※現パロ





 ごめん、今日は会えそうにない。それだけを打ち込んだメールを送信する。彼の寂しそうな表情が目に見えるようだ。送信完了の画面が出るのを見届けてから、長年愛用しているブルーの携帯を折り畳んで一息つく。



「利吉さん、七日の夜、会えますか?」
 いつも以上ににこにこと笑いながら、小松田くんがそう尋ねてきたのは一週間ほど前だった。
 付き合い始めて暫く経つが、私の仕事が忙しいせいで、頻繁に会うことはできない。けれど、彼は文句のひとつも溢さない。そんな彼の方から約束を取り付けようとするのは、滅多にないことだった。
「七日……七夕?」
「はい! 出張とか、入ってますか?」
「いや……大丈夫だよ。会おうか」
 微笑んでそう返すと小松田くんは、彼が嬉しいときにいつもそうするように、ふにゃりと笑ったのだった。



 大きな仕事は片付いたばかりで、ルーティンワークも問題なくこなしていた。余裕もあった。けれど今日、突然、取引先からクレームが突き付けられたのだ。友人が担当していた件だったから直接の関係はなかったけれど、部署全体でフォローに回る必要があった。
 七夕の夜だ、恋人と約束があるという同僚も多かった。それでも仕事だから仕方ないと、泣く泣く断りの電話やらメールやらを相手に送っているようだった。勿論それは、私も例外ではなく。
 返信はまだ来ていなかった。いつもなら、メールを送れば一分も置かずに返ってくるのに。受信できていないだけかもしれないと、センターに問い合わせをしてみても、やはり彼からの返事はない。どうしたのだろう。
「山田さん、コーヒーどうぞ」
 耳元で聞こえた、まるで星でも散りばめたかのように可愛らしい声にはっと現実に引き戻された。同僚の女の子は苦笑して、白く湯気の立つカップを私の机の上に置いた。
「ああ、ありがとう」
「彼女さんと約束でも?」
「……まあ、ね。返信が来ないから、怒らせてしまったかもしれない」
「山田さん、いつもお仕事頑張っているんですもの。彼女さんも、きっとわかってくれますよ」
「……ありがとう」
 ドタキャンは初めてではない。約束していても、当日になって駄目になってしまうことは決して少なくない。けれど彼は何も言わない。ただ、わかりましたと、また今度会いましょうね、と。突然仕事が入ってしまうことに関して、小松田くんが文句を言ってきたことは一度もない。
(……わからない)
 子供っぽくて、しつこくて、少しうざいほど。それなのに、どうして彼は何も言わないのだろう? どうしてこの仕事中毒に、我慢ができるのだろう?
(もしかしたら、彼の気持ちはすでに私から離れているのかもしれない?)
「……まさか」
 そんなことが有り得るはずがない。だって彼は――。
 それでも何となく気持ちは落ち着かなくて、少しばかり冷めてしまったコーヒーに手を伸ばした。独特の香りが鼻腔をくすぐる。きちんと豆を挽いたコーヒーは、その苦味すらも快い。まったく、小松田くんの淹れるコーヒーとは大違いだ。彼は、インスタントですらまともに淹れることができないのだから。
(……それでも、前よりはマシになった)
 出会った頃は飲めたものじゃなかったのに、今では随分上達したのだと思う。時折薄かったりもするけれど、飲むことはできる。ごくたまに、インスタントとは思えないほどに美味しく淹れることもあって、褒めると頬を染めてふにゃりと笑う。

 彼から約束を取り付けてきてくれたとき、顔に出すのは何となく躊躇われたのだけど、すごく嬉しかったのだ。心臓は音が聞こえるほどに高鳴っていたし、身体の中はじんじんと熱くなった。そうして私は漸く、自分が思っているよりもずっと彼が好きだということに気付かされた。求められる、そのなんと幸福なこと。
 未だに反応のない携帯を見つめて、私はそっとため息を吐いた。



 結局、会社を出たのは日付が変わる十分前だった。それまでに携帯が音を立てることは一度もなかった。
「……」
 エントランスの前に来ると、自動ドアが人体に反応して左右に道を開ける。生温い外気が一気に吹き込んでくる。多くの人々は眠りについているであろうこの時間、外は真っ暗で、夜空の星だけが我が我がと競うように煌めいている。
(電話を、かけてみるか……)
 もう寝てしまっているかもしれない。けれど、もしかしたら起きているかもしれない。
 短縮に設定された彼の番号が液晶に表示される。少し躊躇いながらも、親指を動かして発信ボタンを軽く押した。スピーカーからは無機質な呼び出し音が流れてくる。一定の間隔をおいて、延々と。何時までも止まることなどないかのように、その機械音は私の鼓膜を震わせ続けた。
 その音は、最初は空耳かと思ったのだ。会社を出てすぐ脇に設置されたベンチに人影があった。時折、若い男女がぴったりと身体を密着させている場面に出くわすことはあるけれど、今日は一人だった。よく聞き慣れたメロディは、そこから流れてくるのだった。
「……小松田くん?」
 それは紛れもなく私の恋人であって、彼のズボンのポケットからは私からの呼び出しに応える音がだだ漏れだった。当の本人は背凭れにだらしなく寄りかかり、気持ち良さげに寝息を立てている。
 呼び出し続けていた電話を切ると、彼の携帯も鳴くのを止めた。品の良い装飾が施されているそのベンチの、彼の隣に腰を下ろす。すると、彼が手に握っていたものが目に入った。小振りの笹だった。きっと、飾られていた大きな笹の先っぽを頂いてきたのだろうと思う。
「くしゅんっ」
 小さなくしゃみを漏らす彼は、起きる気配を見せない。どれくらい待っていたのだろうか。仕事上がりの身体には少し暑かったから、スーツの上着を掛けてやった。
「……笹はあるのに、短冊は持ってきてないんだね」
 閉じた携帯をもう一度開いて、タクシーを呼ぶ。待ち受け画面に示された時計を見ると、日付はもう変わっていた。ため息を吐いて空を見上げると、星はついさっきまでと何ら変わらず光り輝いていた。
「全く、困った織姫だ」








ちょっとの間拍手にしていたもの。利吉さんはエリートサラリーマン、小松田さんは小学校の事務員なイメージ(まんま)

110707

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -