そっとしておけ


※学パロ





 一限目が終わり、二限目が始まる前の短い休み時間。生徒たちはこの間に次の授業の準備や教室の移動をしたり、僅かでも睡眠をとろうとするなど思い思いに過ごしている。
 そんな中雑談を選んだ一人の男子生徒は、慌ただしく教室に駆け込んでくる隣のクラスの生徒を見ながら、己の後方の席のクラスメイトへ話し掛けた。

「なあ、ジュンってシンジと…今シンジに話してるヤツと仲良かったよな?」
「へ?……あー、サトシのことか」
「あ、そうそう。サトシくん」

 身体を横向けて見ている男子生徒に釣られ、ジュンと呼ばれた少年もまたそちらへ視線を向けた。
 男子生徒とジュンの視線の先では親しげにやりとりをしている件の二人がいる。一人は鋭い目つきをした紫紺の髪色を持つ、ジュンたちのクラスメイトのシンジ。もう一人は琥珀色の瞳に黒髪の、隣のクラスに在籍しているサトシ。
 男子生徒はこの春二年に上がり、同じクラスになった二ヶ月の間にシンジのことを一匹狼タイプだと認識していたので、その彼があの明るくて友人の多いサトシとも交流があったことに驚いた。
 男子生徒はサトシと直接話したことはないものの、周りにはサトシの友人が多いので話には聞いていた。
 今話し掛けたジュンも、その一人だった。
 サトシはシンジに両手を合わせるジェスチャーをしながら何かを頼んでいるようだ。シンジはそれを一瞥し、ため息をつくと机の中から辞書を取り出した。それを受け取ると、サトシは顔に喜色を浮かべてその場を去っていった。忘れ物をシンジに借りにきていたのだろう。

「へえ……シンジも人に物を貸すんだな」
「お前シンジをなんだと思ってんだよ…」
「いや、そうだよな?本当に」

 男子生徒が思わずといったように呟くと、ジュンが呆れ顔で突っ込んだ。確かに、会話したことのない相手に非常に失礼である。

「なんかあの二人が仲良いのって意外に見えるっていうかさー、」
「でもアイツら一年のときは酷かったぜ?」
「マジか」
「お前五組だったっけ?一組のオレらとは教室離れてたし知らないかー。二人の衝突なんて日常茶飯事で普段なら無視しそうなシンジも何故かサトシには余計な一言が多いしでよぉ……」
「はあ?じゃあなんで今はあんなに落ち着いてんだよ」
「それはオレたちも気になってんのに二人が話してくれないれんだぜ!?あーもう、サトシもシンジもなんだってんだよー!」

 うおおおと喚くジュンに苦笑する。ジュンの話によると互いを毛嫌いしていたが、どうにか和解したのだろう。だがそれを他人に言うとなると気恥ずかしさが勝り、口を閉じてしまうのも分かってしまう。高校二年生など皆難しい年頃なのである。
 過去になんだかんだはあったものの、現在のサトシとシンジは仲が良い。男子生徒は記憶の隅にそう刻み込んだのだった。





「あれ」

 男子生徒がサトシと初めて会うことになったのは、あの会話からそう時間が経っていないある日のことだった。
 彼は放課後の夕日が差してオレンジ色に染まる教室で、ノートに向かいひとり頭を悩ませているようだった。いつも友人に囲まれているので、なんだか一人きりの彼は見慣れない。男子生徒は思わずサトシのクラスの教室の前で足を止めていた。

「オレに何か用…?」

 集中はしていなかったのか、顔を上げたサトシは男子生徒に向かって首を傾げた。些か気まずく感じたが、彼は全く気にしていない素振りだったのでほっとして窓枠に寄り掛かる。サトシは窓際から二列目の席だった。

「ごめん、初対面なのに。ジュンから話聞いててさ」
「ジュンの友達だったんだ」
「そう。あと、あのシンジに気軽に話しかけられる人物ってすげーなって、個人的に」
「あー、アイツめちゃくちゃ無愛想だよなー」

 シャープペンシルを放り出して肘をついたサトシは突然声を掛けた見知らぬ相手にもかかわらず、話を続けてくれるらしい。そのコミュニケーション力の高さに、彼にたくさんの友人がいるのが分かった気がした。

「あ、悪い。勉強の邪魔した?」
「や、正直捗ってなかったからいいよ。本当はシンジに教えてもらう約束してたんだけど、急遽お兄さんの仕事手伝うことになっちゃってさ」
「それ、」
「どれ?」
「シンジと仲良いよなあって」

 男子生徒がそう言うと、サトシは乾いた笑みをこぼした。

「みんなに言われるんだけどさ、むしろオレたちもびっくりしてるんだよなあ」

 なんだそれは。男子生徒はぽかんと間抜けな表情をした。
 本人たちでさえ分からないのならば、ジュンがいくら聞こうが答えようがないのだろう。
 男子生徒はサトシの机の上に視線を下ろした。開かれている教科書が数学だったことを確認して教室に足を踏み入れる。

「いきなり変なこと聞いたお詫びにそれ、教えようか?俺数学はそこそこ出来るんだ」
「ほんとか!?助かるぜ…!ありがとう」
「いやいや。そういやまだ名乗ってなかったよな」

 そこでようやく自己紹介を忘れていたことを思い出す。サトシくん、と呼ぶと別に呼び捨てでいいぜ、と人懐っこい笑顔を浮かべる。
 これが、男子生徒とサトシの出会いだった。





 あれから登下校中に一緒になったときや、休み時間にジュンを交えて三人でだったりで、サトシとはぽつりぽつりと会話することが増えた。
 男子生徒は彼に友人が多いのを身をもって納得した。話しやすいのだ、サトシは。シンジと仲良くなれたのも分かる気がした。

(あ、いやでも、あのサトシが突っかかってたんだよな)

 それはどうにも思い浮かばない光景だった。そもそも彼が怒るのすらも見たことがない。いつも宥める側で、表情や雰囲気に反して大人だな、と感じるときが多いのである。
 つらつらとそんなことに意識をとられていると、校舎中に鳴り響くチャイムの音に思考が中断された。
 現在男子生徒は図書室にて期末考査に向け、教科書と睨み合っていた。しかし集中力が途切れたのか、いつの間にか思考が最近出来た友人へとシフトしていたのだった。
 先程のは下校時間を知らせるチャイム。外を見てみればすでに空は黒く染まりつつあり、男子生徒は急いで教科書とノートを鞄に詰め込み始める。すぐに帰らなければ教師に見つかった場合何か言われてしまうに違いない。
 この学校の図書室は三階の一番右端にひっそりと存在している。その為昇降口とはかなりの距離がある。男子生徒は早足で廊下を進んだ。
 だがそのとき、聞き覚えのある声が聞こえた気がして足を止めた。
 この辺りにある教室は部活動にも使われていない空き教室しかなかったはずだった。つまりそこを使っているということは、何かよからぬことをしている可能性がある。面倒事に巻き込まれては堪らないとばかりに止めた足を再び動かし、物音を立てないように慎重にその場を去ることにする。

「ちょっ……すんだ……、シンジ!」

 しかし今度こそ、男子生徒はぴたりと固まった。その声と、呼ばれた名前に確信を持ってしまったからだ。

(えっ……今の声ってサトシ、だよな…?それと一緒にいるのはシンジ…?)

 男子生徒は咄嗟に柱の窪みに身を隠した。そのまま音だけで二人の様子を窺う。

「誰かに見つかったら…!」
「もう下校時間も過ぎている。こんな場所に人が来るはずないだろう」
「じゃあオレたちも帰らないとまずいじゃん!」
「うるさい」
「んんっ、ふっ…ぁ…、」

 ピシャリと言い放ったシンジ。そしてそのあとに耳に入ってくるのはくぐもった声。男子生徒はそれに似たシーンを、ドラマや映画で目にしたことがあった。

(……ッ待て待て!!ウソだろ!?)

 バクバクと己の心臓がうるさかった。もしかして自分は今とんでもない場面を目撃しているのではないか。いや、正確には直接見てはいないのだが、これは、どう聞いても。

(キス、してる…!!?)

 一歩、二歩と音もなくその場を離れて、踊り場に着いた途端男子生徒は猛スピードで階段を駆け下りていく。遠回りになるから、とこちらのルートを避けていたのが裏目に出た。最初からこちらを使っていればと後悔しても遅い。

(こんな秘密知ってどうすんだ…っ!)

 転がるように校舎を飛び出すと、男子生徒は半泣きで家路を走った。脳にこびりつく友人とクラスメイトのキスシーンが、一刻も早く頭から離れてくれないかと願いながら。



  ◇  ◇  ◇



 放課後の教室で、サトシはシンジの前の席を借りて二人対面する形で座っていた。サトシの持つペンの先がうろうろと空中をさまよい、やがてぴたりと止まった。

「なあシンジ…」
「口より手と頭を動かせ」
「いやそうなんだけどさ…」

 サトシはここ最近思っていたことをシンジに吐き出したく口を開いたのだが、あいにくタイミングが悪かった。
 今のサトシはシンジに期末考査対策の為、授業の復習を手伝ってもらっている立場であり、とてもお喋りに時間を使える暇などなかった。だがそれでも、言わなければならないと重い口を開いたのである。

「これだけは言わせてくれ…頼む…!」
「……なんだ」

 サトシの必死の形相を一瞥すると、シンジは仕方ないといった風にため息を吐いて続きを促した。

「お前と急に仲良くなったの、オレにばっか聞かれるんだけど、どうしたらいいと思う?」
「…………」

 だが真剣なサトシの言葉に、シンジは口を噤んだのだった。
 一年生の頃、サトシとシンジは自他ともに認める程相性が悪かった。顔を合わせなければいいのだが、同じクラスともなればそうはいかない。なので三日に一度くらいの頻度で衝突していた記憶がある。そしてどうしても、それを止める役割はクラスメイトたちで、迷惑をかけていた自覚もあった。
 そんな二人がある日を境に喧嘩をしなくなったどころか普通に話すようになった。それはもう、その日はクラス中がざわめいた。当然、いきさつを知りたくなるというもの。そしてサトシとシンジ、どちらに聞くかと天秤にかければおそらく十人中十人が取っ付きやすいサトシを選ぶだろう。そうして半年経った現在でも、回数は減ったもののサトシは事情を聞かれているのである。この間はついに初対面の相手にまで、だ。
 しかしサトシは思うのだ。聞かれるのはまだ良い。だが何故自分ばかりに尋ねるのか、と。いくらシンジ相手に声をかけづらいと言えど、これでもシンジだって以前よりは口数が多くなったのだ。だからシンジの方に聞いたっていいのではないか。正直なサトシにはそろそろ誤魔化すのも苦しいものがある。
 おまけに紆余曲折を経ての現在のサトシとシンジは恋人という関係に落ち着いている。多分、これについてを黙っているのが一番ストレスになっている。

「……知らん」
「あっ逃げたな!?他人事だと思ってるだろ!」
「実際に他人事だからな」
「違うじゃん!いや直接聞かれてないだろうけど違うじゃん!!も〜…」

 がばりと勢いよく机に突っ伏してしまったサトシに、思うところがあったのかシンジが文句を言うことはなかった。

「……そもそも何で黙っているんだ?」
「えっ?だってシンジ言いふらされるの嫌だろ?」
「俺が口止めしたのはあのことだけだが」
「そうなのか!?オレの気苦労はいったい…」
「お前も気を使えるんだな…」
「何これオレ喧嘩売られてる?」

 口止めされていること、それがサトシがシンジと和解したきっかけについてだった。
 今や世界中で老若男女に大人気となっているゲーム、ポケットモンスター。ポケモンと呼ばれるモンスターを集めて育ててバトルする、簡単にまとめればそんなゲームだ。
 その中でもポケモンバトルがサトシにとって一番好きな要素だった。そしてそれはシンジも同じだったのだ。偶然ポケモンをやっているところを目撃し、シンジは露骨に嫌な顔をしているもの無視してサトシはバトルを申し込んだ。喧嘩を止めさせられるのならば、ゲームで決着をつければ良いのだと思いついたからだ。
 結局ポケモンの育て方のことでも一悶着あったものの、互いに認め合うようになり、サトシはシンジとやるバトルが一番燃えると思うようになった。
 そんなポケモンといえば、この学校でも好きでプレイしている人間は多い。サトシの幼馴染みや友人たちも目的は違うがやっている為、話の種はもっぱらそればかりだ。
 それなのにシンジは絶対に自分がゲームをやっていることを口外するなと言う。だからサトシはてっきり自分たちの関係についてもそうだと思い、口に出すのはやめておいたというのにこの理不尽な言い草だ。だがここで怒る気にもなれずにサトシはがっくりと項垂れるだけだった。
 そんなサトシにちらりと視線を寄越すと、シンジは思い出したように口を開いた。

「……そういえば、俺が兄貴の用事でいない間でも珍しく随分と進んでいたな」
「ああ、たまたま勉強教えてくれるってやつがいてさー!ありがたいよなあ」

 どうやら話題を変えたいようだった。サトシもこれ以上シンジから辛辣な言葉を貰いたくはなかったのでそれに乗ることにする。身体を起こしてのほほんと笑って答えたサトシ。それは純粋に良い奴がいた、という軽い気持ちで告げたつもりだった。
 だが、こと恋愛においては鈍感なサトシは気がつかなかった。それがシンジの癪に障る返答だったことに。

「……何?」
「いや、だから教えてくれたやつがいて…、」
「ほう…、教えてくれたやつ、な……」
「し、シンジ…?」

 シンジから不穏な気配を感じ取ったサトシは狼狽える。サトシの経験上、このあとは大抵良くない事態になる。咄嗟に逃げようと腰を浮かせるがそれよりも早くシンジががっちりとサトシの腕を掴んでしまっていた。

「あー…、えーっと……お、お手柔らかに…?」
「ハッ、どうだろうな」

 もはやサトシに出来ることなど皆無。そのまま悪人面のシンジにずるずると引き摺られるだけだった。
 連れて行かれた先も校舎内だったというのに、あれやこれやとやってしまったのは、サトシにとってしばらく思い出したくない記憶となるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 あんな場面を目撃してしまった男子生徒がサトシに対してぎこちなく接してしまうのは簡単に予想出来ることだ。そのまま期末考査期間に入ったのは果たして幸運だったのだろうか。今の精神状態が危うく期末考査にも響きそうでヒヤリとした。こんなことで赤点を取ることになってしまっては悔やんでも悔やみきれない。

 期末考査期間も終わると、このままこちらの態度がおかしいのがサトシに気付かれてしまうのも時間の問題だった。悲しませてしまうのは目に見えている為、なるべく会わないよう慎重に行動していた。だがそれも狭い校舎の中では限界がある。ばったりと出会したのはよりにもよって、授業中の保健室だった。
 昨夜はあと少し、あと少しといつの間にか夜更けまでゲームに夢中になっていた。試験から解放され、ようやく思う存分プレイ出来る、とつい自身を甘やかしてしまい、それが祟って三限目の現在、絶賛後悔中。男子生徒は睡魔と頭痛に襲われ保健室まで逃げてきたのだが。
 天国へと足を踏み入れたはずだったが、そこにいたのはサトシ一人。この部屋に常駐しているはずの養護教諭がいない。無人のベッドに、主のいない机。二歩下がって入口まで戻り、扉をよく見れば席を外しています、の張り紙。なんというバッドタイミングだ。

「よ!」
「…おう」

 ここに来ることになった経緯も、張り紙を見なかった己も、何もかも自業自得なので潔く諦め改めて室内へ。
 椅子を引きながら向かいに座るサトシへと問う。今の自分が変な顔をしていないか不安だった。

「せんせーは?」
「オレが来たときにはもういなかったぜ」
「そっか。サンキュ。サトシは何でここに?」
「家庭科の調理中にちょっと…」
「あー、やりそう」
「なんだよー。そっちは?」
「寝不足。あと少しで色マリルが出たはずだったんだ」
「出なかったんだ」

 いつも通りに会話がはずむ。そのことに男子生徒は内心安堵していた。
 しかしそれが男子生徒を饒舌にさせてしまったのだろうか。

「なあ、何回も同じこと聞いて悪いんだけどサトシとシンジって実は……」
「っ、ああああのさ!そのことなんだけど!」
「?」

 男子生徒の言葉を遮るように叫んだサトシは何かを言おうとして目を泳がせながらぱくぱくと口を動かした。そして何度かそれを繰り返すと、ようやく意を決したような表情で言葉を発した。

「オレ、実はシンジと付き合ってんだ…!」
「??」
「っはあ〜、なんか言えたらスッキリした!サンキュー!」
「???」

 予想もしていたし、まさに今尋ねようとしていた。だがこうもあっさりと告げられると男子生徒は理解が及ばずただただ、疑問符を飛ばすしか出来なかった。
 サトシは男子生徒の様子に気付かず一人満足していて、それは養護教諭が戻ってくるまで続いたのであった。

 その後、二人の関係について同学年の生徒たちの間では水面下で噂が広まるも、突っ込んで聞ける者がおらず、彼らと親しい人物たちも口を噤んだので真実が明らかになることはなかった。



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