※霊感っぽいちからを持ってる工藤くんがいます。
工藤新一には幼い頃から霊感と呼ばれるものがあった。
物心つく前から見えていたようで、言葉を覚えた新一は両親に尋ねた。アレは何なのか、と。しかし何もないところを指さす息子に最初は両親も困って顔を見合わせていたが、数回そんなことが続くとさすがにここまで言うのならば本当かもしれないと思い、新一に詳しく話すように促した。聡い子だった新一は両親の真剣な顔に、これは異常なのだと気がついた。たどたどしくも見えている光景を懸命に伝えると、二人は難しい表情を浮かべた。
すぐさま両親はツテを頼り、霊感のある人物を紹介してもらいコンタクトを取った。
その彼が言うには、確かに新一は霊感が強いと言う。しかし彼には強力な守護霊がついており、特に心配することはない、と言い切ったのだ。
両親は心配しながらもそれを信じ、御守りだけを持たせてしばらく様子を見ることにした。
結果、彼が言った通り目に見えないモノから何かされるということはなく、代わりに探偵に憧れる新一には幸か不幸か、生きている人間が起こす事件には度々巻き込まれたり、たまに自ら首を突っ込んだりとよく遭遇した。
なかでも怪しげな組織の取引現場も見てしまい、毒薬を飲まされ小学生の姿になってしまったことは新一にとって最大の失態と言えるだろう。これによって平凡な人生とは掛け離れた生活を送ることになった。普通に生きれていれば遭うこともない危険を伴う生活だったと思う。それでも、この件で関わることにより出逢った人たちは相棒や共犯者、協力者と特別な関係を築くことが出来た。怪我の功名とも言えるだろう。
江戸川コナンが、その特別な関係で繋がった一人である安室透ーー降谷零の協力者になったのはIoTテロ事件でのことだった。
私立探偵で毛利小五郎の弟子入りをし、喫茶ポアロでアルバイトをする安室透、黒の組織の探り屋バーボン、そして警察庁警備局警備企画課、通称ゼロに所属する降谷零。トリプルフェイスを使い分けるそんな彼の第一印象は胡散臭い、それとやけに恨みを買っている男だと思った。
新一には霊が見えるほかに、人に纏う黒い靄も見えた。
どうやらこれは人の恨みや妬みが原因のようで、放っておくと事故が起きてしまう。そのことに気がついてから新一は出来るだけその靄を祓って事故を阻止してきた。祓うと言っても靄を纏った人物に少し触れるだけなのだが、新一の強力な守護霊とやらはそんなことも出来るらしい。利用してばかりいればいつか守護霊に愛想をつかされるのでは、と考えたこともあったが、既に十年以上力を借りているのでどうやら苦ではないようだと認識している。
ちなみに自身のはもちろん他人でも守護霊の類はいっさい見えないし聞こえないので残念だなと思っている。
話は戻り、安室の周りには常に黒い靄で覆われていた。最初に見たとき、コナンは驚愕で声が出なかったほどだ。数々の犯人と対峙してきたコナンでも、これ程まで恨まれている人は見たことがなかった。
いくら怪しいとは言えとても放置しておくことなどは出来ず、さりげなく触れては祓うのが日常になっていた。それは彼が組織の幹部だと知ってからでも続けていた。
そうしていつからか、コナンには見えないモノから彼を守れるのは自分だけ、という優越感が生まれていた。
彼の職業と年齢からして、安室にとってコナンは守る対象だ。そんな彼をコナンでも支えることが出来る。それはとても誇らしいことに思えた。
コナンはいつの間にか、安室に恋情を抱いていたのである。
だからといって何かあるわけでもなく。日々は過ぎていき組織壊滅のためにがむしゃらに走り回って、平穏はもう目の前だった。
江戸川コナンの最後の日、コナンは安室に自分の正体を話した。これで安室との関係を終わりにしたくなかった。お互い元の姿に戻っても会いたい。恨まれやすい彼が心配なのもあった。
そんな我儘で口にしたのに、安室は話してくれてありがとう、と言ってぎゅっと抱きしめてくれた。
後日、工藤新一は元の身体を取り戻し、降谷零との再会を果たしたのだった。
それから半年。
退学ギリギリだった高校は補習と課題をこなすことを約束に首の皮一枚で繋がり、無事に卒業し東都大学に合格。今は警視庁から要請を受けていること以外は至って普通の大学生活を送る日常へ。
降谷との関係は月に何度か彼の予定が空いたときに夕食を共にするような仲になっていて、今日はその夕食の約束をした日である。会うのは実に一ヶ月ぶりだった。
長期に渡る潜入捜査を終えた降谷は現在内勤が中心になっているらしい。平和なもんだよ、と少し物足りなさそうに呟いていて、新一はつい笑ってしまったことがある。それでも忙しいのに変わりはなく、こうして貴重な時間を新一に割いてくれているのには心が舞い上がってしまう。
工藤邸の門の近くには既に降谷の愛車であるRX-7が駐車していた。
降谷はその愛車に寄り掛かって手持ち無沙汰に空を見上げていた。庁舎帰りであるはずなのにかっちりとグレーのスーツを着込んだその姿はモデルと言っても差し支えないほど様になっている。その証拠に周りにはこころなしか女性の霊が多い。霊にもモテてますね、なんて新一には口が裂けても言えない。誰だって顔を顰めそうだ。
何も知らない彼は駆け寄ってきた新一に気がつくと、ぱっと破顔した。不意打ちのそれに、新一の心臓は小さく跳ねる。
「こんばんは、工藤くん」
「降谷さん!こんばんは、早いですね」
「久しぶりだからね。楽しみにしてたんだよ」
さらっと言われた言葉は心臓に悪い。なるべく平静を装って促されるまま助手席に乗る。降谷も運転席に乗り込むと車はすぐに発進した。
新一にちらりと視線を寄越しながら降谷が口を開く。
「それで?最近はどんな危険な目に遭ったんだい?」
揶揄うようにして取調べが始まってしまった。
「危険って…たまたま遭遇するか、要請を受けて現場に行ったりしかしてませんよ」
「本当に?」
「うーん、多分?」
コナンのときならばてへ、という擬音がつきそうな顔でおどけてみせるが、ぎろりと睨まれてしまった。どうやらこの手はもう通用しないらしい。さすがに大学生がやるのはキツいのか。
「……うーん、バイクに乗った引ったくり犯に轢かれそうになったくらいしかないですよ」
新一に心当たりのある、降谷基準の危ないことはこれくらいだろうか。推理のときのように顎に手を当てて思い出しながら答える。
「轢かれ…って君ね!」
降谷の動揺がハンドルに伝わり車がふらついた。
「大丈夫ですよ。未遂でしたし」
「はあ…他にはないんだろうな?」
「隠すと降谷さんめちゃくちゃ怒るじゃないですか。あれ怖いんで隠しませんって」
前に激昴した犯人が暴れだし所持していたナイフを振り回したせいでかすり傷を負ったとき、大した怪我ではないし服で隠れるから見られることもなく大丈夫だろうと話さずにいたら、どこから聞きつけてきたのか次の出会い頭に説教が始まってしまった。
心配をかけるのは本意ではないし、これ以上ガキだと思われるのもごめんだった。なのでそれ以降は新一なりに気をつけるようにはしていたのだ。
ただ今回は突然のことだったため対応が遅れ、少々ギリギリになってしまった。
「まあ確かに見る限り怪我はしていないようだし信じるよ」
「疑り深いですね…。そうだ、オレも降谷さんに聞きたかったんですけど。最近身体軽いとかないですか?」
「どうしたんだい急に」
そう、今まで一度も靄を纏っていない日がなかった降谷が今日はまっさらな状態だったのだ。
「いつもより元気に見えるので」
「そう?でも確かに…。二週間くらい前からかな?調子が良くなった気がする」
「へえ。何かしたんです?」
「いや…。ああ、風見に教えてもらった喫茶店に通うようになったくらいかな」
喫茶店、と呟く。
そこへ行ったことが関係しているのだろうか。
「今度工藤くんもどうかな?コーヒーが美味しいんだ、きっと気に入ると思う」
「わ!是非。あの降谷さんが言うなら楽しみです」
「あの?」
「オレ、安室さんの淹れるコーヒー好きだったので」
「初耳だ。嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
じゃあ昼抜けられそうなときに連絡するよ。
降谷から次の約束を貰ったところで目的地に到着したので会話はそこで一旦終わり車を降りた。
楽しみ半分興味半分で、新一はその日が待ち遠しくなった。
数日後、大学の食堂で談笑しているとスマートフォンがメールの受信を知らせた。差出人を確認するとそれは降谷からのメールで、喫茶店に案内がてらこれから会えないかという内容だった。
思ったよりも早いお誘いに頬が緩む。幸いこのあとは講義も入っていない。
「わりぃ!黒羽、」
ガタンと音を立てて立ち上がると、黒羽は分かっていたというように手で追い払う仕草をした。
黒羽快斗、彼は大学に入ってから出来た友人だ。
今は姿を見せなくなったあの大怪盗の正体、そこまでは見抜いているのだが如何せん肝心の証拠を全く掴ませない。
黒羽の方も新一がキッドだと気付いているのを察していて尚付き合いを続けているようで呆れてしまう。
まあ、証拠が出てこないのならば警察に突き出すことも出来ないからと黙っている新一も新一なのだからお互い様だ。本人には絶対言わないが、テンポよく会話がこなせる相手が貴重だというのもあったりする。
「へいへい。オメーも好きだねえ」
「恥ずかしいから言うな…」
新一の抱いている想いにすぐに気がついて揶揄い、しかしその相手はミステリートレインでの件があるせいで未だに良い印象を持っていない降谷であることにだけいい顔をしない黒羽は、それでもさりげなく新一の背中を押してくれる。
「じゃ、また明日な」
ひらひらと手を振る黒羽を背に駅へと走る。
指定された時間にはまだ余裕があるがどうにも気持ちが急いてしまう。
そわそわしながら電車に乗り目的の駅で降りる。案の定待ち合わせまではまだたっぷり時間があった。
それでも、新一は降谷を待つのが楽しく感じていた。
邪魔にならないよう端の方の壁に背中を預けると、スマートフォンを取り出してニュースサイトを開き、時間を潰すことに集中しようとした。
結局、こまめに辺りをちらちらと窺って集中など出来なかったのだが。
時間ちょうどに降谷が駆け足で近寄ってきた。
すでに新一がいたことに焦ったようなので、咄嗟に今来たところですと口に出していた。これくらいの嘘なら勘弁してください、とそっと心の中で許しを乞う。
「ここから近いんだ」
「車に乗らずに出掛けるのって珍しいですよね」
「はは、本当だ」
取り留めのない話をしながら案内されて訪れた喫茶店は少し古風な趣のあるところだった。
雰囲気からして新一の好みだ。
不自然にならないくらいに辺りを見回す。空気が澄んでいて、悪いモノが見当たらない。これはゆっくり出来そうだと新一の心は躍った。
からん、と鈴の音を立て扉を開けると店内はコーヒー豆の香りで満ちていた。
店内に目を向けながら奥まった席に腰掛けて降谷に囁く。
「いいですね、ここ」
「早速気に入ってもらえたようで何よりだ」
微笑んで、アイスコーヒーでいいかな?と聞かれたのでそれに頷いた。
注文を告げると去ると思ったウェイトレスは何故かその場に留まった。しかしその疑問はすぐに解ける。
「また来てくださったんですね!」
「はい。ここのコーヒーが気に入ったので友人にも紹介しておきたくて」
「あら!マスターもきっと喜びますよ」
目立つ容姿をしているからかウェイトレスは降谷のことを覚えていたらしい。にこにこと話し掛けているその様子をぼんやりと眺めていると、ふと彼が安室としてポアロで働いていたときを思い出した。あのときは彼が店員で、女子高生の客相手と今と立場が逆だったけれどよく話し掛けられていた。
それはどこに行っても変わらないようで。
ぼーっと二人を眺めていると、いつの間にかウェイトレスは奥へ下がっているようだった。客足が途絶えているとはいえ話し込むのは良くないだろう。
それより。
(珍しいな…。安室さんのときはすぐに躱してたのに、結構話し込んでた…よな)
気のせいかもしれない。
降谷が女性と喋っただけでこんなに嫉妬してしまうだなんてどれだけ女々しいのだろうか。それも友人という立場の自分が。
「工藤くん?」
「…あ、すみません。ぼーっとしてました」
「疲れてる?コーヒー来たよ」
申し訳なさそうにする降谷に慌てて首を横に振って、早速ストローに口をつけた。
確かにそのコーヒーはマスターのこだわりが伝わってきて、さすが降谷のお眼鏡にかなうのも納得の味だというのに、新一にはもやもやとした思いが渦巻いていて碌に味わうことも出来ず、その場は降谷の携帯が鳴ったことで終わりを告げた。
また今度、と言う降谷の言葉に笑顔で返せていたかどうか、新一自身には分からなかった。
庁舎から近いからかあの喫茶店で、と今までよりも降谷からの誘いの頻度が増えた。
最初は週に何度か会えるのが嬉しくて二つ返事をしていたが、その度に目にするのは降谷があのウェイトレスと話している場面だった。
もちろんずっと喋っているわけではないが、来店すると必ず一言以上は言葉を交わしている。
彼の職業を知っている身としては、彼女が何かの事件に関わっているのか、はたまた降谷のプライベートなのかと勘繰ってしまう。
どちらだろう、と新一は考える。
何もないのならばそれがいい。平和なのが一番だ。
だが、そうだとすると降谷がこうして場所を喫茶店に指定し、わざわざ訪れているのは本当にコーヒーが気に入っただけなのだろうかと疑ってしまう。
(降谷さんはあの女の人が好き、とか、)
浮かんだひとつの可能性に、新一は動きを止める。
もしそうだとすれば新一が会う必要はあるのか。
新一の読み通り、あの喫茶店に通い始めた降谷は靄を纏うことがなくなった。つまり、新一に会わずとも最悪が起こることはないのだ。もう会いに行く理由がない。たとえそれが降谷のあずかり知らぬところであっても、だ。
(急に誘い断るようになったら降谷さん、なんて思うんだろ…)
いくら考えてもトリプルフェイスを使い分ける演技力を持っている彼の本心を新一が暴くことは出来ないのだろう。
「くーどう!何してんの?」
「…っ、黒羽」
思考の海に沈んでしまい、廊下で立ち止まってしまった新一に黒羽が声を掛けてきた。
「ファミレス行こうぜ」
「またパフェか?飽きねえなオメーも」
「まーね」
ニッ、と歯を見せて笑うその顔に、新一は思考を放り投げて黒羽の誘いに乗ることにした。
「で?ここ数日の浮かない顔の理由は?」
はずだったのだけれど。
連れて行かれたのは大学近くにある学生の味方のファミリーレストラン。目の前には新一が頼んだコーヒーと、黒羽が頼んだチョコレートパフェ。
いつもならばここで課題をしたり駄弁ったりするのだが、今日は開口一番に黒羽が口にしたのはそんなことだった。
「…それ聞くために来たのか?」
「いんや別に。目的はパフェだっつの」
ついでに、なんて言いながら興味なさげな顔で生クリームをつついている様子は、黒羽の本心がどちらなのか読めない。さすが元大怪盗、ポーカーフェイスの上手いこと。
「……ちょっと、あの人の誘いをしばらく断ろうと思ってさ」
「そりゃまたなんでよ」
「確かめたいことがあんだ」
「ふーん、確かめたいことねえ。そりゃあ名探偵は放っておけないよなあ」
黒羽はうんうんと頷きながらアイス部分を掬って次々と口元へ運ぶ。みるみるうちに減っていくパフェに、見ているこちらが甘い、と口を引き攣らせながらコーヒーを飲んだ。いつものことながら未だに黒羽の甘党には慣れない。
「あの人にはそのこと言ったのか?」
「いや、まだだけど」
「オレは気にしなくていいと思うんだけどなあ〜」
スプーンをぷらぷらと揺らしながら黒羽は新一の方を見た。
「なんだそれ。根拠は?」
「んー。ヒミツ
」
「ハァ?」
何故か自信満々の黒羽に新一は気の抜けた声を出してしまった。
知らぬ間に空になっていたパフェの容器にスプーンを入れ、黒羽は伸びをした。どうやら満足したらしい。今日はこれでお開きの空気を察して残っているコーヒーを一気にあおる。
「まあ、工藤がどうしても会いたくないって言うならそれでいいと思うぜ」
「……おう。なんつーか、話、聞いてくれてさんきゅ」
「わ〜工藤さんが素直」
「人の礼は黙って受け取れ!」
気恥ずかしくなり、伝票を掴んで先に会計へ向かう。スタスタと先を歩く新一を黒羽は笑いながら追いかけてくる。相変わらず、お人好しな野郎だと新一は口角を上げた。
しかし新一の悩みも杞憂に終わることになった。降谷からの連絡が途絶えたのだ。恐らく大きな案件が動いたのだろう。
大学に行き、時々警視庁に顔を出すといういつもの日常を送りながら、新一は降谷が無事であることを祈った。
三週間が経った頃、新一のスマートフォンに着信が入った。表示される文字は非通知。
(…誰だ?)
知らない番号に警戒しながらも通話ボタンをタップする。
「……もしもし?」
「もしもし、工藤くんかい!?風見だが」
電話の相手は風見裕也だった。
新一に戻ってから公安事件に一度だけ関わってしまったことがあり、そのときに会話をして降谷とも付き合いがあることを降谷自身が明かした。なので新一でも風見と面識はあるが、彼にはコナンの正体を話していないため降谷との付き合いは年の離れた友人程度として認識されているはずだ。
その風見がこうして新一に連絡をしてくるということは降谷のことで何かあったということだろうか。
「風見さん?どうしたんですか?」
「降谷さんが…!」
降谷が倒れた。
その一言を聞いた瞬間心臓がバクバクとうるさく騒ぎ出す。大きく息を吐き出し冷静になれと己に言い聞かせ、風見に先を促す。
彼が倒れたのは登庁してすぐのことだった。慌てて救急に連絡したがすでに意識がなく、病院へ搬送。医師が言うには原因が全く分からないという。命に別状はないが、いつ目を覚ますか分からない状態で、こうして新一に連絡してきたとのことだった。
病院の場所を聞き出し、礼を言って電話を切った。すぐさまタクシーに飛び乗り行き先を告げる。
新一の頭に浮かんだのは、あの黒い靄が原因なのではないかという推測だった。しかし何故。降谷は例の喫茶店へ通っていたはずだ。
もし多忙により行けていなくとも、新一と再会してからだって一ヶ月やそれ以上会えていないときもあった。そもそもコナンとして出会う前から降谷は無事だったのだ。だからここ三週間ほどで突然何かあるとも思えない。
それとも、何かイレギュラーが起こってしまったのだろうか。
新一は今まで、自分には見えも聞こえもしないその存在に頼りきり、己自身はなんの行動もしていなかったことを思い知らされた。それでよく降谷を守るなどと言えたものだと自嘲する。
今は圧倒的に知識も情報もないため何も出来ない。新一はただひたすら拳を握り、窓の外を眺めることしか出来なかった。
病院に到着するなりタクシーから転がる様に飛び出した。
予め聞いていた病室へ辿り着くと、扉の前で深呼吸をする。
自分の推理にここまで自信がないのは初めてだった。
もし、あの靄が全く関係していなかったら。新一が来たところで何も解決しなかったら。
ここまで来てどうしようもない考えがぐるぐると頭の中で渦巻く。
今更怯えていても仕方がないと腹を括って扉に手をかけた。からからと音を立てて開いた室内はまさしくどんより、という擬音が似合うほど靄が充満する部屋だった。
(なんっ、だ、コレ…!?)
思わず靄を手で払う。するとそこだけ靄が消えた。守護霊の力は有効らしい。
(頼む、何も知らずに借りんのはこれで最後にするから)
届くかも分からない言葉を口にはせずに呟いてベッドに眠っている降谷に近付く。
そっと彼の身体に触れて、じわじわと靄が晴れていくのをじっと待った。
五分ほど経過すると、病室は元通りの、他者が見るものと同じであろう景色になった。
新一の口から安堵のため息が漏れた。自身の守護霊に出来ることはここまでだろう。
降谷の手を握っていると、ぴくりと指先が反応した。
「…っ降谷さん!!」
ゆっくりと瞼が開いていく。まだぼんやりしているが意識が戻ったことを確認するなり、新一は急いでナースコールを押した。
あとは風見に連絡だろうか。スマートフォンを取り出して外に出ようとすると、咄嗟に降谷が新一の手首を掴んだ。
「工藤くん…っ、少し話したいから、待ってて」
「…っは、い」
応えた声は変ではなかっただろうか。
新一はゆっくりと首を縦に振って、降谷がホッとした表情を浮かべたのを見届けてから駆け込んでくる医師とすれ違いに病室を出た。
まずは、心配で胃を痛めているであろう風見を落ち着けることが先だった。
新一からの連絡に風見は本当に良かった、とそれはもう泣き出すのかと思うほどの声色で言った。部下に愛されてるなあ、と微笑ましい気持ちになりながらしっかりと伝言を預かって電話を切った。ここ最近働き詰めの原因だった件はあとはもう後処理だけなので降谷はきっちり休養をとってくれとのことだった。
諸々の検査はもう終わっただろうか。一度様子を見に戻ると降谷はすっかりいつも通りの態度で起き上がっていた。
「もう起きてて大丈夫なんですか?」
ベッド横に椅子を引き摺ってきて座りながら問う。
「うん。びっくりする程健康そのもので先生に何度も首を傾げられたよ」
「はは…」
まさか原因が非科学的なものだとは思いもしないだろう。まあ、それにしても降谷の頑丈さには苦笑してしまうが。
「その調子じゃ数日で退院かもしれないですけど、風見さんからはしばらく休んでくださいとのことです」
「風見の奴…」
「何で不満そうなんですか。社畜の鑑ですか」
「何もしてないのは落ち着かないんだよ…」
肩を落としながら降谷は言っているが、それはかなり重症なのではと新一は思う。
「……あの。それで話って…?」
じゃれあいもそこそこに話を切り出す。
「ん?ああ、最近連絡出来なかったことを謝りたかったんだけど…よく考えたらこれ自意識過剰がすごいな。ごめん、忘れて」
「ふ、ふふっ…なんですかそれ…ははっ!」
嬉しいことを言われているのに笑いがこみ上げてくる。降谷の方に視線をやると、そっぽを向いていたが耳が赤くなっているのを見つけてしまった。
「大丈夫ですよ。オレも降谷さんに会えなくて寂しかったです」
距離を置こうなどとは思っていたが、それはそれで寂しいと感じたのも事実だ。
どこまで本音を言ってもいいのだろう。これくらいなら友人の立場でも許されるだろうか。
慎重に言葉を紡ぎながら降谷の反応を窺う。
「…そっか。……ありがとう」
降谷は優しく微笑んだ。
その顔を見た瞬間新一はトク、トクと鼓動がはやくなった。
病室内に数十秒の沈黙が落ちる。新一は今更ながら自分の頬が赤くなってないかどうかが心配になりさりげなく手の甲で口元を押さえた。
沈黙を破ったのは降谷だった。
「……工藤くん、君、何か隠してることとか…あるかい?」
「えっ…」
背中にじわりと嫌な汗が流れた。
降谷は探るような視線を向けているものの、その表情に嫌悪の色は見られない。確信は得ていないうえでの問いだったのだろう。
手を膝元に下ろして握りしめた。
新一はこれまで、両親と紹介してもらった相談者以外に自身に霊感があることを話したことはなかった。
未だに己でさえ、見えていてもそれが現実なのか疑わしくなることもあるからだ。誰も信じてくれないことは明白だった。
もし、降谷に奇異の目で見られることになってしまったら自分はそれに耐えられるのだろうか。
それに信じてもらえたとしても、新一が勝手にひとりで守っている気になって、けれどもこうして降谷に実害が出たことに対して彼が呆れ果てるのではないかと、それが怖くもあった。
先程よりも静まり返った室内は、遠くの話し声や足音だけが僅かに聞こえていた。
「…君が、話したくなければ無理には聞かないよ。ごめんね、詮索してしまって」
「ちが…っ、」
困ったように笑う降谷に新一は否定の言葉を返しかけたものの、決心はつかないままで唇を噛んだ。
このまま黙っていても、きっと降谷は今まで通り接してくれるのだろう。新一ひとりがわだかまりを抱えていくだけで。
なんだか、それはとても。
「…気持ちワリィ」
「…エッ?」
突然の罵声に驚いた顔を晒す降谷に構わず新一は続けた。
「分かりました」
「ど、どうしたの工藤くん?」
「オレの最大の秘密、話しますよ」
「…最大の、秘密…?」
暗にそれはコナンのことではないのかと訝しげな視線を受けた。確かに幼児化したのも重大な秘密だが、霊感があるという秘密は新一が話そうと思えば話せることだ。
新一は信じるかどうかは降谷に任せる、と前置きをして口を開いた。
「オレ、霊感とか呼ばれるモノがあるんです」
「……」
「降谷さんは、その、そういう厄介なモノから狙われやすいみたいで、今回倒れたのはそれが原因だと思います。ちょっと長くなるんですが最初から順を追って話しますね」
推理のときはすらすらと動く口も、出来るだけ降谷がショックを受けないような言い方を探しながら喋っているためどこかぎこちなくなってしまう。
そもそも苦手なのだ、新一の見ている世界を人に話すのは。
それでもなんとか説明した。幼い頃から見えていたモノ。新一の守護霊とその力。己はたいして霊関係に手を出してもいなければ興味もなかったので知識もあまりないこと。それなのに降谷を守りたいと差し出がましいことを思い降谷と会っていたこと。
降谷は黙って新一の話に耳を傾けてくれていた。
あらかた事情を話し終えたところで、新一はひと息ついた。途中から降谷は何かを考え込むように下を向いてしまっていたので今の表情は読み取れない。
現実的な話ではないし、悪いモノが憑いていたとなればゾッとする話だ。聞いていて気持ちの良いことではない。おそらく今は席を外した方がいいだろうと立ち上がったところで降谷がバッと顔を上げた。
「あ、の。オレ飲み物買ってきます」
「ちゃんと戻ってくるよね?」
何故か安室のときの営業スマイルを彷彿させる笑顔を見せた降谷にぎょっとしたが、おずおずと頷いておいた。今の状況から逃れようしたことは確かだったので少しドキリとした。
宣言通り売店で自分用にコーヒーと、降谷用にミネラルウォーターを買って戻ってくる。まだ病み上がりの彼にカフェインはどうかと思ったので無難に水を選択した。
新一が病室の扉を開けると、降谷は安堵の表情を見せた。約束したのに新一が破ってでも帰ると思ったのだろうか。
ペットボトルを渡すと礼を言いながら降谷は受け取った。新一は缶のプルタブを開けるとひとくちだけ口にする。
「工藤くん。まずは話してくれてありがとう」
「え、あ、はい」
そこに感謝されるとは思わず気の抜けた声が出て緊張が緩んだ。
「いくつか質問があるんだけどいい?」
「…期待に応えられるかどうかは分かりませんよ」
「うん。……工藤くん、僕と会うのは悪いモノってやつを追っ払うためだったのか?」
「えっと…」
まずそこなのか、と出かかった言葉をなんとかしまい込んだ。
「まあ…そう、ですね」
貴方に会いたいという想いもおおいにありました、とは言えず曖昧に肯定する。
しかしその返答が不満だったのか、降谷は幾分低くなった声でへえ、と呟いた。
「いいや、これはあとにしよう。僕が倒れたのは自分のせいでもあるって工藤くん言ってるけどどうしてだい?会わなかった期間が同じくらいの時期もあっただろう」
「そこなんですけど…オレの知識が足りなかったばかりにはっきりとした理由が分からなくて…すみません…」
「気にしないでくれ。工藤くんが謝る必要はないだろう。むしろ君がいなかったら僕は原因不明で倒れたままだったさ」
「いえ…。…そういえば紹介してくれた喫茶店には三週間のうちに行きました?」
「いや、忙しくて行けてないよ」
「そうですか…。オレに会わずとも通えていれば良かったんですが…」
良い場所だったことを告げると降谷は軽い調子でそうだったんだと言う。
新一と会っていないときに通っていなかったことに不謹慎ながら嬉しいと思ってしまった。
「…今更ですけど、降谷さん信じてくれるんですね」
「君がこんなこと言うくらいだし…そりゃあ信じるさ」
「そっ、か。へへ…ありがとうございます」
降谷の目に拒絶の色はなかった。それだけでこんなにも救われるものかと驚いた。
嬉しさで口の端が上がる。新一の顔を見た降谷はぱちくりと目を瞬かせた。
「嬉しそうだね」
「はい…!両親とその知り合いの人以外にはずっと隠してたので受け入れてくれる人がいるのはいいなって…」
「…驚いた。でも他の人も君の言うことなら信じると思うが」
「えー…そうですかね…?」
降谷は自分だけではないというが、こんな非科学的なモノを信じろと言われてそう簡単に頷くだろうか。周りの人たちを信用していないわけでは決してないのだがどうにも尻込みしてしまうので、もし話をすると決めるならばまだ先になるな、と思った。
「工藤くんは相変わらず自分へ向けられている感情に鈍感だね…」
「そ、そんなことは」
「あるよ。だって君、僕からの好意に気がついていないだろう?」
「………へ?」
誰から、誰への。
にやりと自信満々な笑みを浮かべながら近づかれると思わず新一は距離をとる。だがそれを予測していたのか、降谷はいつの間にか新一の腰に手を回していた。
「わっ!降谷さん近い、近いです…!」
「工藤くん」
ずい、と迫ってくる降谷の顔に新一の脳内は大混乱を起こしていた。まだ今しがた言われた言葉すら噛み砕けていないのだ。もう少し待ってほしい、とせめてもの抵抗として降谷の肩を押した。
「待ってください…!降谷さんが気があるのはあの店員の女性では!?」
「は?店員?」
ドスの効いた声に悲鳴が漏れそうになるのをぐっと我慢してこちらの言い分を続ける。
「だってあんなに喋ってたじゃないですか!待ち合わせも毎回あそこだし…あの人のこと好きなんじゃないですか?」
「待て待て、違う。……あれは…、」
降谷は少し言い淀んだが再び口を開いた。
「…工藤くんに気が向かないよう必死だったんだ」
「オレ?」
「君ね……頼むから顔が良いことを自覚してくれ…!」
「えー…貴方に言われたくは…」
懇願するように言われたが彼に言われたくはなかった。己の顔が整っていることを承知したうえで武器にしているためそれはもう恐ろしい。
「とにかく。僕が好きなのは君だよ工藤くん。分からないなら納得するまで口説くつもりだがどうする?」
「ヒエッ…大丈夫です…伝わりました…」
今度こそ悲鳴が口から出てしまった。この男からの愛の言葉の羅列など聞いてしまったら新一は憤死してしまう自信がある。
「そ、そっか…。降谷さんがオレのこと…」
「うん。…だからね、僕は君から話を聞いて、守られていたことは感謝しているけれど、僕の感知出来ないところで君が傷付いていたかもしれないと思うとゾッとしたよ。そんなことは絶対に許さない」
「あ…」
新一は饒舌に語る降谷をただ見ていることしか出来なかった。
口説かなくていいと言ったのに、その唇から紡がれる言葉は新一の頬を染めるのに十分すぎるものだった。
「…工藤くん、その反応は期待してもいいのかな?さっきは流したけどもう一回聞くよ。僕と会ってた理由は?」
「…ッ!そうです!オレも、降谷さんのことが好きだから…っ」
言い終える前に、気が付けば降谷の腕の中にいた。
抱きしめられていると理解するとカッと頬の熱が上がる。けれどもそこから離れようとは決して思わなかった。
自身の手をそっと背中へ回す。微かに降谷の背中が震えた。
「なるべく、大事なものはつくりたくなったんだが…工藤くんの信頼を完全に得るためには全てを曝け出さないと無理だったようだ」
「う…それは…、オレが一人で怖がってただけで…」
「だからこそ、だ。僕は君に何でも話してもらえるような存在になりたい」
「わ、わー!もう分かったってば!」
恥ずかしさにぐい、と肩を押すと降谷は簡単に離れた。
少し不満そうな顔をしたが、新一の輪郭をひと撫でするとそれは引っ込んだ。
見たことのない降谷の表情と行動に振り回されている。うるさい心臓は一向に収まりそうにない。
「もー…降谷さんこれ以上惚れさせないでくださいよ」
「おや、まだ上があるのかい?腕が鳴るなあ」
「だあああ!!墓穴掘った!!」
「ははは」
天を仰いで嘆息する。到底降谷には敵わないと悟った。
一方で、新一は降谷と戯れのようなやりとりにどうしようもなく高揚した。
(オレでも、降谷さんを幸せに出来るかな)
いや、やらなければならないと強く思う。
だって、そうしなければ。
(彼を見守る彼らに申し訳ない)
先の一瞬だけ見えた人たちがいた。
詳しくは聞いたことがないけれど、あれは多分降谷の友人だ。
「…あのさ、降谷さんもカッコつけようとか考えないでさ、しょうもないことでもいいから話してくださいね」
「ええ…それはちょっとなあ…」
「降谷さん!」
「…じゃあ、少しずつね」
「それでよし!」
早く互いに安心しきれるような存在になろうと新一は心に誓った。
「…工藤くん」
「どうしました?」
「僕たち付き合ってるってことでいいんだよね?」
「?そうですね」
「なら敬語はいらないと思わないか?」
「分かりまし…分かったよ」
「うんうん。ついでに名前で呼んでいい?」
「いいけど」
「ありがとう新一くん」
「……どういたしまして、零さん」
「っ新一くん!!」