逃げるのはここまで


 ──今日は久しぶりに、イクトが日本に帰ってくる。
 数日前に用件だけの簡素なメールを受け取ってからずっとそわそわして落ち着かず、今日だって朝から数分おきに髪の毛のチェックをしたり、数時間かけてミキとあれこれ相談して選んだ服も本当にこれで良かったのかと鏡の前を何度も往復したり。
 ランからは「あむちゃん落ち着いて〜!」と宥められるし、ミキは「ボクと決めたんだからもっと自信持っていいのに」と唇を尖らせていて。スゥには「良かったですねぇ〜あむちゃん」と微笑ましそうにされるし、ダイヤからは「大丈夫よ」と自信ありげなウインクを貰った。
「ああぁあああ〜〜〜、でもでも、実際に会うの久しぶりで何話したらいいか分かんないし、そもそも前みたいな距離感でいられるか不安なんだけどおお!!」
「もー! あむちゃんったらうじうじしちゃってー!」
「いつものクール&スパイシーはどこにいったのさ」
「それ外キャラだからぁ〜〜ほんとのあたしじゃないからぁああ〜〜〜」
 イクトとは、二階堂と海里の姉三条との結婚式を最後に会えていないのだ。連絡は取り合うようになったけれど、それでも短いメールが一週間に一度あれば良い方で。
 ほれさせてやる宣言はどうしたのだともやもやする気持ちを抱えたのも片手では数え切れない。それでようやっとイクトのことが好きだと気づいてしまったのだ。競争はあむの負けだし、自覚したことで気恥ずかしいし、けれど会いたいとは強く思うし。
 複雑な乙女心に振り回されて、今日はなんだかネガティブハート。どんよりとしたあむの手に触れたのはダイヤだった。
「ねぇあむちゃん。ちょっと外に出てみない?」





 思い出の遊園地の跡地。すっかりまっさらな土地へと変わってしまったそこ。それでもあむの記憶の中にはイクトと過ごした時間が刻まれている。
 「少し歩けば気分も晴れるかもしれないわ」と言うダイヤの提案で散歩に出掛けたら、無意識にここに辿り着いていた。やっぱりイクトのことが好きなんだ、と再認識させられてしまう。
「あむちゃんてば、すっかりメロメロになっちゃって……」
「ラブですねぇ〜」
「う、うるさいなぁっ!」
 そうからかわれると何も言い返せない。顔が赤くなっていることを自覚しつつランたちに向かってぶんぶんと腕を振る。しかし浮いている彼女たちにはひょいひょいと軽く躱されてしまった。
「当たらないよー!」
「あら、なんだか……あむちゃん背伸びた?」
「いま言う!?」
 ダイヤのマイペースな問いかけに拍子抜けする。すっかり気が削がれて近くのベンチに座り込んだ。
「成長期なんだもん。きっとイクトだって驚くんだからっ」
「オレが何だって?」
「〜〜〜っっ!!? イクトぉっっ!!?」
「うるさっ」
 もう見ることは叶わない筈の猫耳がぺたんと閉じた気がした。このノラネコはいつも気配を消してからあむに近づくのだから毎回心臓に悪い。いつか止まってしまったらどうしてくれるのだと訴えても、イクトは「そうなったらオレがキスして起こしてやろーか?」なんて茶化してくるのだ。
 心臓が暴れている原因が驚きだけだとでも思っているのだろうか。こちとらようやくはっきりした恋心を持て余しているというのに。
(そりゃ、イクトはあたしより五つも年上で恋愛経験が豊富なんでしょーけど! ……あ、なんか凹んできた……)
「ていっ」
「いたっ!?」
 ずきりと痛みが走った胸を押さえると、脳天に手刀が落ちてきた。
「何すんのっ!」
「つまんねーこと考えてる顔してた」
「つまんないって……」
「久しぶりにオレと会えたのに、浮かない顔してんじゃねーよ」
「なっ……! じっ、自意識過剰じゃん!? べつに久々だからって特別感なんてないしっ」
「あむちゃん……」
「ずっとそわそわしてたクセに……」
「いじっぱりキャラ顕在ですぅ……」
 呆れるようなミキたちの呟きは聞こえないフリをして、ちらりと細目でイクトを見遣る。相変わらず見た目はかっこよくて、けれど表情はやんちゃな猫みたいで。
 しかし雰囲気は変わった気がする。少し大人びて、でも自由奔放なところはそのまま。ただでさえ歳が離れているのに、さらに置いていかれた気分だ。
「って、ちょっ、コラっ!」
「んー……なんか一人で盛り上がってるみたいだから? オレも勝手にする」
 そう言ってぴとりとくっついてきて、あむの髪に顔をうずめてくる。おまけにすんすんと匂いを嗅ぐものだから、ぎゃあ、と悲鳴をあげて逃れようと暴れる。
 しかしあむのそんな行動などお見通しとばかりに腕の中に閉じ込められた。ぎゅうと抱きしめられると何も言えなくなってしまう。
「なー」
「……な、なに……」
「空港で言ったこと、覚えてるか?」
「……!」
 あむがあからさまに固まると、イクトはぷっと吹き出した。クスクスと笑われて、ああもう覚えていること完全にバレたと顔が赤くなっていくのが分かる。
「おまえ、なりたい自分は見つけた?」
「……まだ探してる途中だけど」
「オレも親父は見つけられてないよ」
「勝負ついてないじゃん」
「そーだな。……でも、」
 もう一つ、あるだろ。耳元でそう囁いてくるのは絶対にわざとだ。ぴく、とわずかに示した反応をイクトは目敏く気がつく。
「ふーん……?」
「ひゃっ、い、イクトっ」
「もうオレにほれちゃった?」
「そんな、こと……」
 ない、とは、嘘でも口にできなかった。いじっぱりの可愛くないキャラすらも、あむ自身の恋心を無くすことは不可能だったのだ。
「……あたしの、負け、だよ。あたしもイクトのことが……っ!」
 好きと言い終える前に唇を奪われた。すれすれではなく、今度こそ本当のキスだった。
「はーーー……長かった」
「うぐ、」
 肩にぐったりとしたイクトがのしかかってくる。イクトの言葉と態度から何を言いたいのかは察することができて口を噤む。
 素直になれない自分が恨めしく思うのは、間違いなくあむ自身が一番感じているからだ。
「何年待ったかなー。あのときからだからなー」
「えっ、い、いつ……っ!?」
 イクトがいつからあむのことを好きになってくれたのか。気になる話題に飛びつくが、イクトはにんまりと笑った悪い顔でヒミツ、と口を閉ざしてしまう。いつか絶対口を割らせてみせると密かに決意する。
「ね、あむ。さっき聞きそびれたからもう一回言ってくんね?」
「は、はあー!? アンタが……っしたから言えなかっただけじゃん!」
「ん? ナニしたって?」
「もー知らないっ! このヘンタイ猫ーっっ!!」
 渾身の力で抜け出し逃走する。どうせ追いつかれるのは分かりきっていたけれど、頬の熱が引くまでの少しの間時間を稼ぎたかった。後ろからしゅごキャラたちが慌てて追いかけてきて、やんややんやと騒ぎ立てている。先程までそっとしておいてくれた点は感謝するが、今逃げるのに力を貸してくれないのは物申したい。
「だってあむちゃん、本気でイクトから逃げたいワケじゃないでしょ?」
 ──しゅごキャラは自分の一部。つまりはこっちのココロの内側だって丸分かり。
「…………そうかもね」
 せめてもの抵抗から出たあむの言葉に、四人は目を合わせてから笑ったのだった。



  ◇  ◇  ◇



「あーっ! イクトおっせーぞ!」
「わりぃな」
 二階堂のところに一人で乗り込むというあむを一応止めてみたものの、当然聞かなかったために唯世たちガーディアンにひとこと忠告を入れてきた。おかげで約束していた友人から遅いとブーイングが飛んでくる。
「誰だったんだ? あの小学生。知り合いか?」
「んー……まあそんなトコ?」
「ハッ……まさかイクト、今から唾付けとこう的な……?」
「そんなんじゃねー」
「それにしては仲良さそうだったけど」
 囃子立ててくる友人をのらりくらりと躱すが、興味津々なのか追求の手を緩めてくれる気はないらしい。「あの制服って聖夜小だっけ?」だの「何歳差?」だの。一体探ってどうするつもりなのか。思わずため息が出てしまうというもの。
「何なのオマエラ……」
「いやだってさあ……今まで女子たちに騒がれようが告られようが涼しい顔してスルーしてたヤツが、だ。小学生とはいえ女子と関わってるんだぞ? こんな面白いこと他にあるか」
「それなー!」
「……そうだっけ」
 ミルクもシロップも入れて甘くしたコーヒーを啜る。言われてからぼんやりと浮かんだ情景は確かに、何かと女子生徒に話しかけられたものだった。好物を教えてほしいとか、机の中に入れられた手紙とか。周囲に興味を持てなくて、いつしか適当に理由をつけて逃げるようになっていったのだ。
 ──日奈森あむ。気がつけばやけに関わりを持っている、三人のしゅごキャラとハンプティ・ロックを持つガキ。なんとなく気になって助けてしまうし、ちょっかいをかけて楽しんでいる自分もいる。
 敵同士だと言ったのはイクトの方だったのに。
 だからってあむに対し何かある筈もない。この友人らが言うように小学生のガキなのだ。
「まーでもイクトが気にかけんのも分かる気がするわー。あの子将来有望そうだもんな!」
「…………は?」
 一瞬思考が停止して、徐々にその言葉の意味を理解する。途端、自身でも思うより数段低い声が出た。友人たちがびくりと肩を震わせる。
「ど、どうしたんだよイクト」
「……うるせー。帰る」
「ちょっ、おいっ!」
 すっかり気分ではなくなって席を立つ。早足で店から遠ざかりながら、イクトは密かにイライラしている自分に驚いていた。あむのことを知らないヤツにあむが可愛いと言われて、咄嗟に湧いてきたのは怒りだった。
 確かにからかうのが楽しいのは認めるが、あんなガキに本気になるなど──。
「ハッ……あるわけねー」
「イクトぉ〜、どっか遊びに行くにゃ?」
「んーー……」
 ぴょこんと肩から顔を出して、ゴロゴロと喉を鳴らすヨルを気まぐれに撫でてやる。ムシャクシャした気分をどうにかしたくてキャラチェンジした。耳と尻尾が現れるとともに軽くなった身体でふわりと飛び立つ。屋根伝いに渡りながら、イクトは暗くなる街に溶け込んでいった。



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