ずるいひと



 芽吹いた恋心は、きっと胸の内に秘めたまま墓場まで持っていくものだと思っていた。

 師を同じくする兄弟子は炭治郎の命の恩人である。刀を握る選択肢があることを教えてくれたのも、そんな炭治郎と妹に命をかけてくれていたことも。那田蜘蛛山で下弦の鬼との戦闘中、間一髪のところに駆けつけてくれたこともあった。
 そんな彼に憧憬や恩義の気持ちを抱くのは当然だった。しかしそれがいつしか恋心へ変化していたのは、炭治郎にとって唯一の誤算であった。
 だがその気持ちを自覚したとて何かが変わるというわけではなかった。兄弟子は水柱として任務や警備で忙しい身である。一般隊士である炭治郎が会うことはなかったし、手紙を送っても返事はないままだった。でもそれで良かった。なにしろ恋をするのは初めての経験でにっちもさっちもいかない。そんな炭治郎がいざ兄弟子を前にしたらどんな態度をとってしまうのか、微塵も想像ができなくて怖かった。

 刀鍛冶の里で上弦の鬼と戦った。本当に強かったし、禰豆子も塵になって消えてしまうのかと思った。けれど皆生きて再会できた。また、帰ってくることができた。
 怪我で入院している間に柱合会議が行われ、鬼の出現が止んだ今の間に稽古をやることが決まったらしい。伊之助が持ってきてくれた情報に、炭治郎は胸を躍らせた。なんでも柱がついてくれるとのことで、それはもう強くなれるに違いないと善逸にも熱弁したものだ。まあ、その善逸には頭を齧られながら縁切りされかけてしまったけれども。
 早く怪我を治して参加したいとうずうずしていた炭治郎の元に、お館様からの手紙が届いたのはその頃だった。
 わざわざお館様が炭治郎に向けて文を寄越すなど何事だと焦ってさっそく読んでみると、内容は義勇が前を向くよう声をかけてやってほしいとの旨が書かれていた。兄弟子に会うのは少し不安だったが、自覚してしばらく経ち気持ちの整理もできていたので大丈夫だろうと楽観した。それに、義勇が悩みを抱えていただなんて知らなかった。炭治郎が彼に何か返せるというのであれば喜んで力を貸す所存であった。
 外出許可がおりるなり炭治郎は義勇の屋敷へと向かった。許可が出たとはいえ未だ松葉杖を必要とする状態なので、ひょこひょことおぼつかない足取りで歩いていく。道中はひたすらに心臓がドキドキと高鳴っていた。

 義勇の説得には四日を費やした。兄弟子が頑なだった理由も知った。彼のことをよく知らない炭治郎が口を出すのは憚られたが、それでも言いたいことは伝えた。黙ってしまった義勇の心の内でどのような変化があったのかは定かではないが、柱稽古に参加してくれるということで、炭治郎は役目を果たせたと言えるだろう。少しでも義勇が心を開いてくれたようで嬉しく思った。
 誘ったざる蕎麦早食い勝負は、炭治郎の勝利で幕を閉じた。美味しかったですねえと腹を撫でながら蝶屋敷へと足を進めようとしたところで、義勇に阻まれた。
「義勇さん?」
「今日は俺の屋敷に泊まれ。ずっと思っていたが、まだ完治していないのに歩き回りすぎだ」
 義勇の厚意に炭治郎は一も二もなく頷いた。蝶屋敷に戻るよりは義勇の屋敷の方が近いから、という単純な理由だとしてもまさか義勇の方からそんなことを提案してくれるなんて、と感動すら覚えた。

 泊めてもらえるお礼に夕餉の準備を手伝おうとしたらお前は客人のうえに怪我人だろうと止められてしまい、今現在炭治郎は義勇と並んで縁側に腰をかけている。手には茶のみが握られていた。
 あらら、と炭治郎は目を瞬かせる。こうして義勇とゆっくり過ごすなど初めてのことで、正直戸惑いの気持ちの方が強い。ここ数日の勢いは何処へ消え去ってしまったのか疑問に思うくらいにこの場は静まり返り、今や炭治郎の耳には自身の鼓動の音しか聞こえていない。心做しか顔に熱が集まっている気がする。
 何か喋らなくてはとぐるぐる思考を巡らせていたとき、突如義勇の方から沈黙を破った。
「……お前は、誰にでもこんなことをしているのか?」
「?」
「お人好しだと言っている」
「お人好し……」
 義勇の言葉を反芻する。そう言われることはこれまでにも度々あったが、今兄弟子が指摘したのは何を指して言ったのだろうか。それが分からず炭治郎は首を傾げた。
 その仕草で炭治郎に言葉の意味が通じていないと悟ったのだろう。義勇は眉間に皺を寄せ、他の言い方を考えるような素振りを見せた。
「………先日まで、俺について回っていただろう。他の者にもやっているのか?」
 少しして、義勇はそう尋ねてきた。そこでようやく彼が言わんとしていることを察して、炭治郎は手を打った。しかしその問いに正直に答えるべきか悩んでしまう。
 確かに炭治郎は、長男として育ってきたからか何かと世話焼きな性分である。道端で困っている人を見かけたら、見て見ぬふりをして素通りすることなどは出来ない。けれどだからといって頑なな兄弟子に対してなかなかにしつこかった自覚はあった。
 では何故義勇にあんなについて回って話をしようとしたのだと聞かれれば、お館様からの直々の頼みであったことはもちろん、炭治郎自身が義勇に前を向いて自信を持ってほしいと願ってしまったからだ。
 そしてその願いの元を辿れば、炭治郎の想いへと繋がってしまうのだ。
 義勇に恋心を明かすつもりは毛頭ない。決して見つからぬよう心の奥深くにしまっている想いを掘り起こされない為にはここで肯定する他ない。炭治郎は俯きながらゆっくりと頷いた。隠しごとをしているという後ろめたさから、義勇の方を向くことはどうにも躊躇われた。
「………そうか」
 途端、義勇から発せられた声は低く、嗅いだ匂いには怒りが滲んでおり、驚いた炭治郎は顔を上げた。
 一体今の流れの何処に怒りを覚えたのか検討もつかずたじろいでしまう。原因を探るわずかな間に思い至った結論といえば、己の想いが見透かされてしまったかもしれないという悪い予想のみしか残らなかった。
(どうしよう。気を悪くさせてしまったのだろうか)
 例えば、炭治郎が美人な娘であったならばこんな心配をしなくて済むのに。同じ男で、やわらかな身体も持たない炭治郎が好意を寄せたって義勇を困らせるどころか気分を害させてしまうだけだ。分かっていたつもりでも、面と向かって兄弟子の反応を見てしまえば想像以上の痛みが胸を刺した。
「あ、の……ごめんなさい……」
 顔を青くした炭治郎の謝罪の言葉に、義勇はますます眉間の皺の溝を深くする。完全に機嫌を損ねた兄弟子相手に何の弁明もできず、炭治郎は口を閉ざした。
「………はぁ、」
「ッ、」
「ごめん。お前は何も悪くない。……ただ、少し……」
 義勇の盛大なため息に炭治郎はびくりと肩を震わせたが、違うと首を横に振る姿におろおろと戸惑うしかない。
 すでに義勇から怒っている匂いはすっかり消え去り、後悔の匂いがしていた。
「義勇さん…?」
「……炭治郎が、皆に優しいことは承知している。だが俺は身勝手にもそれが気に食わない」
「え……」
 どういう意味なのかを尋ねようと思わず義勇の羽織を摘んだ手をとられる。その指先はひんやりと冷えきった水のようで、けれど決して嫌な冷たさではなかった。
「俺はお前のことを…そういう目で、見ている」
 義勇の指が炭治郎の手の甲をするりと這う。無性に意識してしまい、たったそれだけの触れ合いなのにびくりと身体を震わせる。炭治郎の反応に、義勇はゆるりと口元に弧を描いた。頭がくらくらしそうな程充満するのは甘美な匂いで、それが目の前の男からしているのは明確だ。
 炭治郎を見つめる瞳には嗅ぎとるまでもなく、熱が籠っているのが分かった。
 は、と吐息が漏れる。心の臓が暴れだして口からまろび出そうだ。
「それ、って、」
「好きだ」
 決定的な一言により、ぶわりと顔に熱が集まった。はくはくと金魚のように口を開閉させるばかりで何も言葉は出てこない。
「その反応は、期待していいんだな?」
 そんな表情も出来たのかと驚愕する程優しい微笑みを見せた義勇は、炭治郎の手を握っているのとは反対のもう片方の手を、炭治郎の頬に添えた。
「好きだ、炭治郎」
 普段は寡黙な人なのに、どうしてこんなときだけやけに口が回るのだ。逆に炭治郎はちっとも音を発せていないのに。
 心の中で兄弟子にも己の口にも不満を募ったところでどうにもならない。
 震える唇を叱咤して、ようやっと言葉を紡ぐ。
「俺も…っ!義勇さんが、好きです…!!」
 言い終わった瞬間を見計らったように、手を引かれる。咄嗟の出来事に対応できなかった身体は状況に抗うことなく、義勇の胸へぽすりと収まった。
 とくり、とくりと響く心音に耳を傾ける。それは炭治郎のものと同じく早鐘を打っているように思えた。
「義勇さんも、ドキドキしてる…」
「……煩い」
 照れ隠しなのだろう。ムッとしたような声色に、炭治郎はくすくすと笑いがこぼれて止まらない。
「義勇さんの気持ちが全く分からなくて、俺、てっきり好きなのが伝わって不快にさせてしまったのかと思いました」
「……!」
「だから今、すごく嬉しいです」
 義勇の羽織を握り締め、にへらと表情を崩す炭治郎は、夕餉の準備を終えた女中が呼びに来る寸前までのしばらくの間、幸福感に浸っているのだった。





 柱稽古真っ最中だが、今日はその指導者たる柱たちが進捗を確認し合う柱合会議を行うらしく、それ以外の隊士たちはつかの間の暇となっていた。
 そんな貴重な休暇に炭治郎は義勇の屋敷へと足を運んでいる。つい先日恋仲となった相手を待つ為だった。
 会合はそう長くなるものではないだろうと言った義勇に、ならば残りの空いた休暇の時間を共に過ごしたいと申し出たのは炭治郎からだ。それを受けた兄弟子はわずかに頬をゆるめて、屋敷で待っていてほしいと炭治郎に告げてくれたのだ。
 そんな経緯を思い返しつつ、手持ち無沙汰になった炭治郎は義勇の屋敷を掃除してまわっていた。定期的に通っている、炭治郎も顔見知りにもなった女中もいるのでやることは少ないものの何もせずにそわそわしながら待つことに耐えきれなくなってしまい、気づけば箒を手に取っていた。
 ただの兄弟弟子であった頃ならなんともなかったのに、恋仲になった途端に義勇の匂いでいっぱいな室内にいるだけで意識して、顔はすっかり火照ってしまう。おかげで肌寒く感じるようになってきた外の空気も心地よく感じた。
 悶々としながら掃き掃除をしているうちに、気づけば時間は進んでいたらしい。自身の優秀な鼻は義勇が戻ったことを敏感に嗅ぎ取った。
「炭治郎」
「おかえりなさい!義勇さん!」
 先刻までの緊張は何処へやら。義勇に名を呼ばれ、炭治郎は笑顔で出迎えた。兄弟子も嬉しそうに目元を緩めるのだから堪らなくなって、胸をぎゅうと締めつけるような甘い痺れに襲われる。これがキュンとするという感覚なのだろうかと、いつか甘露寺に聞いた話を思い出した。
「…寒くないのか」
 義勇から仄かに心配をしている匂いがした。眉を顰めて炭治郎を見下ろしながら、そっと頬に義勇の指先が触れる。確かに今帰ってきた義勇の指とあまり温度差が感じられない。ちっとも気にしていなかったが、思った以上に外にいたのかもしれなかった。
「平気ですよ」
 掃き掃除を始めた真相など明かせそうにないので、へへと笑いかけた。まだ何か言いたげな表情を浮かべたものの、温まる方が先だと思ったのか炭治郎を引き連れて室内へ歩き出す。
 これから半日は恋仲としての義勇と過ごせるのだと思うと、心はすっかり浮き立っていた。

 夜も更け、静かな空間の中二人は隣合って座していた。指を絡ませ義勇の肩に頭をあずけて寄りかかる。こんなにも幸せな時間があっていいのかと思う程であった。
 明日からはまた稽古が再開されるが、それも義勇の指導で二人きり。俄然やる気が出るというもの。
 内心明日へと期待に胸を膨らませていると、ふと義勇の纏う雰囲気が変わるのが分かった。鼻腔を擽る匂いも、炭治郎の知らないものだった。
「…どうしましたか?」
「炭治郎……」
 つい、とおとがいを掬われる。眼前には義勇の瞳の色である深い蒼が広がっていた。
 刹那、炭治郎は戦闘中にも見せるような俊敏さを発揮した。物凄い速さで三歩分程の距離を後退していた。
「まっ…、ままま待ってください!!」
「なんだ」
 炭治郎は慌てて待ったをかけた。分かりやすく不満そうな顔で眉根を寄せた義勇だが、こちらは何も悪くないはずだ。
「くっ…、……くちすい……は!まだ早いんじゃ、ないでしょうか……!!」
「………」
「おれにはそんな…は、はれんち、…なことできませんっ!!」
 少々口ごもりながらもなんとか言いたいことは言えた。
 今のは間違いなくそれだっただろう。炭治郎だっていつかは、などと想像したことがないとは言わないのではっきりと分かる。
 しかしまだ。炭治郎には心の準備が整っていなかった。先日ようやく恋仲になったのだ。まだ手を繋ぐことや抱擁が精一杯で、口吸いなどはとんでもない。頬を染めたまま目を瞑り、後半に至っては夜更けなのになかなかの声量で叫んでしまった。
「破廉恥…」
「わあぁっ!?義勇さんがそんなこと言っちゃ駄目です!!」
 義勇の口からそんな単語が出てくることすら破廉恥に思えて、炭治郎は半泣きでやめてくれとせがんだ。心外とでも言いたげな義勇に、どうにか互いに妥協できる案を出さなければと思考を巡らせる。
 少しの間黙っていたが、ハッと閃く。炭治郎は人差し指を立てた。
「ではこうしましょう!」
「?」
「明日中に俺から参った、って言わせてみてください。そうすれば何でも許します!」
 我ながら我慢強さには自信がある。鍛錬において音を上げることは早々ないであろう。
 名案を思いついたものだと満足げな炭治郎に、義勇もまたこくりと頷いて了承してくれた。明日の稽古は一層厳しくなるだろうが、己を鍛える為にもなるので一石二鳥という考えだった。
 頑張れ炭治郎頑張れ。
 己を鼓舞しながら、義勇と共に床につく。果たして今夜は眠れるのかという少しの不安は杞憂に終わり、あっという間に眠ってしまったのだった。





 翌朝。まだ暗いうちに目が覚め、早々に朝の支度を済ませることにする。主に夜に動くことの多い鬼殺隊にいる所為か、朝は苦手だという義勇はまだ起こさない。朝餉の用意をして、日が昇るとようやく義勇を起こしに再び寝間を訪れた。
「義勇さーん、朝ですよ〜」
 ゆさゆさと身体を揺さぶってみる。これまで数度の経験からすると、義勇はこれくらいでは目が覚めない。さて今日はどうしようかと作戦を練ろうとした炭治郎の手を何者かが引いた。
 いや、この場には炭治郎を除けば一人しかいない。
「えっ…!?」
 訳も分からず目を回している炭治郎は、すぐに義勇の布団の中へと引きずり込まれた。引っ張った張本人は眠たげに目を瞬かせている。寝ぼけているのかと脱出を試みるも、案外逞しい腕にしっかりと抱かれ抜け出せそうにない。
 現状と温もりを認識した炭治郎はぴたりと動きを止めた。
(う、うわぁー!!?俺義勇さんと同じ布団に!?)
 恋仲になっても、寝るときは当然布団を二枚並べて寝ているのでこんなのは初めてだ。好きな人に抱かれて寝るというのはかなり心臓に悪いものだと知った。
「ぎ、ぎゆーさーん…?」
 抵抗にぽふぽふと腕を叩いてみる。が、力は緩まない。むしろぎゅうぎゅうとさらに抱きしめられる。今までになかった義勇の行動に、炭治郎は混乱しっぱなしであった。
「……たんじろう、」
「っ、ふぁい?」
「どうだ」
 一体何がどうなのか。
 やはり寝ぼけているに違いない。炭治郎は間を空けてから、ドキドキしますとだけ答えた。義勇は複雑な表情をしていた。さっぱり感情が読めない。

 しかしいつもと違うのは朝だけではなかった。
 稽古の休憩中に井戸で水を汲んでいると、気配を消した義勇が突然背後に現れ炭治郎を抱きしめてきた。驚きで桶を落としてしまい、流石に文句の一つでも言おうと咎めるように名前を呼ぶと、途端にションボリとした態度を表に出すのだから何も言えなくなってしまう。
 ぐぬぬと唸っていると今度は項を舐められ飛び上がった。こればかりは言い返さねばなるまいと舐められた箇所を押さえて振り向いた炭治郎の目には澄ました顔をする兄弟子。汗をかいているんですよ正気ですかと言い募っても何処吹く風といわんばかりの義勇に、炭治郎は羞恥に涙を浮かべながら頬を膨らませた。
 そこで慌てた義勇から聞き出せたのは、炭治郎のことが好きだからという告白だった。
 たったそれだけで絆され許してしまう自分が憎い。炭治郎は拳を握った。普段は涼しい顔をしているけれど、内は情に熱いというのは知っていた。まさかそれが恋愛方面でも発揮されるものだったのが、炭治郎にとって全くの予想外であったのだ。
 波乱な休憩が過ぎ去り、午後の稽古が再開された。
 それにしても、と思う。過酷さを増すのだろうと予想していた稽古はいつも通り厳しくけれど何も変わっていないように感じた。
 はて。昨晩の出来事はなんだったのだろうと疑問に思い始めていた。もしや炭治郎の夢だったのかと疑い始めたところで今日の稽古は終了だと言い渡された。炭治郎は参ったの一言を一度も言っていない。なんにしろ義勇との口吸いが伸びたことにひと安心する。
 だが義勇に我慢させるのは不本意なので、早く触れ合いに慣れなければいけないと決意した。
 手ぬぐいで汗を拭いつつ心を決めていると、隣に義勇が並んだ。すでに水柱として対峙していたときのビリビリとした雰囲気は消え、恋仲としての男がそこにはいた。
「今日もありがとうございました!」
「ああ。……良くやったな」
 褒められこめかみに張り付く髪を撫でつけられた。それが擽ったくて、くふくふと笑いがこぼれる。
「あの、ところで今日の稽古はいつも通りでしたね」
「?」
「?」
 気になったので尋ねてみたところ、義勇は訝しげな顔をするものだから、炭治郎も首を捻った。
「えっと、昨夜俺が稽古で参ったって言えば…と宣言したのでてっきり、」
「は?」
「え?」
 どういうことだと互いに顔を見合わせる。これはもしや、いつの間にか思い違いをしていたのかと思案した。そしてよくよく自身の放った言葉を思い起こしてみると、とんでもないことに気がついたのだった。
「あーっ!!」
 突然の大声に義勇はびくりと肩を跳ねさせた。しかしそれに構っていられず、炭治郎はおずおずと口を開いた。
「稽古で、って……俺、言ってませんでした……」
「……お前は、」
 申し訳なくて項垂れるしかない炭治郎の腕を義勇が引いた。そうして耳元で囁かれる。
「案外積極的なのかと驚いていたというのに」
「ひぁっ、」
 くちゅりと水音が響く。熱くぬめりを帯びた何かが耳の中を這っている。それが義勇の舌だと頭が理解するなりカッと体温が上昇した。そんなところを舐めるなんて、とやめてほしい気持ちがあるのに気持ちが良くて、背筋がぞわりと震える。身体の奥からじわりじわりとせり上がってくる、えも言われぬ感覚が怖くて義勇にすがりついた。
「や……っ!」
「言葉にするのが苦手だから、行動で示せるのであれば手っ取り早いと思ったのだが…」
 ──とりあえずそこで喋るのは勘弁してほしい。話が頭に入ってこないから。
 回らなくなった頭でなんとか義勇の言ったことを噛み砕いていく。つまり義勇は恋仲としての触れ合いで炭治郎から参ったの一言を引き出そうとしており、そこでようやく今朝からの行動に合点がいった。あれは義勇の作戦の一つだったということか。確かにまだ言っていないのが奇跡という程、炭治郎はすっかり弱っている。
 というか、今やってるのは口吸いよりも凄いことなのではないか。炭治郎は義勇に訴える。
「ぎゆ、うさん…っ、」
「……なんだ」
「んっ…!これ、やめてくださいぃ……!」
「違うだろう、炭治郎」
 ──参った、じゃないのか。
「〜〜〜〜っっ!!」
 とびきり甘い声でそう吹き込まれればひとたまりもなかった。反射で離れようとするも義勇の込めている力が強く逃げられない。自身の完敗を悟った炭治郎は消え入りそうな声でぽつりともらした。
「ま、参りましたぁ………!!」
 半泣きの炭治郎を目にした義勇はそれはもう、意地悪な笑みを浮かべて、唇を奪っていってしまったのだった。



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