す。せっかく思いが通じたのに取り消されてしまったらどうしようと不安を覚えながらも、しかし炭治郎は隠しごとがとても苦手であった。
 つまり、正直に話す選択をしたのである。
 アルバイト先の事情と炭治郎の思い、冨岡を見つめるようになったきっかけ。
 話しているうちに徐々に顔を伏せていった。終わった頃にはすっかり下を向いていて、次に彼が何を言うのか分からなくて少し怖い。炭治郎一人が頑張ったところで無駄だと一蹴されてしまうか、はたまた紛らわしい真似をしてしまったことを憤るだろうか。
 すみません、と謝った炭治郎に返ってきた言葉は、単純明快でありながらも不可解なひとことだった。
「………見たい」
「え?」
 思わず顔を上げ表情を窺うと、どことなく期待しているような、そんな匂いがした。
「お前が給仕してる姿が見たい」
「っうぇ!?嫌です!」
 訳が分からないと顔に出ていた炭治郎を見て、冨岡は主語を付け加える。だがそれを間髪入れずに撥ねつけた。とんでもない。
「……何故だ」
 心外だと言外に告げられている気がしたが、炭治郎は譲らない。ぶんぶんと首と手のひらを横に振って、全力で意思表示をする。
「俺はまだまだ未熟者で、冨岡さんみたいな凄いウェイターに見せられるような仕事は…」
「…そこの喫茶店を訪れる人たちは喜んでいないのか?」
 畏れ多い、と言おうとした口は、冨岡の言葉で噤むこととなった。
 炭治郎の脳裏に浮かぶ光景は小さくてもあたたかな笑顔ばかりの場所。思い出すと自然と頬がゆるんでしまう。
「いえ…みなさん優しい人ばかりで…」
「だったらそれが正解なんだ。店によって雰囲気はそれぞれなのだから、無理に俺の真似をすることはない」
 きっぱりと言い切る彼を、炭治郎はぽかんと呆けて見遣る。言われたことは理にかなっていてとても納得させられた。炭治郎は目から鱗が落ちる気分だった。
 自分らしく、自分にできることを。
 冨岡のアドバイスにより炭治郎がやる気を出したところで、それで、と続けられた。
「竈門のバイト先とは何処なんだ」
「え!?本当にいらっしゃるんですか!?」
「お前だけ散々見ておいて、俺は駄目と言うのか?」
「うぐぐ…!」
 確かに、好きな人の働く姿というのが目に焼き付けたいほどに大変魅力的なのはじゅうぶんに理解している。けれど、だからといって素直に頷けるとは限らない。
 そうして渋る炭治郎の首を縦に振らせたのは、冨岡の大胆な行動だった。
「……炭治郎、」
 抱き寄せられ耳元で名前を囁かれ、了承を求めるような響きを纏わせた声に、どうぞと言う以外どうしろというのだろう。
 出勤日も聞き出されて、ではこの日にと指定され、冨岡は時間だからと行ってしまった。
「いつも通りに、できるかな……」
 その背中を見送りながら、未だ冷めやらぬ頬を覆って呆然としたまま炭治郎はぽつりと独り言をもらした。



  ◇  ◇  ◇



 義勇はあの子に教えてもらった勤務先という喫茶店の前にいた。
 古風で物静かに佇む建物は義勇にとって好印象に思えた。元々騒がしい場は苦手な方で、今のところで働いているのも世話になったオーナーに誘われたからだ。一度は辞退したものの、義勇なら大丈夫と背中を押されたらやってみようという気になったのである。
 結局は同僚の助けもあってなんだかんだ上手くやっているのだから、オーナーの先見の明には舌を巻く思いだ。
 扉を開けて潜ると、中はあたたかなオレンジの光で照らされ、クラシック音楽が流れている。客足は多いとは言えないものの、皆顔見知りなのか和気藹々とお喋りに興じており、その輪の中心には義勇の愛しい子の姿があった。
「いらっしゃいま…、冨岡さんっ!」
 反射で反応した炭治郎がすぐさま義勇に気がつきパッと顔を輝かせる。
 炭治郎は白いシャツに黒のビブエプロンを身に付け、トレーを持ったまま談笑していたようだ。しかし義勇を見るなり客に一礼してこちらへ駆け寄ってくる。
「お待ちしておりました!こちらへどうぞ!」
 にこにこと義勇に笑顔を浮かべる炭治郎は可愛い。おまけにエプロン姿がとても似合っている。
 その背後からは、どうやら客たちにも可愛がられているらしいこの子の知り合いと見える義勇に興味津々といった視線がこちらに向いていた。
 他の客が座っているボックス席とは離れたカウンター席に案内され、炭治郎がバーカウンター内に移動する。ご注文はと問われ、ブラックと答えると、炭治郎はかしこまりましたと言って離れていった。
 特にすることもなく炭治郎を見つめていると、義勇の隣に一人の老人が現れた。炭治郎と似たような制服を着ていることで、この老人がマスターなのだと知れた。
「こんにちは」
「…どうも」
 軽く会釈をする義勇を、マスターは人の良さそうな顔を浮かべて見ていた。裏表なく優しげな印象を与える人物で、確かに炭治郎は懐いていそうだと感じる。
「炭治郎くんから話を聞いてどんな人かと楽しみにしていたよ」
「いえ…俺は…」
 一体どんな話をしているのやら。義勇は視線を外して言葉に迷う。
 しかしマスターは気にした様子もなく、実はねえ、と続けた。
「この店のお客さんたちは私くらいの年配も多いんだが、中にはたまたま来店した若い人がそのまま常連になってくれる人もいるんだよ」
 マスターが何を言わんとしているのか分からず、義勇は口を挟まず耳を傾ける。
「その常連の若いお客さんたちは男女問わず殆ど炭治郎くんにぞっこんでねぇ……あの子は気持ちに気づかず躱しているけれど、毎回ご飯に誘われたりしてるんだよ」
「……え、」
 とても聞き捨てならない事実に思わず目を瞠ると、マスターはやはり穏やかな表情のままとんでもないことを告げた。
「だからしっかりあの子のことを捕まえておくんだよ」
「……!」
 きっと、炭治郎の性格からして義勇との関係を話してはいないだろう。つまり一目で見抜かれたというわけで、義勇は勘のいいマスターに戦慄する。
「…ご忠告、痛み入ります」
「うんうん。私もあの子が笑顔なら嬉しいからね」
 ほっほっほ、と笑う姿は普通の老人にしか見えない。しかし炭治郎を案じているのはしっかりと伝わってきて、義勇は密かにマスターに気に入られなければ炭治郎を貰い受けるのは難しいのではないかと馬鹿げた想像をしてしまった。しかし炭治郎の言葉を思い出すとあながち間違いとも言えないかもしれない。第二の家ともいうなら、マスターのことも家族と思っているのだろうから。
「お待たせしました!……ってアレ?マスター、冨岡さんとお話してました?」
「ふふ。君のことを少しね」
「ええー!?何言ったんですか!?」
「……ふ、」
「あっ!冨岡さんも笑ってる!ほんとに何を…!?」
 義勇は知らない。マスターも手強いが、もっと手強いのは炭治郎の妹たちだということを。
 今この瞬間を楽しむ義勇は、全く予期していなかったのである。

 ちなみに、炭治郎が聞いた店を畳むという話は客が勝手に噂していただけで、まだまだ現役だよと笑うマスターに、炭治郎の悩みは杞憂に終わったとかなんとか。



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