彼は笑った。頬の筋肉を軽く吊り上げ、まるで血の色を映したような赤い唇で弧を描き、奇麗に並んだ白い歯を覗かせて、にかりと。嬉しそうに、楽しそうに、まるで何も知らない幼子が飴玉を与えられてはしゃぐように、わらった。
左門はいつも幸せそうに笑うね、とちょっと意地悪を言ってみると、彼は、殊更笑みを深くしてみせた。それが僕は、少し、気に食わないと思った。
僕はちゃんと気付いているのだ。何にも考えていないかのように完璧に作り上げられた能天気な笑顔の仮面に、あっさり騙され納得して、彼に気安く声を掛け、さっさと擦れ違っていってしまうような奴等とは違う。彼は見かけよりかはずっと器用で、それでいて至極不器用なことを、僕は知っている。
美しいまでに無邪気な笑みは、自然すぎて逆に不自然だ。細部まで丁寧に気を張り詰めて作られたその能面は、彼という不器用な役者にはそぐわない。
目と目を合わせると、彼は少しばかりたじろいだように感じた。そうだろう、そうだろう。きっと、彼の目を、彼の心を覗くように真っ直ぐに見つめ返すような奴は、僕が初めてだったのだ。そう、最初で最後。
瞳は心を映す鏡みたいなものだから、彼の眼球を、僕は蛇が舌先で舐めるようにじっと見つめてみる。血管まで見えるのではないかと錯覚してしまうほどに透き通った黒い瞳には、僕の鳶色の目が映し出されていた。彼の視界には僕しかいなかった。
上向きの睫毛は、彼の瞼を隙間なく縁取り、頬に微かな影を落とす。見つめられて動揺しているのだろうか、瞬きを繰り返すほどに、透き通った薄い膜を、その睫毛が引いては上げ、上げては引く。小さな飛沫がぱちんぱちんと光を弾けさせた。
水晶のように透明で、冬の朝の水溜まりに張った氷のように薄くて脆い、涙で構築された膜だった。空も花も海も木々も自然に存在する何もかもが足元にも及ばないくらい、可憐で美しくいとおしい。
意外に細いその肩に手を伸ばす。抱き寄せると、世界から余計な音と色とが消え失せた。聞こえるのは、僕と彼との心拍音。生きている音。見えるのは、くすんだ色の長い真っ直ぐな髪。まるで彼の心のようだと、頭の隅でぼんやり考えた。
彼は何も言わない。言わない代わりに、温かな雫が一筋だけ、僕のうなじをなぞっていった。
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お題は確かに恋だった様よりお借りしました。
110713 加筆修正