言葉が足りない


※未来捏造



「炭治郎」
「鱗滝さんにですか?はいどうぞ!」

 さらさらと止まることのない筆が文字を綴っている。その筆を持つのは炭治郎であり、義勇は横で楽しそうな姿を見つめていただけだ。そこでふと思い立ち声をかけた義勇の意図を、炭治郎は相違なく受け取り、紙と筆を渡してくる。俺もあとで書こうかなあ、と呟く炭治郎に、義勇はふわりと笑った。
 この頃、義勇はますます言葉数が少なくなっている。
 というのも、先刻のように言い終える前に炭治郎が察して応えてくれるからだ。なのでここのところ暫くは炭治郎、としか声に出していない気すらする。だが思っていることを言葉にするのが苦手な義勇にとってはとても有難いことだった。
 この弟弟子のよく利くという鼻とは本当に凄いな、と義勇は思っていたのだった。

『それは違う』

 ある夜、夢に錆兎が出てきた。
 真っ白な空間に放り出された義勇は、長年戦いに身を置いていた癖から直ぐに構えをとった。だが現れた宍色の髪の少年に、これは夢なのだと判断する。夢の中とはいえ友に会えたことにいたく感動した義勇は言葉を詰まらせてしまった。しかしそんな義勇に構わず、錆兎は時間がないとばかりに己の意思をぶつけてきたのだ。

『本当に弟弟子として接しているのか?』
『現状を客観的に見てみろ』
『あとは自分でよく考えるんだ。このことに関して、炭治郎にだけは聞くなよ』

 全て伝え終えたのか錆兎は満足そうに相槌を打ち、義勇が手を伸ばす間もなくその姿は消えてしまった。次の瞬間、見慣れた天井の木目が視界に広がる。ぱちぱちと瞬いて目を凝らすが、あの空間に戻ることはなかった。既に障子の外は明るく、朝を迎えているのだろう。
 眠りから覚めた義勇は、錆兎の言葉を反芻する。友は一体何を伝える為に義勇の夢に現れたのだろうか。しかしいくら頭を悩ませども一向に真意が見えてこず、義勇は途方に暮れてしまった。
 そうしているうちに時が経ち、やがて起床してこないことに疑問を持った炭治郎が様子を窺いに訪ねてきた。

「義勇さーん?起きてますー?」

 そろりと開かれた障子から顔を覗かせたのは件の人物、竈門炭治郎である。早朝といえどその真ん丸の瞳はぱっちりと開かれており、すっかり目は覚めているのだろう。元気な挨拶をしながら義勇の前に腰を下ろした。

「どうしました?珍しいですね、寝坊ですか?」
「いや…、」

 こちらを心配そうに見つめて首を傾げる炭治郎に、義勇は彼の名を呼びかける。

「たんじろ……、」

 思わず炭治郎へ夢のことを話して彼の知恵も借りようとするが、寸でのところで錆兎の言っていたことを思い出して義勇は口を閉ざした。きっとこれは己が一人で考え抜いて答えを出さなければいけないものなのだろう。錆兎には手間をかけてしまったと、義勇は猛省する。どうにも人と上手く喋ることが苦手な義勇は何か見落としてしまったことがあるのだろうと納得し、絶対に解決してみせると決意する。
 すっかり黙ってしまった義勇に炭治郎はどう声を掛けようかと考え、やがて突拍子のないことを発言しだすまで義勇はずっと友の告げたかったことについて思考を巡らせていたのだった。



  ◇  ◇  ◇



 鬼は完全に滅殺され、鬼殺隊は解散した。剣士たちは刀を置き、今まで取れなかった分とばかりに人生の休暇を得る者、家族を持つ者などそれぞれの道を歩みだしている。
 皆がそうやって未来を見据えているなか、念願叶った炭治郎といえば。これまで走り続けてきたのが嘘のように消え、まるで生きる糧を失くしたように腑抜けになっていた。やっと訪れた平穏を全く満喫できずにいたのだ。身体は無意識に動いていたがその表情に覇気は感じられず、なんとか生きているといった状態だった。
 そんな炭治郎のことを、妹の禰豆子は当然看破していたのであった。

『鬼はいなくなって、私は人間に戻れた。もう戦わなくていい世の中になったの。だから、これからお兄ちゃんは幸せになるべきなんだよ』

 妹に叱咤され、情けない兄で申し訳ないと落ち込んでしまったときに現れたのが義勇だった。何でも禰豆子から届いた文を読んで、炭治郎が気落ちしていることを知り訪れてきてくれたという。寡黙だが優しい心を持つ彼は、以前錆兎の言葉を思い出させ前を向くきっかけをくれた炭治郎に恩返しがしたいとずっと思っていたそうで、此度が良い機会なのだろうと義勇は語った。家族を失い妹を鬼に変えられ蹲ってしまった炭治郎に道を示してくれたのは義勇の方だというのに。
 このままの炭治郎が一人で暮らすのは如何なものかと案じた周囲の言葉もあり、あれよあれよという間に義勇と同じ屋根の下で寝食を共にすることとなっていた。
 はじめは義勇に大変世話をかけてしまっていると萎縮しきっていた炭治郎も、次第に自然な笑顔を取り戻していった。元来世話焼きの気質がある炭治郎にとって、誰かと暮らすというのは思った以上に活力を与えるものだったのだ。
 心に余裕が生まれ始めたおかげか、あるとき炭治郎は気付いてしまったことがある。義勇に恋慕の情を抱いているということだった。憧憬や恩情を勘違いしている訳ではない。確かに始まりはそこだったのだろうが、今はそんな感情で思い浮かべてはいけないようなことまで想像してしまうのだから、絶対に違うのだと炭治郎は断言出来た。
 だが己の気持ちに気づいたとて、そこから何か行動することはなかった。ただでさえ迷惑をかけてしまっている身だ。それ以上を望むなど、炭治郎には過ぎたことだった。しかし義勇から離れるという選択をすることもまた、炭治郎は出来なかった。彼が誰かと添い遂げるならば、炭治郎は邪魔な存在でしかない。その手の話題に関して耳にしたことはないが、町で女性たちが義勇を気にしていることを匂いで感じていた。義勇の幸せを願っていると言うのなら炭治郎はもう大丈夫だと、そう告げて出ていくべきなのだ。ただ頭では分かっていても、義勇の傍を離れたくないと強く思ってしまった心に従い、ずるずると引き伸ばしてしまっていた。
 昨今は義勇があまり喋らずとも会話が成立しており、それを炭治郎は嬉しく思っていた。善逸曰く、冨岡義勇に用事があるならば竈門炭治郎に話を通した方が滞りなく物事が進むともっぱらの共通認識になっている、とのことで。彼の特別になったような気がして、もうそれだけで十分ではないかと冷静な自分が語りかける。恋仲にはなれずとも、弟弟子としては最大限に良くしてもらっただろう、と。
 早く義勇を解放しなければならない。そう思って炭治郎が焦燥にかられるようになった頃だった。珍しく起きてこない義勇を不思議に思い、炭治郎が呼びに行ったあの日から、兄弟子は何かを考え込むようになった。炭治郎を食い入るようにじっと見つめているかと思えば、視線が合うとすいと逸らされる。ようやく汲み取ることができるようになったと自負していた義勇の心が、まったく見えなくなってしまった。

(何かしてしまっただろうか)

 しかし義勇から怒りの匂いはしない。嫌悪の匂いもないので炭治郎の気持ちが見透かされてしまったわけでもなさそうだ。訳も分からず参ってしまい、炭治郎もまた頭を悩ませる日々を送っていた。
 それでも数日考えて考えて、炭治郎が出した答えというのが。

(もしや、そろそろ出ていけということなのかな)

 優しい義勇が直接そんなことを告げるはずがない。つまり察しなければいけなかったのだ。それを炭治郎が鈍いばかりに、気がつくのに何日も掛かってしまった。こんな体たらくで、義勇のことを分かってきたなどとよく言えたものだ。

(すみません義勇さん…!)

 あれだけ渋っていた心も、義勇の感情を顧みれば簡単に傾いた。こんな容易なことだったのかと拍子抜けした気分だった。
 炭治郎は行動力のある男であった。僅か一晩で荷物を纏めると、翌朝義勇に礼と別れの挨拶をする為顔を出した。

「おはようございます義勇さん」
「おはよう」

 傍らの荷物に目を向けた義勇が首を傾げた。

「…何処か行くのか?」
「はい!俺、義勇さんのこと、分かったつもりで全然でした!」
「……?」
「義勇さんのお望み通りここを出ていきます。今まで本当にお世話になりました」

 深々と頭を下げる。まるで初めて会ったときのようだと床を見つめながら、炭治郎は場違いなことを思い出していた。すると義勇からは困惑の匂いがしてくる。おや、と訝しんだ炭治郎は顔を上げた。

「義勇さん?」
「…ッ出て、いくのか…?」

 立ち上がろうとしたのか膝を立て、伸ばした手を空中で彷徨わせる義勇は迷子の幼子のような表情を浮かべて炭治郎を見つめていた。その光景に心臓がじくりと痛みを発する。とっくに大人で炭治郎よりも歳上だというのに、そんな顔をするなんて狡い人だと炭治郎は目を細めた。だってそのせいで、炭治郎はすぐにでもその手を取りたくなってしまっている。己の兄心がとてもくすぐられている。

「いつ、俺がお前に出ていけなどと、」
「……この頃の義勇さん、何かを言い淀んでおかしかったじゃないですか。もしかして俺がお邪魔になったんじゃないかと…思いまして…」

 言葉が尻すぼみになっていったのは、義勇から怒っていて、しかし悲しんでもいる匂いを感じたからだった。もしやこの兄弟子はそんなことを思っていなかったんじゃないかと炭治郎は思い直し始める。

「えーっと……義勇さん、少し話し合いませんか……?」
「ああ……」
「俺のことを邪魔だとかは…」
「好きだ」
「………えっ!?」

 質問を無視した返答に炭治郎は狼狽した。邪魔どころかとんでもない単語が耳に届いたような気がする。

「好きだ」

 しかし聞き間違いかと思う暇もなく二度繰り返されてはこれが現実なのだと認めざるを得ない。炭治郎は己の顔が熱を持ち、みるみるうちに赤くなっていくのが分かってしまった。

「そそそそれは兄弟子として…?」
「違う。………と、今しがた気付いた」
「今しがたですか!!?」

 なんだそれは、と思わなくもないが、今の炭治郎は義勇に想いを告げられたという現状で手一杯だった。

「炭治郎の気持ちも知りたい」
「ぅ、ぐ………好き、ですよ!」

 義勇さんが自覚するずっと前から。
 ちいさくこぼした炭治郎の言葉に、義勇は目を丸くする。どうやら炭治郎の特別な想いはちっとも届いていなかったようだ。そのことに安堵したいような、不満のような、複雑な気持ちが渦巻く。

「そうか」

 返ってきた言葉は少なかったが、その声色と表情は匂いから判断せずとも分かる程の嬉しさを滲ませており、おそらく今なら誰が見ても義勇の気持ちを見抜けてしまうだろうと想像がついた。それ程までに貴重な兄弟子を目にした炭治郎の心臓はきゅう、と締めつけられるような甘い痺れが走る。

「じゃあ俺たち、恋仲ってこと…でいいんですか?」
「そうなるな」

 義勇が肯定したことで、歓喜と羞恥の感情が一気に炭治郎をおそった。慌てて右手で口を覆う。そうしなければ、しまりのない顔を義勇に晒してしまうところだったのだ。けれどそれも仕方の無いことだろう。ずっと思いを寄せていた相手が炭治郎を好いていると告げたのだ。しばらくは緩むであろう頬をどうやって隠し通せばよいのだろうか。

「炭治郎?」
「すみません、今は見ないでください!情けない顔をしていると!思うので!」
「炭治郎はいつでも可愛い」
「あの!追撃をかけるのも!本当にやめていただきたい!!」

 この男、好きだと自覚した途端物凄く鋭い攻撃をしてくるようだった。炭治郎は無防備なところに一撃を入れられ敢え無く沈んだ。
 一撃を入れた本人といえば、炭治郎の髪をゆるく撫でつけていた。その手つきは優しく、そして今の炭治郎にとっては更なる痛手だ。水柱だった腕前がこんなところにも発揮されるなど想定外であった。

「……顔を上げてくれないか」
「なんでですかぁ……」

 義勇に乞われれば頼みを撥ね付けるという選択はなく、よろよろと起き上がった炭治郎を襲ったのは、ぶわりと濃くなった義勇の香りと、目の前に見える蒼眼、それから唇に当たる何かのやわらかい感触だった。
 何が起こったのか理解できずに固まった炭治郎。だが義勇は構わず感触を確かめるように炭治郎の口の端を親指でなぞり、ふわりと微笑んだ。
 ──炭治郎の意識は、そこで途切れてしまったのだった。



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