惚気が役に立つこともある


※ほぼモブ視点。



「……げ、」
 屋上の扉を開けた少年は目の前の光景に思わずそんな声をあげた。そこには生徒から恐れられる体育教師の姿があったからだ。
 少年の態度はとても教師相手にするものではなかったのに、コンクリートの地面に座って何を考えているのか読めない表情の教師はちらりとこちらを一瞥しただけで、再び弁当に視線を落としたのだった。

 冨岡義勇はキメツ学園高等部の体育教師だ。そして風紀委員の顧問として日々校則違反者に竹刀を振るっているのが、生徒たちが慄いている最大の理由である。さらに言えば、授業中どころか昼休みでも笑うところを見た者がいないのでサイボーグか何かだと囁いている生徒もいるくらいだ。
 そんな教師と昼休みに屋上でばったりなんて、嫌になるに決まっている。とはいえそれを本人に伝えるつもりなんてこれっぽっちもなかったのだけれど。いや、怖いからなんてことは断じてない。
 今日は一人で食べたい気分で屋上まで足を運んだのだったが、この男がいるなら話は別だ。すぐさま回れ右をしようとしたところで、体育教師は珍しく自ら口を開いた。
「なんだ、ここで食べるつもりだったんじゃないのか」
 手にはビニール袋を提げているのだからそう思ったのは当然だろう。ここまで言われては去るのも気まずく、少し離れたところに腰を下ろした。
 最近は食欲が湧かず、今日の昼食は登校途中にあるコンビニで購入した菓子パンひとつだけだった。対する冨岡はサイズが大きめの二段弁当で、手作りであるのが察せられるものだった。
 少年は同性である男の顔など微塵も興味はないが、クラスの女子たちが「めちゃくちゃ顔がいい」なんてはしゃいでいたから、きっとこの堅物教師には彼女の一人や二人いるのだろう。こんな男でも彼女には優しいのか些か疑問だが、ラブラブなようでなによりだと妬みの心が顔を出す。
 というのも、少年にも彼女がおり、しかし現在は喧嘩して口すら利いていない有り様だったからだ。
 喧嘩の理由は、彼女が「全然わたしのこと好きって言ってくれないよね」のひとことからだった。そんなことない、という反論は出なかった。振り返ってみると彼女の言うとおりだと気がついたから。
 何も言えずにいる少年に、彼女は瞳に涙を滲ませて、少年の前から去ってしまった。別れる、とは告げられていないから、まだ付き合ったままだとは思っている。それも時間の問題かもしれないが。

「それだけか?」
「へ、」
 悶々としていたから、話しかけられたことに一瞬対応が遅れる。すぐに自分への問いだとは分かったが、一体何のことだと訝しげな表情を浮かべた。こちらが答えなかったからか冨岡は考える仕草を見せ、そしてやや間を開けて言葉を継ぎ足した。
「パン。ひとつじゃないか」
「あ、ああ……食欲がないので……」
「そうか」
 それだけを言うと、冨岡は紙袋を差し出してきた。再び意図が分からなくて首を傾げてしまう。女子たちは口数少ないのがクールで素敵だとかなんとか夢を見ていたところ悪いが、これは単に喋るのが嫌いなだけではと勘繰る。
(いや、何も分からん。マジでなんなのこの人)
「…………食べておけ。午後からの授業に支障が出るぞ」
「食べ……えっ、あっこれパン……?」
 しびれを切らした冨岡が押し付けてきた紙袋をおそるおそる受け取る。開けてみると中に入っていたのはパン。しかもよく見れば紙袋に印字されていたのは同級生の名字。そういえば、そいつの家がパン屋を営んでいることはぼんやりと覚えていた。
「でもこれ、先生が買ったんじゃないすか?」
「俺には弁当もある。それに、……いや、何でもない」
「? はあ……」
 非常に分かりにくいけれど、こちらを気遣ってくれているのは理解した。相変わらず食欲はなかったが、この教師の珍しい行動を無下にする気にもなれなくて、小さめのパンをいただく。ありがとうございます、と言って紙袋を返すと、冨岡は少年が迷っている間に完食していた弁当箱を片付けていて、戻ってきた紙袋からぶどうパンを手に取っていた。
(よく食うなー。やっぱ体育教師だと腹減んのかね)
 そんな感想を抱きながら口にしたパンは、思ったよりも美味しくて。あっという間に胃袋へと消えていき驚いてしまった。なんとなく視線を感じで隣を見ると、何故かどことなくドヤ顔を浮かべた冨岡がいる。
「竈門のとこのパンは美味い」
「……そ、っすね」
 同意はする。同意はするが、なんで冨岡が自慢げなのか。ひくりと口端をひくつかせた少年であった。





 あの衝撃的なやり取りから一週間が過ぎていた。結局彼女とは仲直りできないまま、焦りだけが募っていく。こちらから会いに行くべきだと気持ちでは分かっているのに、連絡を取る指が動かない。
 はあ、とため息を吐いて屋上へ続く扉を開ける。そしてそこで、最大のデジャヴを感じた。
「あっ」
「…………」
 無表情で玉子焼きを口へ運んでいる冨岡がいた。少年が声をあげようが眉一つ動かさず、言葉も発しない。飯食いロボットとでも言われたら信じてしまうかもしれなかった。
 前回少年が来たのも、そして今日も金曜日だった。男が毎日屋上でぼっちゴハンしているのか、たまたまなのか、それとも金曜日だけなのか。流石に尋ねられる程親しくはないのでその謎は解けそうにない。
 先週よりは比較的心情もマシになっている。少年は無言で、前回と変わらない少し離れた場所に座り込んだ。心情以外は何も変化がない。食欲も、コンビニのレジ袋も、購入した菓子パンも──彼女との距離も。
 清々しい青空すらも憎い。もう、駄目なのだろうか。このまま自然解消で別れることになるのか。
 冨岡は黙々と弁当の中身を消化している。ちらりと覗き見たそれは色鮮やかでありながらボリューミーなもので、食欲がない今でも美味しそうに思えた。
 そういえば男には彼女持ち疑惑を抱いたのだった。果たしてこんなプライベートなことに答えてくれるのか、半ば諦め気味に探ってみることにした。
「……先生ってさ、彼女いるでしょ」
「…………」
 沈黙が続き、やっぱり駄目かと落胆した少年だったが、ごくりと口の中のものを飲み込んだらしい冨岡が暫くして喋りだした。
「……恋人はいる、が。何で分かった?」
(教えてくれるんだ!?)
 驚いて目を見開く。一拍置いて、少年は答えた。
「弁当、すげー美味そうじゃないすか。絶対彼女の手作りじゃん、って誰だって思いますよ」
「……そうか」
 ムフフ、と効果音が付きそうな怪しい笑い方をする冨岡に内心で「笑ったところ初めて見た」と思いつつ、それだけ彼女のことが好きなのかと察する。この男を落とすなんてどんな人なんだろうと少しだけ気になる。完全に野次馬根性だ。
「彼女可愛いんすか」
「可愛い」
 即答かよ。ベタ惚れみたいだ。
「先生から告ったの? それとも向こうから?」
「最終的には俺からだ」
「? どーいうこと?」
「幼馴染みなんだ」
 へー、と言ってから敬語がとれていたことに気がつく。だんだんと友人と喋っているような気分になってきていたからうっかりしていた。だが冨岡がそこに言及する様子はなく、その辺りは特に気にしない質らしい。
「えっ! じゃあ昔から約束してたってこと? ラブコメじゃん!」
「らぶ……?」
 聞けば何でも答えてくれるのは普段冨岡にのろける場がなかったからだろうか。少年も経験があって気持ちは分かった。彼女の自慢話をしようとしたところ、彼女なしの友人に舌打ちされたのだ。あれは未だに思い返してもあんまりだと感じる。ちょっとでもいいから耳を傾けてくれたっていいじゃないか。
 ──彼女。
 自分たちの現状を改めて目の当たりにした気分だった。
「…………先生さ、彼女と喧嘩とかしないの」
「……」
 急に湿っぽい雰囲気になった少年に対して冨岡はちらりと視線を寄越しただけだった。しかしその視線に促されるように少年は続けた。
「俺も彼女いるけど、もうダメかもしれなくてさ。……俺が、恥ずかしがらずにちゃんと気持ちを伝えてなかった、から」
 かたん。冨岡が空になった弁当箱に蓋をした。この男も彼女に対して怒ったり、上手くいかず焦ったりするのだろうか。
「……あの子はいつも言いたいことをしまい込んでしまうから、喧嘩は殆どしない。だが気持ちを伝えていない、というのは耳が痛いな」
「……」
「危うくそれでアイツの手を掴み損ねそうになったから」
 おそらくその瞬間を思い出しているらしく、自嘲めいた笑みを浮かべる冨岡を目にし少年は瞠目する。まさしく今の少年と同じような現状だった。
「それ、で、どうなったの」
 聞かずとも分かりきっている。今もこうして付き合い続けているということこそが、仲直りできている証だ。
「周りに散々叱られて追いかけた。伝えきれていなかった分もまとめて全部伝えたよ」
 幸い手遅れにはならなかった、と言った冨岡の表情には未だ残っているらしい恐怖が刻まれていた。その気持ちは痛い程分かる。自身と重ねて、もしかしての未来にぶるりと背筋が震えた。
「先生、」
「なんだ」
「……俺、ちゃんと彼女と話すよ」
「そうか」
 一度決心したら一気に心が軽くなった。善は急げとばかりに屋上の扉を目指す。
 が、出る前に振り返り冨岡を見遣った。
「サンキュ、先生。先生も彼女と末永くね〜!」
 冨岡は無言のまま片手を軽く挙げた。それを見届けると今度こそその場を走り去る。昼休みが終わるまであと十分。少年は人生で一番速く、廊下を駆け抜けた。



  ◇  ◇  ◇



「ただいま」
「おかえりなさい! お邪魔してまーす」
 義勇の帰りを迎えたのは年下の恋人である炭治郎だった。緑と黒の市松模様柄をしたエプロンを身につけて、手にはお玉という新妻スタイルだ。
 毎週金曜日は炭治郎が泊まりにくるのが習慣となっている。その為昼休みは友人たちと過ごせと義勇は提案した。若者の貴重な青春を奪っている自覚はあるので、せめてそれくらいは寛容でありたいと思っている。
 ──その代わり朝にパンを買いに行くという口実で会いに行っているのだから寛容になれているかについては些か疑問は残るところであるのだが。
「お弁当箱は」
「ん。今日も美味しかった。ご馳走さま」
「えへへ、良かったです」
 その笑顔が眩しくて愛らしくて、一週間で溜まった疲れが浄化されていく。
 そして思い浮かんだその気持ちを、そのまま口に出す。
「好きだ、炭治郎」
 ランチトートに入れられた弁当箱がゴトンと音を立てて床に落ちた。炭治郎の耳は真っ赤に染まっている。
「まだ慣れないのか」
「そりゃっ……当たり前じゃないですか! 義勇さん、これまでどれだけ無口だったと思ってるんですか!? そんな人があの日を境に……っ」
「だが……お前に離れていかれるのはもう御免だ」
「も、も〜〜!!」
 この話を持ち出すと義勇はいつだって罪悪感と後悔で押し潰されそうになる。いったいどれだけ炭治郎に我慢をさせてしまったのか。義勇の前でだけは自由でいてほしいと願っていたのに、まさかずっと些細な願いすらにも口を噤んで胸の奥にしまい込んでいたなんて。気がつきもしなかった己の鈍さにも嫌になる。炭治郎から好意を伝えられる度に幸せを感じていたのに、それを返していなかったなど万死に値するとしか言えない。
「まあ、おいおい慣れてくれればいいか……」
 これから何度も言えるのだから。ムフフと口角を上げると炭治郎がぎょっとする。
「こ、怖いこと言わないでくださいよ」
(心外!!)
「ほら、手洗ってきてください。ご飯にしましょう?」
 少々物申したいことを残しながらも言われたとおり洗面所に赴く。あらゆる意味で炭治郎には逆らえないのである。

 夕食の席について、いただきますと手を合わせたら炭治郎の手作りで美味しい料理にありつける。昼間の弁当だってこの恋人の手料理であるが、やはり湯気の立っているあたたかいものだとひときわ旨さが違うのだ。
「あ、そうだ。今日いい話を聞いたんですよ」
 特に炭治郎の話を聞きながら食べるのが好きだ。金曜日は殊更そう思う。
 義勇は食べながら喋れないけれど、相づちくらいは打てる。炭治郎もそんなやりとりには慣れっこで、よく回るその口から楽しそうな日々を語ってくれるのだ。
「カナヲの友だちの女の子が最近彼氏と上手くいってなかったそうなんですよ。でも今日仲直りしたらしくて! こういう話を聞くと、こっちも幸せになりますよね」
「そうだな」
 こくりと首を縦に振り同意してから、義勇はおや、と箸を持っていた右手を皿の横で止める。似た話をまさに今日、聞いたばかりだった。
「義勇さん?」
「いや……うん、後で話すよ」
 なるほど。あの男子生徒は上手くやったらしい。もしかすると別人の話かもしれないけれど、義勇も昼休みの出来事を炭治郎に話してみようかと思った。普段怖がられていてなかなか生徒と交流などしない義勇にそんなことがあったと知ったら、炭治郎はどのような反応を見せるのか。
 首を傾げながら焼き鮭を解している炭治郎に、義勇はどうしても言いたくなった想いを口にした。
「炭治郎のことが好きだよ」
 突如落とされた爆弾に動揺した炭治郎が膝を机にぶつけてしまって、ガタン、ガシャンと騒々しい食卓になることを予測できなかったのは、義勇が考えなしであったとしか言いようがない。



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