愛に一直線01



 冨岡義勇と出会ったのは、炭治郎がまだ六歳だった頃であった。実家がパン屋で幼い頃から手伝いとして店に立っていた。人懐っこい炭治郎は客と話す機会も多く、常連になると大半とは顔見知りだった。
 そんな中、最近来店するようになった人物がいた。それが義勇であった。
 鼻が利く炭治郎は人の感情を嗅ぎとることができたが、彼の感情だけはちっとも読めず、それがきっかけで炭治郎は義勇のことを目で追うようになっていった。
 何度か来店してくれている彼に、勇気を持って話しかけてみた炭治郎。いつもぶどうパンを買っていくのでそれが気に入っているのかと尋ねたのだ。
「……選ぶのが面倒だった」
「ええっ!?じゃ、じゃあおれがえらびますから、ほかのパンもかいませんか?」
「こら、炭治郎。お客様になんてこと、」
「かあさんっ、でも…」
「…大丈夫です。じゃあ、選んでくれないか」
「は…はいっ!」
 たとえ幼子に対しての扱いであったといえど、そう言ってくれた義勇に、炭治郎は大層喜んだ。炭治郎は自分の大好きなチョコクロワッサンを薦めた。義勇はそれをトレーに追加して帰っていったのだが、後で知ったのは義勇はそれ程甘いものは得意ではないということ。幼い炭治郎は義勇の好みなど全く考えずに、自分のお気に入りを彼にも食べて欲しいという思いだけで選んでしまっていたので、初めて聞いた時はとても後悔して落ち込んだものだ。義勇は気にするなと言ってくれたことでますます彼の優しさが身に沁みた。
 その日から義勇が来店すればすぐさま彼の元へ駆けていくので、馴染みの客たちにはよく笑われたものだ。
 最初は戸惑って、炭治郎が話すことに相槌しか返さなかった義勇も次第にぽつりぽつりと言葉を交わしてくれるようになった。それが嬉しくて、さらに義勇に懐いた。このときに炭治郎はようやく名乗って、義勇の名を教えてもらったのだ。

 下校中のある日、外で義勇を見かけた。いつもは竈門ベーカリーに来店してくれたときにしか会えないので、つい浮かれた炭治郎はすぐに駆け寄ろうとした。しかしそこにいたのは義勇だけではなかった。彼の隣には美しい女性がいたのだ。義勇は普段あまり見せない微笑みを浮かべ、その女性と何かを話しながら歩いている。その光景に、炭治郎はひどくショックを受けた。それ以上二人を視界に入れたくなくて、炭治郎はその場から逃げ出した。走って走って、気がつけば見知らぬ公園に来ていた。それでも焦燥感はなく、家に帰ろうという気も無くなっていた。何もかもがどうでもよくなって、とぼとぼと歩いて公園内のブランコに乗る。砂場では炭治郎と同い年くらいの子たちが二人いて、仲良く城を作っていた。
 どうしてこんなにも悲しいのだろう。
 義勇は男の炭治郎から見てもとてもかっこいい。常連客の奥様方からも目の保養だと評判なのだ。それを聞いた炭治郎は自分が言われた訳では無いのに誇らしく思って、本人に報告までした。
 だから義勇が女性に人気があることはよく知っている。そして仲の良い女性がいることも普通であるはずだ。クラスの女の子たちがよくきゃあきゃあと楽しそうに話しているお付き合い、というものもしていてもおかしくないのだ。
 義勇と、先程の女性も。
(いやだ…ぎゆうさん…)
 思い浮かべただけで胸のあたりがずきずきと痛みだす。じわりと目頭が熱くなり、慌ててごしごしと目をこすってやり過ごした。
 この公園へ来たときにはまだ明るかったけれど、だんだんと日が暮れていって今やオレンジの夕陽が炭治郎の頬を照らしている。砂場で遊んでいた二人は知らぬ間にいなくなっており、完成した砂の城だけが鎮座していた。
 今日だって手伝いで店に立つつもりだったのに、こんな時間まで家にも帰らず見知らぬ場所に来てしまっている。ぼんやりとしているうちに冷えた頭は、帰宅しなければならないことに気付いていた。だが帰り道が分からない。公園内に人影はなく、誰かに道を聞くならばここを出なければいけないようだった。足を叱咤してふらりと立ち上がる。
(はやくかえらないと、かあさんたちがしんぱいしてる…)

 ふわりと大好きな匂いが鼻を掠めた。その瞬間ざり、と地面を強く踏む音がして炭治郎は顔を上げる。
 動揺した表情で息を切らした義勇が立っていた。
「見つけた…ッ」
「ぎゆう、さん…?」
「この馬鹿!どうして一人でこんな場所まで来たっ!」
「ご、ごめんなさい、」
「……っ心配、しただろう」
 竈門ベーカリーを訪れた義勇は珍しく炭治郎がいないことに首を傾げた。会計の際に炭治郎の母である葵枝に問うたところ、まだ帰宅していないという。ただ友人と遊んでいるだけならいいのだが、真面目な炭治郎に限って店の手伝いをすると言った日に、母に何も言わず遊びに出かけることが信じられずに心配している。だが店を離れることも出来ない。葛藤していたところに義勇から尋ねられたという。それを聞いた義勇はすぐに店を飛び出し探し回ってくれていたらしいのだった。
 こんなにもごめんなさいとありがとうを口にしたのはこのとき限りだろう。目を潤ませながら義勇に抱きつく炭治郎の頭を撫でて、手を繋いでくれた。すんすんと鼻をすする炭治郎を連れた義勇が立ち上がる。
「…帰るぞ」
「はい…っ」
 義勇と共に帰り道を辿る。そこで分かったことだが、確かに自分でもよくこんな遠く離れた場所まで来ていたのかと驚愕した。義勇にどうして炭治郎を見つけだしたのかと聞くと、たどり着けたのは勘だったのだと返ってきた。きっと物凄く冴えていたのだろう、感謝してもしきれない。一人ならば道を聞いても帰れなかったかもしれない。義勇は炭治郎の中でいっそう存在が大きくなっていった。
「……先程答えを聞いていなかったが、何故一人でここまで来た?」
「あの、それは…」
 未だ怒っている匂いを漂わせて義勇が口を開く。どうしてか、本人に訳を話すのは躊躇われた。幼い炭治郎でも、言ってしまえば義勇を困らせてしまうのだと察したからだ。
 けれど嘘をつく選択もまた、炭治郎にはできなかった。これだけ心配をかけてしまった相手に誤魔化すのはあまりにも誠実に欠けていると思ったのだ。
「おんなのひととぎゆうさんがならんでいるのをみて…」
「…?……ああ、蔦子姉さんのことか?」
「……ねえさん……?」
「昨日気に入りのパン屋があると話したら教えてほしいと言われたんだ。だから今日は二人で店に行っていた。蔦子姉さんがどうした?」
「……うーん、なんだろう…おれにもわかりませんが、いまはとてもほっとしています!」
「?」
 それならいいが、と引き下がってくれた義勇に二重の意味で安堵する。義勇にお付き合いをしている相手がいなかったこと、全てを洗いざらい明かさずに済んだこと。すっきりした気持ちでくふくふと笑いを堪えきれずにいる炭治郎に、義勇は訝しげな顔をする。
「何なんだ、今日のお前は…」
「えへへっ」
 炭治郎は何も返さず、ただ義勇の手を握る力をぎゅっと強める。繋いだ手をぶんぶんと揺らしながら帰路を急いだ。日が暮れるまで、もう間もなくであった。
 帰ったらこっぴどく叱られるのだろう。父と母はもちろんのことだが、きっと禰豆子の方が恐ろしい。
 それでも今義勇と過ごすこの瞬間は、炭治郎にとっていい思い出として記憶に残るのだと、確かな予感があった。





 勘違いをして一人逃げ出したあの日から数年が過ぎ、炭治郎は中学生になった。
 義勇との交友関係は未だ続いていた。
 高校を卒業した彼は教師になる道を決め、現在はこの土地を少し離れ大学へ通っている。その為義勇が竈門ベーカリーを訪れることはなくなったが、引っ越す前に住所と電話番号を聞き出した炭治郎は週に一度手紙を送ったり、たまに電話をかけたりと頻繁に連絡をとっていた。元からあまり得意ではないと告げられていたので義勇から手紙が返ってくることはなかったものの、電話では炭治郎の聞くことに答えてくれるのでそれでじゅうぶんであった。
 炭治郎は中学に上がってから特に気の合う友人ができたことや、最近新しいパンを開発したことなど近況を事細かに手紙に綴っていた。
 一方義勇は順調に単位を取っているらしい。慣れない生活からなかなか帰省する暇を取れなかったようだが、ついに次の長期休みには一度帰る、とこの間電話をしたときに聞いたので今はその日を楽しみに毎日を過ごしているのである。

「最近の炭治郎なんかずっとにこにこしてるよね」
「…そんなに分かりやすかったか?」
「うん。音聞かなくても分かるから相当」
 そう言ったのは例の気の合う友人の一人である我妻善逸だった。どうやら心待ちにしている気持ちは隠しきれていなかったらしい。
「夏休みに義勇さんが帰ってくるんだ」
「え?あー……近所のお兄さん?だったっけ?」
「ああ。うちの常連だった人なんだ」
「へえ……炭治郎って、その人のこと…」
「うん?」
「いや、なんでもないよ」
 口ごもる善逸になんだろうと首を捻るも、以降ぱったり口を閉ざしてしまったのでその先を聞くことはなかった。

 学生の大半が待ちに待っていたであろう夏休み。毎年この時期は店の手伝いに没頭するのだが、今年は違っていた。炭治郎は昨夜のうちに着替えなどの必要な物を詰め込んだボストンバッグを抱えて意気揚々と玄関へ駆ける。
「じゃあ、いってきまーす!」
「炭治郎、義勇くんによろしくね」
「お兄ちゃん!家のことは私たちに任せてね」
「分かってるよ母さん。禰豆子、頼んだぞ」
 今日から一週間、義勇の家でお泊まりなのである。
 夏休みにこちらに帰ってきてくれた義勇。炭治郎が会いたいと願うと、泊まりにくればいいと言ってくれた。しかし実家であるので迷惑なのではと懸念したが、どうやらその一週間は両親と姉は旅行に行っているという。なんでも義勇が予定を伝え忘れていたせいで日程が合わなかったらしい。メッセージアプリに蔦子から困った弟だと愚痴が送られてきており、炭治郎は苦笑いをこぼしてしまった。
 竈門家と冨岡家は、炭治郎と義勇から始まり家族ぐるみの付き合いも生まれていた。なので一週間と言わず自分たちが帰宅してからもいてくれと彼の両親たちに懇願されたのには嬉しく思いつつも丁重に辞退した。義勇にはもっと家族と過ごしてもらいたいと思ったからからだった。
 というわけで、一週間義勇と二人で過ごせることになった。しかも久しぶりに会うとなれば浮かれるなという方が無理である。
 多分義勇の方はなんとも思っていないだろう。だが炭治郎にとっては物寂しさを感じ続けた日々だった。もちろん学校は楽しいし、友人もたくさんできた。けれど義勇の存在はそれとは別で、特別だったのだと会わなかった日々で再確認したのだ。たまについ禰豆子に心の内を喋ってしまっては、お兄ちゃんは本当に義勇さんが好きだねえと笑われてしまう。そう言われると照れてしまうのだが、事実なのだから仕方がない。

「お邪魔しまーす、義勇さーん」
 鍵は開けておくとあらかじめ伝えられているので玄関から中を窺いつつ入らせてもらう。さすがに不用心じゃないのかなぁと不安になりながら義勇の姿を探す。
 求めていた影は台所にいた。
「炭治郎」
「義勇さん!お久しぶりです!」
 炭治郎は顔をほころばせる。ひっそり感傷に浸るこちらに気づかず、義勇は自身の手元に視線を戻した。それを追うように炭治郎も目線を向けると、その手にはフライパンがあった。
「お前が来る前に昼食を用意しようと思っていたんだが…」
「わわ!そうだったんですか?早く来すぎちゃいましたね…」
「それは構わない。俺も、炭治郎に会いたかった」
「……!!」
 突如落とされた発言にぶわりと顔を赤くさせる。柔らかな声音とわずかに上がった口角が言葉の威力を増大させていて、炭治郎は堪らずその背に抱きついた。
「っおい、危ないだろう」
「義勇さんが悪いんですよ…!」
「……心外」
 もしかすると、この人も少なからず炭治郎のことを恋しく思っていてくれていたのかもしれない、なんて期待をした。

 義勇の作ってくれた炒飯で昼食を済ませると、持ち寄った課題を広げた。先に終わらせておく方が気が楽だろうという義勇の配慮だった。おまけに教師志望の彼が見てくれるというのだから心強い。
「これが終わったら何処か出掛けませんか?」
「終わるのか?」
「うぐ、頑張って明日までには…!」
 痛いところを突かれたと肩を落とした炭治郎を、義勇はふっと笑う。どうやら自分はからかわれたと悟り、むむと唇を尖らせた。
「ごめん。行きたい場所はあるのか?」
「………義勇さんが行きたいところで」
「何だそれは」
「だって…あなたがいれば何してても楽しいですから」
 呆れた溜め息を吐きながらもその視線は優しい。義勇はとんとんと問題集を指で叩いた。
「…考えておく。だからお前はこちらに集中しろ」
「!!」
 歓声は心の中だけであげ、炭治郎は問題に向き直る。今ならどんな難問でも解ける気がしていた。

 すっかり集中してしまい、ふと気がつくと日が暮れ始めていた。あ、と声を漏らすと義勇もつられて窓の外を見た。
「義勇さん、夕飯は俺が作ってもいいですか?」
「だが…課題を進めたいだろう」
「それはそうなんですけど…息抜きってことで」
「…分かった、楽しみにしている」
「はい!」
 義勇に許可を貰うと、バッグからエプロンを取り出した。去年の誕生日に禰豆子から貰った、市松模様があしらわれたお手製の炭治郎自慢のエプロンだ。
 炭治郎は台所に立つと、気合いを入れながら袖を捲りあげた。

「お待たせしました〜!」
 艶々の白米にわかめの味噌汁、さつまいもの甘煮に鮭大根。皿をそれぞれの前に並べ終え、互いに手を合わせる。義勇が気に入りの鮭大根から口に運ぶ姿をどきどきしながら見つめて、静かに反応を待った。
「…美味い」
 すでに何度も手料理は振る舞っているものの、やはりどうしても反応は気になってしまう。そんな炭治郎の感情を分かっているからこそ、義勇も声に出して言ってくれているのだった。
「良かったです」
「心配しなくともお前の料理の腕は信頼している」
「そっ…れは、有り難いですけど!」
 でもそれとこれとは別なんですよと断言して炭治郎も箸を取る。自身でもよくできたと満足げに噛みしめて、食事中に喋るのが苦手な義勇に合わせてあとは黙々と食事を進めていった。
 腹を満たすとお茶を飲みつつのんびりしながら、再び問題集を開く。昼間に集中して進めていたおかげで順調だった。
「無事に終わりそうですよ」
「そうか」
「行きたい場所決めました?」
「……書店」
「じゃあ最近オープンしたショッピングモール行きませんか?そうしたら他にもまわれますし」
 そうしてトントン拍子に決まった予定に、炭治郎は胸を躍らせた。

 ぱたりと問題集を閉じる。背筋を伸ばしてこわばった身体をほぐした。
 課題を終わらせたので、これで明日は義勇と出掛けることができるのだ。
「義勇さんお風呂は?」
「炭治郎が先に入れ」
「でもここは家主が…」
「ごちゃごちゃ言わずにさっさと行け」
「…はぁい」
 長年の付き合いでこれは譲らないのだろうと悟り、炭治郎は早々に折れた。タオルと着替えを用意して、ふと気になり尋ねる。
「そういえば、夜は義勇さんと一緒に寝ていいんですか?」
 炭治郎は純粋な疑問と、わずかな期待をこめて義勇を見る。だが義勇は匂いもなくどういう感情なのか分からない顔をした。あららと炭治郎は眉を下げる。やはり駄目だっただろうか。
「………構わん」
「っ!本当ですか!」
 しかし予想に反して義勇は承諾してくれた。今度こそ、炭治郎はうきうきとスキップで浴室へ向かっていった。

 そんな浮かれていた炭治郎だったが、いざ義勇と同じ布団に入る頃にはすっかり萎縮していた。今頃になって自分はとんでもないことを頼んでしまっていたことに気がついたのだ。
 互いに背を向けているが、先程から己のうるさい心臓の音が義勇に聞こえてしまわないかが気になってしまう。真後ろに存在する温度が義勇のものだと思うと今夜眠れるか怪しい。それでも今更別々に寝ようと提案するわけにもいないし、そもそも惜しくてそんなことはできない。
(頑張れ炭治郎頑張れ…!こういうときは羊を数えるんだ…!)
 羊の数が百を超えたところで、義勇が身じろぎをした。炭治郎の心臓がいっそう跳ねる。脳内の羊たちが一瞬にして散っていった。
「炭治郎…起きているか?」
「……!」
 咄嗟に狸寝入りを決めこむ。すると義勇の腕が背後から伸びてきた。あっという間に炭治郎は抱き込まれる形になり、現状に頭がついていかなくなった。
 首筋に義勇の吐息がかかる距離に目をまわす。己の顔どころか耳まで今は真っ赤になっているのだろう。暗闇に救われた。
 炭治郎が一人狼狽しているにもかかわらず、義勇の寝息が聞こえ始めた。
「〜〜〜っっ…!!」
 ただただ瞼を閉じて一刻も早く朝が来ることを願い続けた。

 いつの間にか眠っていたらしい。次に目を開けたときには朝を迎えていた。隣にはこちらの葛藤も知らず、未だ炭治郎を抱きしめてぐっすりな義勇がいる。その腕の中からそろりと抜け出した。
 きっと彼は寝惚けていたのだ。義勇の目が覚める前に起床できたのは僥倖だった。昨夜のことは記憶にないのを祈りながら、炭治郎は朝食の準備をする為台所へ向かった。





 昼前にはショッピングモールに着き、義勇希望の書店を時間をかけてじっくり見てまわった。炭治郎も紹介してもらったおすすめの参考書を購入すると、昼食をとってからあとは適当に店内をうろつくことにした。
 映画館を覗いたときには、明日はDVDでも借りてきて家でゆっくりと過ごそうと決め、炭治郎はお手洗いに行く為に少しの時間義勇と離れた。
 だがイケメンが一人になるとどうなるのか、炭治郎は知らなかった。

「えー、ダメなんですかぁ〜?」
「少しでいいんですよぉ」
(あれ…義勇さん…?)
 義勇のところへ戻ろうと小走りだった足が止まる。彼の前には二人の女性がおり、うっすらと聞こえる会話と義勇の手を引こうとする様子から、どこかへ誘われているのが分かった。所謂逆ナンというものであった。
 しかし義勇はほとほと困り果てており、少し離れたここからでもそれが感じられる。というのに女性たちはめげることもなく義勇を連れて行こうとする。
 炭治郎はわたわたとそちらへ駆け寄った。
「待ってくださーい!すみません!」
「炭治郎、」
 明らかにほっとする義勇に、傍から離れたことを申し訳なく思った。
「弟くん?なぁんだ、この子を待ってたんですね」
「二人一緒でも構いませんから〜」
 なんとこの二人、手強い。炭治郎が現れても弟だと勘違いしてしまった。むしろ弟だと思われる炭治郎を連れて行けば義勇も来るかもしれないという作戦に変更されたのか、こちらの手も掴まれようとしていた。

「悪いが、もう行く」
 そのとき、これまで手も足も出ない様子を見せていた義勇がきっぱりと断り、掴まれそうだった炭治郎の手を素早く引き寄せすたすたとその場を去っていく。炭治郎ですらなんとか足を動かすのが精一杯で状況についていけないので、きっとあの二人も今頃ぽかんと呆けているのだろう。ずんずんと進んでいき、端の壁まで来た義勇はようやく歩みを止めてくれた。
「わぁ…初めて見ました、ああいうの。…凄いですね、義勇さん」
「……凄くない」
(義勇さん、やっぱりすごくモテるんだ…そういえば、昔は蔦子さんを彼女と勘違いしたなぁ…)
 炭治郎はぼんやりと過去のことを思い出した。あのときはとても胸が苦しくなったものだ。しかし今回は義勇が女性に迫られていても何も感じなかった。何が違うのだろう、と疑問に思いながら義勇を仰ぎ見る。
(……あ、今日は笑ってないんだ)
 そういえば、あのときは義勇も笑っていて、それがとても幸せの光景に見えて。だから炭治郎は苦しくなったのだ。炭治郎ではない、別の誰かが義勇の隣で笑っているのが悲しかったのだ。
(………悲しい?それは、可笑しいじゃないか。まるで義勇さんを取られたくないみたいだ)
「…炭治郎?」
「なんでもないです。次どこに行きましょうか」
 それ以上考えてはいけない気がして、炭治郎は思考を振り払って義勇に笑いかけた。義勇も深くは追及してこず、そのあとは平和に時間は過ぎていった。





 いよいよ明日で一週間、義勇の家で過ごす最後の夜。二人は夕食を済ませ、適当なチャンネルにいれた番組を流し見しながらぼんやりしていた。地方の土産物を紹介しており、その中には時折惹かれるものもあって、二人してあれが美味しそうだなんだと目を輝かせた。
 明日の昼にはここを出る予定だ。義勇はもう暫くこちらに滞在するつもりらしいが、炭治郎は今まで休んでいた分家の手伝いをするつもりでいるので、もし会えるとしたら彼が店に来てくれる以外方法がない。
 寂しいな、と視線だけを義勇に向けたときだった。炭治郎、と名を呼ばれ顔を寄せられる。何事かと仰天した炭治郎の手を取り、藍色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「炭治郎、俺と婚約して欲しい」
「…………………え?」
 たっぷりと数十秒の間を空けてもたった一文字を発するのがやっとだった。それ程の衝撃を伴う義勇の一言に、炭治郎は震えながら聞き間違いではないかを確認する。
「ぎ、ゆうさん…いま、なんて…」
「お前のことを好いている。だから婚約して欲しい」
 炭治郎の耳がおかしくなったなどということはなく正常に機能していた。
(義勇さんが、俺を…好き…?)
 言葉の意味を理解すると、炭治郎の中に渦巻いていた感情は、驚きよりも歓喜が勝っていた。
 このときに初めて、己が義勇に抱く好意がその類のものだったことに気がついたのだった。
 義勇に触れたいと思うのも、けれど近付きすぎると鼓動が早鐘を打ってしまうのも、義勇の隣にいるのは自分なければ嫌だと強く感じてしまうのも、炭治郎が恋慕を抱いていたとなれば全て説明がつく。
 むしろどうして今まで自覚していなかったのか不思議なくらいだ。己の鈍感さにはほとほと参ってしまった。だって炭治郎は想い人に対して寝室を共にするよう頼んだことを始め、数えきれない程の行動力を見せていたのだから。無自覚だったからこそ、あれ程好きだという気持ちを隠さずぐいぐい迫れたのだろう。もうあんなこと、とてもじゃないが無理だ。
「……炭治郎…?」
「ぴゃっ」
 言葉を発さず固まった炭治郎に、義勇が不安そうな匂いを纏わせた。時間にしてみれば数分と経たないが、怒涛の勢いで流れゆく感情と情報で炭治郎はいっぱいいっぱいになっており、ちっとも現状に追いつけそうにない。
 それでも今ここで黙っているなんているのは、何としてでも回避しなければならないことは分かった。
「あの、義勇さん…」
「なんだ」
「俺…、俺も、義勇さんが好きです…!」
「ああ、知っている」
「………いまなんて?」
「?」
 なんとか気持ちを言葉にできたぞ、と安堵したのも束の間、義勇に当然のことのように頷かれたものだから、炭治郎は驚愕して思わず仰け反った。
「炭治郎も俺のことを想っていてくれていたのは伝わっていた。だからこうして告白している」
「は……っちょ…っっと!!待ってください!!」
「どうした」
「どっどうしたじゃないです!俺が!?義勇さんのことを好きだって……!?」
「今自分でも言っただろう」
 ──そうなんだけれどそうではなくて。
 炭治郎は恥を忍んでこれまではただの家族愛だと思って行動していたこと、たった今義勇に想いを告げられて自覚することができたのだと説明した。炭治郎の釈明を無言で聞き終えた義勇は物凄く微妙な顔をしてから、長々と息を吐き出した。その反応に炭治郎は縮こまってしまう。
「………まあ、結局は好き合っているのだから、いい」
「う……、でも、俺めちゃくちゃ恥ずかしいです……バレる程駄々漏れだったなんて……穴があったら入りたい……」
「確かに、お前の言動には振り回されたが……」
 義勇の感慨深い面持ちに炭治郎は顔を覆った。両想いだと確信している相手なのに、関係をはっきりさせないまま恋人紛いなことをしていればそれは混乱を招くだろう。きっと義勇にはこれまで散々悩ませたに違いない。よくよく振り返れば、思い至る場面はいくつもあった。その度に炭治郎は彼を不思議に思っていたのだから救えない。
「顔を上げてくれ」
「むりです……」
「……分かった」
 いやいやと首を横に振った炭治郎だったが、顎をすくわれて義勇と見つめ合う形にさせられる。あ、と思ったときには目の前に義勇の顔があり、少し遅れて額に何かが触れたことを悟った。
 触れたものが何であるかを理解するのにかなりの時間を要した。
 そうして理解すると、みるみるうちに全身が沸騰したように熱くなっていった。
「ぎっ、ぎ、ぎゆうさ……!」
 目を見開いて眼前の男を凝視する。今のは、とはくはくと唇をわななかせて、とにかく義勇にしか意識が向いていなかった。
 だから炭治郎は気が付かなかったのだ。玄関の戸を開けられる音に。
「ただいま〜!義勇、炭治郎くん!お土産たんまり買ってきた……よ、」
「〜〜〜ッッッ!!?」
 ばびゅん、と効果音がつきそうな勢いで部屋の隅へ一瞬で移動しても尚林檎のように顔を赤くした炭治郎と、不自然な体勢で固まる義勇を、帰宅した義勇の両親と姉は目撃してしまった。
 部屋に残る甘い雰囲気をすぐさま察知した三人はにっこりと口元をゆるめた。
「あら?あらあらあら?やっぱり二人ってそういう…!」
「やめてくれ…」
「やだ、葵枝ちゃんには伝えたのかしら!?」
「ああああ、あの、」
「炭治郎くんなら大歓迎だな…!」
「…………」
「…………」
 義勇と炭治郎の静止ははしゃぐ三人の耳に届く気配はなく、炭治郎らの関係が明確に伝わっている現実がひしひしと突きつけられた。
 興味津々で根掘り葉掘り聞いてこようとする三人に、炭治郎と義勇は必要以上の質問には答えない姿勢を貫くほかなかったのであった。


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