きっと明日はパーティーだ!



 風紀委員である我妻善逸は今日も虚ろな目をして校門に立っている。
 そもそも無理やり入れられたようなものだ。気が進まないというのも無理はない。そのうえ、最近は校則違反をしていた者がさらに進化したのだから、善逸にはもうただひたすら無心で服装チェックをこなすことしか出来なかった。
 そうこうしているうちに、件の生徒が登校してきた。いつもと変わらず制服は優等生よろしくなんの違反もなく着ているが、その耳元にはちゃり、と音を鳴らす花札のようなピアスがつけられている。名を竈門炭治郎といい、善逸より一学年下の、友人である。

「竈門、ピアスを外せ」
「嫌です!」

 注意したのは、怖いし何を考えているのか分からないと善逸は思っているこの中高一貫キメツ学園の体育教師、冨岡義勇。その冨岡に向かって炭治郎はまったく臆することなくそれより、と宣った。

「俺は冨岡先生のことが好きです!」
「………俺は教師だ」

 そこなんだ、というツッコミなら既にこのやりとりが行われている数と同じだけしている。心の中だけで。
 善逸は断然女子が好きだが、今の時代同性同士だからといって何か言うのはナンセンスだと思っている。本人たちが好き合っているのならばそれはとても良いことではないか。そして友人である炭治郎は校則違反はし続けているものの、それ以外は真面目で心優しい男だ。彼が好きだと言うのならば、よっぽどのことでない限り相手が誰だろうと応援したいものなのだ。
 だが、登校早々校門でやるのだけは勘弁してほしいとも同時に思っていることだった。

「それは勿論知ってます!なので卒業後にお付き合いをしていただければと、」
「…………」
「無言でピアスを取ろうとしないでください!」

 ワッ、と声を上げながら逃げだす炭治郎を竹刀を振り回しながら追いかけ始める二人の、もはや見慣れた恒例のやりとりに周囲は何事もなかったように素通りする者、呆れたり野次を飛ばしたり応援したりと反応をする者と様々だ。問題児が多い学園なので、慣れれば動じなくなる者ばかりであった。
 騒がしくなる校門で善逸はやはり死んだ魚のような目をして、遠くなる二人の背中を見送ったのだった。





 さて、迎えた昼休み。善逸は炭治郎と、もう一人の友人嘴平伊之助と共に食堂へと足を進めていた。炭治郎はのんびりと昼食は何にしようかと考えており、そこに何故かまだ決めてないのかと突っかかる伊之助。俺はこれだと弁当を自慢げにする様子は少し微笑ましいのかもしれないが。
 たんまりと盛られた皿を持ち席につくと、それぞれ箸やスプーンを手に取りながら話に花を咲かせる。話題はもっぱら間近に迫った体育祭のことだ。ここのところはその練習で辛いし暑いしその後の授業は眠いし特に腹が減るからこうして昼食は量が多くなる、と唐揚げを口に放り込みながら嘆く善逸を炭治郎が宥める。

「善逸、俺のエビフライをやるから元気出すんだ」
「たぁんじろぉ〜…!」
「ワハハハ!!紋逸は軟弱だな!」
「いやいや…逆になんでそんな体力有り余ってんの…?」

 炭治郎の好意を有り難く頂戴して、大口を開けて笑う伊之助に怒る気力もなく問う。聞いた話では、炭治郎たちの学年はダンスの種目があったはずだ。だというのにこうも目の前で威勢の良さを見せられては本当に同じ人間なのか疑ってしまう。普段冨岡と校内追いかけっこをしている炭治郎ですら表情にうっすら疲労を滲ませているのに、だ。
 善逸がふと思い浮かべてしまった瞬間、炭治郎が冨岡先生、とその体育教師の名を上げたのでびくりと肩を震わせてしまった。善逸の後方を見つめる炭治郎の視線を追うと、中庭を通る冨岡が窓から見えた。以前モテる秘訣を聞きに行ったときには、誰も訪れないような場所でパンを齧っていた男の姿が思い出される。今歩いて行った先は先日と違うようだが、未だにあのような場所で昼食を摂っているのだろうか。

「あの人今度はどこで食べてんだろ…」
「最近は屋上が多いかなぁ」
「へぇ〜そうなんだ。………え?」

 つい漏れてしまった心の声に返答があり、善逸は真正面の友人をまじまじと見つめた。本人は何でもないことのように食事を続けているが、善逸の脳内は疑問符でいっぱいだった。

「……なんでそんなこと知ってんの?」
「昼休みののんびりしてる時間ならいけるんじゃないかと思って何度も探してるからな」
「はぁ…なるほどね…?」

 そういえばあのときも、冨岡のいる場所へ案内してくれたのは炭治郎だったことを思い出す。
 炭治郎の冨岡への迫り方が、善逸の認識以上だったことも知ってしまった。てっきり毎朝だけのことかと思っていたが、昼休みにも攻防が繰り広げられていたとは。これまでを振り返ってみれば、確かに炭治郎はたまに用事があるからと善逸たちと別行動をする日があった。人の良い炭治郎のことだから頼まれ事でも引き受けているのかと思っていたが違ったようだ。
 とんでもねぇ炭治郎だ、と尊敬の念を抱きながら昼食を終える。食器を片付けに席を立ったところで、そっと炭治郎が話を切り出す。

「……なあ善逸。あの人…冨岡先生のことなんだけど」
「うん?」
「何か音で分かることはないか?……その、迷惑がってる、とか……」
「エ"ッ」

 善逸は思わず口を引き攣らせた。
 耳が良い善逸は、僅かな音さえ聞くことができた。それは人の感情だって感じ取れるもので、同じように鼻が利くという炭治郎とは何かと話が通じることもあった。
 しかし例外というものもあるのだと、冨岡の存在で知ることとなった。

「いや…あの人ホント静かなんだよ…マジで何考えてんのかさっぱり聞こえないんだよぉ…」
「やっぱり、そうなのか…」
「やっぱりって、匂いでも分かんないの?」
「怒ってる匂いくらいはするけど、それ以外は全然だな」

 寂しそうに俯く姿に堪らなくなる。炭治郎からこんな音を聞いたのは初めてだった。あんなにグイグイいっていたから鋼の心臓の持ち主というのは思い違いをしていた。知らぬ間に炭治郎もこうして悩んでいるのだと知る。しかし善逸にできることは何もなく、それが歯がゆかった。

「前に直接尋ねたことはあるんだ」
「そうなのォ!?」
「でも頷きもなくて…だからやめないけれど、もし本当に迷惑だと思われてるなら諦めないといけないなって考えてるんだけど…」
「…いや、大丈夫だと思うよ俺は」

 何の根拠もないのにそう口にしてしまった。善逸の下手くそな励ましにも、炭治郎は本当に嬉しそうに笑うものだから、どうか友人の恋が叶えばいいと心から願った。



  ◇  ◇  ◇



 炭治郎が冨岡を体育教師兼ピアスのことを諦めてくれない生活指導の担当として以外に認識したのは、とある出来事からだった。
 その日炭治郎は不審者を追っていた。直近で目撃情報が相次ぎ、弟や妹たちのことを考えると、これは放っておけないと腰を上げたのだ。
 少し情報収集をすれば、あっという間に出没の確率が高い場所を絞り込めた。きっとこの辺りに出るはずだとあたりをつけた炭治郎は、そこで不審者が現れるのを待つことにした。
 今思えばなんと無謀なことをしていたのかと思うけれど、そのときは不審者を捕まえてやろうという気持ちでいっぱいで、誰かに連絡をすることなど綺麗に頭から抜けていた。
 結果、炭治郎の推理通り現れた不審者の男に立ち向かったものの、男は逆上して殴りかかられそうになったところを偶然帰宅途中だった冨岡に助けられたのだった。
 そのあとは大騒ぎになってしまった。当然警察が駆けつけてくるし、連絡を受けた家族にはこっぴどく叱られ心配で泣かれ、翌日学校で冨岡にもまた説教を受けた。一人で無茶をするなと耳にたこができるほど聞いたのはこれが初めての経験だっただろう。
 冨岡の説教が終わると、炭治郎は昨夜のことを思い出していた。叱られたのはまだいいが、守ろうと思った妹たちに泣かれたのは炭治郎にとって一番心に刺さったのだ。生活指導室の椅子に座りすっかり肩を落とした炭治郎に、冨岡はため息を吐いてそっと頭を撫でてくれた。そして教師として言うことではないがと前置きをしたあと、無茶をしたのは悪いことだがそれでも勇気のある行いではあったと言ってくれた。
 長男である炭治郎にとって、高校生にもなると頭を撫でられることなど滅多にない。それに、本当はあのとき物凄く怖かったのだ。人の悪意というものを間近で見たのは初めてだった。そんなときに慰めの言葉を貰い、炭治郎の涙腺は決壊した。ぼろぼろと涙をこぼす炭治郎にぎょっと目を剥いた冨岡。匂いを嗅ぐまでもなく困惑し焦燥している教師に、早く泣き止まなければと思えば思うほど涙は止まってくれない。結局数十分ほど冨岡のハンカチを拝借してしまったのは本当に申し訳ないことをした。何度も大丈夫かと声を掛けられながら生活指導室を出た炭治郎の冨岡への印象は、ここに来たときとは随分と変化を遂げていた。
 それからは転がり落ちるようだった。校内で見かければ必ず目で追ってしまうし、ピアスを外せと追いかけられることすら嬉しく感じてしまうようになってしまった。だけどたまに目が合うと慌てて逸らしてしまうし、冨岡が女子生徒と話しているのを見ると胸がモヤモヤとするようになり、炭治郎はそこで己が冨岡に恋をしているのだと自覚したのだ。
 自覚してからの炭治郎の行動力は凄まじかった。翌朝登校した炭治郎は、服装チェックで校門に立っていた冨岡に向かって、なかなかの声量で頭を下げながら想いを告げたのだった。それからどうなったのだったか。告白はしたものの、緊張でそのときの記憶がおぼろげなのだ。周囲は騒がしかったような気がするし、善逸が一番叫び声をあげていたような気もする。一つはっきりしているのは、冨岡からはただ一言、ピアスを外せ、といつもと変わらないことを言われ、だが追いかけ回されることはなかったことだけだ。
 返事が聞けていなかったことに気がついたのは数日後。再びチャレンジしてからは、教師だからという遠回しな断られ方が今日まで続いている。
 しかしただ喋るだけならば、冨岡が炭治郎を無理に突き放すことはないので昼休みなど偶に探しに行く理由はこれだ。だからこそ、冨岡の気持ちが見えずに少しだけ悩んでいた。先程善逸に聞いてみたものの、彼も静かで分からないという。炭治郎の方も感情を嗅ぎとることができずお手上げだ。
 だが悩んでばかりもいれない。学生には学生なりの忙しさがある。実際今は体育祭の練習で毎日ヘトヘトだ。悩みに頭を使う暇もなく早々に寝てしまうことが殆どであった。早く終わってしまえと嘆いていた善逸にこんなことを言うと胸倉を掴まれそうなのだが、今の日々が続けば余計なことを考えずに済む、それはいいことなのではと考えたこともある。
 五限目の科目は歴史だ。午前は体育祭の練習があり、昼食を摂り終えた今はどうにも睡魔に襲われる時間帯で、あちらこちらで船を漕ぐ様子が窺えた。炭治郎も例に漏れず、閉じそうになる瞼を懸命に開いて抗っているところだった。
 教師である煉獄が黒板に大正時代に栄えた文化を書き連ねている間炭治郎がふと校庭を盗み見ると、ちょうどどこかのクラスが体育の授業をしていた。受け持ちは冨岡のようで、いつもの青いジャージ姿で笛を吹いているのが見える。ただそれだけなのに、好きだなあと思ってしまう。もう重症である。
 授業中に不埒なことを考えてしまい、そんな自身に一人自己嫌悪する。だがおかげで睡魔から逃れることはできた。心の中で煉獄に詫びながらももう一度だけ校庭の方を見て、炭治郎は今度こそ黒板に向き直った。



  ◇  ◇  ◇



 今日の夕食については何も考えていなかった。義勇は帰宅途中に自宅の冷蔵庫の中身を思い出してみたが、そもそも食べ物を入れた記憶自体存在しなかった。
 ならば買い物をしていかねばなるまいと自宅へ向かっていた進路を変える。コンビニかスーパーか。時計を見るとまだこの時間ならスーパーも開いているだろう時刻だったのでそちらにすることにする。そう決めて足を進めていたのだが、通り道に見覚えのある名前の看板に視線を奪われた。もしやと思い窓からそっと中を覗いてみると、義勇の思い浮かべた人物がレジに立っていた。
 看板には竈門ベーカリーと書かれている。やはり、竈門炭治郎の家がやっているパン屋のようだった。
 竈門炭治郎。担任でもなく授業も受け持ってはいないが、義勇の意識から外れない生徒である。
 最初は毎朝ピアスを外せと注意するくらいだった。だが父の形見だと言って頑なに外さず、次第に追いかけ回すまでしたがそれでも外さなかった頑固者だ。
 真面目なのに校則違反をしている生徒という認識から変化したのは、竈門が暴行未遂事件に遭ってしまってからだ。無謀にも一人で不審者を捕らえようとしたらしい竈門は、偶然義勇が通りかからなければ殴られていたし、下手すればそれだけでは済まない事態だったのだ。警察からも家族からも叱られた少年に当然義勇も怒りはしたが、立ち向かう勇気に賛美を贈りたかったのもまた事実だった。だから柄にもなく頭を撫でるなどしてしまった。まさかその数日後から頭痛に見舞われる日々を送ることになるとは露知らず。
 あろうことか竈門は登校直後の校門で堂々と義勇に告白し注目を集めたのだった。
 内心密かにパニックになっていた義勇は、その日はいつも通りのことしか言うことが出来なかった。そのせいで再び告白され、今度は断れたというのに、まったくめげない竈門に告白され続けている。
 一度告白が迷惑かと問われたことがあったが、そのときに何故か頷くことができなかった。己の思考に疑問を抱いている間に、炭治郎は別の話題へ移ってしまって結局答えを出せなかったし、あれから今日まで再び尋ねられてもいない。
 さすがに店の前で立ち止まりすぎたのか、竈門がこちらに気付いた。今までも客に対して笑顔だったのに、義勇と視線が合った途端さらに花が咲いたように笑った。店内にいた妹らしき人物に声をかけると、ぱたぱたと駆け足で店を出てきた。

「冨岡先生!!今お帰りですか?」
「ああ。……竈門は家の手伝いか?」
「そうです!良かったら先生も如何ですか?うちのパン、結構美味しいんですよ」

 そう言って自慢げに店内を指す竈門につられ、改めて中を窺い見る。確かに、先程開いた扉から漂ってきた香りだけでも腹が空くようだった。竈門の言う通りきっと美味いのだろう。味を想像すると無性に食べたくなり、義勇の夕飯が決定した。

「あ、買ってくれる気になりましたね!?」
「…何故分かった」
「俺、鼻が利くんです」

 竈門の返答はさっぱり意味が分からなかったが、聞き返す間もなく店内へと案内された。おすすめはこれとこれです、と義勇が聞かずとも答えてくれたので参考にしながら選んだパン四つを乗せたトレーをレジへ持って行った。カウンターの内側に移動しながらも竈門は義勇に向かってにこにこと嬉しそうにしながら話し続けた。

「先生にうちのパンを食べてもらえる機会があるなんて…今度感想聞かせてくださいね」
「……気の利いたことは言えない」
「ふふっ、ありのままのお客様の意見を聞くのも大事ですからね。何でもいいんですよ」
「……兎に角。早々に夕飯が決まって良かった」
「…えっ?」
「これからスーパーに行くところだったから」

 なんとなく、独り言のつもりで口に出したつもりだった。竈門のお喋りが移ったのかもしれなかった。深くは考えずにぽつりともらしていたのだ。

「冨岡先生!!」

 突然ボリュームの上がった声に義勇の肩が跳ねた。何事かと竈門を見れば、キッと目尻を釣り上げた少年がおり、少し待っててくださいと言い残して店の奥へと入っていってしまった。取り残された義勇はぽつんとその場に立ち尽くすしかなかった。

「すみません先生」
「、えっと」
「炭治郎の妹の禰豆子といいます。お兄ちゃん多分、先生の食生活が気になったんだと思います」
「?」
「うちのパンはそりゃあ美味しいですけど、さすがに夕食がパンだけじゃ心許ないですから」

 竈門妹が可笑しそうにくすくすと笑っているところにドタバタと騒がしく兄が戻ってくる。妹の言った通りその手にはタッパーが握られており、それを義勇の前に差し出した。

「お待たせしました!」
「…これは」
「昨夜の残りで悪いんですが、食べてください」
「……いや、しかし、」

 一生徒から施しを受けるなどあってはならないし、何より教師として不甲斐ない。無論断ろうとしたのだが。

「どうぞ!是非!」
「私からもお願いします!」
「………」

 ぐいぐいと押し付けるようにしながらも竈門の表情には不安があらわれている。さらに妹の加勢もあり、なんだかこちらが悪いことをしているような気がしてきてしまった。二分程悩んで、ついに義勇は根負けした。受け取るまで離してくれそうになかったからだ。

「……分かった」
「!!」
「よかったねお兄ちゃん」

 兄妹の元気なありがとうございました、という声を背に義勇は帰路につく。
 竈門ベーカリーのパンは確かに美味しくてまた買いに行こうと思う程だった。そしてタッパーに入っていた肉じゃがは、とても優しい味がした。一瞬だけ、毎日でも食べたいとまで考えてしまったくらいで、すぐに何を考えているのだと自嘲した。
 パンと肉じゃがの感想を考えながら義勇は眠りについたのだった。



  ◇  ◇  ◇



 昨夜は嬉しいことの連続だった。竈門ベーカリーに冨岡が来店してくれたし、おすすめのパンを購入していってくれた。少しやりすぎたかと思うけれど、炭治郎が作った肉じゃがを渡せた。思い出すだけで、炭治郎の頬はゆるんでしまう。そのせいで弟や妹たちには始終不審がられる始末だった。唯一訳を知っている禰豆子だけは微笑ましそうにこちらを見ていたが。
 浮ついた気持ちで登校すると、当然服装チェック中の冨岡に会った。相変わらず朝はピアスを外せの一言で、炭治郎は嫌ですと答えるほかない。
 だが去り際にぼそりと昼休み屋上に来いと呟かれたのだけは、いつもと違っていた。
 それだけを告げると他の生徒のチェックをしにいった冨岡を、炭治郎は信じられないようなものを見る目で追った。耳がいい為に聞こえていたのであろう善逸も、炭治郎と冨岡を交互に振り返っていた。

「た、炭治郎何したのっ!?」
「うちのパンを買っていただいたついでに肉じゃがを差し上げた……」
「なんで!?どういうこと!?」

 多分、昨日感想をくださいと言ったからだ。善逸に肩を掴まれガクガクと揺さぶられながら問われるが、炭治郎もまさかあんな風に誘われるなんて思ってもみなかった。いつものように昼休みにただお喋りをするだけだろうに、炭治郎はドキドキと胸を高鳴らせてしまい午前中は集中できないまま過ごしてしまったのだった。

 ガチャリと屋上へ続く扉を開ける。立ち入り禁止ではないはずだが、まだ暑さが続く為か最近ここで昼食を摂る者といえば冨岡と冨岡を探して訪れている炭治郎くらいだった。日陰になっている箇所へまわると、既にその姿がある。炭治郎は持参した弁当を片手に冨岡の隣にちょこんと座り込んだ。思えばいつも勝手に炭治郎が探しにきていたからか、物凄く緊張している。たった今首をつたった汗はきっと暑さだけのものではないはずだ。

「と、冨岡先生お疲れ様です」
「ああ」
「あの!ですね、見てください俺の今日の弁当、好物のタラの芽の天ぷらが…」
「竈門、」

 黙ってしまうと気まずい思いをしそうで、炭治郎は話題を探した。無理に喋ろうとしたのが見抜かれたのかは定かではないが早々に冨岡から名を呼ばれ、ぴゃっと声を上げてしまう。

「はい…!」
「昨日の……肉じゃがが美味かった」
「えっ!ほ、本当ですか!?」

 てっきりパンの感想かと思い込んでいたので、肉じゃがを褒められ炭治郎は驚きながらも身を乗り出した。突然迫られた冨岡は少し後退りながらも頷いた。

「実は作ったの俺なんです!まさか冨岡先生に料理を褒められる日が来るなんて…へへ、すみません、すごく嬉しくて、」

 ぎゅっと口を引き結んで笑みを隠そうと試みるがなかなか上手くいかない。冨岡に締まりのない顔を晒すことに我慢ができず、炭治郎は切羽詰まった末にシャツを引き上げ頭をすっぽりと覆った。

「………何をしてるんだ」
「あの…少し…待ってもらっても…いいですか…本当に…」
「それじゃ飯も食べられないだろう」

 そうは言うが喜びでホワホワする気持ちが止まらないのだ。顔が戻らない限り不審な行動をする方がまだマシだった。
 だから放っておいてほしかったのに、自分の発言のせいで炭治郎が食べ損ねたまま昼休みが終わるのはしのびないという親切心ですぽんとシャツを戻されてしまった。

「……っお前……。その、悪かった……」
「だっ…から言ったじゃないですかぁ!」

 己の顔が赤くなっていることは鏡を見なくとも分かる。炭治郎が照れているのを察した冨岡が顔を逸らしながら謝ってくれたが既に遅い。
 結局ほぼ無言のまま昼休みを終えてしまい、屋上を出る際にもう一度謝られてしまって複雑な気持ちのまま午後が過ぎていくのだった。





 あれからは告白することなく時間が過ぎていき、体育祭当日を迎えた。無事快晴の中決行され、開会式から始まり綱引きや玉入れ、障害物競走などプログラム通り順調に進み、生徒たちも盛り上がっていた。間には炭治郎たち一年生のダンスも披露した。ノリノリだった女子生徒ら考案の凝った振り付けは、練習期間は散々苦戦した甲斐あってかさらにこの場の熱気を上げるのに一役したようだった。
 ダンスが終わるとひとまず安堵する。あとは競技で頑張るだけだ。テントで友人たちと応援しながら待機していると、すぐに次の出場種目が回ってきた。
 借り物競争、それに炭治郎は出ることになっていた。善逸と伊之助も応援してくれているのがちらりと見え、むん、と改めて気合いを入れる。
 音楽に合わせて入場する。競技の説明が終われば、テンポよく次々と選手たちがスタートしては途中の紙を手に嘆いたり歓喜の声を上げながらあちこち駆け回ってからゴールしていく。
 そうして炭治郎の番はあっという間に回ってきた。借り物競争は足の速さよりも引くお題が重要な鍵になる。どうか無理難題なものを引きませんようにと祈りながら、ピストル音でスタートした。地面に置かれた紙を拾って広げると、そこには好きな人と書かれていた。

(す、すきなひと……!?)

 瞬間頭に浮かんだのは冨岡の姿だったが、さすがにこの大衆の中、一生徒である炭治郎が冨岡を引連れて行くのは不味いだろうと考える。そもそもここ数日気まずくなってしまってまともに顔も見ていないのだ。
 ならばと頭を切り替えた炭治郎が選ぶのはただ一人であった。

「禰豆子ーっ!」
「フガッ!」

 中等部のテントに向かって大声を上げると、さすが兄妹というべきなのか。承知していたとばかりに飛び出してきてくれて、炭治郎の伸ばした手を掴み走り出す。息のあった走りに、すぐさま他の選手をぐんぐん抜いていった。あと一人、というときに視線を合わせ頷き合う。更にスピードアップした兄妹はあっさりと一位だった選手を抜き去りトップでゴールした。
 判定係にお題が書かれた紙を渡す。好きな人、としか書かれておらず、それならば家族でも友人でも大丈夫だろうと力説する炭治郎と、横でフランスパンを咥えたままフガ、ンガと同調する禰豆子に圧され、無事炭治郎と禰豆子の兄妹コンビは見事一位を獲得した。

「竈門兄妹おつかれ〜!」
「ありがとう!」
「ムガッ!」

 きゃっきゃと二人で喜び合いながらテントに戻るとクラスメイトからはハイタッチを求められ、それに勢いよく応える。次の競技に参加する伊之助は気合いが入り直していて、善逸は禰豆子を労わってくれていた。
 その様子ににこにこしていると、音も立てずに素早く炭治郎の周囲を女子が取り囲んだ。何事かと固まっていると、一番近くにいた子にこそりと囁かれる。

「冨岡センセイを連れていけば良かったのに〜」
「うんうん。実は期待してたんだよー」
「……エッ?エッ??」

 うりうりと肘でつつかれ、炭治郎はぼっと顔を真っ赤に染めた。あの、えと、と言葉に詰まる炭治郎をカワイイと揶揄う女子生徒たちを前に逃げ場を失う。助けを求めるように男子生徒に視線を向けるが、誰も助けようとしてくれないどころか温かい目でこちらを見ていたり、諦めろと諭すように頷く者ばかりだった。心外である。
 きっと善逸なら裏切り者と罵られるかもしれないが、女子に囲まれた炭治郎を放っておかないだろうと最後の望みをかけて見てみるが。

「頑張れ炭治郎〜!」
「そ、そんなぁ〜」

 そう言い残して中等部のテントに禰豆子を送る為立ち去ってしまった。残された炭治郎はそのままガールズトークの中心に巻き込まれ、今の表情いい、これならイケるよ頑張れと本当に有効なのか謎のアドバイスと励ましを女子たちに貰い、何が何だか分からぬままよし行ってこいと背中を押されてしまったのである。



  ◇  ◇  ◇



 体育祭だからといって羽目を外し過ぎる生徒が出てくる可能性を考慮し、義勇は校内の見回りをしていた。ひと通り回り終えたので一旦教師用テントに戻ろうとグラウンドへ向かっていたところ、前方から女子生徒の話す声が聞こえてきた。
 当然そのまますれ違いざまに通り過ぎようとしたのだが、耳に届いた名前に足を止めることとなってしまった。

「竈門くん、選んだの妹ちゃんだったって?」
「そうそう」

 咄嗟に隠れるように校舎の影に身を潜めてしまう。しかし何故自身がそんなことをしたのか分からないまま、義勇の存在に気づかない女子生徒たちは話を続ける。

「良かったよね、たとえ競技だとしても誰か選んでたら阿鼻叫喚だったよ絶対」
「わかる〜、竈門くん狙ってる子結構いるもんね」
「本人はきょうだいか冨岡先生しか見えてないけどねー」
「ほんとそれ」

 そのまま話し声は遠ざかっていったが、義勇はすぐにその場を動けなかった。グラウンドにいなかったので生徒たちが何の話をしていたのかは理解できなかったが、その内容にショックを受けたからだ。
 竈門炭治郎が異性に人気があること。そして何かで冨岡より妹を優先したこと。
 どちらも、特に後者は微笑ましいことではないか。竈門が義勇に想いを伝えてくるのを煩わしく思っていたはずだ。現にここ数日顔を合わせなかったことに少しほっとしていたというのに。
 それが今やどうして避け始めたのかと竈門に対して理不尽な怒りが湧いているし、先程聞いた事実が耳から離れない。とにかく今すぐに竈門の顔を見たかった。そうすれば、この気持ちがなんなのか明らかにできる気がしたから。

「…っあ、冨岡、先生…」
「、竈門…?」

 そんないいタイミングで目の前に現れた少年に、義勇の心臓はどくりと一際大きく跳ねた。どれだけ吃驚したのだと己に呆れながら用件を尋ねる。義勇に用事があったからわざわざ探しにきたのだろうとあたりをつけて。

「どうした?」
「あ、の、ですね、その…」

 もじもじとはっきりしない竈門の様子に、義勇の心が凪いでいくのを感じた。以前ならば真逆の感想を抱いていただろうに、今はむしろずっとこのまま見ていたいと思えた。はたしてこの感情に名前をつけてしまってもいいのだろうか。

「おれ、冨岡先生のことが、好きです…!」
「……」
「そ、それだけです…っ」

 ここ数日はなかったが、頻繁に聞いてきたことだ。義勇はいつもそれを冷静に断ってきた。
 だが、どうしたことか。心拍数が上がる。顔が熱い。
 この少年は、竈門炭治郎は、こんなにも可愛かっただろうか。
 くるりと踵を返した竈門の手を、ここで逃がしてはならないと捕らえたのは本能だったのかもしれない。

「先生……?」
「…竈門が…好かれているのは分かる…」
「は、はい?」

 竈門は目を瞬かせながら義勇の言葉を待っていた。

「だが、それが恋慕を伴っているのもあると知った瞬間嫌だと思った」
「先生…?」
「これはきっと俺も…お前のことを好いている、のだろう?」
「な…んで、疑問形なんです、か…っ」

 気持ちを口にすると、驚く程すっと胸に落ちてきた。いつの間にか、義勇のことを健気に慕ってくれているこの少年のことを愛いと思ってしまっていたようだ。
 正直まだ自信がなく、俯く少年に確認をとるように顔を覗き込んでみると、その表情は驚愕と歓喜と懐疑を浮かべているように思えた。
 なるほど、好意を素直に受け取って貰えないというのは存外寂しいものだなと知る。きっと義勇は少年にこんな思いをさせていたのだ。それがいじらしく、義勇は顔を上げさせる為に顎に手を添えた。
 赫灼の瞳は期待に揺れ、義勇だけを写している。その事実にぞくりと背筋が震える。なんともいえぬ高揚感だった。
 義勇の身体は意識せずとも動き、目の前の唇をそっと指でなぞり、その柔らかな感触をもっと確かめようと距離を詰めた。

「……ぁ、む、」

 遠くで賑やかな歓声が聞こえる一方、静かな校舎裏で少年の艶かしい吐息だけが響いていた。



  ◇  ◇  ◇



 してしまった。こんなところで、こんな日に、口付けを、あの人と。
 炭治郎の脳内はパニックになっていた。女子に押されるまま匂いで冨岡を探し出し告白した。数日顔見ていなかった分緊張が増していたので早々に立ち去ろうと思ったのに冨岡に引き止められ、ついに想いが通じたのだ。
 正直なところ、どうして突然両想いになったのかまったく分からない。けれど好いていると言われたのは間違いなく現実だ。でなければ今、吐息がかかる程近くにこの男の顔があるはずがないのだ。

「……はっ、すみ、ません…先生……も、離れて、くださ、」
「駄目だ」
「わぁっ」

 頭がパンクしそうなので離れてほしいと懇願したのに聞き入れてもらえない。冨岡は炭治郎の耳朶に触れ、ピアスがカランと音を立てた。

「ん…」
「もう少し…、」
「う、ううぅ、」

 これまでとの差に耐えられない。それに今日は体育祭なのだ。グラウンドではきっと各チームが得点を争っていて、そろそろ終盤を迎えているはずだ。最後の種目の全学年合同リレーには善逸が出場する為、その応援もしたい。
 ずるずるといつまでも引き離すのを迷っているうちに、放送が入った。それは炭治郎にとって救世主のように思えた。

『教師陣は入場ゲートにお集まりください』
「あ!先生!聞こえましたか!?今放送が!」
「……ああ、アレか……丁度いい」
「はい?」

 顔を上げ眉を顰めた冨岡だったが、すぐに無表情に戻ると炭治郎を抱えあげた。
 あまりの手際の良さで状況についていけず呆然とする炭治郎を抱えたままグラウンドへ戻っていく冨岡。徐々に近づいていくにつれ、二人の姿を見た生徒たちが黄色い声を上げていく。それが何事かとさらに視線を集め、声量は上がっていく。
 疑問符を飛ばし続ける炭治郎が我に返ったのはスタートラインに並ばれてからだった。
 左から宇髄、煉獄、悲鳴嶼そして冨岡と教師陣が並んでいる。冨岡以外の背にはそれぞれ男子生徒たちが死んだ目で背負われていた。
 炭治郎はその光景を冨岡の横顔越しに目にした。なにせ、ずっと横抱きにされているもので。

「あの…冨岡先生…?これは…」
「オイオイ、プログラム見てなかったのかァ?」
「これは教師対抗競技…南無…」
「というわけだ竈門少年!」
「それは分かりましたけど!この!状態!なんかおかしくないですか!?」
「気にするな。それより口は閉じていろ、舌を噛むぞ」
「えっ、嘘、まさか本当、にぃいいいいぃぃぃ!!?」

 炭治郎の静止など聞き届けられぬままピストルが鳴る。
 そのまま、冨岡の腕の中で炭治郎は意識を飛ばした。幸せな夢をみた、ような気がする。



  ◇  ◇  ◇



「いけー!冨岡センセー!」
「良かったな竈門〜〜!」
「羨ましいけど竈門くんなら仕方ない…っ!」
「炭治郎ちゃん、あんな色男を捕まえちゃって…」
「ホントねぇ…」
「……なにこれ……」

 教師対抗競技が始まる頃に姿を見せたと思えば、体育教師の腕の中に友人がいた。さらにはそのままスタートラインに並んで準備が完了してしまった。
 この教師陣が参加する競技は生徒を背負って走るというのが条件だったが、はたして横抱きは加味されるのだろうか。
 善逸はもう何も考えないでおこうと思ったのもつかの間だった。炭治郎良かったなあという感想が吹き飛ぶような周りの野次に善逸は白目を剥く。うちの生徒の反応は普段のことを考えれば理解できる。だが父兄たちの反応はどうだ。年下の友人はどこまで顔が広いのか。ひょっとしたらキメツ町全員と顔見知りなんじゃないだろうか。まあ、二人の仲が応援されるのはとても良いことなのだけれども。

(いや、うん。良いことじゃん。じゃあ問題ないよね。平和なのが一番だよ、本当に)

 あの様子だと、競技の前についにくっついたのだろう。ならば友人として盛大に祝ってあげたい。
 きっと同じことを考えたのであろう。隣にいた禰豆子からも、しあわせの音がしていた。



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