これからも君と歩いていきたい



「バレンタイン…?」
「なのです!オルトスさんはチョコレートをあげるお相手さんはいないのです?」

 オルトスはメルクの言葉に目を瞬かせた。

 ユウたちと出会い、空の国を出て地上の世界で旅に同行し、オルトスは様々なことを教わり、知っていった。
 最初にユウに聞いた、綺麗な景色の場所。常夏の国では光が反射してきらめく海を前に、痛いくらいに照りつく太陽を浴びた。雪の国を訪れたときは凍えそうになりながらも荒れ狂う吹雪の中をユウと寒い寒いと騒いだり、夜空にかかるという光のカーテンの噂を確かめたり。砂漠の国も、動物の国も、その他のたくさんの国を己のこの足で歩いて回った。オルトスの持つ膨らんだ鞄はその証明でもある宝物だ。
 そうして、その教わっていく中にはイベントのことも含まれていて。

(ふぅん…チョコレートをあげる日、ね…)

 旅の途中、休憩にと川の近くで足を休めた一行から少し離れ、オルトスはふよふよと空中を漂いながら流れのゆるやかな川を眺めていた。そういえば、地上の世界に来てすぐの頃は川すらも珍しくて、飽きもせずに見つめ続けていたことを思い出す。

(僕もユウにチョコレートを…)
「オルトス?」
「…っ、わあ!?」

 突然後ろから声を掛けられ、オルトスは驚いてバランスを崩し、どすんと地面に尻餅をついてしまった。

「っつ…、驚かせないでよ、ユウ」
「えっ…ごめん、まさか声掛けただけでそんなに驚くとは思ってなくて…。大丈夫か?」
「平気さ。僕は君みたいに貧弱じゃないからね」
「うっ、ごめんってば」

 ふふ、とオルトスが笑えばからかわれたのだと気付いたユウはひくひくと頬を引き攣らせながらもオルトスの隣に座る。

「もう出発の時間?」
「いや、まだ。オルトスはどこにいったのかなって探してただけ」
「……そう」

 ユウの言葉を聞いて、なんとなく照れくさくなったオルトスはそっぽを向いた。
 最近、彼の言葉や仕草に対して好きだな、と感じることが増えてきた。胸がじんわりとあたたかくなるのだ。
 落下するユウの手を初めて掴んだあのときは必死だったから気が付かなかったけれど、人に真正面から好きだと伝えるのは結構、いや、かなり恥ずかしいものだ。けれどもユウには己の気持ちを知っていてほしい。どうすればいいのだろうと、オルトスは少しだけ頭を悩ませていた。
 そんなときだった。メルクからバレンタインなるイベントが存在することを聞いたのは。
 なんでも、チョコレートを渡すことで気持ちを伝えられる日だという。つまり、その日にチョコレートを渡せば口に出さずとも好きだということが伝わるのだ。なんと便利なのだろうか。
 これだ、とオルトスは閃いたのだった。

「ねえ、ユウ」
「なんだ?」
「次の町にはいつ着くの?」
「えーと…多分、三日以内には着くんじゃないかな?」
「そうなんだ…ありがとう」
「?」

 バレンタインデーは二月十四日だと聞いている。町への到着予定は遅くとも十三日。その日にユウたちから離れてチョコレートを買いに行けばいい。オルトスはわくわくする気持ちを抑えきれなくて、ついつい口角を上げていた。





「はあああ……」

 オルトスは深々とため息をついた。理由は人混みから脱出できたことによる安堵からだ。まさか、あんなに人が多いとは思っていなかったのだ。
 町に着いて今夜の宿を聞き出すなり、一方的にユウに出掛けるとだけ告げたオルトスはさっそくこの町一番の商店に足を踏み入れた。バレンタインというイベントはやはりメジャーなもののようで、関連のコーナーは大きく展開されていた。
 だが問題はそこからで、その周辺にいる人々は圧倒的に女性の数が多くを占めていた。ピンク色の雰囲気が辺りをいっぱいにしていて、そんな恋する乙女たちの中は居心地が悪いとまではいかないが、なるべく早く店を出たいとオルトスに思わせた。
 バレンタインに勝負をかける女性たち、恐るべし。オルトスはまたひとつ学んだのだった。
 ともあれ、目的のチョコレートは買えた。あとは明日を待って渡すだけだ。

「ユウ、どんな顔するかな…」

 早く明日になればいい。オルトスは上機嫌で宿への帰路を歩いた。





 夜も深まり既にみんなは夢の中なのか、宿は静寂に包まれていた。しかしオルトスはどうしても眠れずにいた。
 しばらくベッドの中で目を瞑っていたのだが、とうとう睡魔が訪れることはなく、冴えた頭をどうにかしようとひっそりとベッドから抜け出し宿の外へ出た。
 だがそこで思わぬ先客を見つけ、驚いて口を開いた。

「ユウ?」
「…オルトス?」

 寒空の中、大して着込みもしていないユウが不思議そうにこちらに視線を向けていた。オルトスが慌てて駆け寄る。

「そんな薄着で…君は馬鹿なのか?」
「いきなりひどいな…!?」
「君が悪い。ちょっと待ってて、上着を取ってくるから」
「わ、悪い…」

 こちらが見ていられないだけなのだから気にしなくていいというのに。項垂れるユウにオルトスは軽く微笑んで部屋へと戻る。自身の上着を手に取ったところで横に置いておいた包みを見て思い出し、それも持ってからユウの元へ飛んだ。

「はい」

 頭上からぽすりと落としてやる。わ、と小さく声を上げるユウに視線を落とした。彼に告げたことはないが、オルトスは浮いた状態の少しだけ高い視点からその頭を見るのが好きだった。
 先程部屋で目にした時刻は日付けが変わっていたことを示していた。上着と一緒に持ってきたそれを渡すにはぴったりのタイミングだった。

「ありがとう、オルトス」
「ただでさえ貧弱なんだから気を付けなよ」
「ハイ…」

 大人しく忠告を受け入れる姿勢に満足して、オルトスは己の上着を纏ったその姿をさりげなく盗み見る。体格差は大して変わらないはずなのに、わずかに大きい袖に何故だか心臓が跳ねた気がした。

「それで?ユウは何してたの」
「んー…特に何も。ただ外に出てみたら星が綺麗でさ。ほら、見てみろよ」
「……、本当だ」

 ユウが指差す先を追って顔を上げると、確かに夜空にはたくさんの星が浮かんでいた。

「空の国だともっと近かった?」
「どうだろう、聖都ばかり見ていたからよく覚えていないな」
「…そっか。じゃあ、これもオルトスが新たに得た知識だ」
「うん。ユウと過ごしてると、何もかもが新発見だ」

 ユウの方を振り向くと、彼の頬がうっすらと赤く染まっていた。やはり寒いのだろう。帽子や耳あても持ってくるべきだったことを後悔しながら、オルトスは自身の目的を早々に果たしてユウを屋内へ戻す為にポケットからラッピングされたそれを取り出した。

「はい、これ」
「?」
「今日、バレンタインデーってやつなんだろ?メルクから教わったんだ」
「えっ…、えっ……!!?」

 目の前に差し出すと、ユウは数秒硬直した。しかしすぐに我に返ったようでそのあとは目を見開いて驚愕の表情を浮かべた。やはり、顔は赤いままだ。

「なっ、お、オルトス!これ…!」
「急に慌ててどうしたのさ。バレンタインってのは、親しい者へ気持ちを伝える日なんだろう?」
「そ、そうだな」

 そう言ってオルトスが首を傾げると、ユウは目を泳がせながら頷く。だがそんなことでオルトスが誤魔化されるはずもなく、正直に言え、とばかりにユウをじとりと睨め付ける。

「わ、分かった!分かったからその目をやめてくれぇ…」
「まったく、最初からそうしなよ」

 呆れ気味にオルトスが肩を竦めるとユウはとても言いづらそうにゆっくりと口を開いた。

「えっと…どちらかと言えば、バレンタインは愛の告白と言いますか…そのようなことをするのが主流でして……」
「それは知ってる。でもメルクは最近は友チョコってのもあると言ってたぜ?」
「えっ」
「……」
「……」

 二人の間に沈黙が降りた。なにやら誤解が生まれているようだった。
 確かにオルトスはユウのことが好きだ。彼のおかげであの塔から出る勇気を貰えたし、この広い世界を知ることが出来た。ユウはオルトスにとってとても大切な友人だ。
 そう、友人なのだ。

「…ユウ?」
「あ、ああああ〜〜〜!!!今のはナシ!!忘れてくれ!!!」
「うわっ、」

 突然大声を上げたユウにオルトスはびくりと肩を震わせた。先程からのこの不審な挙動はなんなのだと問おうとした瞬間、ユウの表情を見てぴたりと動きを止める。
 とても寒さのせいだけではない程顔を真っ赤にさせて、目尻には涙が浮かんでいる。そんな状態のユウを前にして、オルトスもつられてじわじわと顔の熱が上がっていくのを感じた。
 ただ友人に対してチョコレートを贈るだけの行為だというのに、どうしてこうも心臓がうるさいのだろう。

(ああもう!自分のことなのに何ひとつ分からない…!)
「っあのさ!これ、俺が貰ってもいいんだよな…?」
「、もちろん」

 オルトスの手首ごとチョコレートの包みを両手で掴んで、窺うように視線を合わせてきたユウになんとか頷いて答える。それを確認すると、ユウはほっとした表情を見せた。
 紫のリボンで飾り付けられたその包みを大切そうに眺めるその横顔に、オルトスは胸を締め付けられるような痛みを覚えた。しかしその痛みは、決して嫌なものではなかった。
 胸の奥から彼のことが好きだという気持ちが溢れて止まらない。自分はどうしてしまったのだろう。

「ありがとな、オルトス」

 けれど、彼の笑顔を見るだけで幸せに思えるのは悪くないと思った。
 これから、いくらでも時間はあるのだ。ゆっくりと、自身の気持ちと向き合っていけばいい。その中で、ユウへの感情を見つけられたら。
 オルトスはユウの手を引いて戻る宿への道すがら、そんな未来に思いを馳せた。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -