当店でのデートの約束はご遠慮下さい


※客×ウェイトレスなパラレル。



 今日のおすすめメニュー、と女の子らしい丸い文字で書かれた看板は小さいながらもその存在をバッチリと主張していた。カラン、と鐘の音を立てて開いた扉をくぐればコーヒー豆のいい香りが漂ってくる。店内には店長の趣味なのだろうか、耳に馴染むような心地よいクラシックが流れていた。
 この喫茶店は奥まった場所にひっそりと佇んでおり、初めてこの場所を見つけたとき、和人は本当に営業しているのかと失礼なことを思ったものだった。

「いらっしゃいませー!」

 ウェイトレスの一人である篠崎里香のはつらつとした声が店内に響く。彼女の明るさが喫茶店の雰囲気をより明るいものにしていた。

「なんだ、アンタまた来たの?」
「おいおい、客にその態度はないだろ?」
「はいはいスミマセンねー。こちらへどうぞー」
「棒読みじゃないか」

 軽口を交わしながらよく座る窓際の席へと案内される。最近は男性客も増えているようだが、やはり少し落ち着かない気持ちもある。それでも窓際ならば特に気にならないことに気付いてからは、和人はこの席がお気に入りになっていた。何度もこの喫茶店を訪れているうちにそのことをぽつりと漏らしたら、空いているときではあるが、ここへ案内してくれている。

「じゃ、決まったら呼んでよ。あ、明日奈の方がいい?」

 ニヤニヤとからかいの意を含めた笑みを浮かべて里香が問う。ここにはもう一人、厨房スタッフも兼任しつつ接客を行っているウェイトレスがいた。名は結城明日奈。こんなに可愛らしい喫茶店でも和人が一人で入れるのは、彼女が可愛いと噂になり男性客を着々と増やしているからだ。

「冗談。俺みたいな一般人に彼女は恐れ多いよ」
「は〜。ここに来てそんなこと言うのアンタくらいよ。それより明日奈の前ではさっきみたいなこと言わないであげてよ?」
「へ?なんで?」
「なんでじゃないわよ。あの子お嬢様育ちだからそういう扱いあんまり好きじゃないみたいなのよね」
「ふーん……」

 じゃ、と言って里香は他の席へと呼ばれていった。それを見送って、和人はメニュー表を手に取りパラリと捲る。
 和人が多少の居心地の悪さを感じながらもこの喫茶店へ通うのは、提供される品々に胃袋を掴まれてしまったからだ。
 最初は妹の直葉に、家族友人恋人関係なく男女ペアで行くと割引になるからと無理やり連れて来られたのがきっかけだった。
 いかにも女子学生が集まりそうな喫茶店で、慣れない雰囲気に気後れしてしまい、さっさと食べ終えて店を出ようと考えながら口にしたケーキに和人は衝撃を受けた。見た目はどこにでもあるようなショートケーキなのに、口に入れるとふわふわとした甘すぎないクリームに、それにぴったりと合うように作られているのが分かるスポンジ。苺はつやつやしていて甘酸っぱさが絶妙だった。あまりの美味しさに呆然としたまま飲んだコーヒーも、いつもお世話になっているインスタントとは比べ物にならないもので、思わずカップをじっと見つめて直葉に笑われたのだ。
 それから何度目かまでは直葉とともに訪れていたのだが妹は部活もあるのでそう毎回は予定が合わず、ついに和人は一人でここを訪れることになり、そして今に至るのである。

(お、新作)

 視線を落として見ていたメニュー表の中に、NEWと書かれ目に付きやすくなっているそれは苺のタルトだった。また美味しそうものを作ってくれるものだ。和人はぺろりと舌なめずりをしてひっそりと心を躍らせた。
 早速注文を、と店内に目を走らせると、ちょうど厨房から出てきた明日奈に店内は浮き立っていた。
 ぱちり、と交わった視線に明日奈の顔がパッと明るくなる。その可愛さを直視出来ずに思わず和人は目線をずらした。逸らした視線の先では数人いた男性客たちが明日奈を見て顔を赤くしていた。

「和人くん!こんにちは、来てたんだね」
「お、おう。お邪魔させていただいてました」

 にこにこと親しげに和人に話しかける明日奈に、他の客からは相手は一体誰なんだと刺々しい視線を受けるが到底彼女を無視など出来るはずもなく、和人の心臓は縮みながらも高鳴った。我ながら現金な自身に呆れてしまう。

「ふふ、なあにそれ。そういえばまだ頼んでないよね?ご注文は?」
「えーと、新作の苺タルトとコーヒーで」
「ほんと?」
「え?」
「えへへ。実はその苺タルト、わたしが考えたの」
「えっ!マジ?この間明日奈が言ってたやつってこれだったのか!」
「うん!やっと店長から合格を貰ったんだ」
「そっか、良かったな」
「だから感想聞かせてね」
「うっ、俺の語彙力にあんま期待しないでくれるなら……」
「しょうがないなあ」

 じゃあちょっと待っててね、と明日奈が下がると和人は周りと目が合わないよう窓の外へ視線を向けた。看板娘とあんなに話をしてしまった為、今はかなりの注目を浴びてしまっているだろう。

(彼女のような美人と話せるのは喜ばしいことだが…やっぱり烏滸がましいって思っちゃうんだよな…)

 和人が明日奈と話すことになったのは、間違いなくあの出来事が起こってからだった。
 ここに通い始めて数回の頃は見掛けることはなかったように思う。しかし、しばらくすると店員の顔をぼんやりと覚え始め、そしてある日、今まで見なかった顔がいるのに気がついた。そのときにようやく明日奈のことを認識した。最近入ったのかと思えば手つきは慣れたもので、和人が知らなかっただけらしい。とんでもない美人だなあ、とぼんやりと思っただけで自分には関係ない、と気にも止めていなかった。

(あれ…もしかして絡まれてるのあのウェイトレスじゃないか?)

 学校から帰路についていた和人は路地裏から聞こえてきた声にふとそちらを向いた。そこには最近和人が一方的に顔を見知った彼女がいたのだが、どうにも雰囲気が穏やかではなかった。現に和人は男の怒鳴り声でそれに気付いたからだ。男はウェイトレスを引っ張ってどこかへ連れ出そうとしているようで、これはマズいと和人はその場を駆け出し渦中へ飛び込んだ。
 当然男はもちろん、ウェイトレスの方も和人の存在に目を瞠る。しかしウェイトレスはすぐに警戒の色を強めた。和人を男の仲間だと思ったのだろう。美人の冷ややかな視線に、よくこのナンパ男は耐えられるなと和人は身を竦めた。

「急に割り込んできて何の用だよ!!」
「いや…困ってる女の子は見過ごせないかなあって思いまして、」

 和人の言葉にウェイトレスははっとして、少し気が緩んだようだった。それを確認して和人は背負っていた竹刀に手を伸ばす。
 剣道をやっていて良かった、と頭の隅で安堵していた。

「はァ?」
「というわけで、すみませんっ!」

 竹刀袋に仕舞ったままのそれで膝裏を狙った。不意打ちの攻撃によろけた男はウェイトレスの腕を離した。その隙を見逃さず、和人は走れ、と声を上げるとウェイトレスは素早く反応して表へと駆け出す。和人もそれを追い、しばらく走って人混みに紛れ駅前に着いたところで止まった。

「はぁ、ここまで来ればもう大丈夫なはずだ」

 息を整えて振り向くと、ウェイトレスは訝しげに和人を見ていた。

「…おかげで助かりました。ありがとうございます」
「いえ…、その、どういたしまして」

 考えてみれば和人も充分怪しい男である。それでもお礼を言うウェイトレスにしどろもどろになりながら答える。改めて見る美人は、根暗オタクには眩しすぎる存在だった。

「えーっと…それじゃあ、お気をつけて…」

 これ以上はコミュ障には無理だ、と逃げ出すようにそそくさとその場を去ろうとしたところで腕をがしりと掴まれた。

「お礼に奢ります」
「えっ」
「こちらへ」

 そのままずんずんと進まれればついて行かないわけにはいかず、和人は引っ張られるままウェイトレスに引き摺られ、連れてこられたのは例の喫茶店で。
 メニュー表には目もくれずに注文したのはさすが店員だな、と感心している間にひと息ついた彼女は和人に向かって頭を下げた。

「改めて、先程はありがとうございました」

 ぎょっとして目を剥く。さすがに看板娘とあって店内中の人の視線を集めていた。中には殺気のこもったものもあり、和人はひやりと背筋を寒くする。

「あの、ほんとに、そこまで言ってもらわなくても大丈夫なので」
「いいえ、それではわたしの気が済みませんので」
「は、はい…では…有難く頂戴いたします…」

 ギン、と睨まれ思わず縮こまって返事をした。美人は怒ると怖いと聞いたことがあったが、和人は今身をもってそれを実感したのだった。
 結局その場は言う通りにご馳走になり、軽い自己紹介をして別れた。
 そんな出来事があり、多少の気まずさはあれど喫茶店に通わないという選択は和人の中になく、再び喫茶店を訪れた。来店した和人に彼女はぱちくりと目を瞬かせていた。やあ、と声をかけると少しむっとしていたのは和人が馴れ馴れしかったからだろうか。元々ここの客だったことを伝えると、今度は目を見開いていた。当然のことだが、和人のことは知らなかったらしい。

「言ってくれれば良かったのに…」

 そうぼやかれたが、言っていたら確実にナンパだと思われていたに違いないと和人はひっそりと胸中で呟いた。

(あれから、だな…)

 そのままただの客と店員としての関係になるかと思われたのに、少しずつ向こうの方から話しかけられ、現在はそこそこ気安い関係まで落ち着いたのではないか。

(こーんな美人と軽口叩けるんだもんなあ)

 きっかけを思い出していた件の彼女が運んできた新作の苺タルトに目を落とした。感想を述べると約束したのだから頭を働かせて感想を捻り出さなければならない。そうしてまずはひとくち、とフォークを口に運んだ。
 口に入れた途端広がった苺の甘みとタルト生地のサクサクとした感触に舌鼓を打つ。店長にお墨付きを貰ったということもあり、流石の出来だ。
 気付けば次々と口に入れていた為あっという間になくなってしまった。

(美味かった…)

 是非次も注文させていただきたい、とひとりでに頷く和人。タルトに夢中になりすぎて少しだけぬるくなったコーヒーを啜る。それでも店長自慢のコーヒーは変わらず美味しかった。

「あれ、和人くんもう食べ終わったの?」

 通りがかった明日奈が足を止めて首を傾げた。

「ああ、うん。これ、俺はめちゃくちゃ好きだったよ」
「……っ!、ほんと…?」
「本当。ウソついてどうすんだって」

 ニッと歯を見せて笑う和人に明日奈は顔を綻ばせた。その笑顔の威力の高さに、つい目を細めてしまう。
 和人は手を合わせて席を立った。そろそろ突き刺さるような視線が痛い。早くこの場を去らなければ身の危険を感じる気がする。
 レジに向かうと、明日奈がカウンターに回る。そのまま軽く手を振って帰ろうと踵を返したところで、明日奈から待ったの声がかかった。

「何?」
「あ、あのね…!その……今度の日曜日、和人くんのご予定は…?」
「えっ、ええと……空いてる、けど、」
「っ!じゃあ、良かったらわたしと出掛けませんか……!?」

 途端、店内が騒然とした。皆明日奈の言葉に耳を傾けていたらしい。もしも視線で人が刺せるのならば今の和人はすでに瀕死だろう。それくらい、注目を浴びてしまっていた。
 そんな中、和人の胸中はひたすらに混乱していた。まず、明日奈の言っている言葉の意味を理解することに頭が追いついていない。自分が今何を問われたのか。振り向いても顔を真っ赤にした明日奈しかおらず、その状況が余計に和人を当惑させた。

(なんだこのデートの約束をしているかのような現状は!?)
「和人くん…?」
「も、もちろん!是非!よろしくお願いします!」

 しかし明日奈の沈痛な面持ちを前にして、気がつけば無意識に口から了承の返事が飛び出していた。
 和人の脳内のスケジュール帳に今週の日曜日の予定が記されたところで、店内のざわめきはもはや嘆きへと変化していた。

「ああ〜〜〜明日奈ちゃん……」
「僕のアイドルが……」
「そんなあ〜………」
「きゃっ!み、皆さん…騒がしくしてしまい申し訳ございません!」

 天然を発揮させ、ぺこぺこと見当違いなことへ謝る明日奈に助け舟を出すように、里香が明日奈の背を押した。

「ほらほら!今日はアンタはもう裏に行ってなさい!ね?」
「で、でも…」
「い、い、か、ら!」

 そう強く言われれば従うしかなく、明日奈はすごすごと裏方へ行ってしまった。
 呆然としていた和人もそこで我に返り、こっそりと喫茶店を出た。里香の追っ払うような仕草から察するに、もしかするとしばらくはここへ通うことは出来ないかもしれない。
 だがそれでも、和人は明日奈から誘われた約束に期待を膨らませてしまうのだった。



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