愛してると言ってくれ


※俳優×ファンなパラレル。





『お前が好きだ…!だから、行くなっ!』
「はあ〜〜……やっぱいいな、降谷零…」

 画面に映る俳優を眺めながらうっとりと呟く青年。
 俳優の名は降谷零。今女子高生を中心に多くの女性から支持を受け、ドラマや映画に引っ張りだこの大人気俳優だ。
 そんな彼の演技に夢中になってテレビに釘付けな青年は工藤新一。少し推理をするのが好きなただの大学生だ。
 二年前、たまたま電源を入れたテレビから流れていたドラマに脇役として出演していた降谷の演技を目にした瞬間から、新一は彼の虜になった。
 すぐに過去出演作を網羅すると、彼の公式ブログをこまめにチェックし、少しでも出演することを知ればドラマならばリアルタイム視聴はもちろん必ず録画をしたし、映画ならば公開初日に劇場へ足を運んだ。
 謙虚な性格に、鍛えているのかアクションもそつなくこなし、さらに見た目の格好良さも重なれば当然降谷零はあっという間に今一番勢いのある俳優になっていった。
 新一はテレビへ視線を向けながらやっぱりなあ、と呟く。新一の母親は元大女優だった為、己の演技を見る目には自信があった。幼い頃から延々と話を聞かされていたからだ。今思えば新一を芸能界の道へ、と考えていたのかもしれない。
 だが一切興味を示さず、新一の関心はひたすらに本にしか向いていなかったのだが。
 しかし本ばかり読んでいたそんな新一の心を一瞬にして奪っていったのが降谷の演技だった。どんな役柄でも見る者を引き込むようなそれは、たとえどんな残忍な殺人犯の役だったとしてもそちらへ肩入れしてしまう程であった。
 本編が終わり暗転したのを確認してから新一はスマートフォンを取り出す。日課のブログ訪問の為だった。

(今期のドラマが三本と、来週発売の主演映画のDVD、それに来月公開の映画、っと)

 すいすいとスクロールしていき改めて確認を済ませる。忘れていることはなかったようなので安心してブラウザを閉じようとしたところで、ハッとした。

(インタビュー掲載の、写真集…)

 新一は降谷の外見については特に興味がない。その為、こういったものはスルーしてきていたのだが、ここに来てインタビュー掲載も兼ねたもの。それも、過去出演作の中から彼自身が印象に残っているものについて、だ。どうやら写真集と言ってもファンブックという形のようだ。

「あああ…どうすっかな、コレ…」

 新一はテーブルへ突っ伏してうんうんと唸った。





 その日は待ちに待った大好きなミステリー作家の新刊の発売日で、新一はうきうきと心を躍らせながら本屋へ向かった。
 新刊コーナーから手に取るとついついほう、と息をついてしまう。
 ついでに他の本も見ていこう、と辺りを見回しながら適当にぶらつく。雑誌のコーナーへ差しかかったときに一番に目に入ったのは、上半身裸で色っぽい視線をカメラへ向ける降谷零だった。
 不意打ちで食らい新一は思わず呻く。外見に興味はなくとも大好きな俳優である。おまけに顔のいい男は無条件に心臓に悪いのだ。
 新一の目の前には、数日前に散々悩んで見送ることにした写真集が山のように積まれていた。
 見送ることにはしたが、目の前にあればつい見てしまう。新刊を脇に挟み、写真集を両手で持って胸の位置まで掲げた。帯には新一を悩ませる原因、『降谷零の演技に迫る!』という煽り。

(やっぱり買うべきか…?いやでも男がこういうの買うの、変かな)

 店員と面と向かって買うのは結構な勇気がいるな、と尻込みする。

(せめて通販だな…)

 写真集を元に戻そうとした瞬間、新一は突然背後から声をかけられた。

「それ、買うの?」
「へっ!?」

 びくりと肩を震わせ後ろを振り返ると、帽子にサングラスにマスク、とどう見ても怪しい格好をした男が立っていた。
 何故話しかけられたのか。もしかするとこの男も同性ながらも降谷零のファンなのだろうか。新一は訝しげな表情をしつつも、もし同じ立場ならばと嬉しく思いぽつりと漏らす。

「や、オレ降谷零の演技が好きだから写真集は躊躇しちゃってて…。でもインタビューは読みたいんだよな」

 初対面の、それもいかにも怪しい男に向かって何を打ち明けているのか、と自分でも思ったが、誰かに聞いてもらいたいファン心から新一は口軽くなっていた。

「な、なんかすみません急に変なこと。あっ、これ買うんですか?」

 だがやはり気恥ずかしくなり、誤魔化すようにへらりと笑う。
 男は一度ぴたりと固まり、しかし横に首を振った。

「…いや。でもありがとう」
「ん?」

 どうして今礼を言われたのか。その疑問はすぐに解消された。

「これからも応援してくれると嬉しいな」

 サングラスを外した男はパチリとウインクを決め、新一の前から颯爽と立ち去って行った。
 あのサングラスとマスクの下には、まさに今新一が持っている写真集と同じ顔があったのだった。

「ほんもののふるやれいだった…」

 呆然としたまま帰宅した新一はリビングで誰に言うでもなく呟いた。
 まさかあんなところに降谷零がいるなど思いもせず、本人にファンだと告げたことが現実だったとは未だに信じられずにいる。
 やはり夢だったのでは、と半信半疑になりながら手に持った紙袋を抱える。中には目当てだった新刊と、あの写真集が入っていた。
 降谷零を見たショックで放心していた新一はいつの間にか二冊の本を持ったままレジへ向かっていたらしい。その辺りのことはあまり記憶がなかった。
 新一は紙袋から本を取り出しテーブルへ置いた。一冊はあとでじっくりと読むつもりなのでそのままにし、おそるおそる二冊目を取り出す。ピリピリとシュリンク包装を破り写真集を開いた。グラビアのページは直視出来ずにペラペラと飛ばしがちに捲っていく。

「あった…」

 新一が見たかった、インタビューが掲載されたページを見つけた。
 新一が初めて降谷を知ったドラマのことは、脇役だったけれど役作りに苦労したこと。半年前にスペシャルとして放送された二時間ドラマの主人公の相棒役では主人公の演者と気が合い楽しく撮影したこと。アクションシーンは自らやると言ってスタッフたちを困惑させてしまったこと。
 気が付けば新一は夢中になって読み進めていた。迷っていた自分を責めたい程で、本当に買ってよかったとひしひしと感じていた。
 読み終えるとどうしても落ち着かず、誰かと感想を共有したくて新一は検索をかけた。SNSやブログ、レビューサイトにつらつらと目を通していくが、新一と同じような者は少ないのかインタビューに対しての反応はまずまずで、モヤモヤとした思いを抱えることになった。

(グラビアページのことばっか…俳優なのにな…)

 先程の感動が少し萎んでしまったが、もう一度読み返した彼のコメントにやはり新一の心は揺さぶられ、まあ感想なんて人それぞれだよな、とモヤモヤとした感情を流すことにした。



  ◇  ◇  ◇



 降谷零はずっと心にぽっかりと穴が空いていた。だが、それを埋めてくれそうな相手と出逢った。
 降谷はここ最近、悩んでいることがあった。それは周りが本当に自身の演技を見ているのかどうか、ということだ。
 世間にはよく格好良い、イケメンだと囃され、有難いことに多くの仕事も貰えている。プライベートで降谷に気が付くとファンだと名乗る女性たちから声を掛けてもらえる。そのことに対して何かを言うのは贅沢というものだ。しかし演技に関しての反応が薄く、それは自分の見た目だけで判断されて肝心の演技は二の次なのではないかと不安に苛まれていたのも事実だった。
 そんなときにたまたま立ち寄った本屋で、最近発売された降谷の写真集が積まれているコーナーを見つけた。そしてその前では、本を手に取りながら考え込むようにじっと見つめている青年がいた。
 最初は通りすがりに興味本位で見ているのかと思ったが、その表情はあまりに真剣で思わず青年の方をまじまじと観察する。
 さらさらとした黒髪だが、くせっ毛がぴょこりと立っている。男に対して使うのは失礼かもしれないが美人だと称されるような顔をしていて、彼はただ立っているだけなのに降谷は思わず見とれてしまった。
 彼自身も芸能界で通用しそうな見た目をしているのに何故降谷の写真集を持って悩んでいるのだろう。一度気になってしまうとどうしても知りたくなり、つい、彼に声を掛けてしまった。
 突然話しかけられた為か青年は驚いた顔をして、しかしすぐに警戒の色を見せた。思えば、顔を隠す為とはいえ降谷の格好は事情を知らない者から見れば不審者にしか見えない。仕方のないことだった。
 それでも彼は口を開いた。降谷零の演技が好きで、インタビューが読みたいのだと。
 衝撃だった。己のファン層は女性が多くを占めている。目の前の彼はただでさえ貴重な男性のファンらしいのに、おまけに降谷の悩みだった演技を見てくれていると言う。
 その言葉にどれだけ救われただろう。ずっと欲しかった言葉を、彼はいとも簡単にくれたのだ。
 内心身悶えていたが、表は無表情で佇んだまま時間が進んでいる。相手にとって、黙って固まっていることになっていた降谷は慌てて我に返り、感謝の言葉を伝えた。それに不思議な顔をされてしまったので、サングラスを外しておまけにウインクをした。目を見開いた彼の姿に満足し、降谷は本屋をあとにしたのだった。
 帰宅してからも青年のことが頭から離れない。彼に自分自身を見てもらえているような気がして、そしてそれがどうしてこんなにも気持ちを弾ませるのか。
 降谷は己の感情に困惑しながらも浮き立つ心を抑えようとはしなかった。
 その変化は早速現れたようで、次の日の撮影の際表情が柔らかくて良いと褒められた。さらにはマネージャーの風見からも何か良いことでもありましたか、と尋ねられてしまった。褒められるのは良いが顔に出すのは俳優としてどうなのかと思うし、今日は役にぴったりだった為その表情が活かされたが違う役だったならば注意を受けるところだったと気を引き締める。
 そうして時間が経つにつれ、あの青年にまた会えたらと思うことが増えた。彼にもう一度会ってもっと話を聞いてみたいし、自信が持てるようになったと改めて礼も言いたい。降谷はせめて名前だけでも聞いておけば良かったと後悔していた。
 あの青年の影を求めた降谷が少ない空き時間を使って藁にもすがる思いで向かったのは彼と出逢ったあの本屋だった。
 しかし駄目元だったというのに運命なのか、焦がれたあの後ろ姿を見つけたのだ。
 降谷は思わず駆け寄りそうになるのを抑えてそっと青年に近寄ると、彼は二冊の本を交互に見ながら吟味している様子だった。そういえば前に会ったときも写真集の他に本を抱えていたことを思い出した。読書が趣味なのだろうか。

「こんにちは、この前ぶりだね」

 降谷は青年の横に並び、顔を覗き込んだ。今日は帽子とサングラスはそのままだがマスクはしていないので多少は不審者っぽさが減っていることを願いながら口元を綻ばせる。
 彼は前回同様ぱかりと口を開けて驚いていた。再び遭遇し、もう一度話しかけてくるとは思っていなかったのだろう。降谷だって自分の運の良さには驚愕している。

「このあと時間ある?君と話してみたいんだ」
「えっっ!?あり…ます、けど、」

 これではまるでナンパだ。しかし彼にはそのことに気が付く余裕もなかったのか、わたわたと焦りオレとですか、とかどうして、だとかパニックになりだしていたので二冊の本を彼の手から奪い取りレジへ。降谷が会計を済ませ、彼の手に紙袋を渡したところで脳の処理が追いついたようで今度は顔を真っ青にさせていた。

「こんな…、受け取れません!」
「お礼だと思ってほしいんだ。そのことについても話したいから、ね?」

 降谷が恋人役とのシーンを撮るときに使う微笑みを浮かべれば彼は一瞬にして頬を染めこくりと頷いてくれた。彼が自身のファンであることを利用するようで悪く思うが使えるものは何でも使わせてもらおう。
 手を引いて近くの喫茶店へ入った。それぞれ注文を終えると彼は気もそぞろにうろうろと視線をさまよわせていた。

「落ち着かない?」
「は、はい…あの、本物ですよね?オレ騙されてます?」
「ふっ!ははっ!それ直接聞く?」
「それもそうですよね、あーダメだ頭働かねえ…」

 顔を覆ってうー、と意味のない言葉を発する彼を見ているだけでも楽しいのだが、そろそろ名前を聞きたい。

「ねえ、君名前は?」
「工藤新一、ですけど」
「工藤新一くん、か。僕の自己紹介はいる?」
「いえ…周りが気が付けば大混乱でしょうし…オレが幻覚を見ていないのならば大丈夫です」
「あはは、まだ疑ってるの?」
「そりゃもう。大ファンだって言いましたよね?」

 大がつく程のファンなのか。そこまでは知らなかった。
 降谷はようやく知ることが出来た彼の名前を噛みしめていた。

「それで、降谷、さんがお話したいことって…?」
「ああ、うん。実は恥ずかしながら、最近周りからの反応のことで悩んでたんだけど、工藤くんから言われた言葉で自信が持てて、是非礼を言わせてほしかったんだ」
「え…オレの…?」
「だから、また会えて良かった」

 そこでちょうど届いたアイスコーヒーを口に含む。何故だか少し緊張して喉が渇いていた。

「それに工藤くんからの感想ももっと聞きたいなって思ったんだ」
「本人に言えるようなたいそうな感想ではないですけど…でも降谷さんがそうおっしゃるなら、少しだけ」

 そう言った工藤の微笑に降谷は目を奪われた。彼が本当に降谷のファンだということは表情を見れば明確で、そのままぽつりぽつりと語っていく。
 くすぐったいけれど、心地好いと感じた時間はあっという間だった。
 降谷は次の仕事の時間になり、工藤とはここで別れることになった。
 喫茶店を出て降谷は思案する。ここで別れてしまえば、果たして次にまた会えることはあるのだろうか。さすがにこの幸運が何度も訪れるとは限らない。それならば、降谷がとる行動はひとつだった。
 スケジュール帳のメモ帳部分へ文字を走り書きし、それをピリリと破ると工藤の手へ握らせた。
 渡した紙に書いたのは、降谷のプライベート用携帯電話の連絡先だった。

「連絡、待ってるから。それじゃあ」
「えっ!ちょっ、」

 工藤の言葉も聞かずに降谷は達成感と共に次の現場へ向かう為タクシーを停めた。



  ◇  ◇  ◇



 降谷零から持たされたメモ用紙には何度見ても電話番号とメールアドレスが記されている。
 新一はそれを持ったままふらふらとした足取りでなんとか自宅まで辿り着いた。
 はてこれはいったい、と首を傾げる。

(いやいやいや、ウソだろ、まさかそんな)

 二度しか会っていない男のファンに連絡先を渡す超絶人気イケメン俳優がいるのか。今どきそんなプライベート管理が甘い人間がいるなどありえない。やはり新一は騙されているのではないか。
 しかし彼が変装でもない限り、降谷零が目の前で書いてそのまま渡したメモ用紙を新一は持っている。つまりこれは本物の連絡先だろう。

「どうすればいいんだ…」

 こんなたいそうなもの、気軽に持てない。まるで爆弾を持っているような感覚だ。
 けれど、これを渡すときに彼が放った声色の真剣さと言葉を新一はしっかりと覚えている。ならば新一のやることは決まっていた。
 震える指でメールを書いていく。やっとの思いで送信すると、新一はぐったりと顔を伏せた。
 落ち着く間もなく返事はものの数分で来た。休憩中だったのかとメールを開くと、連絡をくれて嬉しい、それとまた会いたいので時間が空いたら遊びに誘っても構わないかという旨が書いてあった。

(あ、遊びに…?降谷零と遊びに行ける…!?)

 友人のようなやりとりに新一はわくわくとした表情を隠せない。そろそろ驚きの感情はなくなってきて、嬉しさの方が勝ってきた。

『降谷さんがよろしければ是非!楽しみにしてます』

 こちらもまたすぐに返事を送る。新一の中にあった緊張は知らぬ間に解けてしまっていた。

 それから何度か降谷から雑談メールが届き、次第に慣れて新一からも些細なことでメールを送る機会が増えていった。さらには何度か電話で話すこともあった。
 年の離れた友人のような付き合いになった頃、テレビで降谷を見る度に本当にこの人と気軽にやりとりしてるんだよな、と新一の胸に感慨深い思いが広がる。
 今放送しているドラマでの降谷は主人公の上司役だった。爽やかなキャラクターを多く演じてきた降谷だが、今回は今までにない他人にも自分にも厳しい性格を演じており、こんな降谷零も良い、とメディアで話題になっているらしい。確かに、と新一も新鮮さを感じて少し胸を高鳴らせた。

 その日降谷から届いたメールには、ついに休みが取れそうだと報告があった。新一も思わずやった、とひとりごとを呟きどこへ行きたいのか尋ねる。降谷の立場を考えると映画館や美術館など静かなところだろうか。しかしそのような場所は二人の趣味が合わなければ楽しめない。大丈夫かと心配する新一だったがそれは杞憂に終わり、降谷のリクエストは水族館だった。

『水族館お好きなんですか?』
『プライベートであまり行く機会がなかったんだ。工藤くんが興味ないと言うのなら変えてもらっても構わないから』
『いえ!そんなことないです!折角なので行きましょう!』

 あっさりと予定が決まっていく。次の土曜日の午前十時に駅で待ち合わせ。新一はカレンダーに印を付けてその日を待ち遠しく思った。





 土曜日までは長かったような短かったような。ふわふわとした気持ちで迎えた降谷との約束の日。十分前に待ち合わせ場所へ着いたというのに彼は先にいた。忙しい降谷の、貴重なオフの日を待ち時間に使わせてしまって申し訳なく思い新一が謝ると、降谷は待つのも楽しかったからいいんだ、と言った。いつでも感情を隠してしまえそうな演技派俳優の本心など到底分かる気がしないが、このまま謝りっぱなしというのも気まずいスタートになってしまうので新一はそこで大人しく口を噤んだ。
 今日の降谷も変装の為のサングラスをしていたが、すらりとした長身の男性がオシャレな服を身に纏っていたらそれだけで人の視線を集めるというもの。バレてしまって大騒ぎにならないか肝を冷やしながらも降谷に連れられるまま二人は電車へ乗り込んだ。
 水族館へ着くとパンフレットを開きショーの予定時間を確認してから、入り口から順番に見ていくことにした。日曜日ではないからか予想よりは混んでおらず、人の波に阻まれずにゆったりと回ることが出来た。

「ショーの前にお昼済ませよっか」
「そうですね。降谷さんは何食べますか?」
「うーん…そうだなあ…肉、かな」
「肉」
「あ、とんかつ定食がある。僕これにするよ。工藤くんは?」
「あー、じゃあオレは…ラーメンで」
「了解」

 降谷零は爽やかキャラだと勝手に認識していたので肉を食べたい、と言うギャップに新一が呆気にとられているうちに流れるように要望を聞かれた。新一の分を確認すると彼はさっさと注文に向かってしまい、戻ってきた降谷に自分の分は払うと言ったが聞いてもらえず奢られてしまった。

「本当はここのチケットも奢りたかったんだけどね」
「ダメです」
「お金を使う暇がなくてどんどん貯まってるから使わせてほしいんだけどな」
「ちゃんと降谷さんが欲しい物を買ってください」
「その欲しい物が工藤くんと過ごす時間だと言っても?」
「ッ!?」

 なんだこれは。口説かれているのか。
 新一は危うく水を吹き出すところだった。ゲホゲホと噎せると、降谷は心配しながら背中をさすってくれたが原因はあなたですと訴えたかった。
 なんとか昼食を無事に終え、広場へ移動する。まもなくショーが始まる時間の為、すでに席はそこそこ埋まっていた。
 端の方を選び腰をかける。すぐにイルカショーが始まった。
 トレーナーが合図を出すとイルカたちはきゅいきゅいと可愛らしく鳴いて見事なパフォーマンスを繰り出す。観客から歓声が上がり辺りは賑やかになっていく。

「さて、お次はふれあい体験になっております!そうですね〜…そこの男性のお二方、いかがですか?」
「ん?」
「男性の二人組って…まさか、」
「僕らのことみたいだね」

 突然始まったふれあい体験とやらに見事指名され、新一は降谷を見上げる。注目を浴びるのはまずい。断るのだろうと降谷の様子を窺っていれば彼は立ち上がり前方へ降りて行くではないか。新一は彼を慌てて追った。

「降谷さん、いいんですか?」
「堂々としてればバレないさ。多分」

 小声で尋ねるが降谷はけろりとしている。多分、と付け足されたように言われたことで不安は残るがそもそも水族館は降谷のリクエストなのだ。彼にめいっぱい楽しんでもらわなくては意味がない。なるようになれ、と新一も腹を括りトレーナーの指示を聞く。

「バケツに小魚が入ってますので、それを渡してあげてください」
「は、はい!」

 二つ置かれたバケツのうち一つを降谷が軽々と持ち上げたのでそれに倣い新一も持ち上げようとしたのだが。

「重っ!!」
「工藤くん大丈夫?」
「申し訳ございません!あちらまで運びますね」
「すみません…」

 あんなに涼しい顔をして、降谷はやはり鍛えているのだろうか、と新一はトレーナーのあとを追いながら思った。

「撫でても平気だって」

 先に説明を受けた降谷が言う。

「わ、可愛い」
「ね。癒されるなあ…」
「降谷さん動物好きなんですか?」
「見てて可愛いとは思うけど飼うまではなかなか」
「あー、忙しいですよね」
「まあね…わっ」

 小魚をイルカたちに与えつつ降谷と話していると、恐らく好意を伝えようと思ったのだろう。降谷に撫でられていたイルカが飛びかかるように彼へ身体を寄せてきた。体幹が鍛えられているのか降谷が倒れることはなかったものの、サングラスはカシャン、と音を立てて地面へ落下してしまった。

「あ」
「えっ!もしかして…!」
「ちょっと!ヤバイ!!」
「ウッソ!?マジ!?」
「降谷零じゃん!!」
「きゃあああ!!」

 一瞬の間を空けて、周りは騒然となった。降谷に気が付いた観客たちが黄色い悲鳴を上げ、近くにいたトレーナーも唖然としている。
 どうするのかとおろおろと降谷に視線を向けると、彼は眉を下げてあちゃあ、という表情を浮かべていた。

「降谷さん…」
「ごめんね、工藤くん。逃げる準備してもらっていい?」
「えっ、はい、」

 しかしその顔はすぐに切り替えられ、新一にそう耳打ちする。

「すみません、今はプライベートなんです!水族館の方にご迷惑がかかるといけないのでこのことはご内密にお願いします!それでは」

 降谷はそれだけを告げると、新一の手を掴み一目散に駆け出した。
 咄嗟のことに、事前に言われていた新一以外の人間は対応出来ずにあっさりと水族館を出ることが出来たのだった。

「はぁっ、はぁ、ここまで来れば、平気、みたいですね、」
「そうだね」

 水族館から離れ、逃げてきたのは近くの浜辺。シーズンも過ぎた海水浴場は人気がなく、ここなら落ち着けるだろうとひと安心した。
 ここまで引っ張ってきた降谷はどこか寂しいような、けれど満足したようにも見えた。

「結局バレちゃいましたね」
「とんだハプニングだった。ごめんね」
「降谷さんが謝ることはないです。…今日は楽しかったですか?」
「うん。久しぶりにオフを満喫できたよ」
「それは良かったです」

 波の音と二人が話す声だけが響いて、降谷零という男の存在のこともあり、まるで映画の撮影みたいだと新一は思った。

「工藤くんはどうだった?」
「オレも…滅多にない出来事を体験出来て面白かったです」
「…ありがとう。そろそろ帰ろうか」
「はい」

 新一は少し、まだ帰りたくないと思ってしまった。
 だがくるりと踵を返した降谷に着いて行くほかなく、ゆっくりと歩き出す。そのとき、新一の指先にそっと降谷の指が触れた。気の所為かと思う程わずかな接触。ただそれだけで新一の心臓は暴れだした。

(うわ、すっげえ顔熱い、)
「工藤くん」
「っはい、」

 降谷が話しかけてきたが、幸い前を向いたままだったので必死に冷静を装い返事をする。

「また、遊びに誘っても…いい、かな」
「勿論!降谷さんからの連絡、待ってますね」

 それから最寄り駅に着くまでは会話はなかった。しかし気まずさは全く感じない、静かな帰り道だった。





 降谷と出掛けた日から、これまで以上に彼のことで頭がいっぱいになっている。それも、浮かんでくるのは俳優としての降谷零の顔ではなく、新一に向けた笑顔ばかりだった。
 あの表情をずっと見つめていたい。自分のことを見ていてほしい。
 そんな思いを抱えて過ごす日々だった。
 そのうち、これは優越感ではないかと思い始めた。あの降谷零のプライベートに付き合わせてもらえる自分は彼の特別なのではないかと。
 DVDを再生し、画面の中の降谷をぼんやりと見つめる。今までは彼の演技に注目していたというのに、この間から顔ばかり見てしまっている気がしていた。
 彼の演技は変わらず好きだという気持ちはしっかりとある。ただ、それに加えて見た目にも見惚れるようになってしまったようだった。

(でも、そんなんじゃ降谷さんは離れちまう)

 一般人である新一の言葉であんなにも喜んでくれていた人をがっかりさせてしまうどころか、彼の望んだ反応を返せない新一のことなんかは降谷はやすやすと見放してしまうかもしれない。
 それが今の新一には何より怖いことだった。
 失望した顔を向け、新一の前から去る降谷を想像してぶんぶんと首を振った。そんなことは絶対に嫌だった。もう、降谷の隣にいることが当たり前になりつつあるのだ。
 このことは必ず胸にしまっておこうと新一は決意する。
 降谷との関係が芸能人とただのファンという関係に戻るのがどうしてここまでひどく恐ろしいのか、その感情に名前をつけることは今の新一には出来なかった。

 荒れ狂う胸中を持て余していた新一がその番組を観てしまったのは果たして偶然だったのか。
 新一はバラエティ番組の方はあまりチェックしていない。
 しかしたまたま時間があり、降谷零が出演するということでテレビの電源を入れた。
 それはドラマの宣伝として、降谷と、共演している女優の二人がゲストとして登場したバラエティ番組だった。
 番組の内容はトークを中心としたもので、彼らのことを根掘り葉掘り聞いてやろうと司会の芸人がオープニングから張り切っていた。
 宣言通り司会はバッチリ仕事をこなし、降谷と女優にあらゆる話を振っていく。二人は笑顔で答えたり、際どい話題は上手く躱していた。
 そうして番組は進んでいき、話のテーマは『お互いの尊敬するところ』というものへ移った。
 女優は意気揚々と話しだす。

『私、彼の演技への姿勢をすっごく尊敬してて!初めてお会いしたときなんかいきなりどんな練習をしていらっしゃるんですか?とお聞きしちゃいました!』
『へえ〜!降谷さんはそんな反応されるの珍しかったんちゃいます?』
『まあ、そうですね…。第一声にそう言われるのはあまり経験がないかと』
『アハハハ』

 その瞬間、新一はテレビの音声が遠のくのを感じた。
 どうして今まで気が付かなかったのだろう。新一の代わりなどいくらでもいるということに。
 新一は降谷の演技が好きなただのいちファンで、降谷は本当に偶然それを知って興味を持った。この関係は、いくつもの偶然が重なって繋がった糸だ。だがそんなものは簡単に切れてしまう。

「ばっかじゃねーの」

 特別なんだと浮かれていた自分が惨めだった。
 バラエティ番組はとてもじゃないがもう観続ける気分になれずにテレビを消した。
 降谷がどれだけ美人と共演しようと、どんなラブシーンをやっていようと当たり前に見ることが出来ていた。
 しかし今は降谷の隣にいる者全員に嫉妬している。
 ああ、本当に、なんて馬鹿なのだろうか。

「降谷さんのこと、好きになっちまってたのか」

 新一は降谷への連絡をやめた。



  ◇  ◇  ◇



 降谷には最近年下の友人が出来た。そのことにとても浮かれていた。
 彼からメールが来ると嬉しくて素面を保つのが難しくなるし、電話で声を聞くと安心する。
 オフの日を心待ちにする程の日々はいつ以来だっただろうか。
 ようやく出来た休日の予定は無事に工藤との約束を取り付けることができ、降谷は指折り数えて当日を待った。
 工藤と出掛け向かったのは水族館。あれが可愛い、こっちも可愛いとはしゃぐ姿は微笑ましく、意外と子どもっぽいところもあるのだな、と可愛く思えた。
 工藤と初めて食事を共にした。彼が頼んだのはラーメンだったが、それがアンバランスに映る程彼の食事する姿は美しかった。きっと、育ちが良いのだろう。
 話していると工藤の好物がレモンパイだということを知った。彼のことをひとつひとつ知っていくことは、宝物を集める子どものようにわくわくした。
 ふと、降谷は果たしてこれは友人に対して抱いていい感情なのかと疑問に思う。
 今までこんな感情があっただろうかと同期たちの姿を思い浮かべてみたが、とてもじゃないが同じ感情を持ったことはなかったし、持とうとも思わなかった。

『お前に恋をして、俺は随分と欲張りになってしまった』

 前に降谷が演じた男が、そんな台詞を吐いて恋人を抱きしめながらキスをしていた。
 そのときは演じながらもどこか他人事で、そんなものなのか、と軽く考えていたのだが、まさに今の降谷がそうなのではと考えを改める。
 工藤のことをもっと知りたい。ずっとこちらを見てほしいと思う。
 つまり、降谷は年下の友人だと思っていた男の子に恋をしている、ということになる。
 その感情に嫌悪感はなかった。
 ただ、叶うとも思えないその想いを抱えたままでも工藤とはこれからも友人として付き合っていけたらいいと願った。
 イルカショーを観覧していればふれあい体験というもので二人が指名された。
 普段の自分なら当然辞退していたはずだが、イルカとふれあう工藤が見てみたいと思ってしまい、降谷はすたすたと歩き始めていた。
 案の定その光景は非常に眼福で、癒されるなあ、と和んでしまう。工藤はイルカに癒されているととったようだが、降谷の真意は違っていた。本心を知られるのはまずいので訂正はしないのだが。
 しかし予想外のこととは突然襲ってくるというもので。降谷は大勢の人間の前でサングラスを落としてしまった。
 逃げる為に工藤の手を引いて走る。それが逃避行のように思えて、こんなのも悪くないなと笑いがこぼれていた。
 おまけに逃げ込んだ先は浜辺だった。まさに逃避行の結末にぴったりではないか。
 降谷としてはとても有意義な時間を過ごせたのだが、せっかく付き合ってもらったというのに騒がしい最後で申し訳なく思うも工藤は朗らかに笑って気にしないでと言う。
 駅への道のりを歩き出すが離れがたくなり、どうしようかと悩んで、降谷は新一の指先に気付かれないようにほんの少しだけ触れてみた。
 たったそれだけなのに頬が赤くなっていくのが分かった。己は本当に恋をしているのだ、と柄にもないことを考え照れくさくなる。まるで初恋をした女子中学生のようだが、これまでの人生ではまともな恋愛経験もないので仕方がない。
 工藤に見せられるような顔をしている自信が全くなかったので振り向かずに問う。また誘ってもいいものなのか、これだけは聞いておかなければならなかった。
 そうして、彼は勢いよく了承の言葉をくれたのだった。

 工藤への恋心を自覚してから、恋の演技が格段に良くなったと監督やスタッフに言われるようになった。
 見ていてこっちまで照れます、なんて言われたときには降谷は少しだけ冷や汗を流した。相手役の女性を工藤だと思って演じていたからだ。
 そんなに甘い雰囲気を出してしまったのかと頭を抱える。自分はこれから本当に工藤と友人として付き合っていけるのか、決意したばかりだというのに降谷は早々に不安を覚えた。

「降谷さん、熱愛報道は勘弁してくださいよ」
「……」
「えっ!?本気ですか!?」
「うるさいぞ風見…」

 風見が戯れにそんなことを言ったのたが、思わず想像してしまい降谷が黙ってしまったところ、彼は顔色を青くしていた。
 本当に、キャラじゃない。
 降谷はお茶の間には爽やかキャラだと認識されている。それは現場でも変わらない。
 だがその全ては作っている性格だった。
 元々はそれ程愛想も良くないし口調だって柔らかくない。今や素で話すのは風見や同期相手くらいだ。
 工藤に対しても素で話したことはない。けれどもそれは、彼にイメージと違う、と言われ幻滅させてしまわないように慎重になっているからだった。親しくなればそのうち、なんて考えたりはしているのだが。

「まあ、降谷さんが楽しそうなので私は止めませんよ」
「お前…」

 やれやれと肩を竦める出来たマネージャーに感謝する。
 工藤への気持ちは、大事にしたかった。

 だがそんな降谷の気持ちと現実は噛み合わなかった。工藤からの連絡が来なくなってしまったのだ。

(どうして。何があった)

 工藤と出掛けたときは普通だったし、そのあと何度かしたメールのやりとりでも不自然なところはなかったはずだ。
 すぐにでも直接会って聞き出したかったが、撮影が重なり家には寝に帰るくらいしか出来ない程忙殺された。
 なんとか休憩の合間にメールを送ってみるが返信もない。降谷はもどかしい思いをしながら黙々と仕事をこなしていった。
 風見に顔が怖いと言われたが知ったことじゃない。ただひたすらに焦燥感に駆られていた。
 移動中のタクシーの中で、降谷は電話をかける。工藤から連絡がなくなってからすでに何度か試したことはあった。結果はいつも同じで、今日もスマートフォンからは呼び出し音が鳴り続けるだけだった。

「クソ…」

 赤信号で停止した車。ため息をついて何気なく見た外だったが、その後ろ姿を認識した途端、降谷は身を乗り出し運転手へ降りる旨を伝える。多めに料金を置いてタクシーを飛び出した。
 次の仕事のことなど忘れていた。今ここで彼の手を掴まなければもう二度と会えないと、そう直感が告げていた。

「是非!」
「や、でも…」
「工藤くん!」

 工藤は何やらスーツを着た男と話していた。どんな関係か分からないが、気分のいいものではなく降谷はむっとして眉間に皺を寄せ、割り込んで彼の名を呼んだ。
 この恋が叶わなくてもいいなど、殊勝な自分はどこへ行ったのか。知らぬ間に独占欲まで抱いていたのに降谷は自嘲した。

「っえ、」
「久しぶり。…その人は?」

 降谷を見て彼は狼狽していた。今すぐに連絡しなくなった理由を問いただしたかったが、とりあえずは目の前の男から引き離さなければ気が済まない。
 工藤はちらりと男を見て言い淀む。

「あー…、この前の水族館、写真撮られてたみたいで…。ネットで見たオレなんかをモデルとしてスカウトしたいらしいんですけど…」
「は?……すみません、お引き取り願えますか。この子はそんなに安くないぞ」

 ぼそりと小声で告げられたことに機嫌が急降下する。
 冷静に対応しなければという理性とふざけるなと思う本能が相反して笑顔のまま怒気の含んだ声が漏れてしまった。

「ヒッ…!降谷、零…!?」

 顔を驚愕の色に染めたスカウトマンらしき男を無視して新一の手を掴んでさっさとその場を去る。
 工藤がモデルになるなど冗談じゃなかった。芸能界デビューなんてしてしまえば彼があっという間に人気を博すことなど目に見えている。彼は確実に、人を惹きつけるタイプの人間だと降谷は確信していた。
 彼がたくさんの人に囲まれるようになってしまえば、降谷はその中の一人になってしまう。
 降谷は、工藤新一の特別になりたいのだ。

「あ、の…降谷さん…?」
「ああ、ごめんね、いきなり引っ張ってきて」
「いえ…」

 会話をしているというのに、降谷とは目も合わせない様子にずきずきと胸が痛む。
 人のいない小さな公園で二人は足を止めた。

「…もしかして芸能界に興味あった?」

 それでも、彼が望むのならば。好きな子の夢の邪魔をするつもりはない。

「いや、そうじゃなくて、その、」
「何?」
「…降谷さんと同じ場所に立てたら少しは貴方の特別に近付けるのかな、とか考えたら揺らいでしまって。だから特別芸能界に興味があるというわけじゃないんです」
「……」

 彼の口から発せられた言葉が予想外で、降谷は夢を見ているのかと思った。
 だって、降谷と工藤は同じことを考えていたのではないか。

「すみません、いくらファンでもこんなこと考えるなんて気持ち悪いです、よね、」
「っ違う!そうじゃなくて、工藤くんが考えていてくれていたことは嬉しいんだ」
「降谷さん…」
「でもね、工藤くんが有名になって人気者になるなんて絶対に嫌だ。君は俺だけの工藤くんでいてほしいんだ…」
「え、ウソ、だろ…、」

 彼に誤解されないよう、思いの丈を紡いでいく。
 降谷の言葉に、工藤は口をぱくぱくとさせてみるみる顔を真っ赤に染めていった。
 ああ、彼はやはり。

「降谷さんのそれは…どういう…」
「知りたい?」

 わざと意味深な笑みを浮かべ、するりと指を絡ませる。びくりと震えた身体に、きちんと意図が伝わったことを感じて降谷は上機嫌になる。
 しかし今度はハッとして何かに気が付いた表情を浮かべた工藤。まだ何かあるのか。

「…工藤くん?」
「ごめ、んなさい…オレ、降谷さんの見た目も好きになっちゃって、降谷さんの思ってるようなオレじゃないかもしれない、です、」
「いいや、君は君だ」
「え?」

 なるほど。そんなこと気にしなくていいのに、と降谷は彼を愛おしく思った。
 確かに最初に興味を持ったのは工藤が男でも降谷のファンで、演技を好きだと言ってくれたことからだった。でも、それだけでこんなにも気になる存在にはならないだろう。
 おそらく、降谷は最初から惹かれていたのだ。あの、真剣な蒼い瞳に。

「確かに見た目だけを評価されるのは複雑な気持ちだけど、好きな子に有効ならこの顔に感謝したいよ。それに、も、ってことは顔以外の俺のことも好きだってことだろう?」
「その自信、どこから来てるんですか…」
「工藤くんの表情から」

 自信満々な降谷に工藤はむぐぐ、と口篭ったが、数秒後には顔を真っ赤にしながらも覚悟を決めた表情をして口を開いた。

「…っぐ、ぅ、確かに!オレは降谷零の全部が好き、です!」

 降谷はたまらずその身体を抱き込んだ。

「熱烈な告白をありがとう。僕も好きだよ、新一くん」
「〜〜っその!耳元で囁くのやめてください!あと名前…っ」
「これは大発見。新一くんは僕の声にも弱いんだね。名前はずっと呼んでみたかったんだ」
「ちょっ、も…!外なんだから離してくださいよ!」

 結局、一時間以上も仕事に遅刻し風見にはしこたま怒られスタッフたちにもどうしたのかと散々心配されたが、降谷はただただ頭を下げるしかなかったのだった。

「降谷さん仕事キャンセルされたらどうするんですか?」
「なあ、風見。俺は貯金もあるしこのまま辞めてもいいと思わないか?」
「え?脅し?降谷さん!?ちょっと!?」



  ◇  ◇  ◇



 今日は降谷零が主演のドラマの初回放送の日だ。今回の役は警察官だという宣伝を何度も見た。きっと格好良いのだろうな、と新一はコーヒーを淹れながら下手くそな鼻歌を歌う程期待でそわそわしていた。
 リビングのソファに座り、コーヒーの入ったマグカップを持って、視聴の準備は万端だった。
 放送まであと五分、というところで玄関の扉が開く音がして、新一は深いため息を吐くことになった。

「ただいま、新一くん」
「……おかえり、零さん」

 人気俳優降谷零、本人だ。
 新一の隣に腰かけた彼はジャケットを着たままだというのに新一の身体に抱きつき疲れた、と控えめな愚痴を漏らす。
 その姿は新一に心を開いてくれていると感じるので愛おしく思うのだが、このあとの展開を容易に想像出来てしまう為少し不満な気持ちも湧いた。

「?どうし…、あっ!今日オンエアか。ということは新一くんはこれから二時間も本物の僕を放っておいて画面の中の僕を見てるんだね…そっか〜…」
「だーーっ!!もう!!その面倒な拗ね方やめろって!!オレは降谷零のファンだって言ってんじゃねーか!!」
「でも降谷零の恋人だろ。恋人と憧れの人なら恋人を優先すべきだと思わないか?」

 ぐりぐりと頭を新一の肩に擦りつける恋人に仕方がないな、と目の前の金髪を撫でてやる。
 新一だって別に降谷といちゃつきたくないわけではないのだ。ただ、ドラマを数週間も前からものすごく楽しみにしていたというだけで。

「……はああ〜〜、分かったよ。録画してるし、あんまり帰ってこない恋人の方を優先しないとな」
「うっ…ごめんね…」
「その顔に免じて許す」
「この顔で良かったなあ」

 ちゅ、ちゅ、と顔中にキスを降らせる恋人を好きにさせ、新一は降谷の背中に手を回した。



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