吾輩は猫じゃにゃい!


※血鬼術で炭治郎に猫耳が生えます。



 炭治郎に下された指令は、最近奇妙なことが起こっているという村の噂を調査することだった。村の人間以外は滅多に立ち入らないらしく、詳しい話は直接赴くしかなかったのだ。鼻も利き人柄も良い炭治郎ならば溶け込みやすく噂の真相もはっきりするだろうということで早速村へ向かうこととなった。
 噂では人間が猫になるというらしい。それが事実ならば、確かに病などでは説明がつかない。とすれば、噂を聞き付けた鬼殺隊としては鬼の仕業と考えるのが妥当であろう。
 あまりに情報が少なかった為、最初は善逸と伊之助も共に向かうはずだったがあいにく二人には別の任務が入ってしまった。
 というわけで、炭治郎は一人で村へと向かうのだった。

 村に到着し、村の人たちに根気よく話し掛け無事に信頼を得ることができた炭治郎。口をきいてくれるようになった村人たちに聞き込みをして調査を進めていくうちに、やはりこの噂の原因に鬼の血鬼術が関わっていることを掴んだ。その血鬼術は人を猫に変えてしまうものらしく、最初は猫の耳や尻尾が生え、次第に精神まで猫になっていってしまうという。その人たちはどうなってしまったのか。彼らは山に入ったっきり帰ってこないという。炭治郎はそっと目を伏せた。きっと鬼に食われてしまったのだろう。だがそれを村人たちに告げることなど到底できなかった。
 その鬼の血鬼術は人を猫に変化させるだけではなく、術をかけた人物を操ることも可能だということなのだろうか。もし炭治郎自身も術にかかってしまったときの為にと鎹鴉に情報を伝えるよう頼み、炭治郎は山の中へと足を踏み入れた。禰豆子が心配そうに箱の中からカリカリと音を立てたが、これ以上村に被害を出すわけにもいかなかった。

 出会した鬼はそう強い力を持っているわけではなかった。だが頚を切る寸前、最後の足掻きなのだろう、血鬼術を炭治郎に向かって放った。咄嗟に避けたつもりだったが、わずかにそれを食らってしまった。炭治郎はすぐに山を下りて日が昇るのを待たずに村を出た。せめて挨拶だけでもして帰りたかったのだが、己の頭には既に猫の耳が生えている。もし見られてしまえば余計な心配をかけることになってしまうと考えたのだ。
 途中に寄った藤の花の家紋の家で事情を説明し手ぬぐいを調達した炭治郎は、それを頭に被せるとすぐに蝶屋敷へ向かった。

「こ、こんにちはー…!」
「こんにちは、炭治郎くん」
「うわあっ!?」

 血鬼術にかかってしまったが故に不甲斐ない気持ちがあったのだろう、背後から声を掛けられた炭治郎は飛び上がるほど驚いてしまった。

「しっしのぶさん…!いらっしゃったんですね…!」
「ええ、今日は任務も入っていないので。炭治郎くんは…ちょうど帰りですか?」
「はい…あの、実は…」

 わたわたと身振り手振りを混ぜて説明した炭治郎は、手ぬぐいを取り去る。そこにはやはり猫の耳が生えているのだろう、しのぶはぱちくりと目を瞬かせた。

「まあまあ、これは…」
「しのぶさん?」
「…いえ、これなら大丈夫だと思いまして」
「?」

 にっこりと柔和な笑みを見せたしのぶに炭治郎は首を傾げる。かすかに感じ取れた匂いは動揺だったような気がしたが、それがはっきりとする前には既に消え去っていた。

「あの、俺はちゃんと戻れるでしょうか…?」
「ご心配なく。こちらで薬を処方するのでそれを飲んで日光に当たればちゃんと治りますよ」
「よ、良かったぁ…!!」

 へなへなと力なく座り込んだ炭治郎を励ますかのように箱がかたかたと揺れた。そういえば蜘蛛になりかけた善逸も元に戻ったのだ。炭治郎は安心した表情で箱を抱きしめてしまったのだった。

 術が解けるまで蝶屋敷に世話になることになった炭治郎は、滞在している女性陣や噂を聞きつけて訪れる面々にひたすら撫でられる日々を送る羽目になっていた。
 事の発端はカナヲだった。炭治郎、と呼びかけられ振り向くと、彼女は滅多に見せないような興味津々といった表情で炭治郎の頭を見つめていた。初めて目にしたときはとても心配そうにしていたので炭治郎は平気だと宥めていたのだが、今度はどうしたのだろうと首を捻る。するとあのね、とゆっくりと口を開いた。

「耳、触ってもいい…?」
「えっ?」

 予想もしていなかった質問に戸惑う。しかしそれくらいなら、と許可を出した。それがいけなかったのだろうか。その日の夜にはしのぶ、それを横で見ていた禰豆子、次の日にはなほすみきよの三人、さらに次の日には何処からか話が漏れたのか宇髄と三人の嫁たちもやってきて。その全員が炭治郎を見るなり頭に手を乗せてくるのだ。
 ちなみに任務から帰還してきた善逸と伊之助は、どうやら炭治郎が複雑な気持ちになっていることを察して我慢しているらしかった。匂いを嗅がなくても表情にあらわれていた。有難い限りである。それにしても、我慢されているなんて二人も気になるのかと意外に思ってしまった。猫の耳とはそんなに魅力的なのだろうか。

「本物の猫の方が可愛らしいだろうに」

 現在病室に一人きりの炭治郎は筆をとっていた。気づけば増える文通相手だが筆まめな炭治郎にとっては些細なことだ。
 今は水柱であり、炭治郎にとって兄弟子にあたる冨岡義勇への文を綴っていた。
 彼から返事が来たことはないが、送った手紙が戻ってこないということは受け取ってはいる。つまり読んでくれているのだと前向きに解釈している炭治郎は、あの柱合裁判のあとからずっと送り続けていた。本当は感謝の言葉では言い表せない程の恩をまだまだ伝えきれていない。だが師である鱗滝にも同じように感謝と謝罪を連ねた手紙を送ったところ、気にする暇があるなら鍛錬に励めと言われてしまったのだ。そこで、少しでも腕を磨いて鬼の頚を切ることが彼らには最大の恩返しになるのだと知ったのだった。
 その手紙を読んで決意を新たにした炭治郎は、日々の出来事を書いて送ることにしている。任務先で見たもの感じたもの仲間たちとのやりとり。
 全てを書き終えると、筆を置いてひと息つく。それを鴉に届けるよう頼んで、炭治郎はベッドに寝転んだ。今日は快晴で、窓から差し込む光がちょうどよくあたりぽかぽかとして気持ちが良い。精神も猫に近づいている今の炭治郎は日向ぼっこがお気に入りとなっている。うとうとしながら目をつむり、いつの間にか夢の中へと入っていった。



  ◇  ◇  ◇



 義勇の元へ一羽の鴉が飛んでくる。目を凝らせば紙を咥えているのが見えた。どうやら手紙を届けにきたようだった。掲げた腕に音もなく降り立ったその鴉は義勇に手紙を差し出すと言う。

「水柱、炭治郎カラノ手紙ダ」

 やはり、そうであった。
 家族を殺され、唯一生き残った妹は鬼になってしまった。その妹を人間に戻す為に刀をとった少年。義勇が師の元へ送り出し、見事呼吸を身に付け鬼殺隊に入隊した少年。
 十二鬼月がいるかもしれないと向かった那田蜘蛛山で二年ぶりに再会した少年は、妹と二人で下弦の伍と交戦していた。最初は気付かなかったものだから、まさかその隊士が義勇の知る少年だとは思いもしなかった。その後蟲柱の胡蝶に鬼を連れていることが知られ、義勇も兄妹を逃がす為に隊律違反に触れかけたがお館様のお陰で事なきを得たのだった。
 恐らくそのときの柱合裁判を経てからだったと思う。少年からの手紙が届き始めたのは。
 長々と綴られた感謝と謝罪の言葉は紙数枚にも及んでいた。あの妹は他の鬼とは違う何かを感じて隊律違反を承知で殺さない判断を下したのは義勇の意思だったというのに。
 気にするなと返事をしようと筆をとったが、今まで弟弟子というものに縁がなかった義勇はどう言葉にすべきか悩んだ。困り果てて返事が出せないうちに次の便りが来てしまった。その手紙には一通前と違って普通の手紙といえるものだった。少年の、竈門炭治郎の見てきた景色が目に浮かぶような文章が連ねられ、読み終えた頃には義勇は知らぬ間に顔を綻ばせていた。そしてまた、返事に思い悩んでいるうちに次の手紙を咥えた鴉が飛んでくるという繰り返しになっていった。だから返事は出せていなくても、炭治郎からの文は義勇にとって楽しみの一つとなっていた。
 義勇は早速手紙を開いた。どうやら炭治郎は任務から帰ってきてこれを書いたらしい。任務先で出会った人々の親切さを綴っており、きっと炭治郎自身の優しさが響いたからこそなのだろうと微笑みながら義勇は先を読み進めていく。だが最後に差し掛かった途端、ピタリと固まった。そこには血鬼術にかかった為に今は蝶屋敷で養生していること、その術がまた厄介で猫になりかけていることが記されていたからだ。鬼も倒しているし、蟲柱の薬があるので深刻には捉えておらず、今は屋敷の皆や音柱が本物の猫を可愛がるかのように接してくるのが恥ずかしくて少し参っている、と炭治郎の近況についてはここで締められていた。
 猫、猫になりかけているとは。義勇は呆然と空を仰ぐ。

「気ニナルナラ会イニ行ケバイイダロウ」
「………」

 鴉が話し掛けてくるが返答に詰まった。手紙の返事も書かない奴が会いに行ってもいいのだろうか。そんな思考が義勇の脳内を駆け巡る。そもそも弟弟子への距離感も分からない。突然訪ねたらお人好しの炭治郎だって流石に困るのではないか。
 だが何もかもを差し置いてでも、炭治郎が一体どういう状態なのか見ておかなければ気になって任務に支障をきたしてしまいそうだった。

「…………明日には到着すると、」
「ソレデ良イ!」

 義勇が全てを言い終える前に鴉はカアァ、と鳴きながら飛び去って行く。その鳴き声はどこか笑っているような気がして、義勇はなんとなく居心地が悪く目を細めたのだった。





 宣言通り翌日には蝶屋敷へ到着した義勇だが、門戸の前まで来て途端に足が止まった。ここまでほぼ勢いで来てしまったのだが、やはり止めておくべきだったかと尻込みしてしまう。

「そんなところで突っ立っていられても困るんですけれども」
「ッ!?」

 義勇は思わず目を見開く。義勇にとって立ちはだかる壁のようだった門戸を開けたのは、この屋敷の主である胡蝶しのぶだった。

「彼から話は聞いてますから、会いに来たのならさっさと入ってきてくださいよ」
「……邪魔をする」
「こちらです。…冨岡さんでも弟弟子の様子は気になるんですねぇ…それとも炭治郎くんだからでしょうか?」
「……」
「まあでも…今の炭治郎くんは一目見ておくべきだとは、私も思いますよ」

 案内された部屋からはがやがやと騒がしかった。義勇に聞くつもりはなくとも勝手に会話が耳に入ってくる。

「禰豆子ぉ……頼むからこれ以上兄ちゃんの頭を撫でるのは……」
「むー!」
「炭治郎お前禰豆子ちゃんのなでなでを貰っておいてそれはないだろ!?チクショウ羨ましい!!!」
「喧嘩か!?俺も混ぜろ!!」

 室内からは混沌を極めている気配がする。義勇は戸惑った。先刻の胡蝶の言葉もそうだが、本当に深刻な状況ではないようだった。ひとまずそれに関しては安堵する。

「あれ、この匂いは……」

 そんな炭治郎の声が聞こえたかと思うと、さっと戸が開かれる。ひょこんと顔を出した炭治郎の頭には、馴染みの耳飾りがついた猫の耳が確かに存在していた。さらには手も猫の手の形をしており、小さな牙や尻尾も見受けられる。
 なるほど、これは確かに猫になりかけているな、と義勇は納得がいった。

「やっぱり!冨岡さん!鴉に聞きましたけどどうされたんですか?」
「お前の文を見て来た」
「えっ!もしかして俺のことを気にして、わざわざ来てくださったんですか?」

 炭治郎の感情にあわせてだろうか、耳と尻尾が忙しなくぴこぴこと動いている。耳飾りがからからと音を立てていた。

「でも俺は大丈夫ですよ!ちょっと色々生えただけですので!」
「…そうか」

 それは問題しかないような気もするが、と義勇は思ったが本人が楽観的なので口に出すことはなかった。
 そうなると炭治郎の姿への興味が出てくる。義勇は動物を苦手としていたが、炭治郎は人間だと分かっているからかそのような苦手意識は湧いてこない。わずかにそわつかせる心を嗅ぎ取られたのか、炭治郎はうう、と唸ってからぼそぼそと言った。

「と、冨岡さんも撫でたいですか…?」
「……」
「俺は長男なので!耐えてみせます!どうぞ…!」
「……」
「にゃっ!」

 義勇は、そんなに撫でている人間がいるのであれば己がそこに一人加わっても構わないだろうと結論付け、縮こまった炭治郎の、赤みがかっているふわふわの頭へぽふりと手を乗せた。そのまま手を動かすと、同じくふわふわとした感触の猫の耳を巻き込んでいく。炭治郎からはにゃんにゃんと愛らしい鳴き声が漏れていた。
 胡蝶の言う通り、様子を見に来て良かったと心から思った。同時に自分以外にもこのような有様を目にした者がいるのは少々不満がある。

「む!むむー!」

 義勇は初めての感触に感動し、つい無言のまま撫で続けていると、くいと羽織の裾を引かれた。足元へ視線を向けると、幼い姿になっている竈門妹が義勇に何かを訴えていた。

「ふがふが!むっ!」
「禰豆子はさっきのでじゅうぶん撫でただろう?」
「むん!」
「まだ足りないのか!?」

 意思疎通がとれている兄の言葉を聞く限り、どうやら義勇が撫でているのを見て羨ましくなったらしい。ならばと義勇はそのちいさな身体を抱え上げた。兄の目線よりも少し高い位置になった彼女はご機嫌で、自らの鋭い爪があたらないように丁寧に耳を掻き撫でていた。

「とっ、ととと冨岡さん…!すみません!妹が…!」
「別にいい」
「そうですか…。……うう…俺は長男だ…長男…」

 兄弟子と妹から頭を撫でられるという現状に、炭治郎は羞恥からかぷるぷると身体を震わせながらも己を鼓舞して耐えている。そろそろ止めてやらねばなるまいと思いつつももう少し見ていたくて口惜しくなっていると、薬の時間だと胡蝶に言われた為に敢え無く終了してしまった。
 病室に入るとこちらを窺っていた少年が二人いた。一人の方の猪頭は見覚えがある。那田蜘蛛山で怪我をしていた少年だったはずだ。

「あばばばやっぱり水柱の人ぉ…!?」
「半々羽織じゃねぇか!今度こそ俺と勝負しろ!」
「やめろバカ!瞬殺されるに決まってるんだから柱に喧嘩売るんじゃないよ!」
「んだと!?」

 もう一人は誰だろう、見たことはないはずだが知っている気がする。思い出そうとしていた義勇は知らず知らずのうちに眉を寄せていた。どうやらその顔に驚いたらしく、黄色い方が情けない声をあげた。

「あはは。冨岡さん、二人は俺が手紙によく書いてる同期の善逸と伊之助です」
「…ああ、」
「ちょっと待って嘘でしょ!?炭治郎いったい何書いてるの!?ねえってば炭治郎!!?」
「ウリイィイ」
「伊之助ーっ!?」

 突進してきた猪頭を避けてベッド横の椅子に座ると、義勇は改めて炭治郎に問いかける。

「それで、いつ元に戻れるんだ?」
「しのぶさんは数日もすれば戻れると。ですよね?」
「ええ。鬼もすでに消滅していますしね」

 胡蝶の準備した薬を炭治郎が飲んでいる間に、禰豆子は義勇の元からベッドへぽてぽてと移動した。自身の元へと来た妹に先刻の仕返しなのか、猫のように変化している手の、肉球部分で禰豆子の頬をむにむにと押し始める。押されている当人はとても嬉しそうににこにこと笑顔を浮かべていた。そちらの感触もあとで試させてもらおうと義勇は一人こっそり頷く。

「炭治郎くんの肉球、とっても柔らかくて癖になるんですよねぇ…」
「!?」
「あら、羨ましくて見ていたんじゃなかったんですか?」
「………」
「だんまりですか?図星でした?」
「…様子も見れたことだしこれで失礼する」

 まさにその通りでどうにも気不味い義勇は立ち上がる。咄嗟に言ったことも事実ではあるので扉の方へ踵を返した。しかし背後から焦った声がする。

「けほっ…、あ…!冨岡さん、もう帰られるんですか…?」
「あぁーほら、一気に飲むから…すげぇ苦いだろ?それ」
「ごほっ、ありがとう善逸…」

 けほけほと咳き込みしゅんと肩を落とすうえに、その耳や尻尾まで下がるものだから、義勇は込み上げてくる何かを飲み込んだ。

「……好物は何だ?」
「俺ですか?タラの芽ですけど、」
「次に来るときに持ってくる」

 それだけを告げると、義勇は足早に部屋を出て今度こそ、その場を後にする。閉めた戸の奥から聞こえてくる話し声には聞かなかったふりをせざるを得なかった。

「あっ嘘あの人もしかして餌付けしようとしてる!?」
「冨岡さーん、炭治郎くんは猫になりかけていても動物ではないんですよ〜」





 やはりどうしても炭治郎のことが気掛かりで二日経過した今日、義勇は再び蝶屋敷を訪れていた。
 炭治郎のいる病室へ入ると、弟弟子はぱっと顔を上げ義勇を見るなり表情を明るくした。

「冨岡さん!」
「まだ、戻っていないんだな」

 その頭には未だ猫の耳がぴこぴこと義勇の言葉に反応しているし、口を開いたときにかすかに見え隠れする牙も健在だ。

「ああっ、そんなに悲しそうな匂いさせないでください!実は…こうやって冨岡さんが会いに来てくださってるのが嬉しくて、そこまで気にしていなかったりもするんです」
「別に……お前が会いたいのであれば、言ってくれれば、」
「っ本当ですか!?」

 弟弟子にここまで慕われる価値など己にはないと思ってはいるものの、それでもこの少年に花咲くような笑顔を向けてもらえると、義勇の心をぽかぽかとあたたかくなる。その立場はどうにも手離し難く、何者にも譲れそうにないものだ。

「そういえば、お前が好物だと言っていたタラの芽を買ってきた」
「にゃっ、どうりで!」

 くん、と匂いを嗅いだ炭治郎に、既に見破られていたかと口もとを緩めながら差し出す。
 炭治郎は目をきらきらとさせて、義勇に礼を言った。

「ありがとうございます!…あっ…でも、本当に戴いてもいいんですか?」
「見舞いの品だ」

 好物を前にして反射的に受け取ったらしく、恥ずかしそうにしながらこちらを見上げる仕草に心臓が弾んだ。
 ちらりと肉球が視界に入る。二日前の光景が目に浮かんだ。衝動に突き動かされた義勇はその桃色の肉球へ触れてみることにした。
 ぷに、とした癖になりそうな感触につい何度もつついてしまう。

「ぅにゃぁ、…冨岡さん…くすぐったい、です…」
「、っ悪かった…」

 堪えきれずに出てしまったような炭治郎の声に慌てて手を離す。だが自分からやめてほしいと言った炭治郎が、何故か義勇の手を掴んできた。
 怪訝に思い炭治郎の表情を窺うと、頬を染め瞳はぼんやりと己の手のひらを見つめており、心ここに在らずのように思えた。
 様子がおかしいことに気がついても振り払うこともできず伸ばしたままになっている指に、するりと擦り寄られる。おまけにぺろりと舐められ、義勇は驚きで身を固くした。抵抗のない義勇に炭治郎は甘噛みをしてくる。かぷかぷと口を動かすものだから、小さな牙が手の甲に当たっていたが痛みはなかった。
 炭治郎の好きにさせたまま少しの間が空き、突如カッと目を開いた。そして数回瞬かせると、目にも止まらぬ速さで義勇に向かって頭を下げてきた。

「すすすすみません!!俺、いま、どうかして、」
「……別に、気にしていない」
「うっ嘘です動揺してる匂いがします!」
「それは、」

 仕方がないだろう、と言えず。義勇は炭治郎の頭へぽんと手を乗せた。顔を伏せたままの弟弟子に何を伝えればこちらを向いてくれるだろうか。赫灼の瞳が義勇を見ていないのは寂しいものだった。
 義勇が精一杯思考を巡らせてようやっと口にした言葉は。

「可愛かったからだ」
「へ……?」

 顔を上げたもののぽかんと大口を開けて呆けた炭治郎を見て、義勇は唇を噛んだ。男に可愛いなどとは失礼だった。義勇の心臓が早鐘を打っているのは炭治郎から怒りをぶつけられるのを恐れているからなのか。自身のことなのに不可解な感情を持て余したようで義勇は狼狽する。
 炭治郎は捨てられた子猫のようなか細い声でにゃーん、と鳴いて目をつむり考え込む動作をする。そうして何か閃いたのか耳が反応した。

「あ、あー!冨岡さん、猫がお好きだったんですね!」
「……違、」
「きっとそうですよ!吃驚したー!」

 それだけはないと明言できるのに、炭治郎は反論の隙を与えないまま押し切り、会話を終わらせてしまった。これ以上は発言するなという雰囲気を醸し出していることは、さしもの義勇にも感じ取れたのだった。
 この日も長く居座ることはなく、義勇は早々に蝶屋敷を出た。

 もう術は解けただろうと義勇が思い浮かべた頃、炭治郎から手紙が届いた。
 猫になりかけていたあの頃のことは忘れてほしいとのことだった。だが義勇にとっては更々忘れられそうにない出来事であった。あの姿が愛いうえに、行動や時折こぼれていた鳴き声が強く記憶に焼き付いているのだ。これを消し去るだなんてなんと惜しいこと。
 何故こんなにも炭治郎のことが頭から離れないのか。義勇が訳を知るのはまだ先になりそうだった。



  ◇  ◇  ◇



 炭治郎はつい数日前まで血鬼術にかかり猫になりかけていた。
 そのことを文にしたためたら、なんと兄弟子がわざわざ見舞いに来てくれた。しかも二度も、である。それがどれ程心躍る出来事だったか。
 一度目は妹たちも同席しているときの訪問だった。その時点で片鱗はあったのだ。兄弟子に頭を撫でられふにゃふにゃと気持ちが緩んでしまった。幸い禰豆子が加わったところで恥ずかしさに目が覚める感覚を味わった。なかなかに鋭いところを持つ禰豆子だ。もしかすると察知してくれていたのかもしれない。
 しかし二度目の訪問は一人のときであった。だから浮かれてしまったし、油断もしてしまった。
 彼の匂いは猫になりかけていた炭治郎にとってマタタビのようなものだったらしく、間近でそれを嗅いでしまって、とんでもない痴態をさらしてしまった。未だに穴があったら入りたいと思っている。いくら精神まで猫のようになっていたとはいえ、兄弟子に甘えるような仕草をして、しかもそれだけでは終わらず舐める噛むといった仕草までしてしまった。本当に有り得ない、何をしでかしてくれているんだと時を遡ってあの頃の自分を殴ってでも止めてやりたいと後悔しても足りない程だった。
 それに、炭治郎は今回の件で気がついてしまった。己の内に潜む恋心に。術のせいでそれが表に出てきてしまっただけで、あれは炭治郎の本心でもあったのだ。
 きっと引いただろうに、そんな炭治郎を励ましてくれた兄弟子だったが、物凄いことを口走った。いくらなんでも炭治郎に向かって可愛いなどとは何かの間違いに決まっている。考えた末導き出した答えは猫好きゆえの戯言。
 とにかく、気にしていないと言ってくれたことは救いだった。

 恋慕というものは、自覚するとますます羞恥心が膨れ上がっていくもので。
 彼が柱で本当に良かった。忙しい彼は炭治郎と会う暇もないに違いない。炭治郎が望めば暇を作ると言ってくれたが、ならば言わなければどうということはないのだ。想い人の顔を見れなくて安堵することが起こり得うるとは思いもしなかった。
 炭治郎は兄弟子に手紙を送り、あの件は忘れてほしいと頼み込んだ。そうして顔を合わさなければ、自然とあの記憶も葬り去られるものだろうと願いを込めて。

 炭治郎は知らなかった。彼が本来動物を苦手としていることなど。会わないうちに積もった気持ちを一気にぶつけられ、そのくせ無自覚のままな彼に振り回されることになるなど。
 今この時の炭治郎は、知る由もなかった。



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