終わりを告げた日


※オメガバ設定



 あの人と炭治郎は運命の番だ。
 出逢ってしまったからにはどうしても心が引き寄せられてしまう。炭治郎は間違いなくあの人が好きなのだと断言できるけれど、彼は違う。運命に逆らえないだけだ。それに優しいから、炭治郎を捨てないでいてくれる。
 あのときした約束は、もう忘れて去られてしまっているだろうが。
 いつの日か訪れる別れ。それに脅えつつも、炭治郎から手を離すことができない。結局そうやってずるずると、気づけばそれなりの年月が経っていた。

『おれと、けっこんしてください……!』
 その人を見た瞬間、身体中に電撃が走った。その頃の炭治郎は運命の番どころか己の第二の性別すら知らなかった。幼過ぎて結果が出ない為に検査を受けられないからだ。なのに炭治郎は彼を見てすぐに己の運命なのだと確信した。つまりどちらかがアルファで、オメガだということ。
 しかしそれは一目瞭然だった。一度目にすれば印象に残る程に整った容姿がそれを証明している。アルファは何もかもが優れているからだ。
 ──彼が、炭治郎のアルファなのだ。
 視線が逸らせない。ほう、と見惚れていた炭治郎はふと我に返って、慌ててその人の袖を掴んだ。そして先の台詞である。彼は炭治郎よりも年上であったけれど、そんなものは関係なかった。
 炭治郎の精一杯のプロポーズに、青年は分かった、とだけ答えた。承諾でも拒絶でもないそれに戸惑ったけれど、すん、と首筋に鼻先を擦り付けられたことから彼が炭治郎を疎ましく感じてはいないことだけは察せられた。
 青年は冨岡義勇と名乗り、その日から炭治郎の実家のパン屋に顔を出すようになった。炭治郎は無邪気に義勇についてまわり、義勇もまた炭治郎を可愛がっていてくれていたように思う。次第に炭治郎も成長して中高一貫のキメツ学園に入学した。そして中学に上がったことを機に行われた性別検査により正式にオメガだと判明したのだ。
 オメガには三ヶ月に一度発情期が訪れる。他人を誘惑し生活に支障をきたすそれは未だに避けられがちな事態で、自分がオメガだと診断された人はショックを受ける者も多い。最近は開発が進んで抑制剤も格段に良いものになったけれども、これまで培われてきたイメージは簡単に拭えない。オメガにマイナスの感情を持つ者はまだまだ多数を占めていた。
 ところが検査結果の書いてある紙を貰ったときの炭治郎の反応は世間とは正反対のものだった。
 これで晴れて、義勇と結ばれるのだと大いに喜んだのだ。
 早々に運命の人と出逢ったことで自身がオメガだと分かっていたが、それでも確定ではない。だからようやく判明したことに、炭治郎はオメガという文字を見つめながら密かに口元を緩める。そしてその日パン屋を訪れた義勇を引っ張って家に連れて行き、結果を報告した。
 炭治郎はてっきり、義勇もこの結果にいい反応をしてくれるものだと思い込んでいたのだ。
 しかし彼は無表情のまま。匂いからも何の感情も悟らせてくれない。
 不安を覚えて名前を呼ぶと、義勇はそうかのひとことだけで済ませてしまった。
 炭治郎はここにきて、義勇の気持ちを欠片も理解できていなかったことに気がついたのだった。
 突如崖から突き落とされたような衝撃だった。義勇を運命だと信じていたことも、好きだと思っていたのは炭治郎だけだったことも、ようやく番になれると喜んだことも。何もかもが炭治郎の独り相撲だったことで気持ちはすっかり萎んでしまった。
 けれど義勇を嫌いにはなれなかった。そもそも炭治郎は告白しただけで、きちんと相手の想いまで確認しなかったわけだから、義勇にはなんの落ち度もないのだ。
 オメガは一人のアルファしか番にできないが、アルファはオメガを切り捨て次にいける。炭治郎はきっとこれからも義勇のことを好きでい続けるけれど、彼は炭治郎のことなど忘れて別の人と結ばれる。そういう話だっただけだ。
 何処にでもある、一つの失恋話。
 中学生の炭治郎は決意した。高校を卒業したら、全部なかったことにしてもらおうと。
 まあ、炭治郎が結婚を申し込んだことなんて覚えていやしないのだろうが。
「……っ、……ぅううっ……すき、なのに……!運命の番と結ばれない、って、こんなに、つらいんだ……」
 胸が痛い。張り裂けそうだ。だがこれから一人で生きていくのであればこの痛みにも慣れなければ。
 溢れた涙はシャツに染みをつくって、やがて消えていった。





 満開の桜が辺りを包んでいる。そこは絶景と言う他なく、まるで幻想的な空間に放り込まれたようだった。
 炭治郎は今日、キメツ学園高等部を卒業した。式を終え同級生たちと別れを惜しみ、しかしこれからみんなでカラオケに行くという誘いを断ってきた。炭治郎たちの学年は比較的みんな仲が良かったから、きっと行かない人数の方が少ないだろう。その中に炭治郎の名も連ねることになったのは申し訳ないと思う。けれど炭治郎にはどうしても今日という日にやらねばならないことがあった。
 ざり、と砂を踏む音に振り向く。流石に今日はジャージというわけにはいかず、かっちりとネクタイを締め、漆黒のスーツを身に纏う想い人の姿があった。
「……冨岡先生、呼び出してしまってすみません」
 校内では先生と呼ぶように、と義勇は徹底的に線引きをしてきた。それを寂しく思う権利は存在したのだろうか。
「…お前はもう卒業生だろう」
「三年間も呼んできたのに、急に変えろだなんて難しいこと言わないでくださいよ」
「………」
 くすくすと笑いをこぼすと、義勇は途端に顰め面になる。
「……義勇さん…俺、出会ったときからずっと、貴方のことが好きでした…貴方は約束を覚えてないかもしれませんが、俺は義勇さんのことだけを考えて生きてきたんです。本当はこんなこと言いたくないし、何がなんでも離れないって決めていたんですけど、もう、つかれちゃいました……だから、今日で、最後にしましょう?」
 声は途中から震えていた。喉をつっかえさせながらも炭治郎は伝える。
「…………お前は、どうなるんだ」
 予想外の返しに、一瞬詰まった。だが納得もした。優しい彼は自分がいなくなったあとのことも考慮してくれているのだ。
「俺のことは、気にしなくて大丈夫です。……義勇さん以上の人は現れないし、ずっと好きなんだと思います。でも、貴方の未来を邪魔しようだなんてことは考えてないので安心してください!」
 なるべく心配をかけないように努めて笑顔を浮かべる。これで気兼ねなく炭治郎の元を去ってくれるはずだ。
 今の義勇と炭治郎の関係はただ口約束をしただけの関係に過ぎない。項を噛んでもらえないオメガは番にすらなれない。アルファの意思がなければ意味がないのだ。
 俯いて義勇が立ち去るのを待つ。背中を見れば、行かないでと泣きながらみっともなく縋ってしまうから。
 来たときと同じように靴と地面が擦れる音が聞こえる。徐々に遠ざかっていく足音に、炭治郎の瞳からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれていった。
(本当にこれで、最後なんだ)
 言葉は少ないけれど、匂いと態度から炭治郎を大切にしてくれているのは知っていた。炭治郎の前では少しだけ表情が豊かになっていくのは己が彼の特別のように感じられて嬉しかった。次々と思い出が蘇って、好きだという気持ちが溢れだす。
 もうこの場には炭治郎しかいないのだと思うと、自然と本音が飛び出た。
「………すき、だいすき、ぎゆうさん、………おれを、…すてないで…っ」
「捨てるものか」
「、っえ、」
 聞こえるはずのない声にパッと上を向いた。確かに義勇が立ち去る音を聞いたのに、と動揺する気持ちを悟ったのか、義勇が口を開く。
「あのままだと意地でも口を割らないだろうから、少し離れていただけだ」
「なっ……!」
「今のが、本音か?」
 炭治郎は驚愕で言葉が紡げない。はくはくと唇をわななかせ、一歩後ずさった。しかしその空いた距離を義勇が足を踏み出して埋められる。
「な、に……どうして……」
「それはこちらの台詞だ。何故急に最後などと言いだした?俺は、お前に嫌われるようなことをしてしまったのか?」
 頬に手が添えられ、親指が濡れた眦を拭った。義勇は炭治郎の背に手を回し、ぐっと引き寄せてくる。必然的に胸の中に誘われ、炭治郎はぬくもりを感じることとなった。
「……だって、義勇さんは、情けでこんな子どもに付き合ってくれていたんでしょう…?」
「…何を、」
「〜〜っ、俺が、オメガだって分かっても、喜んでくれなかった…!俺はこれでようやく貴方の番になれるんだ、ってすごく嬉しかったのに…!」
 義勇のぬくもりが炭治郎の心を溶かしてしまう。そのせいで、六年間溜め込んでいたわだかまりをついに吐き出してしまった。
「もう、気持ちがないのは…義勇さんの方、でしょ?」
 決定的なひとことを聞くのが怖いくせに、自ら尋ねる真似をするなんて馬鹿みたいだ。炭治郎は腕の中から脱出しようと試みるが、込められる力が強くなり失敗に終わる。
 恐怖で早くなる鼓動に自嘲したときだった。
 炭治郎は自分の身体に異変が起こったことを理解した。頭がくらくらして、ぶわりと体温が上がり息が荒くなっていく。そして極めつけは下半身が重くなる感覚。
 間違いなく発情期の兆候であった。
「……っあれ、…なん、で……はっ、ぁ…まだ先のはず、なのに…っ…ふぅ、」
「ッ、炭治郎…!?……薬は、何処だ?」
「ん……上着の、ポケット……」
 足が震えて立っていられなくなる。ずるずると座り込んだ炭治郎の背を撫でながら、義勇もいち早く異変を察知する。薬の場所を聞き出した義勇は言われた通り上着を漁って抑制剤を取り出した。
「炭治郎、飲めるか?」
「はぁ、……っは……ふ、…んぅ……」
「…クソ、」
 荒い息を吐くだけの炭治郎に舌打ちをして義勇は錠剤を出しそれを自身の口に放り込んだ。とろりと蕩けた炭治郎の目が一連の流れを追う。
 瞬間、目の前に義勇の整った顔が迫った。口を開かされ、熱い舌がぬるりと侵入してくる。その舌先には先程義勇が口にした抑制剤が含まれていて、炭治郎は思わず押し込まれたそれをごくりと飲み込んだ。薬を飲まされたのだとぼんやりする頭が遅れて認識する。
 しかし発情期が始まってからの抑制剤は気休めにしかならない。すぐには収まらない熱を持て余し太ももを擦り合わせた。今すぐにでも解放したくて、それしか考えられなくなる。助けを求めるように自身の前にいるアルファに縋り付いた。
「ほし…っ、あつ、いよぉ……!」
「……駄目だ。今のお前に手は出せない」
「な…で……やだ……!くるしっ、い……」
 義勇は炭治郎の欲しいものをくれないのに、身体を横抱きにして何処かへ駆けて行く。けれど炭治郎の意識はそこで暗闇に落ちていった。
 朦朧とするなか、項を噛んでもらえなかったことがひどく悲しかった。





 目が覚めると見覚えのある天井が視界に広がる。しばらくして、義勇の部屋だということに気がついた。
「……おれ……なんでここに……」
「…起きたのか」
 部屋に入ってきた義勇の姿を見て、炭治郎は気を失う前の出来事を思い出す。話をしようと義勇を呼び出して、何故かまだ予定のなかったはずの発情期が来たのだった。義勇が薬を飲ませて、部屋に連れて来てくれたのだろう。最後にまた迷惑をかけてしまったと落ち込んだ。
「ごめんなさい……」
「いや…お前も予期していなかったものなんだろう?多分、俺がそばにいた所為だから気に病むな」
「……? 義勇さんが?」
「まだつがっていない運命の番がいるとそんなこともあるらしい」
 そう言う義勇の言葉の端々は柔らかく、まるで大切に扱われているような錯覚に陥る。
「落ち着いたのなら話の続きがしたい。構わないか?」
「……はい」
 優しく頭を撫でてそう告げられたら炭治郎には断れない。観念して大人しく頷くと、義勇は炭治郎の手を取って話し始めた。
「まず、俺が炭治郎を手放すなんて考えは捨てろ。そんなつもりは毛頭ない」
「え……?」
「お前が嫌だと言っても無理だ。俺の伴侶は生涯竈門炭治郎だけだと決めている。それこそ、出逢ったあのときから」
「ぎ、ゆう、さん、おぼえて……?」
「当然だ。運命と逢った瞬間のことを忘れるなんてできるはずがないだろう」
 こつりと額同士を突き合わされる。間近で見る深い青はいつもは感情が全く読めないのに、今は真摯に炭治郎への愛情を伝えていた。
「オメガだと確定した日、だったか?あのときは自分を抑えるので精一杯だった。自覚したからか、炭治郎から香る匂いが強くて危なかったんだ……」
 全部が初耳だ。義勇は何も言ってくれないから、炭治郎は知らないことだらけだった。
「……じゃあ、好きって言ってくれないのは、どうしてですか」
「それも…ごめん。一度口にしたら止まらなくなりそうだった。高校を卒業するまでは何もしないと決めていた」
「そんな…」
「今日をどれだけ待っていたと思う?十年だ。だというのにお前に最後だと告げられて、頭が真っ白になったよ」
「……でも…」
「俺がきちんと伝えていれば良かったな。本当にごめん。……ずっと、傷つけていたんだな」
「……う、」
 じわじわと涙が込み上げるのを、長男なんだからこれ以上醜態をさらしたくないという気持ちで唇を噛みしめ堪える。
 義勇は眉尻を下げ、優しい手つきで炭治郎の項に触れた。
「……次の発情期には、ここを噛みたい。……いいか?」
「…これからは、考えてること全部言葉にしてくれますか?」
「善処する」
「好きだって、言ってくれますか?」
「ああ、もう我慢せずに済むならいくらでも。好きだ、炭治郎」
「〜〜っ!…じゃあ、おれのこと、もらってください……!」
「……ありがとう」
 ふっと微笑んだ義勇はやはり格好良くて見蕩れてしまう。その隙を狙われ、炭治郎の唇は義勇に奪われた。ちゅる、と吸われる舌が心地よくて頭がふわふわする。このままではまずいと一瞬だけ思ったものの、既に先程彼に全てを捧げると誓ったばかりだ。ならばいいかと、炭治郎はくたりと力を抜いて身を任せることにしたのであった。



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -