一目惚れでした!02



 工藤新一について部下の風見に調べさせた資料に目を通す。
 帝丹高校二年生。両親はあの工藤優作と藤峰有希子。将来は探偵を目指している。一時期はメディアを賑わし平成のシャーロック・ホームズや日本警察の救世主などと呼ばれていた。最近はメディアで見ることはなくなったが以前と変わらず警察に捜査協力をしている。

「…多くないか」

 降谷は思わずそうぼやいた。何しろ工藤新一が関わった事件の数は相当なものだったからだ。おまけにそれらは偶然その場に居合わせたものが大半を占めている。さすがに数があるので詳しくは記されていないがそれでも十数枚の紙の束になっていた。
 警察庁警備局警備企画課に所属する降谷が、これだけの事件に関わってはいても一般人に変わりはない少年のことを何故調べたのかといえば、きっかけは三日前の潜入先でのことだった。

 現在降谷は安室透という偽名を使い私立探偵として活動していた。そちらの仕事でのターゲットがとあるパーティに参加するということで、ウェイターとして潜入した。
 やけに視線を感じると辿っていけばそこにいたのは艶やかな黒髪の少年。蒼い瞳は確かにこちらを向いていた。
 どこかで見た顔だと思いながらも頭に浮かんでこない。だが彼の母親を見た瞬間思い出したのだった。

(あれが…工藤新一…)

 何故だか降谷へ熱心に視線を送る彼。まるで女性から受けるような熱まで感じるようでむず痒い。
 そのまま無視して給仕をしていたが、どうしても耐えられずに降谷は一度彼の方を向いた。すると目が合ってしまい、彼はバッと顔を逸らした。

(なんなんだその反応は!?)

 まるで意識し合うクラスメイトの男女のような現状に降谷は内心頭を抱えていた。だがそれを表に出すような真似はせず淡々と仕事をこなしていく。今の降谷はただ無心になることしか考えていなかった。
 気がつくと彼の姿はなくすでに帰ったあとだと知る。自身でも分からない謎のもやもやを胸に抱えたまま降谷はその日を終えた。
 もちろん、ターゲットからはきっちり情報を頂いてある。

 それで工藤新一のことは忘れるはずだった。そもそも接触すらしていないので忘れるも何もないのだが。
 しかし何故だか今の降谷はわざわざ部下に頼んだ工藤新一についての調書を貰っている。全くもって己が分からなかった。

「クソッ…なんなんだ…」

 資料を机の上に投げ捨てベッドへ身を預ける。きしりと軽い音がした。
 知らない、ということは嫌いだった。だから潜入先では私立探偵の身を選んだ。
 目を瞑り少し考える。そして降谷は静かに立ち上がると、安室透の服を取り出し始めた。
 知らないのならば、確かめに行けばいいのだ。





 安室透の仮面を被り訪れたのは現在降谷の脳内を占めている人物、工藤新一の元だった。
 路地裏から現れた安室に、彼は警戒の色を隠さなかった。当然だ。一度一方的に見かけただけの相手が目の前に現れれば誰だってそうだろう。特に探偵として活動している彼は恨みを買うことも多いだろう。そういった事情から用心深いはずだ。
 なので彼が知らばっくれるのも予想済みだった。しかし今日は少し話をしたくて来ている為、ここで帰られるわけにはいかない。そこで見ていたことに気付いていたと告げると、彼は顔を赤くしながらばつの悪そうな表情を浮かべ、安室の誘いに乗ってくれた。
 意外とあっさり誘えたことに、降谷は少し不安になった。この子大丈夫だろうか、と。
 喫茶店に着き、コーヒーを飲んだ彼はほっとひと息ついていた。ますます不安が膨らんだが、無視をして安室が訪れた理由について用意しておいた理由を話した。
 閑古鳥が鳴く私立探偵の安室透に対し、彼は真摯に謝った。事実、本職について首を突っ込まれては不味いのでそれはきちんと受け取っておく。
 ある程度彼について自身の目で確かめられたのだし、ここで別れればもう会うつもりはなかった。
 なかったはずなのに、工藤新一と別れたあとの安室のスマートフォンのアドレス帳には彼の連絡先が登録されていた。適当な理由をつけてまた会おうと言い出したのは紛れもなく降谷からだった。

(一体どうしたんだ俺は…)

 途方に暮れながらも自宅へ足を進める。今日は本庁に寄る予定はないことは頭の隅で確認済みだった。
 ふらふらと覚束無い足取りだったが無事に自宅へ帰り着き、頭をすっきりさせようとそのまま浴室へ向かった。冷水を浴びれば幾分か思考がマシになると思ったのだ。
 そして浴室から出てきた降谷の脳内は予定を整理し、一週間後ならば時間が取れるだろうという方向へ行っていた。





 全ての予定を片付けた一週間後。きっちりスケジュール通りに工藤新一へ連絡をとると、あっさりと承諾された。
 向こうから漏れ聞こえた賑やかさは彼が高校生なのだと改めて思い知らされる。理由の分からない軽いショックを受けて額を覆った。
 ダミーの姿である安室透の持つ悩みなど当然ない。なので降谷が適当に作り出した相談を持って行っては工藤新一と会う。彼はそんな些細な相談も真剣な顔をして聞き、意見を述べてくれた。
 相談が終われば今度は報酬代わりのお喋りタイムだ。彼の話に相槌を打ったり、こちらも当たり障りのない話をする。
 安室透は温厚な性格。依頼がないときはアルバイトをしている。他にもギターが弾けたり、テニスの経験があったり。
 降谷にとっても他人のようなことなのに、まるで自身を語るように喋る。それを嬉しそうに聞く彼。

(俺はそんな人間じゃない)

 降谷零は大して愛想は良くないが、必要に迫られれば何だって人並みにこなせる自信がある。そんな胡散臭い男よりよっぽど良い。

(違う。何を考えているんだ俺は)

 彼と会う回数を増やしていきながらも悶々とした日々が続いていた。工藤新一と会うことが楽しみになっていることは認めた。反面、安室透として出会ったことは後悔している。最近はよく降谷零として出会いたかったと思うことが増えたのだ。
 安室透の存在が必要なくなればすぐさま消さなければならない。そうなれば、工藤新一との繋がりはなくなってしまう。あの穏やかな時間も過ごせなくなる。それはひどく惜しかった。

『…でも、安室さんと話すのも楽しいですよ』

 そう言ってくれた彼に俺もだと告げそうになった。しかしそう話していた彼の表情を見て、降谷は当初から抱いていた疑念に確信を持ってしまった。

(彼は安室透のことが好きなのか)

 時には自身に向けられる好意を利用することもあるのでその辺りには敏感だ。だが男から向けられるものに関してはあまり自信がなかった為、これまで様子を見ていた。もしかしたらただの憧れかもしれない。その淡い期待も打ち砕かれてしまったようだ。

(彼の想いには応えられない)

 安室透という男は存在しない。ならば早々に想いを断ち切らせてやらねばならない。貴重な青春を無駄に過ごさせることになってしまう。
 例えば、降谷と出会っていればどうしただろうか。彼は自分にも同じ想いを向けてくれただろうか。

(何を馬鹿なことを。俺は彼をそんな目で見ていないのに)

 余計な考えは捨ててどうやって彼に安室透を諦めてもらうかを考えねばならない。告白もされていないのにいきなり振れば、彼が自覚していなければただの自意識過剰野郎だ。それだけは勘弁願いたい。
 思考に浸っていれば、己のスマートフォンが着信を告げていた。はっとして画面を覗くと相手はまさにその工藤新一からだった。
 彼からの連絡は初めてのことだった。予定が不安定な降谷はどうしても彼に合わせてもらうしかなかったからだ。
 珍しい、と指をスライドさせる。
 なんと、彼からの要件はまさに降谷が望んでいたことだった。タイミングが良すぎて少し感動してしまったくらいだ。
 工藤新一は安室透に一目惚れし、自覚もしていた。全てを告白し、この電話で安室透との関係を絶つという。
 まさに降谷の描いたシナリオ通りに事が進んでいたのに、降谷は素の口調を晒し強引に家に行くとだけ告げ、電話を切っていた。
 それから工藤邸に行くまでのことを降谷はよく覚えていなかった。ずっとイライラしていて、とにかく二十一時が来るのを待っていたような気がする。
 彼の言う通り疲れていたことや、寝不足も重なっていたのもあり、本当に滅茶苦茶なことを喚いてしまった。情けないにも程がある。
 まさか、自身の恋心に全くもって気がついていなかったとは。
 確かに、あれほど工藤新一のことを気にしておいて歳の離れた友人などと、もしこの話を風見にでも聞かれたら文句の一つや二つ言われても仕方がないくらい馬鹿だった。
 だが彼はこんな自分を見放さずに安室透を、いや、降谷零をも受け入れてくれた。
 彼が寛大な心を持っていてくれたことは幸運だった。





「お、お邪魔します…」
「いらっしゃい。好きにくつろいでくれて構わないよ」

 今日は付き合い出して初めて降谷が新一を家へ招待したのだ。
 あの日、好意的な返事はしたもののあのときの降谷は未だ心のどこかでは認められずにいた。しかし新一からの熱心なアプローチに早々に白旗を上げた。彼が容易に諦めない性格で良かったと何度も思う。そうでなければ、降谷はすぐに後悔の念に駆られていただろう。既に過去の自分のことを何度責めたか分からない。
 きょろきょろと興味津々に家の中を見回す新一を降谷は愛おしげに見つめた。自身の家に新一がいるというのは実に感慨深いものがある。

「あむ、降谷さんの家ってシンプルなんですね。家具にこだわりとか持ってるかと思ってました」
「…そうだね」

 現在の降谷には一つだけ悩みがあった。それがこの、新一がよく安室、と言いかけることだった。
 元々自覚がない頃から嫉妬していたのだ。自覚し、付き合い始めた降谷が妬かないわけがなかった。
 新一は降谷の職業について察している節がある。だからだろう、外で会うときは安室と呼んでくるし、自身も何も言わずそれで通している。
 外ならばスイッチが入っているのか、なんとも思わないというのに、二人きりになった途端これだ。面倒臭いにも程がある。

「……あの、やっぱり家に来るのはまずかったですか?」
「えっ!?いや違うんだ…その…」

 己の感情に辟易しているのを勘違いされ降谷は狼狽えた。大変言いづらいが、彼を不安にさせてしまうのも忍びない。降谷はおずおずと口を開いた。

「ごめん…君が安室って呼ぼうとするのに嫉妬して…」
「…降谷さんってめちゃくちゃ嫉妬深いよな」
「…面目ない…」

 項垂れた降谷に、新一は仕方がないな、という顔をしながらも両手を広げた。それに降谷は首をひねった。

「工藤くん?」
「ほら、来いよ降谷さん」
「物凄く嬉しいけど何故…」

 新一から貰えるものはなんでも有難く受け取る。彼の身体をぎゅうと抱きしめると、胸元からくすくすと笑い声が聞こえた。

「安室さんのことを考えてた時間の方が長いからまだ呼んじゃうけど、これからは降谷さんと過ごすことの方が長くなるだろ?だからさ、もう少し我慢してくれよ」
「な、く、か、」
「ふはっ!何言ってるか分かんねえ!」
「なんで工藤くんそんなにかっこいいの…」
「そりゃどーも!」

 降谷は己の恋人の男前さに深いため息をつくしかなかった。それに、彼はこれからと言ってくれた。その事実が何よりも降谷の心を揺さぶった。

「工藤くん、キスしてもいい?」
「なっ…!……き、聞くなよわざわざ」
「ふふ、ありがとう」

 言葉ではガンガン降谷の心臓を撃ち抜くくせに、行動だと途端に尻込みする新一が可愛くて、降谷は愛らしいことを発するその口へと噛み付くようにキスをした。



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